5千人が参列した「新聞の葬式」~自由民権運動の高知で

 明治15(1882)年、高知市で「新聞の葬式」がありました。明治維新後、憲法制定や議会開設など国民の政治参加を求めた自由民権運動の中で、民権派の「高知新聞」が同年7月14日、政府から発行禁止処分の弾圧を受けます。既に5回の発行停止処分を受けていました。この発行禁止処分への抗議への意味を込めて行われたイベントでした。
 勤務先の人事異動で大阪にいた6年前、出張で高知市を訪ねた折に、この「新聞の葬式」のことを知りました。先日、高知市を再訪する機会があり、空き時間を利用して高知市立自由民権記念館を見学。「新聞の葬式」の概要を知ることができました。
 ※高知市立自由民権記念館 http://www.i-minken.jp/

 ※自由民権運動のあらましについては、ウイキペディアを参照くださるようお願いします。
 自由民権運動 - Wikipedia

 自由民権運動の中心的人物としては、土佐藩出身の板垣退助がよく知られています。記念館のパンフレットでも板垣の銅像の写真とともに「自由は土佐の山間より」との高知県のシンボル的な言葉である「県詞」を掲げ、「近代日本の歴史に土佐の自由民権運動は大きな役割を果たしました。この日本最初の民主主義運動における経験は、私たち高知市民の誇りとなっています」と紹介しています。ちなみに観覧券は「自由通行証」(大人320円)で、ここにも「自由は土佐の山間より」の県詞があります。

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 記念館の展示や説明資料によると、高知新聞に発行禁止命令が出た明治15年は、高知県内で民権派と政府権力との闘いがもっとも激しい時期でした。民権派は新聞の発行停止・発行禁止命令に対しては「身代わり紙」を発行して抵抗していました。発行禁止の2日後の7月16日、身代わり紙の「高知自由新聞」が「高知新聞葬」の広告を掲載しました。資料からは「我ガ愛友ナル高知新聞ハ一昨十四日午後九時絶命候ニ付 本日午後一時吊式執行仕候間 愛顧ノ諸君ハ来会アランヲ乞」との文面が読み取れます(「吊式」は今日風に表記すれば「弔式」、つまり葬式のようです)。発信人は「高知新聞ノ愛友 高知自由新聞社」です。
 当日の会葬者は5千人を数え「忌中笠の壮士・位牌・僧侶・発禁号を納めた柩・記者・愛読者など」(説明資料より)の葬列が市内中心部から、高知市を見下ろす五台山までを、現代風に言えばデモ行進した後、五台山で柩を火葬にしました。身代わり発行の高知自由新聞も同月21日に発行禁止となり、再び新聞葬が行われ、会葬者は初回の2倍に達したとのことです。

 ことしは1868年の明治政府樹立から150年に当たります。「維新150年」として、日本政府は10月23日に記念式典を開催しました。安倍晋三首相の式辞からは、明治政府の下での近代日本の歩みを積極的、肯定的にとらえる歴史観が読み取れます。明治政府は安倍首相の地元長州(山口県)と薩摩(鹿児島県)の藩閥政治でした。安倍首相がこうした歴史観を持っているのは当然のことかもしれません。

 ※明治150年記念式典 安倍内閣総理大臣式辞

www.kantei.go.jp

 その一方では、「戊辰150年」として内戦である戊辰戦争で亡くなった先人を偲ぶ地域もあります(ちなみに板垣退助も官軍の土佐藩兵の指揮官として、戊辰戦争を戦っていました)。そうした歴史の中で、明治の比較的早い時期に起こった「新聞の葬式」は、現在と社会の状況も新聞のありようも全く異なるとはいえ、国家権力による弾圧に決して屈しなかった人たちがいたことを伝える出来事のように思えます。

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 今日の新聞、とりわけ一般紙は政治運動のツールではありません。しかし、批判を受けることを快く思わない(だれであれ批判を受けるのを疎ましく感じるのは当たり前かもしれませんが)権力者の習い性は、いつの時代も変わらないようにも感じます。「新聞」を生涯の仕事に選んだ者の一人として、表現の自由や言論の自由は戦うことなしには守り切れるものではないことをあらためて胸に刻み、「新聞の葬式」に先人が見せた不屈の意志を忘れずにいまいと思います。