朝日阪神支局事件から30年〜「反日朝日は五十年前にかえれ」の1937年と今日

 ここ数年、毎年のように書いていることですが、5月3日は憲法記念日であるのと同時に1987年、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局が襲撃された日です。事件では小尻知博記者=当時29歳=が殺害され、記者1人が重傷を負いました。今年は30年の節目になります。
 「赤報隊」を名乗る犯人は87年から90年にかけて、朝日新聞社に対して阪神支局のほか東京本社銃撃、名古屋本社社員寮襲撃、静岡支局爆破未遂と執拗に攻撃し、さらには中曽根康弘竹下登両元首相脅迫事件や江副浩正リクルート会長宅銃撃事件などを起こしました。犯人特定に至らず、2003年に全ての事件が公訴時効となりました。犯行声明で名乗った名称から「赤報隊事件」と呼ばれています。
 ※ウイキペディア「赤報隊事件」

 犯人は一連の事件の犯行声明の中で「反日朝日は五十年前にかえれ」と要求していました。当時から50年さかのぼった1937年とは、7月7日の盧溝橋事件で日中戦争が勃発した年です。1931年の満州事変から1945年の敗戦まで「15年戦争」とも呼ばれる長い戦争がありました。戦争遂行に新聞が加担し、やがて異論を許さず社会が戦争遂行一色になっていく時代でした。赤報隊事件とは、「国益」を大義に戦争遂行のために新聞が筆を曲げ、異論が許されないモノトーンの社会に立ち返ることを、暴力をもって強いようとした愚行でした。
 折しもことしの5月3日は、核、ミサイル開発をやめようとしない北朝鮮に対して、米国が原子力空母を朝鮮半島に向かわせて軍事的圧力を強めている中で迎えました。空母艦隊には日本の自衛隊からも、合同演習の名目で護衛艦や戦闘機が合流。5月2日には、憲法違反の指摘がある安全保障関連法に基づいて、米軍の補給艦を海上自衛隊で最大のヘリ搭載護衛艦「いずも」が防護する初の「米艦防護」が実施されるなど、米軍との一体化を進める日本は軍事的な緊張の高まりに当事者として加わっています。政治の世界では、北朝鮮に対する先制攻撃容認の主張すら聞こえてきます。
 国会では、過去3度廃案になった「共謀罪」の新設と本質的には変わらないとの批判が根強い組織犯罪処罰法改正案が審理され、自民、公明の与党が数をたのんで採決を強行するのでは、との危惧が高まっています。ネット上ではしばらく前から「反日」という言葉を目にすることが増え、同じようにしばらく前からヘイトスピーチが社会問題になっています。赤報隊が「反日朝日は五十年前にかえれ」と脅迫した1987年当時よりも、状況はずっと1930年代に近づいているように感じます。
 だからこそ、朝日新聞阪神支局襲撃事件は事件は決して忘れられてはならないと思います。語り継ぐのは、事件当時からマスメディアに身を置き、ジャーナリズムを仕事にしてきた者の責務と受け止めています。後続世代の若い記者たちにとっては、30年の節目は事件のことを深く知るいい機会だと思います。ぜひ、「記者」という仕事への考えを深め、さらに次の世代へ語り継いでいってほしいと思います。

※「米艦防護」は5月3日朝の時点で、政府からは正式の説明が一切ありません。安倍晋三首相が安全保障関連法について「国民に丁寧に説明する」と約束したにもかかわらずです。かつて第2次大戦時の日本では、敗色濃い戦況を隠蔽するため軍部が虚偽の内容を公表し、新聞にも検閲をかけていました。「大本営発表」です。そうしたことへの反省も含めて戦後、日本社会が選び取ったのが日本国憲法であり、不戦と戦力不保持を定めた第9条だったのでした。しかし今日、政治指導者が公然と国民をだましにかかっている、そう批判されても仕方がない状況に立ち至っています。いつか来た道です。この件に関しては一つ前の記事で別に書きました。合せてご覧ください。
 ※「政府の説明がない『米艦防護』―国民は簡単に戦争に向かうし『だまされることの罪』もあることを自覚しておきたい」=2017年5月3日
  http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20170503/1493743247


 事件から30年の節目とあって、例年になく他紙も事件を取り上げています。ここでは東京発行各紙の社説を書きとめておきます。
毎日新聞 社説】「朝日新聞襲撃から30年 むしろ広がる異論封じ」5月1日
  https://mainichi.jp/articles/20170501/ddm/005/070/012000c

 戦後の日本は、国民の多大な犠牲のうえに「言論の自由」をうたう憲法を制定した。言論は多様な価値を認め合う民主主義の土台である。それを封殺するテロには屈しないと改めて誓いたい。
 だが、異論を封じる手段は有形の暴力とは限らない。赤報隊の使った「反日」という言葉は、今やインターネット上や雑誌にあふれかえる。
 自分の気に入らない意見を認めず、一方的にレッテルを貼って排除する。激しい非難や極論は相手を萎縮させ、沈黙をもたらす。
 異を唱えにくい時代へと時計が逆戻りしている。そんな心配が募る。

【読売新聞 社説】「朝日襲撃30年 言論の自由を守る誓い忘れぬ」5月2日
  http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20170501-OYT1T50099.html

 言論の自由は、民主主義を支える根幹である。暴力には決して屈しない。言論には言論で応じる。この価値観を、社会全体で改めて確認する必要があろう。
 自由な言論を牽引けんいんする。それが報道機関の大切な役割だ。
 (略)
 多様な言論が存在することが、健全な社会の証しだ。自らとは異なる意見でも、それを主張する自由は保障する。民主主義の原則を国際社会で共有したい。

産経新聞「主張」】「朝日支局襲撃30年 暴力には言論で対決する」5月2日
  http://www.sankei.com/column/news/170502/clm1705020001-n1.html

 言論に対峙(たいじ)すべきは、言論である。卑劣な銃弾によって、ペンを曲げることはできない。
 30年前に向けられた銃口は、全ての言論・報道機関に向けられたものであり、民主主義そのものを標的とした。犠牲となった小尻記者を悼むとともに、改めてそう受け止め、怒りを新たにしたい。
 (略)
 産経新聞朝日新聞は、往々にして異なる論調を展開し、対立する。ただし、これに対する暴力は共通の敵である。
 社が掲げる「産経信条」は、以下の一文で始まる。
 「われわれは民主主義と自由が国民の幸福の基盤であり、それを維持し発展させることが言論機関の最大の使命であると確信する。したがってこれを否定するいっさいの暴力と破壊に、言論の力で対決してゆく」
 決意は、揺るぎない。


 朝日新聞阪神支局には事件の資料室が設けられており、5月3日には一般にも開放しています。記者の仕事に就いている、とりわけ若い世代の人たちには、ぜひ見学してほしいと思います。
 朝日新聞社はウェブ上に事件の特集ページを開設しています。
 ※http://www.asahi.com/special/timeline/hanshin-shugeki/

朝日新聞社説】「阪神支局襲撃30年 覚悟をもって喋る、明日も」5月2日
  http://www.asahi.com/articles/DA3S12919356.html?ref=editorial_backnumber

 自分好みの「情報」を信じ、既存メディアの情報を疑う傾向は、世界で強まっている。
 メディアが伝える事実とは別の「事実」があるとする「もう一つの事実」。昨年の米大統領選では「フェイク(偽)ニュース」が世論に影響を与えた。
 虚偽が現実の政治を動かす、極めて深刻な事態だ。
 報じる側が批判に向き合い、自らの責務と役割を問い直すしかない。事実を掘り起こし、権力監視の役割を果たしているか。多角的な見方を提示し、軸足を定めた視座で主張、提言をなしえているか。日々の積み重ねで信頼を得る必要がある。
 小尻記者が亡くなった後、朝日新聞阪神支局に、詩人の故小山和郎さんの句を掲げた。
 「明日(あす)も喋(しゃべ)ろう 弔旗が風に鳴るように」
 自由にものをいい、聞くこと。その普遍的な価値を、社会と共有していきたい。


 わたしも大阪に勤務していた2011年から13年の3年間、毎年この日は阪神支局を訪ね、小尻記者の遺影に手を合わせ、資料室を見学しました。その際のことを、このブログにも書いてきました。一読いただければ幸いです。

▼2013年5月4日「改憲志向高まる中で語り継ぐ意味〜朝日阪神支局事件から26年」
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20130504/1367595842

▼2012年5月3日「語り継ぐ責務〜朝日阪神支局事件から25年」
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20120503/1336055101

▼2011年5月4日「『憲法記念日ペンを折られし息子の忌』〜朝日阪神支局事件から24年」
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110504/1304439961


【写真】「憲法記念日ペンを折られし息子の忌」―。朝日新聞阪神支局の事件の資料室には、故小尻記者のご遺族の句が、旧支局に小尻さんの遺影が飾られていた様子のパネル写真と並んで、壁にかけられていました=2011年5月3日



【追記】2017年5月3日20時25分
 「1937年」に触れたくだりに事実関係の誤りがありました。原文の「7月7日の盧溝橋事件で日中戦争が勃発し、1945年の敗戦まで『15年戦争』とも呼ばれる長い戦争が始まった年です。」を訂正しました。