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「武装難民」「射殺」発言はなぜ問題か~「憎悪」や「敵意」より「寛容」「多様性」を求めたい

 マスメディアではすぐに消えてしまったニュースですが、衆院選を控えて軽視できない問題をはらんでいると感じますので、備忘を兼ねて書きとめておきます。
 自民党の麻生太郎副総理兼財務相が9月23日、宇都宮市で行った講演で、朝鮮半島から大量の難民が日本に来る可能性に触れ、「武装難民かもしれない」「警察で対応するのか。自衛隊、防衛出動か。射殺ですか」と話しました。新聞各紙の中でいちばん詳しく報じた朝日新聞の記事を一部引用します。

 麻生太郎副総理は23日、宇都宮市内での講演で、朝鮮半島から大量の難民が日本に押し寄せる可能性に触れたうえで、「武装難民かもしれない。警察で対応するのか。自衛隊、防衛出動か。射殺ですか。真剣に考えなければならない」と語った。
 麻生氏はシリアやイラクの難民の事例を挙げ、「向こうから日本に難民が押し寄せてくる。動力のないボートだって潮流に乗って間違いなく漂着する。10万人単位をどこに収容するのか」と指摘。さらに「向こうは武装しているかもしれない」としたうえで「防衛出動」に言及した。 

  記事は東京本社発行最終版では24日付の朝刊第2社会面に全文4段の扱い。見出しは「『武装難民かも。警察か防衛出動か射殺か』/朝鮮半島難民を仮定 麻生氏が発言」でした。記事全文はネット上の朝日デジタルにもアップされました。見出しは紙面とは異なっています。
 ※朝日デジタル「麻生副総理『警察か防衛出動か射殺か』/武装難民対策」2017年9月24日

www.asahi.com

 もう一つ例を挙げると、共同通信は以下のように報じました。 

 麻生太郎副総理兼財務相は23日、宇都宮市で講演し、北朝鮮で有事が発生すれば日本に武装難民が押し寄せる可能性に言及し「警察で対応できるか。自衛隊、防衛出動か。じゃあ射殺か。真剣に考えた方がいい」と問題提起した。
 北朝鮮有事について「今の時代、結構やばくなった時のことを考えておかないと」と指摘。「難民が船に乗って新潟、山形、青森の方には間違いなく漂着する。不法入国で10万人単位。どこに収容するのか」と強調した。その上で「対応を考えるのは政治の仕事だ。遠い話ではない」と述べた。 

 ※47news=共同通信「武装難民、射殺にも言及/麻生副総理、北朝鮮有事で」2017年9月24日

this.kiji.is

 発言の全文が紹介されているわけではないのですが、報道を総合すると、麻生氏は北朝鮮有事の際には大量の難民が日本に来ることが予想されること、対応をふだんから考えておく必要があること、それは政治の仕事であることを述べる中で、「武装難民」という用語を使い、警察や自衛隊による射殺も選択肢に入ると受け止められる発言をしました。

▼「危険で怖い」難民像流布を危惧

 麻生氏は「武装難民」について、それがどういうものであるかを説明していないようです。そうしたあいまいさが残るものを持ち出して、いきなり「射殺」にまで言及するのは、あまりに飛躍があります。
 「難民」については、例えば国連高等弁務官事務所の日本語サイトでは次のような説明がされています。

 1951年の「難民の地位に関する条約」では、「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受ける恐れがあるために他国に逃れた」人々と定義されている。今日、難民とは、政治的な迫害のほか、武力紛争や人権侵害などを逃れるために国境を越えて他国に庇護を求めた人々を指すようになっている。 

 難民とは、迫害や人権侵害を逃れるために自国を離れた人々です。たどり着いた他国に対しては庇護を求めることはあっても、その国を攻撃し国民を殺害するためにやってくるのではありません。国を出るまでの自衛手段として武器を持っている場合もあるでしょうが、一義的には海上保安庁を含む警察力が対応して武装解除し、その上で難民として処遇するのが基本のはずです。

 そうではなくて、仮に、日本や日本国民を攻撃する意図のもとに武装しているのだとすれば、それを「難民」と呼ぶのは適切でしょうか。そうではありませんし、難民対策とは全く別の対応の検討が必要なはずです。難民の中に、そうした勢力が混じっていたとしても、それをどうやって見分けるかの問題はありますが、なぜいきなり「射殺」が選択肢になるのか、あまりに飛躍が過ぎます。

 危惧するのは、この飛躍によって「朝鮮半島からの難民は危険で怖い」とのイメージが流布することです。仮に、難民ではなく武装勢力が潜入を図ることにどう対応するのか、ということであれば、それは難民対策とは全く別の問題ですし、「難民」ではなく、その脅威の態様に応じた言葉遣いが必要です。

 結局のところ、麻生氏の言う「武装難民」は具体的なイメージも、また実際に起こりうる根拠も何も示されておらず、「射殺」という飛躍した選択肢を持ち出したことで、ただ「朝鮮半島からの難民は危険で怖い」とのイメージを流布させるだけのように思います。

▼「朝鮮人虐殺」の今日的意味

 ここで思い起こすのは、関東大震災の際にデマが元で起きた朝鮮人虐殺です。「難民は危険」というイメージが流布しているところに、いざ有事となったら、関東大震災の時のように、不安に駆られた集団心理がどのような不測の事態を引き起こさないとも限りません。麻生氏の「武装難民」「射殺」発言は、朝鮮人虐殺が歴史的事実にとどまらず、同様の蛮行、愚行が再現されてしまう恐れが今日、皆無とは言い切れないこと、蛮行、愚行を引き起こす素地のような社会心理が既に醸成されている可能性を否定しきれないことを示しているようにも思います。
 関東大震災時の朝鮮人虐殺に関連しては、市民団体の主催で9月1日に行われている虐殺犠牲者の追悼式典を巡って、東京都の小池百合子知事が、昨年は寄せていたあいさつを、今年は自身の判断として取りやめたというニュースもありました。小池知事は朝鮮人虐殺について、歴史的事実ととらえているかどうか明言を避け「歴史家がひもとくもの」などと語っています。そこには、為政者として過去の歴史の教訓をくみ取り、社会のマイノリティである在日コリアンの人権と安全を守っていくとの姿勢が感じられません。その小池氏は「希望の党」代表として衆院選に臨み、多様性がある社会の実現を訴えています。

 社会のマイノリティである在日コリアンを巡っては、朝鮮学校が授業料無償化の対象から除外されていることを適法と判断した東京地裁判決もありました。わたしはこのブログで「朝鮮学校に在籍しているという一事で、日本の高校に通う生徒たちと異なった扱いを受けるのは不条理だと感じます。日本人拉致問題がある上にミサイル発射、核開発で北朝鮮への批判が高まっていますが、それはそれ。日本社会で『教育の機会均等』を図る高校無償化は、まったく別の話です」と書きました。

news-worker.hatenablog.com

 言い方を変えれば、朝鮮学校の除外という方針と、それを追認した裁判官の判断の根底にあるのは、「北朝鮮につながるような学校は信用できない」とのネガティブな感情だろうとみています。その感情は、何か事あれば容易に一方的な敵意に結び付きかねない、という意味で、麻生氏の「武装難民」「射殺」発言の危うさと底流で通じているように感じます。小池氏の朝鮮人虐殺を巡る歴史認識と社会のマイノリティである在日コリアンを守ろうとしない姿勢も、いざ何か事が起これば在日コリアンへの憎悪に結び付きかねないとの危惧を覚えます。

▼難民とテロリストの混同

 ここまで書いたところで、麻生氏が10月8日に新潟市で行った講演で、また「難民」を巡って発言したとの産経新聞の記事が目にとまりました。一部を引用します。 

弾道ミサイルの発射を続ける北朝鮮をめぐって、朝鮮半島で有事が起きた際に難民が日本に大挙して押し寄せる危険性を改めて訴え、「難民は武器を持っていて、テロを起こすかもしれない」と危険性を強調した。 

産経ニュース「麻生太郎副総理『北朝鮮には危なそうな人がいる』」2017年10月8日 

www.sankei.com

 9月23日と違って「射殺」には言及していませんが、何が問題かがクリアになったとも感じます。「難民は武器を持っていて、テロを起こすかもしれない」と話したとされますが、発言が事実だとすれば、テロを起こすのはテロリストであって「難民」とは呼ばない、呼んではいけないということです。「難民」と「テロリスト」を一緒くたにして論じることで、「難民=危険」との偏見と先入観が広がりかねません。それは北朝鮮の一般民衆への敵意と結びつきかねず、さらには北朝鮮とつながりがあるとの理由で在日コリアンへの憎悪を招きかねません。

 朝鮮半島有事の際にテロリストが日本に流入する危険が本当にあるのなら、その対策は取らなければなりません。ただし、難民とテロリストが混同されて、一緒くたに危険視され敵視されるようなことはあってはならないと思います。

▼ 「寛容」と「多様性」をこそ

 麻生氏の発言をマスメディアは決して大きく取り上げてはいません。9月23日の発言翌日の東京発行新聞各紙の朝刊の扱いや見出しは以下のようでした。
 ・朝日:第2社会面・全文4段「『武装難民かも。警察か防衛出動か射殺か』/朝鮮半島難民を仮定 麻生氏が発言」
 ・毎日:社会面・見出し2段「『武装難民は射殺か』/麻生氏 朝鮮半島有事対応で」
 ・読売:4面(政治経済)見出し1段「朝鮮半島有事で難民/麻生氏『射殺ですか』」
 ・日経:5面(総合)短信1段「『難民、武装なら射殺か』麻生氏、日本での対応」
 ・産経:5面(総合)全2段「北の武装難民 射殺に言及/麻生氏、有事なら『真剣に検討』」
 ・東京:3面(総合)全3段「『武装難民来たら射殺か』/有事対応で麻生氏」

 その後、野党が発言を批判し、韓国政府も26日に外務省報道官論評として「国粋主義的な認識を基にし、難民保護に関する国際法規にも外れたもので極めて遺憾だ」と表明し、強い不快感を示しました。共同通信が配信していますが、東京発行の新聞各紙の紙面では記事は見当たりませんでした。 

this.kiji.is

 10月8日の麻生氏の発言は、9月の発言は何ら問題にならなかったと麻生氏自身が考えているからでしょう。8日の発言の報道は、9日午前の段階で目に付くのは産経新聞のネット記事のみです。

 折しも10日に衆院選が公示されます。「マイノリティ」や「難民」のキーワードを切り口に、わたしたちの社会が「分断」や「排除」そして「憎悪」や「敵意」ではなく、もっと「寛容」と「多様性」を増していくためにはどうしたらいいのか、各政党や各候補の主張を元に考えるいい機会だと思いますし、マスメディアにもそうした観点からの争点報道があっていいだろうと思います。

 

 麻生氏の発言の問題点を考える上で、以下の論考が参考になりました。筆者の橋本直子さんは「ロンドン大学高等研究院難民法イニシアチブ リサーチ・アフィリエイト」と紹介されています。そもそも麻生氏が言うように、10万人単位の難民が本当に押し寄せてくるのかは、有事がどのような形態になるのかによっても想定は異なるようです。

※ハフポスト・BLOG「『武装難民』は射殺してもいいの?条約から読み解く難民のこと」=2017年9月26日

www.huffingtonpost.jp