ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

繰り返された過労自殺―「働き方を闇に埋もれさせない」24年前の個人的教訓

 昨年末に自殺した電通の入社1年目の社員だった女性に、長時間労働が原因の労災が認定されたとのニュースが報じられています。手元にある10月8日付の新聞各紙朝刊では、朝日新聞は1面準トップ。コロンビア大統領へのノーベル平和賞授与決定に次ぐ扱いで、第2社会面にも関連記事があります。毎日新聞は社会面トップです。読売新聞は社会面準トップですが、亡くなった女性のスナップ写真も載せて、目を引く扱いです(3紙とも東京本社発行の最終版)。
 電通過労自殺と言えば、1991年に入社2年目の男性社員が自殺し、遺族が起こした訴訟で、最高裁が会社の責任を認定した事例があります。過労自殺に対する使用者責任が定着していく契機になった事例として知られています。
 その電通で、再び若い社員が過労自殺と認定されました。1991年から24年経っての再度の悲劇です。舞台が著名企業というニュースバリューにとどまらず、「電通で」には、あのときの教訓があるはずの電通で、というもう一つの意味があります。朝日新聞の記事は以下のような書き出しです。

 広告大手の電通に勤務していた女性新入社員(当時24)が昨年末に自殺したのは、長時間の過重労働が原因だったとして労災が認められた。遺族と代理人弁護士が7日、記者会見して明らかにした。電通では1991年にも入社2年目の男性社員が長時間労働が原因で自殺し、遺族が起こした裁判で最高裁が会社側の責任を認定。過労自殺で会社の責任を認める司法判断の流れをつくった。その電通で、若手社員の過労自殺が繰り返された。

朝日新聞デジタル電通の女性新入社員自殺、労災と認定 残業月105時間」=2016年10月8日
 http://www.asahi.com/articles/ASJB767D9JB7ULFA032.html

 91年のケースのことは、毎日新聞、読売新聞も記事の中で触れています。

 過労自殺は防ぐことができる労働災害です。電通に限らず、過去の悲劇を教訓に、社会で知見の共有も進んできたはずでした。過労死をなくすことは、労働組合運動を通じて私自身が自分の課題の一つとしてとらえていたことでもありました。それだけに、一層の痛ましさを感じますし、悔しくもあります。亡くなった女性に深く哀悼の意を表します。


 91年の事例では、96年3月28日に1審東京地裁判決があり、翌97年9月26日に2審東京高裁判決がありました。2000年3月24日の最高裁判決では、両親が「自殺は長時間労働による過労からうつ病になったのが原因」と訴えたのに対し1、2審とも電通の責任を認めたことを、支持しました。その上で、2審東京高裁が、本人の性格や同居していた両親にも責任があるとしていた部分を破棄して、この部分の審理をやり直すよう東京高裁に差し戻しました。その後、東京高裁で和解が成立しています。
 約20年前のことで記憶があいまいな部分もあるのですが、この訴訟の1、2審判決で、連続して会社側の責任が認定されたことは私にも衝撃でした。97年当時、私は所属していた労働組合で初めての執行委員を務めて合理化対策を担当しており、長時間労働も大きな関心ごとの一つでした。1審の東京地裁判決か、2審の東京高裁判決だったかもしれません。判決文を取り寄せて読み込み、労働組合の機関紙に解説文を書きました。過労うつ自殺は会社の責任だが、職場の仲間が疲れているなと感じたら、「休め」と声をかけ合おう、という趣旨でした。
 今でも強く印象に残っているのは、訴訟では勤務時間そのものが争点になっていたことです。社員は自殺の直前の時期、部署の誰よりも遅くまで残り、朝は誰よりも早く出社していたのですが、会社は、社内に残っている社員の自己申告の勤務時間の記録を元に、勤務時間はそんなに長くないとの主張をしていました。
 事実関係では記憶があいまいな点があったので今回、あらためてネット上で検索したところ、裁判所の公式サイトではないのですが、労働関係の裁判例を集めたサイトに東京地裁の判決がありました。
 それによると、午前2時から6時半までは、社屋の玄関、通用口は施錠されていました。この間に退勤する社員は、社屋の防災、防犯などの安全管理のために外注先から派遣されていた監理員に内線電話で通用口を開けるよう依頼し、通用口に備え付けの「退社時刻記録一覧表」に、所属局、資格、氏名、社員番号、退社時刻を記入して退社していました。監理員は、午後6時以降翌日の午前7時までの間は、1時間ごとに社内各フロアを回り、だれが居残っているかを「監理員巡察実施報告書」に記載し、「退社時刻記録一覧表」の記載も転記していました。
 訴訟では、これらの資料の存在をつかんだ遺族側の求めで、証拠として採用され、実際の長時間勤務が証明されました。「監理員巡察実施報告書」は、防災、防犯などの安全管理が目的のため、社内では社員の労働時間の管理に用いられることはなかったとのことです。これらの資料が破棄されていたら、訴訟はどう展開していたか分かりません。
 わたしが身を置く新聞産業でも、編集の外勤記者は長時間労働が恒常化していました。当時、判決を読んで強く思ったのは、使用者側に残っている労務資料だけでは、何かあった際に実際の労働時間を証明することは困難かもしれない、ということでした。以後、勤務先への勤務時間の自己申告のほかに、自分の手帳にも克明な勤務時間のメモを残すのが習慣になりました。管理職になってからも、しばらくは続けていました。長時間労働を続けている人たちには今でも奨めています。過労死してしまってはいけないのですが、仮にそうなってしまった時には、まず第一に、どんな働き方をしていたかを闇に埋もれさせてはならないと思うからです。