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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

辺野古の土砂投入を強行した安倍政権に対する主権者の責任~「自治破壊の非常事態だ」(沖縄タイムス) 「第4の『琉球処分』強行だ」(琉球新報):付記 新聞各紙の社説、論説の記録

 沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の移設―同県名護市辺野古への新基地建設問題で、防衛省は12月14日、沖縄県の反対を押し切り、かねて予告していた通りに、辺野古の埋め立て予定海域に土砂を投入しました。新基地建設反対を明確に掲げて沖縄県知事選に臨んだ玉城デニー・現知事が、安倍晋三政権が推す候補に圧勝したのは9月30日のこと。これほど明白に新基地反対の沖縄の民意が示されたというのに、わずか2カ月半でのこの強行は、安倍政権は民意を顧みないと自ら宣言したに等しいと私は受け止めています。
 このような政権がなぜ存続しているのかと言えば、日本国の主権者の選択だからです。そして原理的には、個々人が安倍政権を支持していようといまいと、主権者である限り、その選択の責任、ひいては政権が引き起こした結果への責任からも逃れられないだろうとわたしは考えています。その意味で、沖縄県外、日本本土に住む主権者の一人として、わたしは安倍政権が沖縄の民意に反してなした辺野古での土砂投入に責任を感じます。
 このブログの前回の記事でわたしは「今、安倍政権はその沖縄の民意を一顧だにせず、新基地建設を強行する姿勢をいよいよ露わにしました。本土の主権者は、それを是とするのか非とするのか。主権者としての自らの問題として、為政者への態度を考えるべき問題であることがいよいよ明白になってきたと思います」と書きました。

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 もともと沖縄の基地集中は沖縄だけの問題ではありません。仮に日米同盟を是とするなら、沖縄への米軍駐留は日本全体の安全保障のためのはずです。なのに、その負担を一方的に押し付けるようなことが沖縄にだけまかり通るのは、沖縄への差別というほかありません。辺野古への新基地建設の問題を巡っては、そのような問題意識も徐々に沖縄県外、日本本土で目にするようになっています。にもかかわらず、安倍政権は土砂投入を強行し、しかも菅義偉官房長官は「引き続き全力で埋め立てを進めたい」(15日の記者会見)と強調するなど、強硬姿勢を一層強めているように感じます。
 自治体を政府と対等とは見ないこの政権が、それでも沖縄を差別しているのではない、沖縄に寄り添うのだと弁明するとしたら、今後は沖縄以外の地域でも同じように民意を一顧だにしない姿勢を取ることもあるかもしれません。いずれにせよ主権者として、この政権にどう向き合うのかを考えることが、辺野古の問題や沖縄の基地集中を「わがこと」としてとらえることにつながるだろうと思います。主権者として、この政権との向き合い方を決めなければいけない時であり、傍観者ではいられないのだと思います。

 土砂投入強行のニュースについて、東京発行の新聞各紙の12月14日夕刊、15日付朝刊では、1面はそれぞれ写真のような扱い でした。
 ▼12月14日夕刊

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 ▼12月15日付朝刊

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 土砂投入に対して、新聞各紙の12月15日付の社説、論説をネット上で見てみました。沖縄タイムス、琉球新報はそれぞれ安倍政権を厳しく批判しています。特に琉球新報が、1879年の琉球併合(「琉球処分」)、沖縄を日本から切り離し米国統治下に置いた1952年のサンフランシスコ講和条約発効、広大な米軍基地が残ったままの1972年の日本復帰に続く第4の「琉球処分」と位置付け、「歴史から見えるのは、政府が沖縄の人々の意思を尊重せず、『国益』や国策の名の下で沖縄を国防の道具にする手法、いわゆる植民地主義だ」と指摘していることに、あらためて「主権者の責任」の意味を考えざるをえません。
 以下に沖縄の2紙の社説の一部を引用します。

■沖縄タイムス:[辺野古 土砂投入強行]自治破壊の非常事態だ
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/359827

 「胸が張り裂けそうだ」
 名護市の米軍キャンプ・シュワブゲート前で土砂投入を警戒していた男性は、怒りと悔しさで声を震わせた。
 辺野古新基地建設を巡り、防衛省沖縄防衛局は14日午前、土砂投入を強行した。
 海上では最大50隻のカヌー隊が繰り出したが、土砂を積み込んだ台船と、土砂投入場所が制限区域内にあるため作業を止めることができない。
 護岸に横付けされた台船の土砂が基地内に入っていたダンプカーに移された。約2キロ離れた埋め立て予定海域南側まで運び、次々投入する。
 ゲート前には故翁長雄志前知事夫人の樹子さんも姿をみせた。樹子さんは以前、「万策尽きたら夫婦で一緒に座り込むことを約束している」と語ったことがある。
 しかし夫の翁長前知事は埋め立て承認の撤回を指示した後、8月8日に亡くなった。
 「きょうは翁長も県民と一緒にいます。負けちゃいけないという気持ちです」
 沖縄戦当時、キャンプ・シュワブには「大浦崎収容所」が設置され、住民約2万5千人が強制収容された。
 マラリアなどが発生し逃げることもできないため400人近くが亡くなったといわれる。まだ遺骨はあるはずだと、ガマフヤー代表の具志堅隆松さんはいう。
 シュワブは、日本本土に駐留していた海兵隊を受け入れるため1950年代に建設された基地だ。
 沖合の辺野古・大浦湾は、サンゴ群集や海藻藻場など生物多様性に富む。
 そんな場所を埋め立てて新基地を建設するというのは沖縄の歴史と自然、自治を無視した蛮行というほかない。

■琉球新報:辺野古へ土砂投入 第4の「琉球処分」強行だ
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-849072.html

 今年の宜野湾、名護の両市長選では辺野古新基地に反対する候補者が敗れたものの、勝った候補はいずれも移設の是非を明言せず、両市民の民意は必ずしも容認とは言えない。本紙世論調査でも毎回、7割前後が新基地建設反対の意思を示している。
 そもそも辺野古新基地には現行の普天間飛行場にはない軍港や弾薬庫が整備される。基地機能の強化であり、負担軽減に逆行する。これに反対だというのが沖縄の民意だ。
 その民意を無視した土砂投入は暴挙と言わざるを得ない。歴史的に見れば、軍隊で脅して琉球王国をつぶし、沖縄を「南の関門」と位置付けた1879年の琉球併合(「琉球処分」)とも重なる。日本から切り離し米国統治下に置いた1952年のサンフランシスコ講和条約発効、県民の意に反し広大な米軍基地が残ったままの日本復帰はそれぞれ第2、第3の「琉球処分」と呼ばれてきた。今回は、いわば第4の「琉球処分」の強行である。
 歴史から見えるのは、政府が沖縄の人々の意思を尊重せず、「国益」や国策の名の下で沖縄を国防の道具にする手法、いわゆる植民地主義だ。
 土砂が投入された12月14日は、4・28などと同様に「屈辱の日」として県民の記憶に深く刻まれるに違いない。だが沖縄の人々は決して諦めないだろう。自己決定権という人間として当然の権利を侵害され続けているからだ。

 沖縄県外、日本本土の新聞各紙の社説、論説のうち、ネット上で確認できたものを書きとめ、一部を引用しました。見出しのみで内容は確認できなかった新聞もあります。
 読売新聞と産経新聞、地方紙では北國新聞が土砂投入を支持しています。ほかは批判的です。沖縄だけの問題ではない、本土側にも問いが突きつけられている、との問題意識も、朝日新聞や毎日新聞をはじめ、山形、信濃毎日、中日・東京、福井、京都、神戸、佐賀(共同通信)、熊本日日、南日本の地方紙・ブロック紙各紙にもみられます。

・朝日新聞「辺野古に土砂投入 民意も海に埋めるのか」/まやかしの法の支配/思考停止の果てに/「わがこと」と考える
 https://www.asahi.com/articles/DA3S13812446.html

 何より憂うべきは、自らに異を唱える人たちには徹底して冷たく当たり、力で抑え込む一方で、意に沿う人々には経済振興の予算を大盤振る舞いするなどして、ムチとアメの使い分けを躊躇(ちゅうちょ)しない手法である。その結果、沖縄には深い分断が刻み込まれてしまった。
 国がこうと決めたら、地方に有無を言わせない。8月に亡くなった翁長雄志前知事は、こうした政権の姿勢に強い危機感を抱いていた。沖縄のアイデンティティーを前面に押し出すだけでなく、「日本の民主主義と地方自治が問われている」と繰り返し語り、辺野古問題は全国の問題なのだと訴えた。
 ここにきて呼応する動きも出てきた。東京都小金井市議会は今月、普天間飛行場の代替施設の必要性などについて、国民全体で議論するよう求める意見書を可決した。沖縄で起きていることを「わがこと」として考えてほしいという、沖縄出身の人たちの呼びかけが実った。
 沖縄に対する政権のやり方が通用するのであれば、安全保障に関する施設はもちろん、「国策」や「国の専権事項」の名の下、たとえば原子力発電所や放射性廃棄物処理施設の立地・造営などをめぐっても、同じことができてしまうだろう。
 そんな国であっていいのか。苦難の歴史を背負う沖縄から、いま日本に住む一人ひとりに突きつけられている問いである。

・毎日新聞「辺野古の土砂投入始まる 民意は埋め立てられない」
 https://mainichi.jp/articles/20181215/ddm/005/070/056000c

 政府側は県民にあきらめムードが広がることを期待しているようだが、その傲慢さが県民の対政府感情をこわばらせ、移設の実現がさらに遠のくとは考えないのだろうか。
 実際、移設の見通しは立っていない。工事の遅れに加え、埋め立て海域の一部に軟弱地盤が見つかったからだ。県側は軟弱地盤の改良に5年、施設の完成までには計13年かかるとの独自試算を発表した。
 それに対し政府は2022年度完成の目標を取り下げず、だんまりを決め込む。工事の長期化を認めると、一日も早い普天間飛行場の危険性除去という埋め立てを急ぐ最大の根拠が揺らぐからだろう。10年先の安全保障環境を見通すのも難しい。
 結局は県民の理解を得るより、米側に工事の進捗(しんちょく)をアピールすることを優先しているようにも見える。
 沖縄を敵に回しても政権は安泰だと高をくくっているのだとすれば、それを許している本土側の無関心も問われなければならない。
 仮に将来、移設が実現したとしても、県民の憎悪と反感に囲まれた基地が安定的に運用できるのか。
 埋め立て工事は強行できても、民意までは埋め立てられない。

・読売新聞「辺野古土砂投入 基地被害軽減へ歩み止めるな」
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20181214-OYT1T50151.html

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設計画は、新たな段階を迎えた。政府は、移設の意義を粘り強く訴えながら、丁寧に工事を進めていかなければならない。
 (中略)
 今回の埋め立て対象は、全160ヘクタールの予定海域のうちの4%で、20年7月まで実施する。政府は作業海域を広げる方針だ。県の理解を求める努力は欠かせない。
 辺野古では、改良が必要な地盤の存在が指摘されており、防衛省は追加の地質調査を行っている。軟弱地盤があれば、設計変更のための県の承認が必要だ。
 玉城デニー県知事は記者会見で、「国の強硬なやり方は認められない。あらゆる手段を講じていく」と述べた。移設工事は、またしても中断する可能性がある。
 普天間の固定化は避けなければならないとの認識で、知事は政府と一致しているはずだ。従来の主張にこだわらず、現実的な解決策を考えるべきである。
 県は、移設の是非を問う県民投票を来年2月に行う。基地問題への県民の思いは様々で、二者択一ではすくい取れない。分断に拍車をかけるだけではないか。
 沖縄には、日本にある米軍基地の7割が集中する。政府は負担軽減を着実に図るとともに、振興策を推進することが求められる。

・産経新聞「辺野古へ土砂投入 普天間返還に欠かせない」
 https://www.sankei.com/column/news/181215/clm1812150002-n1.html

 市街地に囲まれた普天間飛行場の危険を取り除くには、代替施設への移設による返還が欠かせない。
 日米両政府による普天間飛行場の返還合意から22年たつ。返還へつながる埋め立てを支持する。
 (中略)
 沖縄の島である尖閣諸島(石垣市)を日本から奪おうとしている中国は、空母や航空戦力、上陸作戦を担う陸戦隊(海兵隊)などの増強を進めている。北朝鮮は核・ミサイルを放棄していない。沖縄の米海兵隊は、平和を守る抑止力として必要である。
 普天間返還を実現して危険性を取り除くことと、日米同盟の抑止力の確保を両立させるため、日米は辺野古移設で合意した。
 安倍晋三首相ら政府は反対派から厳しい批判を浴びても移設を進めている。県民を含む国民を守るため現実的な方策をとることが政府に課せられた重い責務だからだ。沖縄を軽んじているわけではない。
 そうであっても、政府や与党は辺野古移設がなぜ必要なのか、県や県民に粘り強く説明しなければならない。
 来年2月24日には辺野古移設の是非を問う県民投票が予定されている。普天間返還に逆行し、国と県や県民同士の対立感情を煽(あお)るだけだ。撤回してもらいたい。

・北海道新聞「辺野古土砂投入 沖縄の声無視する暴挙」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/258132?rct=c_editorial

 国は県側が納得できる説明を何一つできていない。
 岩屋毅防衛相は早ければ2022年度とされてきた普天間返還に関し、県の埋め立て承認撤回などを理由に困難との認識を示した。
 返還が遅れる責任を県に転嫁するとは驚くほかない。
 日米両政府が1996年に普天間返還に合意後、20年以上たつ。その間に沖縄の米海兵隊の大幅削減も決まった。日米間で辺野古移設の必要性を再考するのが筋だ。

・山形新聞「辺野古土砂投入 『唯一の策』か再検証を」
 http://yamagata-np.jp/shasetsu/index.php?par1=20181215.inc

 戦後、本土各地にあった米軍基地は反対運動のために沖縄に移され、集中が進んだ。沖縄が投げ掛けているのは、安全保障の負担は全国で公平に担うべきではないかという当たり前の問いだ。沖縄の過重な負担、地元の民意を顧みずに進められる政策。この事態を見過ごすことは、安全保障は沖縄県民の犠牲によって実現されるべきであると言うに等しい。

・信濃毎日新聞「辺野古に土砂 民意顧みない無理押し」
 https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20181215/KT181214ETI090002000.php

 県は辺野古の賛否を問う県民投票を来年2月に予定している。改めて反対の民意を明確に示し、政府に断念を迫る考えだ。
 賛否を巡り地域の分断、亀裂が深まる恐れもある。ここまでしなければならない状況を生み出した罪深さを政府は自省すべきだ。
 国政選挙を含め、繰り返し示されてきた沖縄の民意を顧みることなく、国の政策が力ずくで推し進められている。地方の声を無視する政治の在り方は沖縄だけの問題ではない。
 政府は埋め立てを進めて既成事実化することで県民を諦めさせたいのだろう。こんなやり方を許すことはできない。沖縄の人たちとともに政府に異を唱え続けたい。

・新潟日報「辺野古土砂投入 民主主義の危機を感じる」
 http://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20181215438967.html

 沖縄の民意と向き合わず、対立する意見を話し合いで調整する政治の役割を放棄したと言っていい安倍政権のやり方には民主主義の危機を感じる。
 辺野古移設に反対する沖縄県は反発を強め、県民投票や規制強化で対抗する方針だ。
 「沖縄の心に寄り添う」。安倍晋三首相は沖縄の基地問題についてそう繰り返してきた。
 9月の知事選では移設反対を掲げた玉城氏が与党系候補を破った。移設反対が直近の沖縄の民意、沖縄の心といえる。
 政権は11月から1カ月余、玉城氏の求めに応じて県側と協議を続けてきた。しかし結局は土砂投入を強行した。
 埋め立てが実際に始まったことで、後戻りは困難になる。沖縄の心は踏みにじられたと言っていい。

・中日新聞・東京新聞「辺野古に土砂 民意も法理もなき暴走」
 http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2018121502000108.html

 群青の美(ちゅ)ら海とともに沖縄の民意が埋め立てられていく。辺野古で政権が進める米軍新基地建設は法理に反し、合理性も見いだせない。工事自体が目的化している。土砂投入着手はあまりに乱暴だ。
 重ねて言う。
 新基地建設は、法を守るべき政府が法をねじ曲げて進めている。なぜそこに新基地が必要か。大義も根底から揺らいでいる。直ちに土砂投入を中止し虚心に計画を見直す必要があろう。
 (中略)
 あらゆる民主的な主張や手続きが力ずくで封じられる沖縄。そこで起きていることは、この国の民主主義の否定でもある。
 これ以上の政権の暴走は、断じて許されない。

・北國新聞「辺野古埋め立て やむを得ない政治決断」

 安全保障に責任を負う政府としては、外交を含めた多角的な観点からの判断が必要である。「普天間飛行場の危険性を除去し、日米同盟の抑止力を維持するための現実的な解決策は辺野古移設」という政府の見解は、総合的、大局的に考えた末の結論として是認できるのではないか。中国との関係は表面上、改善に動いているとはいえ、軍事的な脅威が薄れることは考えられず、米海兵隊が沖縄に駐留する意義はなお大きい。
 県民投票に反対の意見書には、国全体に影響を及ぼす安保政策は住民投票になじまないとの見解も盛り込まれている。一自治体の意向だけで国の安保政策を決められないことを理解する県民は少なくないのだろう。政府が沖縄県民の苦悩を真摯に受けとめ、基地負担の軽減に努めなければならないことは論をまたない。

・福井新聞「辺野古土砂投入 沖縄の民意を葬る光景だ」
 https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/760124

 土砂を投入する区域は今のところ、予定面積の4%にすぎず、沖縄県側は法的手段などあらゆる手を使って阻止する構えだ。ただ、県民投票にしても一部自治体が実施に否定的とされる。県民は「われわれはいつまで、県民同士で対立しなければならないのか。政府は沖縄の悲しみを知らない」と憤る。反対派と容認派の分断を促してきたのが政府であり、その罪は重い。
 国土面積の1%しかない沖縄に在日米軍基地の7割が集中する。本土各地にあった基地が反対運動により沖縄に移された結果である。全国で公平に負担してほしいと沖縄は投げ掛けている。この声に本土も応える責任があるはずだ。
 土砂投入までには、法治国家とも思えないような政府の強引な姿勢があった。行政不服審査法で防衛省案件を国土交通省が扱ったことなどは最たるものだ。沖縄の民意が葬られる過程を国民も目の当たりにしてきた。対等であるべき国と地方の関係が一方的に崩される事態は、どの自治体でも起こりうることを肝に銘じなければならない。

・京都新聞「辺野古土砂投入 民意背く強行許されぬ」
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20181215_3.html

 普天間返還の日米合意から22年。その後、返還後の県内移設が決まり、県民は反発した。早期返還を求める一方で、移設を「新たな基地」負担と受け止めている。
 悲惨な沖縄戦を経験し、米軍基地に県土の多くを占有される県民にとって、やむにやまれぬ反発だろう。本土で同じように移設強行できるのか、との声も聞こえる。
 玉城氏を知事選で大勝させたのは、保守層も含めた民意だ。このまま辺野古移設に突き進めば、安全保障の土台が不安定になりかねないことを、安倍政権は真剣に考えるべきだ。

・神戸新聞「辺野古土砂投入/民意踏みにじる実力行使」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201812/0011906120.shtml

 そもそも政府は、新基地が完成すれば直ちに普天間が返還されると明言していない。
 2013年に日米が合意した返還計画では、辺野古以外に七つの条件が課せられた。緊急時の那覇空港使用などが問題となるが、政府は踏み込んだ見解を示そうとしない。
 空域の使用制限などで、沖縄のみならず日本の空全体に影響を及ぼす日米地位協定も、見直す動きは見られない。
 民意を軽んじて国策を押し通す。地方に従属を求めるが、米国には忖度(そんたく)の姿勢を示す。沖縄の怒りと反発は、安倍政権の対応に向けられている。日本全体の問題として受け止めたい。

・山陰中央新報「辺野古土砂投入/『唯一の策』か再検証を」

・愛媛新聞「辺野古土砂投入 民意を無視した暴挙 工事中止を」
 https://www.ehime-np.co.jp/article/news201812150008

 菅義偉官房長官は「全力で埋め立てを進めていく」とさらに強硬な姿勢を示している。県は今後、土砂採取の規制強化を目的とする「県土保全条例」の改正や、来年2月の県民投票で改めて民意を示すことなどで対抗する構えだ。政府は強引な手法を続ければ続けるほど、県民の怒りを増幅させ自らが重視する日米同盟にも影を落とすと自覚すべきだ。米国に移設先の現状や沖縄の民意を説明し、交渉によって基地負担の軽減を実現することにこそ力を注がなければならない。

・大分合同新聞「辺野古土砂投入 新基地必要性の再検証を」

・佐賀新聞「辺野古土砂投入 『唯一の策』か再検証を」=筆者は共同通信
 https://www.saga-s.co.jp/articles/-/314873

 政府は、市街地にある普天間飛行場の危険性除去のためには辺野古移設が「唯一の解決策」だと主張する。しかし本当に唯一の策なのか。計画が浮上して以降の沖縄県民の民意や安全保障環境の変化、国と地方の関係など、さまざまな観点から疑問が尽きない。
 政府が年内の土砂投入に踏み切ったのは、来年2月に予定される辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票や夏の参院選の前に、工事の既成事実化を図るのが狙いだろう。
 しかし、まだ後戻りはできる。当面土砂を投入する区域は埋め立て予定面積の約4%にすぎない。土砂投入を即時停止し、移設計画を再検証するよう重ねて求めたい。
 (中略)
 戦後、本土各地にあった米軍基地は反対運動のために沖縄に移され、集中が進んだ。沖縄が投げかけているのは、安全保障の負担は全国で公平に担うべきではないかという当たり前の問いだ。沖縄の過重な負担、地元の民意を顧みずに進められる政策。この事態を見過ごしていいのか。本土の側の責任が問われている。

・熊本日日新聞「辺野古土砂投入 『新基地』本当に必要なのか」
 https://kumanichi.com/column/syasetsu/758777/

 政府はなぜ県民投票や係争処理委員会の判断を待てないのか。国と地方は「対等・協力」の関係のはずだ。政府の強圧的とも言える姿勢には、同じ地方に身を置く立場としても危ぐを禁じ得ない。
 政府は辺野古移設の理由に、普天間飛行場の危険性除去のほか日米同盟による抑止力維持を挙げる。朝鮮半島や台湾海峡に近い沖縄に米海兵隊が駐留することが抑止力につながるという理屈だ。
 日米両政府が合意した在沖縄米海兵隊のグアム移転計画には、沖縄を射程に入れる中国のミサイル攻撃を避ける狙いがあるとされる。米軍は危険回避のため、分散配置で兵力を機動的に巡回させるのが基本戦略だ。沖縄には極東最大級の嘉手納基地もあり、抑止力の中核となっている。そうした観点からも辺野古「新基地」は不要だというのが玉城氏の主張だ。
 それでも普天間飛行場の代替施設が不可欠というのであれば、安全保障面での説得力のある説明が必要だろう。県民感情の悪化は、日米同盟の安定的な維持にも影響しかねない。政府はそのこともしっかり認識する必要がある。

・南日本新聞「[辺野古土砂投入] 後世に取り返しつかぬ」/県民の反発は強まる/基地負担の在り方は
 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=99698

 政府は、日米同盟の維持や普天間飛行場の危険性除去を理由に、辺野古移設が「唯一の解決策」と強調している。
 果たしてそうだろうか。今年9月の選挙で移設に反対する玉城デニー知事が過去最多の得票で当選し、沖縄の民意は明確である。
 日米とも民主主義を標榜(ひょうぼう)する。日本政府に求められるのは、沖縄の民意を背景に、米政府と移設の是非を再検討することである。
 沖縄は、戦後一貫して米軍基地問題に翻弄(ほんろう)され続けてきた。在日米軍専用施設の大半が集中する県土に新たな基地負担を強いるのは理不尽だ。
 全ての国民が主権者として沖縄の現状を見据え、安全保障の負担の在り方に向き合う必要がある。

 

※追記=2018年12月16日11時10分

 沖縄タイムスが12月16日付紙面に、14日の土砂投入を東京発行の新聞各紙が15日付朝刊でどのような扱いで報じたかをまとめた記事を掲載しています。沖縄県外、日本本土でこの問題がどのように報じられているのかは、日本本土に住む主権者がこの問題をどのように考え、自らの意思を決定するかという問題と密接にかかわります。日本本土のマスメディアのありようは、沖縄の人たちにとっても重要な情報です。

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/360055

www.okinawatimes.co.jp

 

※追記2=2018年12月16日16時45分
 目に止まった16日付の社説、論説を書きとめておきます。
 日経新聞は辺野古への新基地建設は容認しつつ、安倍政権を全面的に擁護はせず、日米地位協定の改定を含めて、過重な基地負担の解消策を分かりやすく沖縄県民に示すように求めています。また、日本本土の国民が沖縄の基地問題の歴史を知ることの重要さも指摘しています。
 同じように辺野古への新基地建設を容認する読売新聞や産経新聞は、沖縄県や県民に新基地建設の意義や必要性を粘り強く説明するよう安倍政権に求めていますが、日経新聞は日米地位協定の改定という具体策を挙げることで、読売、産経とは少し異なった趣きを感じさせます。

【12月16日付】
・日経新聞「沖縄に理解求める努力を」
 https://www.nikkei.com/article/DGXKZO39006900V11C18A2EA1000/

 普天間移設が政治課題になって20年以上がたつ。いまさら移設計画を白紙に戻すのは現実的ではない。だからといって、力ずくで反対運動を抑え込めばよいのか。本土から多くの機動隊員が名護市に送り込まれているが、ずっと居続けるのだろうか。
 土砂が投入されたことで、大浦湾の豊かな自然がもとに戻ることはなくなった。安倍政権内に「これで県民も諦めるだろう」との声があることは残念だ。
 いま国がすべきなのは、沖縄の過重な基地負担がどう解消されていくのかを、わかりやすい形で県民に示し、少しずつでも理解の輪を広げることだ。
 過重な負担には、広大な基地面積だけでなく、騒音、振動、悪臭や米軍人の犯罪をきちんと取り締まれない日米地位協定の不平等性という問題もある。

 地位協定の改定に取り組む姿勢をみせれば、県民が抱く「東京はワシントンの言いなり」という不信感を和らげるだろう。
 責任は本土の国民にもある。「沖縄は借地料をもらっておいて文句をいうな」という人がいる。基地用地のほとんどは、戦時に収奪されたものだ。対等に結んだ契約とは話が違う。歴史を知れば、そんな悪口は出ないはずだ。

・神奈川新聞「辺野古土砂投入 この日、決して忘れない」

・西日本新聞「辺野古埋め立て 民意聞かない政治の劣化」
 https://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/473431/

 玉城知事は土砂投入を受けて「工事を強行すればするほど、県民の怒りは燃え上がる」と語った。政府は直ちに土砂投入を中止し、沖縄県との対話を再開する必要がある。さらに土木の専門家も交えて工事の全体像について協議するとともに、県民投票で示される民意を尊重すると県側に約束すべきである。
 政治の本旨とは、謙虚な姿勢で民意に耳を傾け、実現に力を尽くすことだ。それどころか、ブルドーザーさながらに民意を押しつぶし、立ち止まって話し合う度量もない。心が寒くなるような政治の劣化ではないか。