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被爆者の願い「核廃絶」と被爆国の役割~広島原爆投下から73年、新聞各紙の社説

 広島に原爆が投下されてから今年8月6日で73年。6日付の新聞各紙朝刊には関連の社説が並びました。手元の紙面、およびネット上のサイトで読める範囲でチェックしてみました。
 東京発行の全国紙では、朝日新聞、毎日新聞は「核廃絶」を課題として掲げ、国連で採択された核兵器禁止条約に参加しない日本政府に批判的です。日経新聞も「核不拡散や核軍縮で日本は特別な役割がある」と指摘しました。
 読売新聞は「核廃絶」を「究極の理想」としつつも、北朝鮮の核開発を挙げて「日本に対する核の脅威が続く間、米国の抑止力に頼る現実を受け入れざるを得ない」としています。
 産経新聞は北朝鮮の脅威を強調し、「核の惨禍に見舞われないよう、日本はあらゆる手立てを尽くさなくてはならない。地上配備型迎撃システム『イージス・アショア』の導入を進めつつ、敵基地攻撃能力を持つ議論も前進させたい」と、他紙にはない論調が目を引きます。
 地方紙、ブロック紙の社説では、昨年の国連での核兵器禁止条約の策定や、条約策定の原動力になった国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のノーベル平和賞受賞など、核廃絶へ向けた大きな動きがあることを強調し、日本は唯一の被爆国として大きな役割を果たすよう求めている点がおおむね共通しています。被爆者の核廃絶の願いを実現させるよう訴えるとともに、被爆者の高齢化と減少が進む中で、被爆体験の継承の必要性も強調しています。

 以下に全国紙5紙(朝日、毎日、読売、日経、産経)の社説の一部を引用して書きとめておきます。いずれも8月6日付です。

▼朝日新聞「原爆投下から73年 核廃絶へ市民の連帯を」危うい不拡散体制/意義深い核禁条約/被爆者の思い継承を
 https://www.asahi.com/articles/DA3S13623681.html?ref=editorial_backnumber 

  「米国全域が射程圏にあり、核のボタンが机の上にある」「私の方がずっと強力だ。こちらのボタンは確実に作動する」
 背筋の凍る応酬だった。北朝鮮と米国の対立とともに迎えた2018年は、核時代の危うさを世界に知らしめた。
 両国の首脳はその後、握手の初対面を演じたが、非核化への具体的な進展はまだみえない。不確実さを増す国際政治に核のボタンが預けられている現実をどうすればいいのか。
 広島に原爆が投下されて、きょうで73年になる。筆舌に尽くしがたい惨禍を繰り返してならぬと誓った被爆者らの願いは、まだ約束されないままだ。
 オバマ大統領が広島を訪れたのは、つい2年前。その米国の政権交代で、核の廃絶をめざす風景は一変したかのようだ。
 ただ、希望の光もある。昨年からの核兵器禁止条約の動きである。古い国家の論理に対抗して、国境を超えた人間の力を束ねて変化をめざす潮流だ。
 「人道」という人類共通の価値観を信じて行動する市民のネットワークが、今年も世界と日本で根を張り続ける。その発想と連帯をもっと育てたい。
 核をめぐる風景を変える道はそこに開けるのではないか。 

▼毎日新聞「きょう広島『原爆の日』 『核廃絶』受け継ぐ教育を」
 https://mainichi.jp/articles/20180806/ddm/005/070/063000c 

  被爆者の声がか細くなるにつれ、それをしっかりと受け継ぐ教育がますます重要になっている。
 被爆地は平和教育への取り組みに熱心だ。広島市は小学校から高校まで12年間のプログラムで、発達段階に応じた平和の学びを実践する。長崎市は今年、小中学生が被爆者らから証言を聞くだけでなく対話を重視する授業を始めた。
 平和を学ぶ大切さは日本のすべての子供にとっても同じだ。被爆地に立ち、被爆者の証言に耳を傾けることで、戦争がどういうものかを感覚的に知ることができる。
 しかし、広島市によると、昨年に広島を訪れた修学旅行生は32万人で、ピークだった1980年代半ばの6割弱まで落ち込んでいる。
 被爆地での体験を一過性にしないことも大事だ。戦争は死傷者だけでなく都市や自然の破壊、多くの難民や社会の貧困をもたらす。戦争を防ぐにはどうすればいいかという議論をクラスで交わすこともできよう。
 世界に核兵器の恐ろしさを知ってもらうことは政府の責任だ。しかし、安倍政権は「核の傘」を提供する米国の意向に沿って昨年、国連で採択された核兵器禁止条約に背を向けた。その後も核保有国と非保有国の橋渡し役となると言いつつ、具体的な成果は一向に見えてこない。
 昨年、核兵器禁止条約採択に貢献した国際NGOがノーベル平和賞を受賞した。核廃絶への姿勢が後退したという疑念を拭い去ることができなければ、唯一の被爆国というテコを日本は失うことになる。 

▼読売新聞「原爆忌 核戦争のリスク減らす戦略を」
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20180805-OYT1T50072.html 

 今年6月の米朝首脳会談で、金正恩朝鮮労働党委員長は非核化への決意を示し、米朝の軍事衝突の危機は遠のいた。
 だが、核放棄の道筋が付いたわけではない。北朝鮮を核拡散防止条約(NPT)に復帰させ、完全な非核化まで圧力をかけ続けることが不可欠である。
 トランプ米政権が戦略的かつ粘り強く対北交渉を進められるよう、日本政府は韓国と連携し、全力で支援しなければならない。中国、ロシアに制裁を解除しないよう説得することも重要だ。
 NPTで核保有を認められた米露英仏中に続き、1990年代にインドやパキスタンが核武装した。イスラエルは核を保持したとされる。北朝鮮も、国連安全保障理事会の決議を再三、無視して核開発を進めてきた。
 核廃絶という究極の理想を目指すには、北朝鮮の核放棄をその第一歩とすべきである。米国をはじめとする各国、国際機関の決意と能力が試されている。
 日本に対する核の脅威が続く間、米国の抑止力に頼る現実を受け入れざるを得ない。
 昨年7月に採択された核兵器禁止条約は核兵器の生産、保有、使用を禁じる内容だ。核保有国はもとより、日本なども参加していない。世界の厳しい安全保障環境は条約の目指す姿と相いれない。批准が進まないのは当然だろう。
 核軍縮を目指す立場から、日本は核保有国と非保有国の橋渡し役を担うことが求められる。 

▼日経新聞「被爆国として核の恐ろしさ伝え続けたい」
 https://www.nikkei.com/article/DGXKZO33829570V00C18A8PE8000/ 

 2度の原爆でその年のうちに21万人が亡くなった。今なお後遺症に苦しむ被爆者もいる。知られていないと嘆くよりも、教えたり、伝えたりする場を増やすべきである。戦争が繰り返された近現代史の「考える歴史教育」は重要だ。
 日本は唯一の戦争被爆国でありながら、安全保障で米国の「核の傘」に頼っている。政府は国連の核兵器禁止条約にも消極的だ。東西冷戦構造の下ではすませてこられた曖昧な立ち位置が、国際秩序の変化で浮き彫りになってきた。
 核不拡散や核軍縮で日本は特別な役割がある。「核の傘」やアジアへの戦争責任の議論とは切り離し、核の恐ろしさについて国内外で発信を強めていくのが大事だ。
 原爆投下後の広島を舞台にした「父と暮せば」(井上ひさしさん作)の一節がある。
 「だから被害者意識からではなく、世界54億の人間の一人として、あの地獄を知っていながら、『知らないふり』をすることは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである」。日本が果たしていくべき使命を、鎮魂の日にあらためて考えたい。 

▼産経新聞「原爆の日 平和守る現実的な議論を」
 http://www.sankei.com/column/news/180806/clm1808060002-n1.html 

 核兵器廃絶の願いは誰も否定しない。しかし、日本を核兵器で現実に脅かしているものは何か。目をそらしてはならない。
 北朝鮮の融和姿勢にごまかされてはいけない。米朝首脳会談後も大陸間弾道ミサイルを製造している兆候が米国で報じられた。ポンペオ米国務長官は北朝鮮が核分裂性物質の生産を続けていることを認めた。
 日本に対する脅威は去っていない。それにどう備えるかを考えるべきである。
 核兵器の使用を踏みとどまらせるのは、核抑止力である。米国やその核の傘の下にある日本が核兵器禁止条約に入っていないのは、妥当な選択といえる。
 核の惨禍に見舞われないよう、日本はあらゆる手立てを尽くさなくてはならない。地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の導入を進めつつ、敵基地攻撃能力を持つ議論も前進させたい。
 日本では、唯一の戦争被爆国という歴史から、核抑止に関する議論をタブー視する風潮が長く続いてきた。「反核平和」の名の下に、左翼政治色の強い運動が繰り広げられてきた。
 だが、思考停止や政治運動は国民の安全をもたらさない。
 犠牲者に示すべきは、日本を子々孫々にまで守り伝える決意と行動であろう。 

 以下は地方紙、ブロック紙の社説です。見出しのほか、一部は本文を引用して書きとめておきます。

【8月6日付】
▼北海道新聞「原爆投下から73年 『核禁止』の重み再認識を」米の危ういディール/見えない日本の行動/全世界を枠組み内に
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/215830?rct=c_editorial 

 自分たちが体験した地獄のような苦しみは、もうほかのだれにもさせたくない―。
 被爆者の切なる願いは世界中の市民に共感を持って受け入れられ、「核兵器なき世界」を目指す原動力となってきた。
 米国は73年前のきょう、広島に、9日には長崎に原爆を投下した。この年のうちに計21万人が死亡し、生き延びた人々も放射線の重い後遺症に苦しんでいる。
 昨年、被爆者の「受け入れがたい苦痛と被害を心に留める」と明記した核兵器禁止条約が、国連で採択された。
 被爆者とともに条約実現に貢献した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)には、ノーベル平和賞が贈られた。
 にもかかわらず、世界には米国、ロシアを中心になお1万4千発以上の核兵器がある。朝鮮半島の非核化も予断を許さない。
 広島市の松井一実市長はきょう読み上げる平和宣言で「世界で自国第一主義が台頭し、冷戦期の緊張関係が再現しかねない」と懸念を表明する。
 こうした状況だからこそ、唯一の戦争被爆国である日本の果たすべき役割がある。
 ひたすら米国の「核の傘」への依存を強めるのではなく、核兵器の非人道性を粘り強く訴え、核廃絶を主導しなければならない。 

▼河北新報「広島原爆の日/被爆国日本の役割、今こそ」
 https://www.kahoku.co.jp/editorial/20180806_01.html
▼岩手日報「核廃絶と次世代 『変革をもたらす力』に」
 https://www.iwate-np.co.jp/article/2018/8/6/20011
▼茨城新聞「原爆の日 遠くなる体験、心に刻もう」
▼中日新聞(東京新聞)「『韓国のヒロシマ』から 原爆忌に考える」人は過ちを繰り返す/記録にとどめ何度でも
 http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2018080602000108.html 

 広島、長崎、そして韓国の原爆資料館。被爆者の命の証しに触れる場所。伝えたい言葉はきっと同じです。「過ちを二度と繰り返してはなりません」-。
 慶尚南道陜川(ハプチョン)郡-。釜山(プサン)から北西へ車でおよそ二時間半。山間にたたずむ人口六万人ほどの小都市は「韓国のヒロシマ」とも呼ばれています。
 広島と長崎の被爆者の約一割が、朝鮮半島出身者。広島で三万五千人、長崎では一万五千人が、あの原爆の犠牲になりました。
 韓国人被爆者の六割が、陜川出身だったと言われています。現在韓国国内には、約二千五百人の被爆者が住んでおり、うち約六百人が陜川で暮らしています。
 日本の植民地支配下で、陜川から釜山、釜山から長崎や下関に至る陸路と海路が整備され、徴用や徴兵だけでなく、同郷のつてを頼って多くの人が、職を求めて家族とともに、長崎の造船所や広島の軍需工場などに渡ったからでもありました。
 その「韓国のヒロシマ」に昨年の八月六日、陜川原爆資料館が開設されたのです。

 ▼福井新聞「広島、長崎原爆忌 被爆者の声を受け止めよ」
 http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/672125 

 自民党総裁選3選を目指し、宿願の憲法改正へと突き進む構えを見せる安倍晋三首相に、被爆者は警戒感を強めている。9条改正に忍び寄る戦争の影を感じているのだろう。安倍政権はそうした思いに真摯(しんし)に向き合わなければならない。
 共同通信社が全国の被爆者に核禁条約について尋ねたアンケートで、条約を「評価する」が80・2%に上り、79歳の女性は「被爆者の訴えが世界の人々の心をうごかした。長年の努力が認められた」と歓迎。矛先は見向きもしようとしない日本政府に向かい「参加すべきだ」も80・8%に達した。「被爆者の長年の活動を無視した行為」「世界に率先して参加すべきだ」と厳しい意見が相次いだ。
 (中略)
 被爆者意識を逆なでしたのが、米の新指針に対して日本政府が「抑止力が強化される」と高く評価したことだ。安倍首相は昨年の広島の原爆死没者慰霊式で「核兵器国と非核兵器国双方に働きかけを行う」「NPTが意義あるものとなるよう、積極的に貢献する」と公言したが、口先だけであることは明白だ。
 被爆者の多くが9条改憲案に反対している。理由として最も多かったのが「二度と戦争をしないため」だ。6月の米朝首脳会談で北朝鮮の脅威は減じたが、安倍政権は防衛装備の増強を見直そうとはしていない。唯一の被爆国として、被爆者の願いに寄り添い、平和を受け継ぐ責務を改めて胸に刻まなければならないのは誰なのか。 

▼京都新聞「原爆の日  鈍すぎる『核』への感度」
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20180806_4.html 

 福島第1原発事故を経て、私たちは原爆に加え、原発という新たな核問題を抱え込んでいる。
 人間にとって核とは何か-との問いに、答えは出せていない。
 原発事故ではいまだ多くの避難者がおり、汚染された国土の一部を元に戻すことも見通せない。
 それなのに、核と国民生活について深い議論もされないまま、原発が相次いで再稼働されている。使用済み核燃料などの処理にめどが立たず、核兵器に転用可能なプルトニウムもたまり続けている。
 身近にある「核の脅威」に対してすら、政治の感度は鈍い。これでは、核廃絶を求める国際的な潮流に取り残され続けてしまう。
 6月の米朝首脳会談で、北朝鮮による核攻撃の危機は遠のいたかにみえる。だが米国は年明けに示した新たな核戦略指針で「使える核兵器」の開発に踏み出した。
 小型化で爆発力を抑えるというが、被害が限定されるため安易な使用を誘発しないか。被害が甚大なゆえに相手にも使用をためらわせる核抑止論さえ揺るがし、核攻撃の危機を常態化させかねない。
 日本政府は「抑止力が強化される」と歓迎した。「核大国の代弁者」との国際的な受け止めを是認するつもりなのだろうか。 

▼神戸新聞「原爆の日/アトムが流した涙のわけは」/「第三の被ばく」の影/飼い慣らせない猛獣
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201808/0011515873.shtml 

 鉄腕アトムは、兵庫ゆかりの漫画家・手塚治虫さんが生み出したヒーローだ。男の子の姿をしたロボットで、10万馬力で人間を守る。
 アニメの主題歌にあるように「心やさしい」アトムが、涙を流して空を飛ぶ1こま漫画がある。地上では漁民たちが怒りをあらわにしている。人間の味方であるはずのアトムが、人間に追われているのである。
 手塚さんはなぜ、そんな悲しい絵を描いたのか。作品に込められたメッセージを、「原爆の日」と重ねて読み解きたい。
 漫画のタイトルは「第5福竜丸」。絵の中には同じ名前の漁船が。背景の白い雲はきのこ雲の形をしている。よく見ると、アトムは燃料の燃えかすのようなものを排出している。
 米国が太平洋・ビキニ環礁で行った水爆実験で日本の漁船が被ばくしたのは1954年のことだ。800を超える被害漁船の1隻が静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」だった。
 (中略)
 テレビのアニメ放映が一段落した段階で、手塚さんは作品を描き上げた。水爆実験で被害を受けた漁民らは、核の申し子であるアトムに怨嗟(えんさ)の声を上げる。「ボクは正義の味方と思っていたのになあ」というアトムの嘆きが、胸に突き刺さる。
 核兵器は非人道的だが、「死の灰」などの廃棄物を生み出す「平和利用」も罪深い-。自ら生み育てたアトムを泣かせることで、核そのものへの違和感を表現する。作者として呻吟(しんぎん)する思いであったに違いない。
 手塚さんが亡くなって今年で29年。漫画に託したメッセージはさらに重みを増している。 

▼中国新聞「ヒロシマ73年 被爆国の役割、自覚しよう」北東アジアに変化/核軍縮へ前向きに/爆心遺構の公開へ
http://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=454544&comment_sub_id=0&category_id=142
▼山陰中央新報「原爆の日/一人一人が心に刻もう」
▼徳島新聞「原爆の日 『核なき世界』へ範を示せ」
 http://www.topics.or.jp/articles/-/82983
▼高知新聞「【原爆の日】核廃絶の願い諦めない」
 https://www.kochinews.co.jp/article/205075/ 

 日本政府も唯一の被爆国として毎年、国連に核兵器廃絶決議案を提出する一方、「核の傘」を優先する方針は変えず、核禁止条約への署名を拒む。そればかりか、安倍政権はトランプ政権の強硬方針を容認する場面も目立つ。
 米国の太平洋・ビキニ環礁水爆実験を巡り、高知県の元船員らが訴えた被ばく訴訟の判決で高知地裁は、国が被害を「矮小(わいしょう)化」させていた可能性を指摘した。日本政府の戦後の対米姿勢の一端をうかがわせよう。
 核軍縮の国際議論の中で、日本は核保有国と非保有国の「橋渡し役」を自任してきたのではなかったか。被爆者、被爆地の苦痛、核兵器の残虐性、非人道性を伝え、核廃絶を導く役割を担う。世界に平和の橋をつなぐ作業である。
 被爆者のサーローさんはこうも呼び掛けた。「がれきの中で聞いた声を繰り返します。諦めないで。光に向かって、はい続けて」。あの焦土の夏から立ち上がってきた国民の矜持(きょうじ)を代弁する。核廃絶へ隅々から声を上げ続けたい。 

▼西日本新聞「広島原爆の日 『核は絶対悪』掲げて進め」北の「非核化」足踏み/大国の核軍拡競争も/国際法の枠組み必要
 https://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/438974/ 

 広島と長崎に原爆が投下されて73年目の夏を迎えた。きょう6日は「広島原爆の日」である。
 この1年、北朝鮮の核問題が大きく動く一方、核保有国は核軍縮の流れを逆転させた。核を取り巻く世界情勢は流動化している。
 高齢化する被爆者の悲願である「核なき世界」の入り口は見えているのか。唯一の戦争被爆国である日本の役割は何か。慰霊と追悼の日に、あらためて考えたい。
 (中略)
 米国の「核の傘」に頼る日本政府は、相変わらず核抑止論に固執し、核兵器禁止条約への署名を拒否している。しかし、被爆者の体験を真摯(しんし)に聴けば「核は絶対悪」の確信にたどり着くはずだ。
 主体的に北東アジアの核軍縮の将来像を描くとともに、「核は絶対悪」を掲げて核廃絶を目指し世界をリードする。それが唯一の戦争被爆国、日本政府の役目だ。被爆者たちの悲願に向けて、日本政府は限りない努力をしてほしい。 

▼佐賀新聞「原爆の日 遠くなる体験、心に刻もう」
▼熊本日日新聞「原爆の日 問われる日本の『核廃絶』」矛盾した姿勢に逆風/核に頼らぬ安全保障/被爆者の声を聞け
 https://kumanichi.com/column/syasetsu/583822/
▼沖縄タイムス「[広島原爆の日]核廃絶の訴え広げよう」
 http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/294191 

 原爆の巨大な破壊力や非人道性を機会あるごとに語り続け、核廃絶を粘り強く訴えてきたのは被爆者である。
 昨年7月に国連で採択された核兵器禁止条約は前文でうたっている。
 「核兵器使用の犠牲者(ヒバクシャ)と核兵器実験の被害者にもたらされた受け入れがたい苦痛と被害を心にとめる」
 だが、唯一の戦争被爆国である日本の政府は、核保有国が参加しない核禁条約に冷淡で、会議に参加せず署名もせず、背中を向け続ける。
 昨年、広島での式典に出席した安倍晋三首相は、あいさつで条約には一切触れなかった。実効性がないとの理由からだ。
 3日後の8月9日、長崎の式典でも条約に触れず、無視を決めこんだ。被爆者代表が安倍首相に詰め寄り、怒りをぶちまけた。「あなたはどこの国の総理ですか」
 共同通信が6月から7月にかけて、全国各地の被爆者を対象に実施したアンケートでは「日本政府は条約に参加すべきだ」との回答が8割にのぼっている。
 核廃絶をめざす被爆者の声は、世界には届くのに、足元の政府には届かない。 

▼琉球新報「原爆投下73年 核の傘脱し条約批准を」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-776368.html 

 核保有国と非保有国の「橋渡し役」を自任する日本は、いまだ行動を起こしていない。口先では核兵器反対を唱えながら、米国の核の傘を肯定し、安住している。自己矛盾から目を覚ました方がいい。
 冷戦時代の遺物でしかない核抑止力の思考とは決別すべきだ。いったん核が使われたら被害は計り知れない。
 共同通信の被爆者アンケートでは、回答者1450人中8割が政府に条約への参加を望んでいる。被爆者の悲願の結晶である条約を拒むのは被爆者への裏切りと言える。
 政府は被爆体験を広く国際社会に伝え、核廃絶を訴えていくべきだ。条約批准の方にこそ被爆国としてのリーダーシップを発揮してほしい。 

 信濃毎日新聞は長野県知事選、愛媛新聞は豪雨水害1カ月がそれぞれ6日付のため、1日早く5日付で社説を掲載したようです。

【8月5日付】
▼信濃毎日新聞「原爆の日 核廃絶への意志を共に」
 https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20180805/KT180803ETI090011000.php
▼愛媛新聞「あす広島原爆の日 『核なき世界』へ市民の力結集を」

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【写真】東京発行各紙の8月6日夕刊1面