ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

山尾志桜里氏の交遊関係を「疑惑」と呼ぶ新聞、呼ばない新聞

 民進党に所属していた山尾志桜里・衆院議員が9月7日、離党届を提出し、8日に受理されました。7日発売の週刊文春が、既婚の男性弁護士との交遊関係を「禁断愛」として報じたことに対し、山尾氏は7日夜、離党届を提出した後の記者会見で、「男女の関係」はないとしたものの、「誤解を生じさせる行動でさまざまな方々に迷惑をかけ、深く反省し、おわびする」「臨時国会の場に、今回の混乱を持ち込むことは党にさらなる迷惑をかけると判断した」と述べました。山尾氏を巡っては、9月1日に民進党の代表に選出された前原誠司氏の意向でいったん党幹事長に内定しながら、当選2回と政治経験の浅さから危ぶむ声が党内にあったところに、週刊文春の記事掲載情報が加わり、前原氏が党の重職への起用を断念したと報じられていました。

 ▼大勢は「疑惑」報道
 野党第1党の執行体制がどうなるかという公の関心が強いニュースに絡むことではあるので、週刊文春が報じた内容を新聞や放送のマスメディアが引用して伝えることにも必要性と合理性はあります。ただ、その報じ方、取り上げ方にはメディアによって違いがあり、そのことは週刊文春が報じた交遊関係の問題をどう表現しているかによく表れているように感じます。
 ここでは新聞について、東京発行各紙のうち、朝日、毎日、読売、産経の4紙の7日付の朝刊に載った本記(事実関係を伝える中心的な記事)の見出しと書き出しの段落(リード)を比べてみます。各紙とも東京本社発行の最終版からの引用です。

・朝日新聞=1面掲載「山尾氏、民進に離党届 交際問題報道」 

 民進党の山尾志桜里・元政調会長(43)=衆院愛知7区=が7日、離党届を出した。同日発売の『週刊文春』が山尾氏と既婚男性との交際問題を報じたことを受け、党にとどまって議員活動を続けるのは困難と判断した。これまで自民党議員の交際問題などを追及してきたことも考慮した。 

 ・毎日新聞=社会面掲載「民進・山尾氏が離党届/週刊誌報道『党に迷惑かける』」

 民進党の山尾志桜里元政調会長(43)は7日夜、大島敦幹事長と国会内で会い、離党届を提出した。7日発売の週刊文春で弁護士の既婚男性との交際を報じられたことを受けてのもので、山尾氏は交際は否定しつつ、離党判断の理由について『今回の混乱を国会論戦の場に持ち込むことは党に迷惑をかける』と記者団に説明した。前原誠司代表は山尾氏の幹事長起用を一時内定しており、新執行部には大きな打撃となる。 

・読売新聞=2面掲載「民進・山尾氏が離党届/交際疑惑否定『迷惑かけた』」  

 民進党の山尾志桜里・元政調会長(43)(衆院愛知7区、当選2回)は7日夜、国会内で大島幹事長に離党届を提出した。7日発売の『週刊文春』が既婚男性弁護士との交際疑惑を報じていた。山尾氏は記者団に『男女の関係はない。政策ブレーンとして手伝ってもらった』と疑惑を否定した上で、『誤解を生じさせるような行動で迷惑をかけ、深く反省し、おわび申し上げる』と陳謝した。 

・産経新聞=1面掲載「民進・山尾氏が離党届/不倫疑惑報道『誤解生みおわび』」 

 民進党の山尾志桜里元政調会長(43)=衆院愛知7区=は7日夜、同日発売の週刊文春で既婚の男性弁護士(注・記事中は実名・年齢を表記)との不倫疑惑が報じられたことを受け、大島敦幹事長に離党届を提出した。8日の常任幹事会で承認される運びだ。 

 わたしが気になったのは、週刊文春の報道について読売が「交際疑惑」、産経は「不倫疑惑」と表記しているのに対し、朝日、毎日は「疑惑」を使っていないことです。朝日は総合面の関連記事で、民進党の大島幹事長への記者の質問を引用する中で「疑惑を全否定したのになぜ離党するのか」と、この1カ所だけ「疑惑」がありますが、毎日新聞は関連記事も含めて使っていません。ちなみに日経新聞は「週刊文春が既婚男性との交際疑惑を報じたことを受けて、同党に離党届を提出した」としました。東京新聞は本記では「疑惑」を使わず「既婚男性と交際していると週刊文春に報じられたことを受け」とする一方で、社会面の関連記事では「交際疑惑」としています。地方紙に掲載されることが多い共同通信の配信記事は「交際疑惑」、時事通信は「『不倫』疑惑」でした。
 大勢は「疑惑報道」が多数派ですが、山尾氏のケースでは「交際」であれ「不倫」であれ、あえて「疑惑」と呼ばずとも報道は可能ではないかと思います。

 ▼「不貞行為」は当事者の問題
 「疑惑」には、単に事実と整合していない可能性がある、という意味もあるのかもしれませんが、一般には、本来やってはいけないこと、あってはならないことが隠されているのではないか、との疑いが持たれているニュアンスが強いように思います。分かりやすいのは、それが本当だとしたら違法行為で刑事罰の対象になる場合です。
 週刊文春が報じたのは山尾氏の交遊関係です。週刊文春は「禁断愛」という用語を使っていて、必ずしも山尾氏と既婚男性の関係を具体的には指摘していないのですが、記事の全体を通して読んだ側が受ける印象は、「不倫」であり「男女の関係」でしょう。そのことに対して「疑惑」と呼べば、単に事実としてそういう関係にあったか否かを超えて、そういう関係にあるのは許されない、というニュアンスがつきまとうのは避けられないように思います。不倫は「不貞行為」のことであって、民事上は配偶者への不法行為として賠償を命じられることもありますが、人によって受け止め方が異なる余地があります。絶対に許されないことであるかどうかは、個人の受け止め方の問題でしょう。配偶者が何ら問題だと思わない場合もあるとすれば、やってはいけないことなのかどうかは本来、当事者の夫婦の間でのみ問題にされることであるように感じます。
 また、政治報道の場合はこちらがより本質的なことかもしれませんが、山尾氏のケースでわたしが感じるのは、仮にその既婚男性との交際が不倫に当たるとしても、何か政治が曲げられるようなことではなく、少なくともそうした指摘は挙がっておらず、私人の交遊関係の枠内ではないかということです。政治家のスキャンダルとしては、例えば違法な献金や公共工事を巡る口利きなどとはちょっと性質が異なるのではないか、と感じます。「不倫は許されないこと」という価値観が社会で強固に共有されているかと言えば、そうとも言い切れないと思いますし、価値観の違いを相対化して伝える、という観点からは、あえて「疑惑」という用語は使う必要はないと思います。

 ▼週刊誌報道がすべて
 もう一つ違和感を覚えるのは、新聞が「疑惑」と報じ、一部には山尾氏の説明責任を指摘する記事まであるのに、その「疑惑」は週刊文春の報道がすべてという点です。他人の尻馬に乗って山尾氏を批判するのはどうだろうか、ということです。仮にマスメディアとして「疑惑」ととらえるのなら、自らも真相を明らかにすることを目指して取材するべきでしょう。現に、違法な献金の疑いや、公共工事を巡る口利きが疑われたケースでは、雑誌が先行した場合でも新聞は取材を展開しました。
 山尾氏の交遊関係は取材するに足らない、とまでは思いませんし、むしろ独自に調べる新聞があれば新聞の多様性の幅も広がります。新聞それぞれの判断の違いも尊重されるべきです。また朝日、毎日の紙面や東京新聞の本記中に「疑惑」がないのは、意図的に使用を避けたのではなく、たまたまなのかもしれません。それでも、わたし個人の考えとしては、私人の交遊の話であり、山尾氏が公に「男女の関係ではない」と言明した時点で、手元にそれ以上の判断材料がない状況では、新聞はひとまず山尾氏と週刊文春の間の問題として、推移を見守るのがいいように思います。そうしたスタンスを紙面、記事の上でも示すなら、「疑惑」の使用を避けるのは一つの方法のように思います。

 山尾氏がかつて、自民党の男性議員の不倫を厳しく批判していたことをもって批判していたとして、山尾氏を批判する論調もあるようですが、現状では山尾氏は報道を否定しており、事実は定まったとは言えない状況です。たとえ状況的には真っ黒のようでも、新聞報道は事実の前に謙虚でありたいと思います。

 ▼公党の人権感覚
 以上は新聞の報道を巡っての私見ですが、山尾氏の問題では、離党届を受理した民進党の対応に対しても疑問を持っています。山尾氏は週刊文春の報道に対して「男女の関係」であることは否定し、事実上、報道を否定しているのですから、離党届を幹事長の預かりにして推移を見守る選択肢もあったのではないでしょうか。仮に将来、週刊文春が続報を出し、山尾氏が見解を一転させるような事態が起こりうるとしても、現段階の問題として、報道被害の可能性がわずかでも排除できないと考えるなら、慎重な対応はありえたのではないかと思います。離党の承認は政治判断ということなのでしょうが、公党としての民進党の人権のとらえ方に対して、わたしには懸念があります。

【追記】2017年9月10日22時45分
 「▼週刊誌報道がすべて」の段落の中で、「山尾氏がかつて、自民党の男性議員の不倫を厳しく批判していたことをもって」の「批判していたことをもって」を「批判していたとして」に修正しました。わたしが指摘したいのは、山尾氏が他人の不倫を批判していたことではなく、そうあげつらって山尾氏を批判する論調があることです。趣旨がより明確になるようにしました。実際に山尾氏が他人の不倫を批判していたかどうかは、山尾氏が週刊文春の記事内容を否定している現状では、ひとまず置いていい問題だと考えています。