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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「本土に突き付けた問い」(信濃毎日新聞)、「『沖縄への甘え』重い告発」(西日本新聞)~故翁長氏の訴え、わがことと受け止める地方紙・ブロック紙も

 8月8日に死去した沖縄県知事、翁長雄志氏を沖縄県外、日本本土の新聞も社説や論説で取り上げています。
 全国紙では朝日新聞、毎日新聞、読売新聞がそろって8月10日付で、産経新聞(「主張」)が11日付で掲載しました。普天間飛行場の辺野古移設を巡って、翁長氏が安倍晋三政権との対決姿勢を深めていったことについて朝日は「『政治の堕落』と評した不誠実な政権と、その政権を容認する本土側の無関心・無責任が、翁長氏の失望を深め、対決姿勢をいよいよ強めていったのは間違いない」と指摘し、毎日も「沖縄は基地依存経済といわれる状況から抜け出そうとしているのに、それを後押しすべき国が辺野古移設と沖縄振興策をセットで押しつけてくる。これを受け入れることはアイデンティティーの確立と矛盾する」と説きました。ただ、朝日の言う「本土側の無関心・無責任」については、結びで「(知事選の)その結果がどうあれ、翁長氏が訴えてきたことは、この国に生きる一人ひとりに、重い課題としてのしかかる」と書いてはいるものの、それ以上の踏み込みはありません。
 翁長氏の評価について読売は「強い指導力を印象付ける政治家だっただけに、政府との対立ばかりが前面に出たことが残念である」と、産経も「国との対立関係をいっそう深めたのは残念だった」と、ともに厳しい表現でした。両紙とも「米軍の抑止力を維持し、普天間の危険性を早期に除去する唯一の道が、辺野古移設である」(読売)、「住宅地に近接する普天間飛行場の移設が、危険性除去のための現実的な選択肢である点は変わらない」(産経)と、安倍政権の政策への支持をあらためて明らかにしている点も共通しています。

 地方紙・ブロック紙では、ネットで確認できた社説、論説が14日までに20紙あります。注目していいと思うのは、その中でいくつかの社説が、翁長氏が問い続けた相手は日本政府、安倍政権に限らず、沖縄の基地集中に無関心な日本本土の日本国民であることを、わがこととして明確に指摘していることです。例えば信濃毎日新聞は「無関心であることが、政府の強硬な姿勢を支え、排外的な言動をはびこらせることにもつながっていないか。沖縄の人々の憤りは、政府だけでなく、本土の私たちに向けられている」「翁長氏の言葉を胸に刻み、沖縄に向き合う姿勢を問い直したい」と書き、福井新聞も翁長氏の訃報が本土で決して十分に報じられていないとして「本土では『沖縄の話』にしかすぎず、沖縄の苦しみは共有されない。その無関心さが沖縄県民をいらだたせていることを、われわれは自覚したい」としています。西日本新聞は「異議は政権のみならず、沖縄の基地問題に無関心な本土の住民にも向けられた。『どちらが甘えているのか』発言は、『沖縄は基地の見返りの振興策で潤っている』などの論理で基地押し付けを正当化する本土住民に対する告発でもあった」と指摘しています。

 「普天間飛行場の県内移設反対」「オール沖縄」「イデオロギーではなくアイデンティティー」を掲げた翁長氏が身命を賭して求めたのは、地域の将来を自分たちで決めることができる自己決定権でした。その翁長氏の訴えを、政府・政権だけでなくわが身にも向けられたものと受け止める姿勢が一部とはいえ見られるようになったことは、本土のマスメディアのジャーナリズムに生じた変化と言っていいと思います。ささやかで、まだまだ取るに足らないものかもしれませんが、沖縄を報道する、沖縄で何が生じているかを日本本土に伝える上での進歩ないしは深化と呼んでもいいのではないかと考えています。

 手元に、翁長氏の死去を伝える琉球新報の9日付の紙面や、辺野古の埋め立て阻止を訴える11日の県民大会の模様を伝える12日付の紙面が届きました。主催者発表で7万人が参加した県民大会の紙面には「知事の意志 必ず」の大きな見出しが付いています。

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 以下に各紙の社説、論説のタイトルと、内容を確認できるものはリンク先を記しています。一部は内容を引用して紹介しています。まず全国紙です。

▼朝日新聞「翁長知事死去 『沖縄とは』問い続けて」(8月10日)
 https://www.asahi.com/articles/DA3S13629884.html?ref=editorial_backnumber 

  「銃剣とブルドーザー」で土地を取りあげられ、当然の権利も自由も奪われた米軍統治下で生まれ、育った。本土復帰した後も基地は存続し、いまも国土面積の0・6%の島に米軍専用施設の70%以上が集中する。
 だが、「なぜ沖縄だけがこれほどの重荷を押しつけられねばならないのか」という翁長氏の叫びに、安倍政権は冷淡だった。知事就任直後、面会の希望を官房長官は4カ月にわたって退け、国と地方との争いを処理するために置かれている第三者委員会から、辺野古問題について「真摯(しんし)な協議」を求められても、ついに応じなかった。
 翁長氏が「政治の堕落」と評した不誠実な政権と、その政権を容認する本土側の無関心・無責任が、翁長氏の失望を深め、対決姿勢をいよいよ強めていったのは間違いない。
 沖縄を愛し、演説でしばしばシマクトゥバ(島言葉)を使った翁長氏だが、その視野は東アジア全体に及んでいた。
 今年6月の沖縄慰霊の日の平和宣言では、周辺の国々と共存共栄の関係を築いてきた琉球の歴史に触れ、沖縄には「日本とアジアの架け橋としての役割を担うことが期待されています」と述べた。基地の島ではなく、「平和の緩衝地帯」として沖縄を発展させたい。そんな思いが伝わってくる内容だった。
 死去に伴う知事選は9月に行われる。その結果がどうあれ、翁長氏が訴えてきたことは、この国に生きる一人ひとりに、重い課題としてのしかかる。 

▼毎日新聞「翁長・沖縄知事が死去 基地の矛盾に挑んだ保守」(8月10日)
 https://mainichi.jp/articles/20180810/ddm/005/070/024000c 

  安倍晋三首相のキャッチフレーズには「戦後レジームからの脱却」「日本を取り戻す」などがあるが、沖縄にとっての戦後レジームは米軍占領下から続く過重な基地負担だ。
 首相の言う日本の中に沖縄は入っているのか。本土の政府・自民党に対するそんな不信感が翁長氏を辺野古移設反対へ転じさせた。
 イデオロギーで対立する保守と革新をオール沖縄へ導いたのは「沖縄のアイデンティティー」だ。翁長氏はそう強調してきた。
 県の「沖縄21世紀ビジョン」にあるように、沖縄はアジア太平洋地域の国際的な交流拠点を目指すことで経済的な自立を図っている。
 沖縄は基地依存経済といわれる状況から抜け出そうとしているのに、それを後押しすべき国が辺野古移設と沖縄振興策をセットで押しつけてくる。これを受け入れることはアイデンティティーの確立と矛盾する。
 知事就任後に菅義偉官房長官と会談した際、翁長氏は政権側の姿勢を「政治の堕落」と非難した。
 ただし、県側がとれる対抗手段は限られていた。辺野古埋め立て承認の「撤回」手続きを進める中での翁長氏の急死は、移設反対派に衝撃を与えている。9月にも行われる知事選の構図は流動的だ。
 戦後の米占領下で生まれ育った保守政治家が病魔と闘いながら挑んだ沖縄の矛盾は残ったままだ。 

▼読売新聞「翁長知事死去 沖縄の基地負担軽減を着実に」(8月10日)
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20180809-OYT1T50130.html 

 沖縄県の翁長雄志知事が死去した。強い指導力を印象付ける政治家だっただけに、政府との対立ばかりが前面に出たことが残念である。
 (中略)
 司法判断とは一線を画し、知事として権限を駆使する姿勢を貫いた。政府との対決をあおるかのような政治手法が混乱を招いた側面はあったにせよ、基地負担に苦しむ沖縄県民の一つの意識を体現したことは記憶に残るだろう。
 辺野古移設への対応については、政府、県ともに今後、見直しを余儀なくされそうだ。
 (中略)
 住宅地に囲まれた普天間飛行場は常に、周辺住民を巻き込む事故の危険をはらむ。最近も、米軍ヘリの部品落下などのトラブルが起きた。政府は引き続き、沖縄の基地負担を軽減させる責務を果たさなければならない。
 米軍の抑止力を維持し、普天間の危険性を早期に除去する唯一の道が、辺野古移設である。 

▼産経新聞「翁長氏の死去 改めて協調への道を探れ」(8月11日)
 http://www.sankei.com/column/news/180811/clm1808110002-n1.html 

 米軍施設が集中する沖縄で、基地反対論は根強い。翁長氏はその期待を一身に背負った。埋め立て承認の取り消しで政府に抵抗を続けるなど、国との対立関係をいっそう深めたのは残念だった。
 米軍基地の抑止力の重要性を考えれば、基地政策を円滑に実現するうえで国と地元が理解しあい、協力することは欠かせない。
 知事選が迫っているとはいえ、翁長氏の死去を機に、関係の再構築を模索する視点を双方が持つことも重要ではないか。
 (中略)
 移設問題は、旧民主党への政権交代のときに沖縄側の不信感を高めた経緯がある。
 それでも、住宅地に近接する普天間飛行場の移設が、危険性除去のための現実的な選択肢である点は変わらない。
 これについて、公明党の山口那津男代表は死去を悼むコメントの中で「翁長知事も異は唱えられないと思っています」と語ったが、それには協調関係の構築を避けて通れまい。政府、沖縄双方の責務といえよう。 

 以下は地方紙、ブロック紙です。

【8月10日】
▼北海道新聞「翁長知事死去 『オール沖縄』を貫いた」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/217202?rct=c_editorial 

 これ以上の対立激化を避けるためにも、国は基地建設のプロセスをいったん止め、改めて解決の道を探るべきだろう。
 次回知事選に向けては、自民党沖縄県連などが普天間飛行場のある宜野湾市の佐喜真淳(さきまあつし)市長の擁立を決め、自民系候補の一本化を進める。移設反対派は翁長氏死去を受け、候補者調整を急いでいる。
 自民、公明両党は沖縄の首長選で、基地問題を争点化することを避けてきた。佐喜真氏も辺野古移設への言及を避ける姿勢が目立つ。それでは沖縄の人々の思いに寄り添う解決策は見いだせない。
 翁長氏は「沖縄県が自ら基地を提供したことはない」「日本には地方自治や民主主義があるのか」と訴えていた。
 力ずくの手法はかえって反発を招く。それが翁長氏が残した教訓ではないだろうか。 

▼茨城新聞「翁長沖縄県知事の死去 提起した課題考えたい」
▼神奈川新聞「翁長沖縄知事 命削った『心』に思いを」
▼山梨日日新聞「[翁長沖縄知事 急逝]差別除去 身を賭して訴えた」

▼信濃毎日新聞「翁長知事死去 本土に突きつけた問い」
 https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20180810/KT180809ETI090008000.php 

 保守、革新の対立を超えた「オール沖縄」の訴えは、那覇市長時代の13年に原点がある。米軍基地への輸送機オスプレイの配備撤回を求め、県内全市町村長と議員らが東京でデモ行進した。先頭に立ったのが翁長氏だった。
 14年の知事選で当選した夜。妻の樹子さんと「万策尽きたら、一緒に辺野古で座り込もう」と約束したという。基地建設を何としても阻止する決意が、政府の権力にひるまない姿勢を支えた。
 戦後四半世紀余に及ぶ米軍の統治を経て1972年に日本に復帰した後も、沖縄は「基地の島」であり続けてきた。在日米軍基地の7割がなお沖縄に集中する。そして辺野古に計画されているのは、大型船が接岸できる護岸などを備えた巨大な新基地である。
 抗議する人たちを実力で排除して工事は進められている。逆らえば力ずくで押さえつけ、既成事実を積み重ねてあきらめを強いる。政府が沖縄でやっていることは民主主義と懸け離れている。
 東京でデモ行進をしたとき、「琉球人は日本から出ていけ」「中国のスパイ」と罵声を浴びせられたという。そのこと以上に、見ないふりをして通り過ぎる人の姿に衝撃を受けたと述べていた。
 無関心であることが、政府の強硬な姿勢を支え、排外的な言動をはびこらせることにもつながっていないか。沖縄の人々の憤りは、政府だけでなく、本土の私たちに向けられている。
 過重な負担の押しつけは差別である。うちなーんちゅ、うしぇーてー、ないびらんどー(沖縄人をないがしろにしてはいけない)。翁長氏の言葉を胸に刻み、沖縄に向き合う姿勢を問い直したい。 

▼中日新聞・東京新聞「翁長知事死去 沖縄の訴えに思いを」
 http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2018081002000126.html 

 翁長氏の政治信条は「オール沖縄」「イデオロギーよりアイデンティティー」の言葉に象徴されていた。
 国土の0・6%の広さしかない沖縄県に、国内の米軍専用施設の70%が集中する。にもかかわらず政府は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の代替施設として、同じ県内の名護市辺野古に新基地建設を強行している。日本国憲法よりも日米地位協定が優先され、県民の人権が軽視される。
 そうした差別的構造の打破には保守も革新もなく、民意を結集して当たるしかない、オール沖縄とはそんな思いだったのだろう。
 言い換えれば、沖縄のことは沖縄が決めるという「自己決定権」の行使だ。翁長氏は二〇一五年に国連人権理事会で演説し、辺野古の現状について「沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされている」と、世界に向け訴えた。
 (中略)
 翁長県政の四年弱、安倍政権はどう沖縄と向き合ったか。県内を選挙区とする国政選挙のほとんどで移設反対派が勝利したが、その民意に耳を傾けようとせず、辺野古の基地建設を進めた。菅義偉官房長官は九日の記者会見でも、辺野古移設を「唯一の解決策」と繰り返すのみだ。
 内閣府が三月に発表した自衛隊・防衛問題に関する世論調査で、「日米安保が日本の平和と安全に役立っている」との回答が約78%を占めた。安保を支持するのなら、その負担は全国で分かち合うべきではないか。翁長氏の訴えをあらためて胸に刻みたい。

 ▼福井新聞「翁長沖縄県知事 死去 遺志に思いを致すべきは」
 http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/675013 

 皮肉にも、テレビの情報番組は台風やボクシング連盟関連の情報ばかりが目立ち、翁長氏の訃報を十分に伝えていない。本土では「沖縄の話」にしかすぎず、沖縄の苦しみは共有されない。その無関心さが沖縄県民をいらだたせていることを、われわれは自覚したい。
 「国対沖縄」の構図は他の地方自治体でも起こりうる。国の方針に異を唱えれば政府は強硬姿勢で応じる。長期政権となった「安倍1強」の下、そうした傾向をますます強めているかに映る。
 沖縄には在日米軍基地の約7割が集中する。住宅密集地に隣接する普天間飛行場が「世界一危険」だからといって辺野古に移設すれば、その周辺住民が危険にさらされる。「日本の安全保障は国民全体で負担するものだ」と翁長氏が主張したのは、知事として当然である。
 米朝首脳会談に関連して翁長氏は「平和を求める大きな流れから取り残されている」と日本政府の姿勢を批判した。政府は北朝鮮の脅威や中国の軍拡への備えを強調するが、翁長氏が沖縄全戦没者追悼式で訴えたようにまず「アジア地域の発展と平和の実現」に力を注ぐべきだろう。安全保障や地方自治、地域の歴史など多岐にわたった翁長氏の思いを、政府や本土のわれわれこそ熟考すべきだ。  

 ▼京都新聞「翁長知事死去  沖縄の思いを代弁した」
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20180810_2.html 

 政府の移設方針に反対していたが、もともとは保守系の政治家であった。県議、自民党県連幹事長、那覇市長などを務めた。
 2013年、輸送機オスプレイの配備取りやめと、普天間飛行場の県内移設断念を、安倍晋三首相に訴えたのを契機に、政府と対立した。
 翌年の県知事選では移設反対を掲げ、埋め立てを承認した現職に大差をつけて初当選した。
 「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされている」などの発言で、保革の立場を超えた政治勢力「オール沖縄」を束ねた功績は大きいと評価される。
 埋め立ての承認などに関する国との法廷闘争では、最高裁に県の取り消し処分を違法とされた。工事が再開され、手詰まり感も出ていた。
 だが、すでに病魔に冒されていた今年6月の沖縄戦犠牲者を悼む「慰霊の日」には、「私の決意は県民とともにあり、みじんも揺らがない」と声を振り絞った。沖縄に息づく「不屈の精神」を、代弁する存在でもあった。 

▼神戸新聞「翁長知事死去/喪に服し辺野古『休戦』を」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201808/0011529011.shtml 

 政府は辺野古移設が基地負担軽減の「唯一の解決策」とする立場から、一歩も踏みだそうとしない。17日の土砂投入を県に通知しているが、ここで強行すれば、県民の反発がいっそう強まるのは確実だ。
 知事の死去で、県が承認撤回の手続きを進められるかどうかも不透明になった。
 翁長氏の喪に服する意味でも両者はいったん立ち止まり、次の知事選の結果を見極め、民意を尊重するべきではないか。
 企業役員だった翁長氏は、那覇市会議員に転じ自民党の県連幹事長も務めた。保守派の政治家でありながら、辺野古問題では自公政権に徹底抗戦した。
 日本復帰から半世紀近くを経ても自己決定権を尊重されず、基地負担を強いられ続けた。沖縄の怒りや疑問が、翁長氏の政治理念の根底にあった。多くの県民が代弁者を失った無念さを感じていることだろう。
 「沖縄が自ら基地を提供したことはない」「安全保障は国民全体で考えてほしい」などの翁長氏の発言は日本社会全体への問題提起でもあった。
 その声に、政府はどれだけ真剣に向きあったのか。 

▼山陰中央新報「翁長沖縄県知事の死去/提起した課題を考えたい」
 http://www.sanin-chuo.co.jp/www/contents/1533865447639/index.html
▼愛媛新聞「翁長沖縄県知事死去 平和問う『遺言』に向き合いたい」

▼徳島新聞「翁長知事死去 移設阻止の信念貫き通す」
 http://www.topics.or.jp/articles/-/84806 

 辺野古移設阻止に軸足を置くようになったきっかけは、政府にある。「誠心誠意、県民の理解を得る」と言いながら多くの県民の意に反し、移設作業を強行する手法に失望したからだ。
 保革の枠を越えた知事として3年8カ月、移設阻止のスタンスは揺るがず、政府と対立し続けた。先月27日には、前知事が行った辺野古沿岸の埋め立て承認を、撤回する方針を表明したばかりだった。
 県民を守るためには政府にも屈しない。翁長氏の毅然とした姿勢は、地方自治の在り方を示したとも言えよう。
 (中略)
 知事選と県民投票は、沖縄の民意を知るという重要な意味を持つ。政府は土砂投入を急がず、まずはこれらの結果を見極めるべきではないか。
 誠心誠意、県民の理解を得る姿勢を見せてもらいたい。 

▼高知新聞「【翁長知事死去】民意と自己決定権問うた」
 https://www.kochinews.co.jp/article/206248/ 

 翁長氏は、知事就任後の埋め立て承認取り消しを巡る訴訟で、「沖縄県にのみ負担を強いる今の日米安保体制は正常と言えるのでしょうか。国民の皆さま全てに問い掛けたい」と述べている。
 沖縄戦で本土防衛の「捨て石」にされ、戦後は米軍に統治された。なお在日米軍専用施設の約7割が集中する沖縄に、新たな基地負担を強いるのは、本土の無関心のせいではないか―という問い掛けだろう。
 翁長氏の知事就任以後の辺野古を巡る動きは、国策の強行と県民の意思との闘いといってよい。
 (中略)
 翁長知事の下では、基地問題を巡って、民意の尊重や地方の自己決定権とは何かも問われてきた。
 移設反対を訴えた翁長氏が推進の仲井真氏を大差で破っても、安倍政権のかたくなな動きは止まらなかった。16年には県議選で知事派が過半数を獲得。参院選で知事派が自民党の沖縄北方担当相に圧勝しても、翌年春に護岸工事が開始された。
 一方、今年2月の名護市長選では安倍政権の支援を受けた新人が当選した。しかし移設の是非は明確にせず、教育や福祉、地域振興を前面に出す戦術だったことは否めない。
 翁長氏の死去に伴い、11月に予定されていた知事選が9月中に前倒しされる見込みになった。
 政権与党は宜野湾市長の擁立を決め、翁長氏を支援してきた「オール沖縄会議」は後継探しを急いでいる。知事選こそは正面から基地問題が語られ、これまでの経緯を踏まえた民意が尊重されるべきだろう。
 沖縄が問い掛ける「本土」も関心を持って見つめるべきである。 

▼西日本新聞「翁長知事死去 『沖縄への甘え』重い告発」
 https://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/440176/ 

 「沖縄が日本に甘えているのでしょうか。日本が沖縄に甘えているのでしょうか」
 沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事が8日亡くなった。その翁長氏が残した重い問い掛けである。
 (中略)
 まさに命を削って、辺野古移設に抵抗する日々だったのだろう。「国策」に対する「地方からの異議申し立て」を体現した知事だったといえる。
 その異議は政権のみならず、沖縄の基地問題に無関心な本土の住民にも向けられた。「どちらが甘えているのか」発言は、「沖縄は基地の見返りの振興策で潤っている」などの論理で基地押し付けを正当化する本土住民に対する告発でもあった。
 行政処分での抵抗が数々の法廷闘争を招いたことには批判もある。ただ「移設阻止」を公約に掲げて当選した政治家が、公約実現のため自治体の首長として限られた手段を尽くすのはやむを得ない側面があった。その意味では、国と自治体とのあり方に一石を投じたともいえる。
 翁長氏は辺野古埋め立てを巡る国との訴訟の意見陳述で、沖縄に米軍基地が集中した経緯に触れ、こう述べた。
 「歴史的にも現在も沖縄県民は自由、平等、人権、自己決定権をないがしろにされてきた。私はこのことを『魂の飢餓感』と表現する」
 沖縄では翁長氏の死去を受けて、前倒しとなる知事選が9月にも実施される。自民党はすでに擁立する候補を決めており、移設反対派は「オール沖縄」候補の選考を急ぐことになる。
 ただ、知事選の結果がどうなろうと、政府や本土の住民が、「沖縄への甘え」に対する翁長氏の告発を真摯(しんし)に受け止め、沖縄県民の「魂の飢餓感」を理解しない限り、沖縄からの異議申し立ては続くだろう。  

▼佐賀新聞「提起した課題考えたい」
 https://www.saga-s.co.jp/articles/-/257384

▼熊本日日新聞「翁長知事死去 問題提起に向き合いたい」
 https://kumanichi.com/column/syasetsu/589087/ 

 いずれにしても、翁長氏の死去が移設問題に影響することは避けられまい。当面は、死去に伴い9月中に前倒しされる知事選が焦点となるが、少なくとも、知事選によって沖縄の民意が明らかになるまでは、土砂投入はやめるべきだろう。
 翁長氏は、知事選への態度を表明しないまま死去。移設反対派は候補者調整を急ぐ方針だ。一方、移設を進める政権与党は、宜野湾市の佐喜真淳市長の擁立を決めている。今回の知事選は、移設反対運動を主導してきた翁長氏の後継を決める、いわゆる「弔い合戦」の色合いを強め、県を二分した激しい選挙戦となるのは必至だ。
 だが、これ以上地域が分断され中央との溝が深まってはなるまい。安倍政権は政治対立を持ち込むのを避け、沖縄との対話を誠意を持って進めてもらいたい。
 翁長氏が訴えてきたのは、米軍基地の県内移設の是非ばかりではない。日本の安全保障政策の抜本的な見直しや近隣外交の重要性、地方自治のあり方などの課題もある。その問題提起に向き合い、課題を真剣に考えたい。

 ▼南日本新聞「[翁長知事死去] 沖縄の民意貫き通した」
 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=94617

 多くの県民が呼応したのは翁長氏が保革を超え、沖縄人の「イデオロギーよりアイデンティティー」の理想に訴えたからだ。だが、こうした沖縄の思いに国は真摯(しんし)に寄り添ってきたとは言えない。
 翁長氏は15年10月、法的な瑕疵(かし)があるとして埋め立て承認を取り消した。ここから県と国が互いに提訴し、「辺野古移設が唯一の解決策」として譲らない国との対立が鮮明化したのは間違いない。
 沖縄県側は敗訴したものの、翁長氏は「最後のカード」とされる承認撤回方針を先月下旬に表明。きのうは県が沖縄防衛局から弁明を聞く聴聞が行われた。
 国土面積のわずか0.6%しかない県土には、在日米軍専用施設の約70%が集中している。米兵や軍属らによる凶悪事件や米軍機の墜落事故などは繰り返し起きており、県民の不安は消えない。
 翁長知事は6月23日の「沖縄全戦没者追悼式」で移設について、「沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりでなく、アジアの緊張緩和の流れにも逆行している」と政府を厳しく批判した。
 基地を不当に押しつけられている現状は「差別だ」との沖縄の声にどう応えるのか。
 沖縄に集中する米軍基地の負担軽減は、国民一人一人に突きつけられた重い問いである。 

【8月11日】
▼岩手日報「翁長氏の死去 首相に心残りはないか」
 https://www.iwate-np.co.jp/article/2018/8/11/20334 

 基地問題を地方の自治権の問題として、本土はじめ国内外に議論を訴えたのが翁長氏だ。防衛や原発政策などに関わり、地方が国策と向き合う場面は少なくない。「基地問題は『沖縄問題』ではない」ということだ。
 (中略)
 1995年の沖縄米兵少女暴行事件を契機に、日米が普天間返還と辺野古移設に合意して約20年。時代とともに米軍の配置や運用方針が変化する中で、今もそれが「唯一の解決策」と言えるのか。翁長氏の疑問に、現政権が、その見識と責任で説得に尽くさないのは誠意を欠く。
 沖縄戦が終結した「慰霊の日」の6月23日、翁長氏と安倍晋三首相が言葉を交わすことはなかったという。
 翁長氏は、式典のあいさつで米朝首脳会談に触れ、20年以上前に日米が合意した辺野古移設の意義を疑問視。しかし首相はそれには触れず、発言はかみ合わなかった。
 翁長氏は、既に病状が報じられていた。首相の沖縄滞在は、わずか3時間程度。この間、近況を語り、あるいはいたわることもなかったとすれば、国と地方の、こんな関係が望ましいはずはない。首相もさぞや心残りなのではないか、と思いたい。 

▼中国新聞「翁長沖縄知事死去 県民の声、一貫して訴え」
http://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=456245&comment_sub_id=0&category_id=142 

 翁長氏は、本土に住む私たちの無理解も問題視していた。例えば、沖縄の経済は基地に依存しているとの誤った認識だ。基地関連の収入は今、4兆円余りの県民総所得の5%程度にすぎない。逆に観光収入は、その3倍にまで膨らんでいる。
  過重な基地負担を強いる代わりに、国が巨額の地域振興策を投じれば、沖縄の人も納得するだろう―。そんな浅はかな考えも放っておけない。基地は経済発展の最大の阻害要因なのだ。那覇市の米軍住宅が返還されて商業地域となり、税収や雇用が大幅に伸びた例があるという。
  国と地方の関係や民主主義の在り方など、翁長氏の問い掛けは基地問題に限らず、私たちにも深く関わっている。真剣に考えて答えを出す必要がある。  

【8月14日】
▼デーリー東北「翁長沖縄知事死去 切実な訴えにどう応える」
 http://www.daily-tohoku.co.jp/jihyo/jihyo.html