「自然な使い分けが定着」(朝日) 「元号は一つの『文化』」(毎日) 「本質的に『天皇の元号』」(産経)~新元号「令和」 在京紙の社説・論説の記録

 ことし5月1日に施行される新元号が「令和」に決まったことに対して、東京発行の新聞各紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京)はそろって4月2日付の社説・論説で論評しました。見出しと本文の一部を引用して書きとめておきます。4月3日朝の時点で、各紙のサイトで全文読めるものは、リンクを張っておきます。
 各紙の社説・論説を通じて、国民主権の現憲法下の改元手続きについて、「昭和」から「平成」への改元の際のものも含め、記録を早期に公開するよう求める論調が目立ちます。ただ、このブログの前回の記事でも触れたことですが、元号が社会でどのように受け止められているのかについては「国民の間には、西暦との自然な使い分けが定着しているようにみえる」(朝日新聞)とか「象徴天皇制の現代においては、元号は一つの『文化』であろう 」(毎日新聞)などと、とらえ方が漠然としていると感じるものもあります。日経新聞は世論調査の結果を紹介しています。
 そうした中で産経新聞(「主張」)が「元号法の規定に基づき、内閣が政令で決める現代でも、御代替わりに限って改まる元号は、本質的に『天皇の元号』である」「将来は制度を改め、閣議決定した元号を新天皇が詔書で公布されるようにしてもらいたい」としていることは、論点の明確な適示という意味で印象に残ります。

・朝日新聞「平成から令和 一人一人が時代を創る」
 https://www.asahi.com/articles/DA3S13960809.html?iref=editorial_backnumber

 皇位継承前の元号発表は、憲政史上初となる。昭和天皇の病状悪化を受け、水面下で極秘に準備された30年前の平成改元と異なり、選定の日程や手続きは事前に公表された。
 世の中が自粛ムードに覆われることもなく、元号予想があちこちで行われた。入社式で新入社員全員が、自分の「新元号」を披露した企業もあった。人々は思い思いに、この日を受け止めたのではないか。
 中国に起源を持つ元号は、「皇帝による時の支配」という考えに基づく。明治以降に制度化された、天皇一代にひとつの元号という「一世一元」は維持されているものの、国民主権の現憲法の下、国民の間には、西暦との自然な使い分けが定着しているようにみえる。
 (中略)
 政府は今回、すべての案の考案者の記録を保存する方針だという。有識者懇談会の内容を含め、選考過程を丁寧に記録し、しかるべき段階で公開して、歴史の検証に付すべきだ。まずは、平成改元時の資料をできるだけ早く公開してほしい。
この機会に改めて、公的機関の文書に元号と西暦の併記を義務づけることも求めたい。日常生活での西暦使用が広がり、公的サービスを利用する外国人はますます増える。時代の変化に合わせて、使い方を改めていくのは当然だろう。
 (中略)
 もとより改元で社会のありようがただちに変わるものではない。社会をつくり歴史を刻んでいくのは、いまを生きる一人ひとりである。

・毎日新聞「新しい元号は『令和』 ページをめくるのは国民」/選定過程を詳細に記せ/時代共有する「文化」に
 https://mainichi.jp/articles/20190402/ddm/005/070/094000c

 憲政史上、天皇の退位に伴う初の改元だった。内閣は主権者の委託を受けて、元号に責任を負う。このため決定までの過程は国民も共有できるものでなければならない。
 (中略)
 今回は退位日と即位日が確定していたため、時間的な余裕があり、相当の時間をかけて議論ができる状況だった。懇談会の時間は前回より約20分伸び、閣議などを含めた全体で約40分長くなったものの、発表時間はあらかじめ決められていた。
 政府は懇談会のメンバーを知名度の高い作家や学者らに委嘱し、国民に開かれた選定だと印象づけようとしたとみられるが、結論ありきの印象を残した。
 選定過程について後に国民が検証できるようにするためには、経過が正確に記録され、一定期間後に公開されなければならない。
 (中略)
 今回は、どんな元号になるのかインターネット上などで自由に予想が飛び交ったのが特徴だ。
 昭和の終わりには昭和天皇の病状悪化が日々伝えられ、社会は自粛ムードに包まれた。当時のような抑圧的な空気から解放されたことは、国民生活にとって望ましい。
 こうした明るい雰囲気は、陛下の退位を大半の国民が支持したことも影響しているだろう。
 かつての元号は権力者が時間を支配する意味を持っていた。しかし象徴天皇制の現代においては、元号は一つの「文化」であろう。

・読売新聞「元号は令和 新時代を実感できるように システム改修に万全の準備を」/初めて日本の古典から/人心一新図った歴史/一連の儀式つつがなく
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20190401-OYT1T50244/

 元号は、日本人に共通の時代意識を生み出してきた。明治以降、天皇一代に一つの元号となり、代替わりと合わせて、人心の一新が図られた歴史がある。
 新天皇の即位と新元号の施行は、国民の心の持ちように一定の影響を及ぼすに違いない。
 グローバル化が進み、西暦の利用が増大しているとはいえ、日本の伝統である元号を様々な場面で活用する方途を探りたい。
 政府は、平成改元に関する1989年当時の公文書を3月末に公開する予定だったが、5年間先送りすることを決めた。今回の改元への影響を避ける狙いがある。
 元号選定に関する資料は、国民が元号の歴史や意義を考える上で貴重な手がかりとなる。
 今回の選定過程について、政府は元号の原案や考案者、有識者懇談会などの議事内容を公文書として残す方向だ。将来的に公開し、後世の人々が検証できるようにしてもらいたい。

・日経新聞「新しい元号『令和』がひらく未来は」/時代を映してきた元号/柔軟な対応と透明性を

 では、今後、この元号は国民に定着していくであろうか。
 この1年ほど、退位による改元という事情を背景に、さまざまな行事に「平成最後の」という冠がつけられることが続いた。
 自粛ムードが漂った昭和から平成への代替わりでは見られなかった現象である。自らの人生の一部となってきた元号を惜しむ気持ちの表れとも言える。
 ところが世論調査によっては、日常生活で元号を「よく使う」「使いたい」と答えたのは60歳以上の年齢の高い層が多く、30歳より下の層では西暦を使う傾向が進んでいるとの結果が出ている。
 今後、元号は年を示す実用的な側面としてより、新たに即位する天皇のもと、同じ時代を生きる国民の連帯感を表す記号のような存在になって、社会になじんでいく可能性もあろう。
 とすれば、官公庁や自治体も柔軟な対応を求められる。現在、公文書に元号や西暦の記載を義務付ける法令はない。慣例で元号が使われている場合が多い。
 (中略)
 企業活動のグローバル化や日本で暮らす外国人の増加にともない、西暦表記を先にしたりする配慮も必要になってくるだろう。
 情報公開も重要だ。政府は「元号は国民のもの」と位置づけている。ならば、その決定に関する文書も一定の保存期限後には経緯をつまびらかにすべきだ。

・産経新聞(「主張」)「新元号に『令和』 花咲かす日本を目指そう 万葉集からの採用を歓迎する」/未来へ繋ぐ伝統文化だ/将来は「詔書」で公布を
 https://www.sankei.com/column/news/190402/clm1904020001-n1.html

 元号法の規定に基づき、内閣が政令で決める現代でも、御代替わりに限って改まる元号は、本質的に「天皇の元号」である。
 天皇と国民が相携えて歴史を紡いできたのが日本である。だからこそ憲法は、第1条で天皇を「日本国民統合の象徴」と位置付けている。国民が一体感を持つための元号であり、憲法の精神に沿った存在といえる。
 国民は、元号によって、時代や国民的体験を振り返ることができる。「明治維新」や「文永の役、弘安の役」「天保の改革」「昭和の大戦」などだ。
 元号と西暦の換算をしなければならないとして、利便性の観点だけを尺度に西暦への一本化を求めることは、豊かな日本の歴史や文化をかえりみない浅見だろう。
漢籍は今回、元号の典拠とならなかったが中国のみならず東洋、ひいては世界の文化財だ。国書と並ぶ日本文化の礎であり、どちらがどうという関係にはない。
 御代替わりよりも先に新元号が公表されたのは初めてだ。コンピューター化が進んだ今、円滑な国民生活のための措置といえる。
 ただし正式な手続きは、新天皇の下でとるべきだった。政府が新元号を内定の形で発表し、改元の政令には、これからの時代を担われる新しい天皇が署名、押印されるのが自然である。
 将来は制度を改め、閣議決定した元号を新天皇が詔書で公布されるようにしてもらいたい。

・東京新聞(中日新聞)「新元号は『令和』 希望のもてる時代に」/中国古典はずしは初/決定過程の公開を早く/国民生活の基層文化だ
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019040202000163.html

 本の元号は七世紀の「大化」から数えて二百四十八ある。出典が判明しているものは、すべて中国古典である。だから、今回の「国書」を典拠とした改元は初だ。長い日本の元号の伝統からはまさに異例といえる。
 ナショナリズムの反映とも受け止められる。
 もともと日本の伝統への誇りを口にしていた安倍首相が、改元案を作成する段階で、日本古典を由来とするものを含めるよう指示していたからである。
 政権を支える保守派層から、国書に典拠を求める期待があったためであろう。元号の考案を委嘱したのは漢文学や東洋史学のほかに、国文学や日本史学の学識者が加わっていた。
 問題はその元号選定の考え方が国民にどう受け止められるかである。中国古典は近代に至るまで知識人が身に付ける素養の一つだった。「論語」など四書五経の暗記が勉強でもあった。江戸時代の知識人も、明治の夏目漱石も森鴎外も中国古典で育った。
 これまで漢籍から採った元号を受け入れてきたのは、中国古典の素地で日本の教養が培われてきた歴史を誰もが知っているからである。国書もいいが、ことさらこの伝統を排したなら狭量すぎる。
 改元という大きな出来事だっただけに、どのようなプロセスを経て新元号が決まったかは、速やかに明らかにしてほしい。だが、「平成」と決めた公文書すら、三十年を経てもまだ閲覧できない。この秘密主義は捨てるべきだ。
 (中略)
 元号はすっかり根付いた日本の文化である。時代を思い出すとき、「昭和は…」「平成は…」と、それぞれの年代の事象と重ね合わせたりする。
 本家の中国では既に消滅した元号だが、日本では国民生活の基層をなす文化として尊重したい。