焦点は沖縄の「自己決定権」~辺野古埋め立て 県民投票告示の各紙社説 ※追記あり

 沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の移設を巡り、同じ沖縄県内の名護市辺野古に新基地を作るための埋め立てに対して賛否を問う県民投票が2月14日、告示されました。24日に投開票されます。沖縄の地元紙2紙は告示当日の14日付の社説でそれぞれ県民投票の意義を指摘しています。
 「沖縄の将来像を語ろう」との見出しを付けた沖縄タイムスは、住民投票の結果次第では、米軍基地の集中の問題を巡って、沖縄の民意を反映した「実質的な負担軽減」を求める声が国内外で高まる可能性があるとして、「今さら法的拘束力もない県民投票を実施する必要がどこにあるのか-そんな声は今もある。だが、県民投票を実施する最大の理由は、まさにそこにある」「戦後74年にわたる基地優先政策が招いたいびつな現実を問い直す試みでもある」と強調しています。
 琉球新報の社説は「高投票率で民意示したい」の見出し。「沖縄の戦後史は人権と民主主義、自己決定権を求めてきた歴史である。今回の県民投票が実現した経緯、全県実施を巡る曲折も、民主主義実現の実践だった。その成否は投票率の高さで示される」と述べています。
 普天間飛行場の県内移設に反対であるとの沖縄の人たちの民意は、これまでの知事選や国政選挙で繰り返し示されています。しかし日本政府は埋め立て工事を強行しています。県民投票の結果は法的な拘束力は持ちませんが、それでも「地域のことは自分たちで決めたい」との自己決定権を沖縄の人たちが求めていることが、日本政府だけでなく、その日本政府を成り立たせている日本本土の住民に伝わることに意義があるのだと、両紙の社説からあらためて感じます。わたしも含めて、本土の側が沖縄の人たちの思いと正面から向き合わなければなりません。そういう当事者であるとの自覚を持って、投票の結果を待とうと思います。
 ※両紙の社説の一部を引用して紹介します。本土紙の社説、論説と一括して後掲します。

 東京発行の新聞各紙は14日付夕刊で「告示」の記事を載せ、続く15日付朝刊(最終版)でも続報を大きく載せました。朝日新聞、毎日新聞、東京新聞は1面トップ。見出しは写真の通りです。読売新聞は1面の真ん中に「辺野古移設 問う3択」の主見出し3段の扱い。日経新聞は2面に「辺野古反対派28万票狙う」(4段)、産経は東京本社では夕刊の発行がなく、朝刊は2面に「沖縄県民投票 告示」(3段)の主見出しでした。

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 沖縄県外、日本本土の新聞各紙がこの県民投票をどうとらえているのかをみてみたいと思い、紙面のほか地方紙はネット上のサイトで社説、論説をチェックしてみました。
 このうち全国紙は朝日、毎日、読売、産経の4紙が15日付でそろって掲載。特徴的だと感じたのは、読売、産経両紙は「安保政策は…政府が責任を持って進めるべきものである。住民投票にはなじまない」(読売)、「今回の県民投票は行うべきではなかった」「投票実施を評価するのは民主主義のはき違え」(産経)と、県民投票の実施そのものに否定的な評価を示している点です。
 一方で地方紙・ブロック紙は、中日新聞と共通の東京新聞を含めて、14日付、15日付で目にした社説、論説はいずれも、表現や言い回しはそれぞれに異なっていても、他人ごとではなく自らに引き寄せてとらえようとしているように感じます。特に中国新聞や神戸新聞が「自己決定権」というキーワードを明記して論じていることは、地域に立脚するジャーナリズムのありようの観点から注目されていいと思います。

 一つだけ、14日当日のニュースを書きとめておきます。菅義偉官房長官の記者会見での発言です。
※47news・共同通信「菅官房長官『辺野古移設変えず』/沖縄県民投票の結果出ても」=2019年2月14日
 https://this.kiji.is/468613775307654241

 菅義偉官房長官は14日の記者会見で、米軍普天間飛行場移設を巡る沖縄県民投票の告示を受け、投票結果にかかわらず名護市辺野古移設を進める方針を表明した。「どういう結果でも移設を進めるか」との問いに「基本的にはそういう考えだ」と述べた。「問題の原点は普天間の危険除去と返還だ」とも強調した。

 安倍晋三政権が、住民投票の結果いかんにかかわらず、辺野古の埋め立て工事を進めるであろうことは、いわば周知の事実だろうと思います。しかし、そう一般に受け止められているとしても、住民投票の告示当日のタイミングで政権中枢があからさまに明言することは、やはり問題であるように思います。民主主義の中で定められている住民の意思表示の手続きをあまりにも軽んじていないか。さらには、「反対票を投じても、埋め立て工事は止まらない。投票には意味がない」と感じて、反対の投票を見送ってしまう有権者がいる可能性はないのか。政権による県民投票への介入の色彩は皆無ではないと感じます。

 

 以下に、各紙の社説、論説の見出しや、本文の一部を引用して書きとめておきます。

【2月14日付】
▼沖縄タイムス
2月14日付「[県民投票きょう告示]沖縄の将来像を語ろう」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/384738 

 1996年に実施された県民投票は、米軍基地の整理・縮小と日米地位協定見直しの賛否を問うものだった。
 辺野古埋め立ての賛否を問う今回は、結果次第では、沖縄の民意を反映した「実質的な負担軽減」を求める声が国内外で高まる可能性がある。 政府は「辺野古が唯一の選択肢」だと繰り返し主張してきた。辺野古では今も、連日のように土砂投入などの埋め立て作業が続いている。
 今さら法的拘束力もない県民投票を実施する必要がどこにあるのか-そんな声は今もある。だが、県民投票を実施する最大の理由は、まさにそこにある。
 「他に選択肢がない」という言い方は、政策決定によってもっとも影響を受ける者の声を押しつぶし、上から目線で「これに従え」と命じているのに等しい。実際、選挙で示された民意はずっと無視され続けてきた。
 県民投票は、戦後74年にわたる基地優先政策が招いたいびつな現実を問い直す試みでもある。
 軟弱地盤の改良工事のため、当初の予定を大幅に上回る工期と建設経費がかかることも明らかになってきた。状況が変わったのだ。
 (中略)
 県民投票に法的な拘束力はない。どのような結果になっても計画通り工事を進める、というのが政府の考えである。
 しかし、「反対」が多数を占めた場合、玉城知事は辺野古反対を推し進める強力な根拠を得ることになる。
 県民投票によって、疑う余地のない形で沖縄の民意が示されれば国内世論に変化が生じるのは確実だ。
 政府が辺野古での工事を強行しているのは、県民投票を意識している現れでもある。

▼琉球新報
2月14日付「県民投票きょう告示 高投票率で民意示したい」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-875165.html

 県民投票に法的拘束力がないことを強調してその意義を軽んじる意見もある。しかし、個別の課題で民意を直接示すことの重要性は、いくら強調してもし過ぎることはない。
 昨年9月の県知事選をはじめとして選挙で新基地反対の民意が何度も明らかになってきた。にもかかわらず、安倍政権は選挙結果を無視して工事を強行してきた。
 また、この間の県内選挙で、政権の支援を受けた候補は新基地への賛否を明確にせず、公開の討論会も避けるなどして、争点隠しを徹底した。マスメディアが「新基地の是非が事実上の争点」と報じても、選挙戦の中では議論として盛り上がらず、有権者の判断材料は乏しかった。このような争点隠しと選挙結果無視の中で、今回の県民投票が必要とされたのである。
 論点は単純ではない。辺野古の自然環境の保護か、普天間飛行場の危険性の除去かという二者択一ではない。
 (中略)
 沖縄の戦後史は人権と民主主義、自己決定権を求めてきた歴史である。今回の県民投票が実現した経緯、全県実施を巡る曲折も、民主主義実現の実践だった。その成否は投票率の高さで示される。結果は世界から注目されている。力強く県民の意思を示すため、投票率を高める努力が必要だ。

▼山形新聞「沖縄県民投票きょう告示 本土の意識が問われる」
 http://yamagata-np.jp/shasetsu/index.php?par1=20190214.inc

 辺野古移設は沖縄県民の生活に密接に関わる。だから県民の意思を知ることがまずは大切だ。だが、移設の是非を沖縄県民に問えばそれで十分というわけではあるまい。移設は政府が進めている計画であり、日本の安全保障政策上の観点から抑止力の維持をその理由に挙げている。日本全体の安保政策であるならば、その是非は全国民が考えなければならないはずだ。問われるのは「本土」の側の意識であり、県民投票を機会に国民一人一人が当事者としてその是非を考えたい。
 (中略)
 さらにこれまでの知事選の結果、辺野古移設への反対を主張した故翁長雄志前知事や玉城知事が誕生した一方で、政府は移設工事を進めている。沖縄の民意が顧みられない構図が続いていることは否定できない。玉城知事が「政府には丁寧に沖縄の民意に向き合うよう求めたい」と強調するゆえんだろう。
 県民投票は、議員を通じた間接民主制では把握しきれない個別事案への意識を問う直接民主制の手法であり、間接民主制を補完するものだ。一方で、英国の欧州連合(EU)離脱を巡る国民投票のように、市民の分断を招く恐れも指摘される。仮に県民の意思がはっきり分かれる結果になったとしても、沖縄が混乱しているだけと座視してはなるまい。

▼岩手日報「沖縄の県民投票告示 国は無視を決め込むか」
 https://www.iwate-np.co.jp/article/2019/2/14/46639

 2000年施行の地方分権一括法で、国と地方の関係は「上下」から「対等」へと転換した。投票結果に拘束力はないとはいえ、国が無視を決め込むのは妥当なのか。今回の県民投票は、国と地方の関係を考える上で貴重な国民的体験ともなるだろう。
 関連条例制定を直接請求した市民グループ「『辺野古』県民投票の会」の元山仁士郎代表は、全県での実施を喜びつつ「県民は賛成か反対か悩みながら選んでほしい」と語っている。元山さんは27歳。この世代が行動を起こしたことに、もう一つの意義を見いだすべきだろう。
 悲惨を極めた戦争体験を経て、「基地の島」と言われるに至る現実を、今を生きる県民自身がどう受け止め、どう次世代に伝えていくか。若者が提起した問題意識が単に集票を争うだけにとどまらず、「悩みながら」投票する過程で老若がひざすり合わせ、対話を深める動機付けになることを期待したい。
 もちろん投票結果は本土に跳ね返る。安全保障に関わる問題の重さから、われわれも対話を求められているとの認識を持たなければならない。

▼茨城新聞「沖縄県民投票きょう告示 問われる『本土』の意識」

▼信濃毎日新聞「沖縄の県民投票 国民全体の問題として」
 https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190214/KT190213ETI090005000.php

 基地問題は国民全体で考えなければならない問題である。政府のごり押しが続く現状に改めて目を向け、結果を見守りたい。
 (中略)
 運動を活発化させる反対派に対し、移設容認の自民党は積極的な呼び掛けを控える。4月の衆院補選をにらみ、反対派を刺激しない戦略だ。一方で普天間返還の必要性を訴える動きもある。どう意思表示するか、悩みながら臨む県民も少なくないのではないか。
 辺野古反対の民意はこれまで国政選挙や地方選挙で繰り返し示されてきた。2014年の知事選で反対を掲げた翁長雄志氏が当選した。昨年の知事選でも新基地建設阻止を訴える玉城デニー氏が、政権の支援を受けた候補者に8万票の差をつけて当選している。
 それでもあえて県民投票に踏み切るのは、政府が沖縄の声に耳を傾けることなく、工事を強行しているためだ。改めて明確な形で民意を示し、断念を迫ろうという切実な思いからである。政府は重く受け止めなくてはならない。
 なお不誠実な対応が続く。県民投票を前に、工事を加速させている。1月下旬に埋め立て海域東側の新たな護岸造成に着手した。護岸の着工は8カ所目になる。新たな区域での土砂投入を3月下旬に始めることも県に通知した。諦めや無力感を誘いたいのか。

▼中日新聞・東京新聞「沖縄県民投票 政権の姿勢が問われる」
 http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2019021402000117.html

 問われるべきは安倍政権の姿勢だ。きょう告示される沖縄県民投票。辺野古の沿岸には軟弱地盤が横たわり、新基地建設は工期も工費も見通せない。展望なき難工事を続ける意味はあるのか。
 県民投票は米軍普天間飛行場の移設に伴う辺野古新基地建設を巡り、沿岸埋め立てについて賛成、反対、どちらでもないのどれかで答えてもらう。投票は二十四日。
 この際、県民のみならず国民みなが認識すべきことの一つに建設工事の現状がある。
 政府は二〇一七年四月、護岸建設に着手。昨年十二月、辺野古崎の南側区域で土砂投入に踏み切った。しかし、北東側の埋め立て区域の海底には軟弱地盤が存在する。安倍晋三首相は一月末、地盤改良のための設計変更が必要になると国会答弁で認めた。
 ボーリング調査の杭(くい)が何もしなくても沈む「マヨネーズ状」と形容される地盤。地元紙などの取材によると、水深三〇メートルの下に厚い部分で六十メートルの層になっている。
 防衛省側は、六十五ヘクタールにわたるこうした地盤を固めるため約七万七千本もの砂杭を打ち込む計画という。専門家は国内では例がない難工事になると予測している。
 北東側には希少サンゴが多数生息する。環境に計り知れない影響を与えるのは確実だ。工期も工費も大幅に膨らむだろう。
 (中略)
 県民投票で判断されるのは、埋め立ての賛否だけでなく不都合を隠したまま工事を強行する政権の姿勢でもある。工期が不明なら政権が繰り返す「一日も早い普天間返還」は現実的約束と言えない。
 日米安保は重要とはいえ、本当に新基地は必要なのか。湯水のように税金を投入していいのか。私たちも県民と共に考えたい。

▼福井新聞「沖縄県民投票告示 国民が考える機会とせよ」
 https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/796446

 沖縄での県民投票は1996年9月以来となる。95年の米兵による少女暴行事件を受け、日米地位協定の見直しと米軍基地の整理・縮小への賛否を問うものだった。結果は投票総数の89%が「賛成」を投じ、全有権者数でも53%に達した。
 だが、民意が求める地位協定の抜本的な見直しがなされないばかりか、在日米軍専用施設の7割が沖縄に集中している。こうした現状は一義的には「防衛は国の専権事項」としてきた政府の責任だ。一方で「本土」の国民は真剣に向き合ってきただろうか。今回の県民投票では傍観者然とせず、その是非を考える機会としなければならない。
 (中略)
 普天間の固定化回避は玉城氏にとって重要命題だ。新基地とは切り離して普天間返還を目指す方策について説明を求めたい。「反対」の民意が示されたとき、安倍政権こそが向き合うべき課題でもある。辺野古の軟弱地盤対策に長期間を要するとの試算もある。危険性が解消されない普天間の運用停止に向け米側と早急に話し合うべきだ。
 県民投票が新たな分断を生むと危惧する声もある。しかし、それ以上に長年民意が顧みられない構図が分断をあおってきたのではないか。対等であるべき国と地方自治体の関係を無視し、アメとムチを使い分けてきた政府の姿勢がもたらした結果だ。それを黙認してきた本土の国民も責任を自覚する必要がある。

▼中国新聞「沖縄県民投票告示 基地負担を直視しよう」
 https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=504946&comment_sub_id=0&category_id=142

 沖縄県民は、日常生活のさまざまな場面で米軍基地の影響を受けている。それだけに新基地建設に賛否の意思を明らかにするのは当然のことで、その意義は重い。「沖縄のことは自分たちで決める」という自己決定権の行方を、全ての国民が注視する責任があるはずだ。
 (中略)
 安全保障は国全体の問題といいながら、なぜ沖縄だけが過重な基地負担を強いられているのか―。県民投票には全国民に対する切実な問い掛けも込められているはずである。
 基地負担の現実を直視するとともに、沖縄への押し付けを容認してきた責任を自覚しなければならない。辺野古でなければならない理由について、私たちも改めて一緒に考える機会にすべきだろう。

▼山陰中央新報「沖縄県民投票きょう告示/問われる『本土』の意識」

▼南日本新聞「[県民投票告示] 国民全体で沖縄に目を」
 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=102058

 政府は昨年12月に辺野古沿岸部での埋め立て工事に着手し、投票結果にかかわらず工事を進める構えを崩していない。
 根底には「安全保障政策は政府の専権事項」という考え方がある。しかし、民意を顧みずに民主主義国家と言えるのか。問われるのは政府の姿勢である。
 政府は、日本の安保政策上の観点から抑止力の維持を辺野古移設の理由に挙げている。
 日本全体の安保政策のために辺野古移設が必要だとするのなら、その是非は全国民で考えるべき問題ではないか。
 鹿児島県にとっても、在日米軍を巡る問題はよそごとではない。
 西之表市の馬毛島は米軍空母艦載機陸上離着陸訓練(FCLP)の移転が検討されている。岩国基地(山口県岩国市)に移駐した在日米軍給油機部隊は、訓練のローテーション展開先として鹿屋市の海上自衛隊鹿屋航空基地を使用することになっている。
 沖縄県民投票を、国民一人一人が安保問題の当事者として考える機会としたい。

 

【2月15日付】
▼朝日新聞「沖縄県民投票 国のあり方考える機に」
 https://www.asahi.com/articles/DA3S13893334.html?iref=editorial_backnumber

 市民から一方的に投票権を奪う行いは到底許されるものでないし、「どちらでもない」の解釈をめぐって、この先、混乱が生じる懸念も否定できない。
 だが、「沖縄の基地負担を減らすために沖縄に新たに基地を造る」という矛盾に、答えを出しかねる人がいるのも事実だ。3択にせざるを得なかったことに、沖縄の苦渋がにじみ出ていると見るべきだろう。
 (中略)
 知事選や国政選挙で「辺野古ノー」の民意が繰り返し表明されたにもかかわらず、一向に姿勢を改めない政府への失望や怒りが、県民投票の原動力になった。しかし菅官房長官はきのうの会見でも、辺野古への移設方針に変化はないと述べ、投票結果についても無視する考えであることを宣言した。
 一度決めた国策のためには地方の声など聞く耳持たぬ――。こうした強権姿勢は、他の政策課題でも見せる安倍政権の特徴だ。同時に、基地負担を沖縄に押しつけ、それによってもたらされる果実を享受する一方で、沖縄の苦悩や悲哀は見て見ぬふりをしてきた「本土」側が底支えしているといえる。
 24日に示される沖縄県民の意思は、民主主義とは何か、中央と地方の関係はどうあるべきかという問題を、一人ひとりに考えさせるものともなるだろう。

▼毎日新聞「辺野古問う沖縄県民投票 民意を熟成させる10日間」
 https://mainichi.jp/articles/20190215/ddm/005/070/061000c

 今回は辺野古埋め立てに「賛成」「反対」「どちらでもない」の3択となった。一時、宜野湾市など5市が不参加の方針をとったのは、賛否2択では複雑な民意をすくえないというのが大きな理由だった。
 例えば、普天間飛行場を抱える宜野湾市民には早期返還を求める思いが強いだろう。県内移設には反対だが普天間返還が遅れるのも困るという人はどうすればよいのか。
 賛否だけでなく、「どちらでもない」の票数や投票率からも多様な民意を丁寧にくみ取る必要がある。
 (中略)
 政権与党の自民、公明両党は自主投票を決めた。組織を動員して賛成や棄権を呼びかければ、かえって反発を買うと考えたのだろう。
 しかし、政府は県民投票の結果にかかわらず辺野古の埋め立て工事を続行する方針だ。菅義偉官房長官は告示日のきのう「基本的にはそういう考え方だ」と明言した。
 投票結果に法的な拘束力はない。だからといって、結果を見る前から無視を決め込むのは、懸命に民意をまとめようとしている沖縄の努力を軽んじる態度にほかならない。

▼読売新聞「沖縄県民投票 基地問題の混迷を憂慮する」
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20190214-OYT1T50258/

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の危険性を除去することが、基地問題の原点である。県民投票は長年の取り組みへの配慮を欠く。対立と混迷が深まるだけではないか。
 (中略)
 住民投票は本来、市町村合併などの課題について、その地域の有権者の意見を聞くのが目的だ。
 安保政策は、国民の生命、財産と国土を守るため、国際情勢と外交関係を勘案し、政府が責任を持って進めるべきものである。住民投票にはなじまない。
 条例制定を主導した政治勢力は、4月の衆院沖縄3区補欠選挙や夏の参院選を前に、移設反対派の結束を固めたい、という思惑があるのではないか。
 基地問題を二者択一で問うことへの批判が高まると、場当たり的に選択肢を増やした。だが、本質的な問題は何ら解消されない。
 肝心なのは、普天間の固定化を防ぐことである。
 1995年の米兵による少女暴行事件を受け、当時の橋本首相と大田昌秀沖縄県知事が協議し、普天間の返還や沖縄振興を進める方針で一致したのが出発点だ。
 長年にわたり、政府と県は互いの立場を尊重しながら、移設計画に取り組んできた。この努力を無駄にすることは許されまい。

▼産経新聞(「主張」)「県民投票の告示 与党は移設の意義を語れ」
 https://www.sankei.com/column/news/190215/clm1902150001-n1.html

 改めて指摘したいのは、今回の県民投票は行うべきではなかったということだ。
 投票実施を評価するのは民主主義のはき違えである。日米安全保障条約に基づく米軍基地の配置は、政府がつかさどる外交安全保障政策の核心だ。国政選挙や国会における首相指名選挙など民主的な手続きでつくられた内閣(政府)の専管事項である。
 特定の地方自治体による住民投票で賛否を問うべき事柄ではない。沖縄県を含む日本の安全保障を損なうだけだ。
 市街地に囲まれた普天間飛行場の危険性を取り除くことにつながらないという問題点もある。
 (中略)
 菅義偉官房長官は記者会見で、県民投票の結果にかかわらず政府は移設工事を進めるのかを問われ、「基本的にはそういう考えだ」と述べた。普天間の危険性除去と日米同盟の抑止力確保のために辺野古移設は必要だ。菅氏が示した政府方針は妥当だ。
 投開票日に向けて、移設反対派は運動に力を入れるだろう。
 一方、国政与党の自民、公明両党は自主投票を決めた。特定の選択肢への投票を呼びかける運動を予定していないという。4月の統一地方選などへの悪影響を考えているとすれば筋違いだ。本来望ましくない県民投票だが、実施される以上は静観はおかしい。自民、公明両党は、辺野古移設の意義を県民に丁寧に説く必要がある。

▼北海道新聞「沖縄県民投票 国の基地政策問う場に」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/276849?rct=c_editorial

 国土全体の0・6%しかない沖縄に、米軍専用施設の7割が集中している。その現実を踏まえ、県外の人々も基地問題を自らの問題として考える機会としたい。
 (中略)
 県民投票に至る背景には、国が辺野古移設を巡る地元との合意をほごにしたことへの反発もある。
 96年の日米特別行動委員会(SACO)合意で普天間飛行場の全面返還が決まり、99年には、その代替施設を辺野古の沖合に造る政府方針が閣議決定された。
 当時、県や名護市は、建設地を辺野古の沖合とし、15年間の使用期限を設けるなど条件付きで容認した。だが、政府は米軍との新たな合意を優先して約束を履行せず、建設地も沿岸部に変更された。
 今回の投票では、こうした一連の国の基地政策が問われている。

▼秋田魁新報「県民投票告示 注目したい沖縄の民意」
 https://www.sakigake.jp/news/article/20190215AK0013/

 住宅や学校に囲まれ、世界一危険だとされる普天間飛行場の返還に日米で合意したのが1996年。辺野古はその代替施設として白羽の矢が立ったが、これ以上沖縄に基地はいらないとする県民の反発の声は根強い。その思いをないがしろにしてはならない。
 政府は「抑止力を維持しつつ、沖縄の負担軽減を図るためには辺野古という選択肢しかない」と主張。今回の県民投票についても、投票結果にかかわらず移設工事は続けるとしている。
 だが在日米軍専用施設の7割が沖縄に集中している現状を踏まえれば、選択肢が辺野古以外にないという姿勢はあまりにも硬直的ではないか。反対の民意が明確に示された場合は沖縄の声にいま一度真剣に耳を傾け、他の選択肢を探るべきだ。

▼京都新聞「沖縄県民投票  全国民で考える機会に」
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20190215_4.html

 沖縄の県民投票は1996年にも行われた。その1年前に米兵による少女暴行事件があり、日米地位協定の見直しと米軍基地の整理・縮小に89%が賛成し、全有権者の過半数を占めた。
 それでも民意は反映されることなく今も在日米軍専用施設の7割が沖縄に集中し、辺野古では新基地建設も進む。政府には「防衛は国の専権事項」との考え方が根底にあるからだが、それは沖縄に基地を集中させる理由にはならない。
 民主国家ならば国策の遂行が民意と無関係であってよいはずがない。投票で最多の選択肢が投票資格者の4分の1に達すれば、知事に尊重義務が課せられる。政府も結果を軽んじるべきではない。
 沖縄にこうした県民投票を余儀なくさせる責任の一端は、本土に住む私たちの無関心にもある。基地負担の問題を国民全体で考える機会にしなければならない。

▼神戸新聞「沖縄県民投票/国民も関心と理解深めて」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201902/0012066169.shtml

 しかし県民がなぜここまで強固に反発するのか、国民の認識が十分とはいいがたい。過剰な基地負担を強いられる現状に私たちももっと目を向けたい。
 基地集中は沖縄が望んだ結果ではない。米軍占領を経て復帰した歴史のうねりの中で、求め続けたのは大事なことを自分たちで決める「自己決定権」だ。
 沖縄の米軍基地を巡っては、1996年の県民投票で整理・縮小などを求める民意が明確になった。名護市の住民投票でも、建設反対を求める意見が多数を占めた。
 草の根の民主主義を支える自己決定の願いを、政府はなぜ尊重しようとしないのか。国全体の問題と認識する必要がある。

 

※追記 2019年2月16日23時45分
 16日付の社説です。
▼新潟日報「沖縄県民投票 『沖縄の心』を見つめたい」
 http://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20190216451409.html

 安倍政権は安全保障は「国の専権事項」として工事を進める。しかし、地元の意見を十分に聞き、それを国政に反映させるのが民主主義のルールだ。
 市街地中心部にある普天間飛行場の危険性除去には、辺野古移設が唯一の解決策だと一貫して主張するが、普天間の代替地を同じ県内に建設しても、沖縄県民の危険性は変わらない。
 埋め立て予定海域には軟弱地盤があり工事の長期化も指摘されている。だが政府は工期を示していない。普天間飛行場の運用停止がいつになるのかを含め、明らかにすべきだ。
 県民は基地があることによる事件や事故、騒音に苦しみ続けている。県内移設に対する反対論の底流には、基地負担を巡る本土との格差もある。
 安全保障はどうあるべきなのか。私たちも沖縄の人々に寄り添い、ともに考えたい。

▼西日本新聞「沖縄県民投票 地方から国策を問う意義」
 https://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/487314/

基地の配置など安全保障政策は本来、国の仕事である。それを理由に、基地問題を自治体単位で行われる住民投票のテーマにすべきでないとの論もある。
 しかし「なぜ沖縄県民が県民投票を望むのか」という出発点に立ち返って考えたい。
 沖縄で県民投票が実施されるのは2度目である。前回(1996年)も米軍基地が争点で、約9割が基地の整理縮小を求めた。それから20年以上たつが、沖縄の過重な基地負担はほとんど軽減されていない。
 国策と「地元の民意」の間に大きな溝があるにもかかわらず、国が溝を埋める努力を怠り、国策を力ずくで押し通そうとしている。その時、地方はどのようにして国に民意を尊重させればいいのか。その答えの一つが住民投票なのだ。
 今回の県民投票を、地方から国策を問う大事な機会だと意義付けたい。「地方と国策」のテーマは基地問題にとどまらない普遍性を持っている。
 本土の住民も、日米同盟の抑止力を理由に沖縄に過重な基地負担を押し付けている「国策」の現状を、同じ地方の住民として捉え直すべきだ。沖縄だけの話と思わず、本土からも県民投票の論戦と結果を注視したい。