西日本豪雨はこのブログ記事を書いている7月11日朝の時点で、死者が12府県で157人、安否不明者が56人と報じられています(共同通信)。犠牲になった方々に哀悼の意を表するとともに、被災された方々にお見舞いを申し上げます。
避難者も10日午後の時点で、15府県で計1万人を超えると報じられています。東京発行新聞各紙の11日付朝刊紙面でも「避難所 酷暑リスク」(朝日新聞)、「先見えぬ避難生活」(読売新聞)などの見出しが目に付きます。
そんな中で、災害時の住民避難を巡りとても重要だと感じる論点、視点を提示している論考をネット上で目にしました。マスメディアの災害報道の上でも多々、参考になると思い、書きとめておくことにします。
※講談社 現代ビジネス
大前治弁護士「自然災害大国の避難が『体育館生活』であることへの大きな違和感 避難者支援の貧困を考える」=2018年7月10日
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56477
内容をきわめて大雑把に、わたしなりにごく簡潔にまとめると「学校の体育館に象徴される日本の住民避難は海外に比べて問題が多く、国際的な基準を満たすにはほど遠い」「そこには、援助を受けることは避難者の『権利』であると位置付け、それに応じることは国家の『義務』であると捉えられるかどうかの問題がある」ということになります。
この論考の結びの部分を引用して紹介します。
今回の大阪北部地震や西日本豪雨でも、「体育館で身を寄せ合う避難生活」の光景は、当たり前のように、あるいは我慢と忍耐の姿として報じられた。しかし、そこには今の政治の問題点が映し出されている。
この光景は、適切な援助を受ける権利を侵害されて尊厳を奪われた姿と捉えるべきである。この国の避難者支援の貧困が表れているのである。
個人の努力でボランティア活動をすることは素晴らしい。それとともに、政府は被災者へ十分な支援をせよと声をあげて求めること、それを通じて政治に変化を及ぼすこともまた、私たちができる被災者支援として大切なことだと思う。
筆者の大前治氏は自衛隊イラク派遣違憲訴訟や大阪空襲訴訟を手掛けてきた弁護士。戦争や軍事面での国家と住民の関係の考察の上に立った卓見だと感じます。