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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「残業代ゼロ法案」への連合の対応に批判、疑問~各紙社説が指摘

 一部の専門職を労働時間規制の対象から外す労働基準法改正案を巡って、連合執行部の対応が批判を浴びています。

 改正案は報道でも「残業代ゼロ法案」と呼ばれるように、「労働時間」による労務管理の概念がなく、残業代も発生しません。一般的には、残業代は企業にとっては人件費の増大であることから、社員の働き過ぎを抑止する効果もあるのですが、その効果が失われ、過労死を招きかねないとして、連合も改正案には反対してきました。しかし、ここにきて連合の執行部が事実上、条件闘争に転換して法改正を容認するような動きに出たことから、連合傘下の労組からも批判が出ていると報じられています。

 連合の神津里季生会長は7月13日に安倍晋三首相と会談し、健康確保措置を強化するよう修正を要請。19日には財界も加わって、政労使の3者で修正に合意する見通しとなっていましたが、連合内部に異論が強く、延期になりました。21日には産業別労働組合の幹部らによる連合の中央執行委員会で、執行部が政府に修正を要請したことや経緯を説明しましたが、了承には至りませんでした。

 神津会長らは、現在の「自民1強」の下では改正案の成立は避けられない、ならば少しでも修正させた方が良いとの判断に至ったと主張していると伝えられています。また、改正案に反対の方針に変わりはないと強調しているとも伝えられています。

 悪意はないのかもしれません。支援する民進党の党勢が振るわない中で、独自に安倍政権と渡り合う必要があると判断する事情もあるのでしょう。しかし、安倍政権や財界にとっては「労働者の代表である連合が了承した」ということにほかならず、まさに渡りに船です。「残業代ゼロ法」を実施に移す大義名分を与えることになります。それだけの重大な事柄を、組織内に諮ることなく執行部判断で進めようとする発想には、やはり批判は免れ得ないと感じます。

 この労働基準法改正案と連合の方針を巡っては、新聞各紙も社説で取り上げています。ネットで目に付いたものを書きとめておきます。全文が読める社説はリンク先も記しています。連合に対する批判が目立ちます。 

▼7月13日
 ・岩手日報「残業代ゼロ修正案 過酷労働の懸念拭えず」
  http://www.iwate-np.co.jp/ronsetu/y2017/m07/r0713.htm

▼7月15日
 ・毎日新聞「『成果型労働制』連合が容認 生活と健康を守れるのか」
  https://mainichi.jp/articles/20170715/ddm/005/070/027000c

 ・北海道新聞「『残業代ゼロ』 誰のための連合なのか」
  http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/opinion/editorial/2-0116075.html 

 修正内容については、連合執行部の一部メンバーが政府や経団連と水面下で調整してきたとされ、傘下の労組には直前まで方針転換を伝えられなかった。
 残業規制を巡っても、今春、神津会長と、経団連の榊原定征会長とのトップ会談の結果、「月100時間未満」で決着した。
 これは厚生労働省の過労死ラインと同水準で、上限規制と呼ぶに値しない。
 春闘を見ても、近年は安倍政権が経済界に直接賃上げを要請する形が続いている。
 労働者の代表としての存在意義さえ疑われる状況だ。誰のため、何のために連合はあるのか、突き詰めて問い直すべきだ。

 

 ・信濃毎日新聞「連合の姿勢 原点を忘れてないか」
  http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170715/KT170714ETI090014000.php 

 民進党を支援するものの、最近は野党共闘や原発政策を巡って溝を深めている。逆に首相や自民党役員との会合を重ね、政権・与党との距離を縮めている。
 今回も連合は、水面下で安倍政権に制度の撤回を求めた。政府側は残業規制を引き合いに「全部パーにするか、清濁併せのむか」と容認を迫ったという。
 過労自殺も過労死も後を絶たない。働き方の改革は、不満と不安を募らせている労働者と家族の要請だ。「できるものならパーにしてみろ」と言い返せばいい。
 連合の幹部は「テーブルに着けば政権の思惑にのみ込まれ、着かなければ何も実現できない」と嘆く。労働者の意思を背景に主張を貫くことを忘れ、言葉通り政治にのまれている証しだろう。
 連合執行部への批判が強まっている。働く者・生活する者の集団として世の中の不条理に立ち向かい、克服する―。原点に返らねば求心力を失うことになる。 

 

 ・京都新聞「『残業代ゼロ』法  過労死防止に逆行する」
  http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20170715_3.html

 ・神戸新聞「残業代ゼロ法案/不可解な連合の方針転換」
  https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201707/0010371656.shtml 

 民進党は連合とともに法案に反対してきたが、今回の方針転換を明確に知らされず、はしごを外された格好だ。連合が政権との協調を重視したといえる。
 安倍政権は「政労使」の会談の場を設け、連合を取り込んできた。しかし労働組合は政権の諮問機関ではない。働く者を守る原点に立ち返り、労組としての一線を守るべきだ。 

 

 ・中国新聞「『残業代ゼロ法案』 制度の本質変わらない」
  http://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=357643&comment_sub_id=0&category_id=142

 ・高知新聞「【残業代ゼロ法案】働き方改革と整合しない」
  http://www.kochinews.co.jp/article/112257/

 ・南日本新聞「[残業代ゼロ法案] 修正で労働者守れるか」
  http://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=85720

▼7月16日
 ・朝日新聞「労基法の改正 懸念と疑問がつきない」
  http://www.asahi.com/articles/DA3S13039377.html?ref=editorial_backnumber 

 労働団体にとって極めて重要な意思決定であるにもかかわらず、連合は傘下の労働組合や関係者を巻き込んだ議論の積み上げを欠いたまま、幹部が主導して方針を転換した。労働組合の中央組織、労働者の代表として存在が問われかねない。 

 

▼7月17日
 ・熊本日日新聞「『残業代ゼロ』法案 疑問多い連合の方針転換」
  http://kumanichi.com/syasetsu/kiji/20170717001.xhtml

 ・沖縄タイムス「[『残業代ゼロ』容認]連合の存在意義揺らぐ」
  http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/113125

 ・琉球新報「残業代ゼロ法案 働く者の命守れるのか」
  https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-536256.html

▼7月19日
 ・愛媛新聞「連合『残業代ゼロ』容認 改悪に加担する背信許されない」

▼7月20日
 ・神奈川新聞「残業代ゼロ法案 働く人をどう守るのか」

 ・山陽新聞「『残業代ゼロ』法案 働き方改革には逆行する」
  http://www.sanyonews.jp/article/566687/1/?rct=shasetsu

 ・西日本新聞「『残業代ゼロ』 働く人の健康を最優先に」
  https://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/344459/

▼7月22日
 ・北日本新聞「『残業代ゼロ』法案/長時間労働の助長懸念」

▼7月23日
 ・新潟日報「残業代ゼロ 『容認』への反発は当然だ」
  http://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20170723336639.html

 ・山陰中央新報「労働時間規制緩和/働く人の生活を第一に」

 

 労働組合とは、人類が近現代の中で長い時間をかけて到達した労働者の「結社の自由」、その権利としての「団結権」を具現化したものです。この権利は世界中あまねく、労働者であれば手にできるものでなければならず、その権利を正しく行使し広げていくことで、権利は権利としていっそう輝くのだとわたしは考えています。

 そういう組織である労働組合は、経営者がすべてを決めることができる会社組織とはおのずと異なります。執行部には一定の判断をする裁量は認められるとしても、決定権は基本的にはありません。組織で決めた方針を実行するのが労働組合の執行部です。労働組合である以上は、連合のようなナショナルセンターであっても、組合員数人の単組(単位組合)であっても、その原理に変わりはありません。その原理原則を踏み外せば、労働者の団結権は危機にさらされることになります。

 報道を前提にしてのことですが、特に気になるのは、連合の神津会長と安倍首相とのトップ会談です。水面下でどのような経緯があったのでしょうか。万が一にも、交渉や争議の相手方との密会など、組合員に大っぴらに説明できないような行為があるとすれば、それは「結社の自由」「団結権」の価値をおとしめ、社会運動としての労働組合運動を危機にさらすものです。

 もう10年以上も前、ナショナルセンターの連合とはレベルも組織規模も異なりますが、わたしは産業別労組である新聞労連(日本新聞労働組合連合)の中央執行委員長を2年間務めました。当時、いつも念頭に置いていたのは、「中央執行委員長とは、中央執行委員会をただ代表するだけに過ぎない。そして中央執行委員会は新聞労連の全組合員に責任を負っている」ということでした。委員長は決定権者ではない、と考えていましたし、組合員に説明できないようなことはしてはいけないと自らを戒めていました。労働組合の在り方に対するこの考えは、労働組合員であることを離れて久しい今も変わりません。

 連合が「残業代ゼロ法案」を事実上容認しようとしていることもさることながら、その進め方が、労働組合のありようの観点からは、より重大な問題だと感じています。成り行きを注視しています。