中日新聞・東京新聞の9月10日付の社説が、桐生悠々が1933(昭和8)年に信濃毎日新聞に発表した論説「関東防空大演習を嗤う」を取り上げました。10日は悠々の命日とのことです。
一部を引用して紹介します。
その筆鋒(ひっぽう)は軍部にも向けられます。信毎時代の三三(同八)年八月十一日付の評論「関東防空大演習を嗤う」です。
掲載の前々日から行われていた陸軍の防空演習は、敵機を東京上空で迎え撃つことを想定していました。悠々は、すべてを撃ち落とすことはできず、攻撃を免れた敵機が爆弾を投下し、木造家屋が多い東京を「一挙に焦土たらしめるだろう」と指摘します。
「嗤う」との表現が刺激したのか、軍部の怒りや在郷軍人会の新聞不買運動を招き、悠々は信毎を追われますが、悠々の見立ての正しさは、その後、東京をはじめとする主要都市が焦土化した太平洋戦争の惨禍を見れば明らかです。
悠々の評論の核心は、非現実的な想定は無意味なばかりか、有害ですらある、という点にあるのではないでしょうか。
その観点から、国内の各所で行われつつある、北朝鮮の弾道ミサイル発射に備えた住民の避難訓練を見るとどうなるのか。(中略)
戦力不保持の憲法九条改正を政治目標に掲げる安倍晋三首相の政権です。軍備増強と改憲の世論を盛り上げるために、北朝鮮の脅威をことさらあおるようなことがあっては、断じてなりません。
国民の命と暮らしを守るのは政府の役目です。軍事的な脅威をあおるよりも、ミサイル発射や核実験をやめさせるよう外交努力を尽くすのが先決のはずです。そもそもミサイルが現実の脅威なら、なぜ原発を直ちに停止し、原発ゼロに政策転換しないのでしょう。
万が一の事態に備える心構えは必要だとしても、政府の言い分をうのみにせず、自ら考えて行動しなければならない。悠々の残した数々の言説は、今を生きる私たちに呼び掛けているようです。
桐生悠々は「きりゅう・ゆうゆう」と読みます。わたしが知ったのは井出孫六さんの岩波新書「抵抗の新聞人 桐生悠々」によってでした。いつ読んだのか、記者の仕事に就いてからだったのか、記憶はあいまいなのですが、同書が刊行されて間もなくだったことは覚えています。調べたら1980年の刊行になっているので、大学時代に読んだと思われます。将来の選択肢として、新聞記者を具体的に考え始めていた時期でした。
桐生悠々と「関東防空大演習を嗤う」のことは、わたしもこのブログで何度か紹介してきました。北朝鮮のミサイル発射を巡って、最近では9月2日のブログ記事「マスメディアに『準有事』の自覚あるか」で触れました。桐生悠々の今日性は、わたしたちマスメディアで働く者の間で、広く共有されるべきだろうと思います。