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「異常な恫喝と決めつけ」「対等の精神ないがしろ」(沖縄タイムス)「知事は阻止策を尽くせ」(琉球新報)―辺野古訴訟判決を批判する沖縄2紙の社説

 以前の記事「『沖縄県敗訴』と『国勝訴』の違い―辺野古訴訟判決の在京紙の報道の記録」の続きです。
 米軍普天間飛行場の移設先の名護市辺野古の埋め立て承認をめぐり、日本政府の主張を丸ごと認め、沖縄県敗訴とした福岡高裁那覇支部(多見谷寿郎裁判長)の判決に対して、沖縄の地元紙2紙は社説で厳しく批判しています。
 沖縄タイムスは17日付と18日付の2日連続で社説で取り上げ「バランスを欠いた独断的な判決」「もはや裁判の判決と言うよりも一方的な決めつけによる恫喝」などと、時に激しい言葉遣いも交え批判しています。琉球新報も17日付の社説で判決を批判するとともに、翁長雄志知事に対して「上告審での反論とともに、知事権限を駆使して新基地建設への反対を貫いてもらいたい」と求めています。
 それぞれの社説の一部を引用して書きとめておきます。

沖縄タイムス
▼17日付「[辺野古訴訟 県敗訴]異常な恫喝と決めつけ」
 http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/62528

 戦後70年以上も続く過重な基地負担、基地維持を優先した復帰後も変わらぬ国策、地位協定の壁に阻まれ今なお自治権が大きな制約を受けている現実−こうした点が問題の核心部分であるにもかかわらず、判決はそのことに驚くほど冷淡だ。
 冷淡なだけではない。自身の信条に基づいて沖縄の状況を一方的に裁断し、沖縄の民意を勝手に解釈し、一方的に評価する。県敗訴は当初から予想されてはいたが、これほどバランスを欠いた独断的な判決が出るとは驚きだ。
 司法の独立がほんとうに維持されているのかという根源的な疑いさえ抱かせる判決である。とうてい承服できるものではない。
(中略)
 一連の過程を振り返ると、国と司法が「あうんの呼吸」でことを進めてきたのではないか、という疑いを禁じ得ない。
 沖縄の地理的優位性や海兵隊の一体的運用などについても、判決は、ことごとく国側の考えを採用している。
 判決は、普天間飛行場の被害を除去するためには辺野古に新施設を建設するしかない。辺野古の新施設建設を止めれば普天間の被害を継続するしかない−とまで言ってのける。
 これはもはや裁判の判決と言うよりも一方的な決めつけによる恫喝というしかない。そのようなもの言いを前知事が「政治の堕落」だと批判していたことを裁判官は知っているのだろうか。
 これほど、得るところのない判決は、めずらしい。裁判官の知的誠実さも伝わってこない。
 北朝鮮の「ノドンの射程外となるのは我が国では沖縄などごく一部」だと指摘し、沖縄の地理的優位性を強調している判決文を読むと、ただただあきれるばかりである。
 県は最高裁に上告する考えを明らかにしている。高裁判決を丁寧に冷静に分析し、判決の問題点を明らかにしてほしい。
 モンスターと対峙しているために自分がモンスターにならないよう、常に「まっとうさ」を堅持し、あらゆる媒体を利用して現状の理不尽さをアピールしてもらいたい。


▼18日付「[辺野古判決と自治権]対等の精神ないがしろ」
 http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/62646

 判決では「国が説明する国防・外交の必要性について、具体的に不合理な点がない限り、県は尊重すべきだ」と言い切っている。国が辺野古に新基地を建設するといえば、県はその考えに従え、と言っているのに等しい。
 国防・外交は国の専管事項という考えだ。だが、地方公共団体には住民の生命や人権、生活を守る責務がある。地域の意思を無視して米軍基地が建設されれば、地方自治や民主主義の破壊である。
 1999年に地方自治法が改正され、国と地方公共団体は「上下・主従」から「対等・協力」の関係に転換した。他ならぬ多見谷裁判長が今年1月に双方に提示した和解勧告文で言及したことである。政府と県との間で互いに訴訟が相次ぎ、沖縄対日本政府の対立という構図は、改正地方自治法の精神にも反すると指摘していた。
 多見谷裁判長は「オールジャパンで最善の解決策を合意して、米国にも協力を求めるべきである」と本来あるべき姿にも言及していたが、判決は地方自治の精神をないがしろにするものだ。同じ裁判長とは思えぬ豹変ぶりである。
 判決は国地方係争処理委員会の存在意義を否定している。地方自治の観点から、国と地方の紛争を解決する第三者機関としての在り方を問い返す必要がある。
 民意についても判決は奇妙な論理を展開している。
 普天間飛行場の移設は基地負担の軽減につながるとした上で、辺野古新基地は「建設に反対する民意には沿わないとしても、普天間その他の基地負担の軽減を求める民意に反するとはいえない」との見方を示している。何が言いたいのだろうか。
 前提が間違っている。新基地が普天間の半分以下だから負担軽減とするが、新基地には強襲揚陸艦が接岸する岸壁やオスプレイなどに弾薬を積み込む「弾薬搭載エリア」が設置される。周辺基地と一体化した軍事要塞化である。
 前知事が辺野古埋め立てを承認して以来、名護市長選、知事選、衆院選の全4沖縄選挙区、参院選沖縄選挙区のすべてにおいて辺野古新基地反対の候補が勝利している。
 判決は選挙という民主的方法で示される民意を軽んじているとしかいいようがない。


琉球新報
▼17日付「辺野古訴訟県敗訴 地方分権に逆行 知事は阻止策を尽くせ」
 http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-358566.html

 判決には大きな疑問点が二つある。まず公有水面埋め立ての環境保全措置を極めて緩やかに判断している点だ。
 判決は「現在の環境技術水準に照らし不合理な点があるか」という観点で、「審査基準に適合するとした前知事の判断に不合理はない」と軽々しく片づけている。
 果たしてそうだろうか。専門家は公有水面埋立法について「環境保全が十分配慮されない事業には免許を与えてはならない」と指摘している。埋め立てを承認した前知事ですら、環境影響評価書について県内部の検討を踏まえ、「生活環境、自然環境の保全は不可能」と明言していた。
 大量の土砂投入は海域の自然を決定的に破壊する。保全不能な保全策は、保全の名に値しない。
 辺野古周辺海域はジュゴンやアオサンゴなど絶滅が危惧される多様な生物種が生息する。県の環境保全指針で「自然環境の厳正なる保護を図る区域」に指定され、世界自然遺産に値する海域として国際自然保護連合(IUCN)が、日本政府に対し4度にわたり環境保全を勧告している。
 判決は公有水面埋立法の理念に反し、海域の保全を求める国際世論にも背を向けるものと断じざるを得ない。
 判決はまた、「普天間飛行場の被害をなくすには同飛行場を閉鎖する必要がある」、だが「海兵隊を海外に移転することは困難とする国の判断を尊重する必要がある」「県内ほかの移転先が見当たらない以上、本件新施設を建設するしかない」という論法で辺野古新基地建設を合理的とする判断を示した。
 普天間飛行場の移設先を「沖縄の地理的優位性」を根拠に「辺野古が唯一」とする国の主張通りの判断であり、米国、米軍関係者の中にも「地理的優位性」を否定する見解があるとする翁長知事の主張は一顧だにされなかった。
 判決は国の主張をほぼ全面的に採用する内容だ。裁判で翁長知事は辺野古新基地により「将来にわたって米軍基地が固定化される」と指摘した。その上で「県知事としての公益性判断を尊重してほしい」と訴えたが、判決は県民の公益性よりも辺野古新基地建設による国益を優先する判断に偏った。
 「国と地方の関係は対等」と位置付けた1999年の地方自治法改正の流れにも逆行する判決と言わざるを得ない。