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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「弁護士よりも労働組合の方が強い力を持っている」(今泉義竜弁護士)~労働組合のススメと今日の課題

 4月も中旬に入りました。新しく社会人になった皆さんも、少しずつ勤務先の雰囲気に慣れてきたころではないでしょうか。そんな皆さんに参考になるのでは、と思ったツイッターのツイートと、ネット上の記事を紹介します。

 https://twitter.com/i_yoshitatsu/status/1510541732202840064

 ツイート主の今泉義竜さんは第二東京弁護士会所属の弁護士。プロフィールにある通り、労働事件で労働者側に立った活動で知られる気鋭の方です。
 このツイートについて、ネット上のサイト「弁護士ドットコムニュース」が、今泉弁護士に取材してさらに分かりやすく解説した記事をアップしています。

 「『弁護士よりも労働組合の方が強い力を持っている』その理由とは? 今泉弁護士に聞いた」=2022年4月6日 

www.bengo4.com

 以下、この記事の一部を引用します。

 憲法28条が保障する(1)団結権(2)団体交渉権(3)団体行動権という労働三権は、みなさん中学や高校あたりで習ったかと思います。でも、言葉だけはうっすら覚えていても、実際どういうことなのかを知らない人は意外と多いようです。
一般的に、何か紛争が生じた場合に、相手方に対して交渉を求めたとして、その交渉に応じるか応じないかは相手方次第です。労働者個人が経営者に何か言いたいことがあって話し合いを求めても、経営者は拒否できます。弁護士が代理人となって会社に交渉を申し入れても、無視されたり交渉を拒否されたりすることもまれにあります。
 (中略)
 一方、労働組合が交渉を申し入れた場合に、正当な理由なくして使用者は拒否できません。拒否すれば違法となります(「不当労働行為」労働組合法7条2号)。経営者に対して話し合いを法的に強制できるという強い権限が労働組合にはあります。
 組合が求めた資料を正当な理由なく開示しないといったような不誠実な対応を会社がした場合も、「不誠実団交」として違法となります。
 (中略)
 さらに、この交渉に力を与えるのが、団体行動権です。団体行動権の中でもっとも強力なのがストライキですが、それに限らず、街頭での宣伝やビラ配布、インターネットでの発信などの宣伝行動も団体行動の一つです。
 (中略)
 労働組合に縁のない方が多数とは思いますし、現場ではなかなか声を上げるのも大変なのが実際のところだろうとは思いますが、まずは働く上での基礎知識として、労働組合や労働者にどんな権利が認められているのかという基本的なところを押さえてほしいと思います。
個人でも入れるユニオンが各地にありますので、そうしたところにもアンテナを張っていただくことをお勧めします。

 わたし自身が、労働組合の活動に取り組んだ経験から思うのは、労働組合はそれ自体が権利だということです。憲法28条が保障する勤労者の団結権を具現化したものが労働組合であり、その労働組合が団体交渉権や団体行動権を行使する主体になります。

憲法第28条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。

 人はだれしも一人のままでは弱い存在です。特に雇用、被雇用の関係では、雇用する側が圧倒的に有利な立場です。賃金をはじめとした労働条件を決めるのは、まず雇用する側です。雇用される側に不満があっても「不満なら、ほかの人を雇うからいいよ」となってしまいます。雇われる側の人たちが団結することによって、雇う側と対等の立場に立ち、自分たちの労働条件の決定に当事者としてかかわることを可能にするのが団結権を始めとした労働3権です。
 憲法がわざわざ一条を割いて、特別に労働3権の保障を定めているのには、それだけの理由があります。そうやって労働者の立場を強くしないと、労働者の経済的地位の低下を招いて貧困がはびこり、それは社会不安へとつながります。そうなると社会正義と平和が脅かされることになり、戦争を防ぐことが難しくなります。貧困と社会不安は戦争と相性がよいと言えます。
 国連よりも古い国際機関にILO(国際労働機関)があります。そのILO憲章の前文に、そうした考え方がよく表されています。
 少し長く、また読みづらい文章ですが、ILO憲章前文の日本語訳を以下に紹介します。

 世界の永続する平和は、社会正義を基礎としてのみ確立することができるから、
  そして、世界の平和及び協調が危くされるほど大きな社会不安を起こすような不正、困苦及び窮乏を多数の人民にもたらす労働条件が存在し、且つ、これらの労働条件を、たとえば、1日及び1週の最長労働時間の設定を含む労働時間の規制、労働力供給の調整、失業の防止、妥当な生活賃金の支給、雇用から生ずる疾病・疾患・負傷に対する労働者の保護、児童・年少者・婦人の保護、老年及び廃疾に対する給付、自国以外の国において使用される場合における労働者の利益の保護、同一価値の労働に対する同一報酬の原則の承認、結社の自由の原則の承認、職業的及び技術的教育の組織並びに他の措置によって改善することが急務であるから、
  また、いずれかの国が人道的な労働条件を採用しないことは、自国における労働条件の改善を希望する他の国の障害となるから、
  締約国は、正義及び人道の感情と世界の恒久平和を確保する希望とに促されて、且つ、この前文に掲げた目的を達成するために、次の国際労働機関憲章に同意する。

 ※ILO駐日事務所の公式サイトより
  https://www.ilo.org/tokyo/about-ilo/organization/WCMS_236600/lang--ja/index.htm

f:id:news-worker:20220411001248j:plain

 ILOの創設は第1次世界大戦終結後の1919年でした。人類が初めて経験した凄惨な「総力戦」の末に、恒久平和のために労働者の地位の向上をはかって設立されたのがILOでした。憲章の前文には「結社の自由の原則の承認」が明記されています。労働者の団結権の保障です。そうした歴史を踏まえて考えれば、労働組合とは、突き詰めて言えば平和のための権利であることが分かります。
 労働組合が政治課題を手掛け、平和を求める活動に取り組むことに対して、批判する声があります。労働組合は会社に対して賃上げや福利厚生だけを要求していればいい、との考え方です。しかし、労働組合がどういう権利であるか、歴史的な経緯を踏まえ、日本国憲法で特別の扱いも受けていることを考えれば、そうした考えは一面的に過ぎるのではないかと思います。

 労働組合をめぐって、わたしがもう一つ考えているのは、今泉弁護士も指摘している「労働組合に縁のない方が多数」「現場ではなかなか声を上げるのも大変」という点です。
 憲法が保障している権利ですから、だれかに雇用されている労働者であれば、だれでもこの権利を手にできるはずです。しかし、実際には、労働組合に加入している人の割合(組織率と呼びます)は、厚生労働省の2021年の調査では16.9%に低迷しています。要因の一つは、労働組合が企業ごとに組織されているのが一般的であり、しかも組合員は正社員が中心であることです。
 労働組合それ自体が「権利」である、ということを理解するなら、既存の労働組合の課題はおのずと明らかなはずです。その権利を多くの人に広げることです。企業ごとに組織されている組合であるなら、同じ職場、同じ企業ブランドで働く人たちが、労働組合という権利を手にできるように動くことです。自分たちの組合に迎え入れる、新たな組合作りを支援する、といったやり方があります。今泉弁護士が触れている「個人でも入れるユニオン」との連携も、今日的な方法論の一つだろうと思います。そうやって、権利を広げていくことが、権利そのものを強めていくことにつながりますし、それなしには、自分隊が今、手にしている権利を守ることもおぼつかないことになります。
 日本の産業界では戦後の高度成長期、終身雇用と年功序列の待遇と並んで、企業別の労働組合は日本型企業経営の「三種の神器」と呼ばれ、日本企業の強さの源泉になっていました。時代は変わり、以前のような終身雇用も年功序列もなくなったのに、企業別の労働組合は強固に残っています。そして低迷しています。
 繰り返しになりますが、労働組合はそれ自体が権利です。「会社があっての自分たち」という考え方を完全に否定するつもりはありませんが、歴史的な経緯も踏まえて考えるなら、労働組合の目的があたかも企業の利益の確保や企業の生き残りになる、そう見えてしまうようでは、権利は腐っていくことになりかねません。権利は権利として正しく使わなければ、輝くことはありません。わたしの確信です。

この上、北海道警が争う余地がどこにあるのか~「表現の自由侵害」判決、続く地方紙の社説掲載

 2019年の参院選で、街頭演説中の安倍晋三首相(当時)にヤジを飛ばした市民を排除した北海道警の警察官の行為を、表現の自由の侵害と認めて道に損害賠償を命じた札幌地裁の判決に対して、被告の北海道は4月1日、控訴しました。北海道警が、判決のどこに不満を持ち、控訴審で何を主張するつもりなのか、現段階ではよく分かりません。札幌地裁判決は当時の状況を動画などを元に丁寧に検証し、憲法にかかわる問題として踏み込んだ判断を示していました。この上、北海道警が争う余地がどこにあるのか、少なからず疑問です。
 札幌地裁判決に対しては、新聞各紙が社説や論説でも取り上げています。全国紙では朝日、毎日の2紙だけですが、地方紙は4月に入っても掲載が続いています。目にした限りですが、すべて判決を高く評価しており、また警察の権限行使に自制を求める論調も少なくありません。目を引くのは、判決理由の「警察官の行為は、原告らの表現行為が安倍氏の街頭演説の場にそぐわないと判断して制限、または制限しようとしたと推認せざる得ない」との指摘についてです。
 このブログの前回、前々回の記事で、17年の東京都議選で安倍首相(当時)が「安倍辞めろ」などとやじを飛ばした人に「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い返す出来事があったことに触れました。多くの社説、論説がやはりこの出来事を取り上げて、このことも念頭にあって北海道警が安倍元首相に忖度していたのではないか、との趣旨のことを指摘しています。そうした忖度が実際にあったのか、なかったのかは別にしても、時の権力者におもねっていたと言われてしまうこと自体が、警察組織としてはあってはならないことです。仮に、表現の自由の侵害だったことは争う余地がないとしても、首相としては極めて狭量で、社会に分断をもたらした安倍晋三という政治家を忖度してのことだったと指摘されてしまったのは、警察組織としては忸怩たる思いのはずです。この判決がこのまま確定してしまうのは、何としても避けたいのかもしれません。
 控訴審で北海道警側が何を主張するのか、2度目の判決に進むのか、和解協議に入るのかなどを注視したいと思います。

※参考過去記事(1) 3月29日付までの各紙の社説、論説はこの記事で紹介しています。

news-worker.hatenablog.com

※参考過去記事(2)

news-worker.hatenablog.com


 以下に、3月30日付~4月2日付で目にした各紙の社説、論説の見出しと本文の一部を書きとめておきます。

【4月2日付】
▼山陽新聞「やじ排除は違法 表現の自由侵害は許せぬ」
 https://www.sanyonews.jp/article/1246882

 警察権力の不当な行使によって、市民の言論を封じ込めるのは到底許されない。
(中略)
 気になるのは、道警の反応だ。首相ら要人の警護に警察の力は不可欠としても、演説の運営は政党や立候補者陣営といった主催者に責任があるはずだ。やじをやめてほしければ本来ならスタッフが呼び掛けるべきだろう。警察が介入し過ぎた感は否めない。
 判決は、男女の排除を「警察官が安倍氏の街頭演説の場にそぐわないと判断し、表現行為を制限しようとしたと推認せざるを得ない」と指摘している。安倍氏に対する配慮があったとも受け取れる。そうならば警察の政治的中立性を損なうことになる。

【4月1日付】
▼神戸新聞「やじ排除『違法』/表現の自由後退に歯止め」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/202204/0015182342.shtml

 「表現の自由」の後退に歯止めをかける明快な判決だ。
 (中略)
 思い起こされるのは、17年の東京都議選で、安倍氏が自身に批判的なやじを飛ばした聴衆を指さし「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と叫んだ光景だ。批判を徹底的に排除する政権の姿勢が、道警の強引な行為を誘発したのではないか。
 判決は「やじが安倍氏の街頭演説の場にそぐわないと判断して制限しようとした」と推認した。市民の権利の擁護より、政権への忖度(そんたく)が働いたとすれば見過ごせない。

【3月31日付】
▼河北新報「やじ排除『違法』判決/『表現の自由』 軽視許されぬ」
 https://kahoku.news/articles/20220331khn000006.html

 政治的な発言や意見の表明を忌避する雰囲気がこのまま強まっていけば、民主主義はいよいよ危機にひんする。
 「表現の自由」の価値を高く評価した司法判断は、政治にもの申す市民の行動を萎縮させないためにも極めて重い意味を持っている。
 (中略)
 街頭演説を巡っては、17年の東京都議選で安倍氏が「安倍辞めろ」などとやじを飛ばした人に「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い返し、自民惨敗の一因になったと指摘された。
 3カ月後の衆院選では、自民党が演説場所の事前告知を控えるなど、政権に批判的な聴衆の行動を強く警戒していた経緯がある。道警の排除行為の背景に、政権への忖度(そんたく)があった疑いも生じる。

【3月30日付】
▼新潟日報「やじ排除違法 民主主義の基盤守る判決」
 https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/43702

 政治権力のありようや公共の問題などについて批判を含めて自由に論じることは、民主主義社会の基盤だと結論付けた。当然の判決といえる。
 専制国家による言論の圧殺がはびこる中で、表現の自由の大切さを指摘した重みを深くかみしめたい。
 (中略)
 物言えぬ空気が広がれば、国民不在の政治の横暴につながりかねない。
 今、そうした状況を象徴的に表しているのがウクライナへの侵攻を続けるロシアだろう。国内の反戦世論の高まりを押さえつけるために、メディアや国民に圧力を加える情報統制が行われている。
 権力に対する正当な批判や疑問の提示は、政治や社会が一つの方向に流れることに歯止めをかけ、その健全性やバランスを担保する役割がある。
 異論の排除が生み出す危うさに鋭敏でいたい。

▼中日新聞・東京新聞「ヤジ排除は違法 警察は『言論』を奪うな」
 https://www.chunichi.co.jp/article/443632

 「安倍辞めろ」のヤジを飛ばした市民を警察が排除した是非を問うた訴訟で、札幌地裁が「警察官は表現の自由を制限した」とし、損害賠償を認めた。大いに評価する。警察が市民の「言論」を奪うことこそ、排除に値する。
 (中略)
 一七年の東京都議選では政権批判する人たちを指さして、安倍首相は「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と発言した。一九年の参院選では安倍首相の遊説日程を明かさない「ステルス遊説」が話題となった。
 批判の声を表に出さない戦略だったとされる。道警のヤジ排除は同じ思考回路でできていたのではないか。遊説でのヤジは政治批判の声を一般市民が直接、首相にぶつける希有(けう)な機会でもある。
 警察官の行動は、そんな政権批判の意見を事実上、封じ込めたに等しい。道警は首相に忖度(そんたく)したのか。市民排除に至った意図や経緯も明確に説明すべきである。

▼南日本新聞「[警官やじ排除] 表現の自由侵害を指弾」
https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=153848

「安倍辞めろ」「増税反対」といったやじの内容を「公共的、政治的事項に関する表現行為」と認め、「特に重要な権利で尊重されなければならない」と強調した。
 その上で、警察官の行為は「原告らの表現行為が安倍氏の街頭演説の場にそぐわないと判断し、制限しようとしたと推認せざるを得ない」と指摘した。道警が適切な警備より安倍氏への配慮を優先したことを暗示しているのではないか。
 道警の排除行為の背景には、当時の安倍政権がやじに警戒感を強めていたとの見方がある。17年の都議選では応援演説に立った安倍氏が「辞めろ」コールに反応して「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と発言し、批判されたこともある。

 

「警察が政権党に肩入れした疑念も」(北海道新聞)、やはり安倍元首相も当事者~「表現の自由侵害」札幌地裁判決の各紙社説

 一つ前の記事の続きです。
 2019年の参院選で、街頭演説中の安倍晋三首相(当時)にヤジを飛ばした市民を排除した北海道警の警察官の行為を、憲法が保障する表現の自由の侵害と認めて道に損害賠償を命じた札幌地裁の3月25日の判決について、地元紙の北海道新聞は26日付の社説で取り上げました。「表現の自由侵害に猛省を」との見出しで、判決を評価する内容です。
 わたしは安倍元首相がこの札幌での出来事の2年前、2017年の東京都議選で、東京・秋葉原で街頭演説をした際に、「帰れ」「辞めろ」のコールをした人たちの方を指さしながら「こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかないんです」と言い放ったことに対して、政治家としての狭量さを示すと書きました。北海道新聞の社説も、この「こんな人たち」発言を取り上げています。「国民を分断した」「敵を冷遇し、味方を優遇した安倍1強政権の下で、官僚は首相官邸への忖度(そんたく)を強めた」とした上で、「国政に不満を抱き異議を唱えようとする有権者が増えるのは当然の流れと言える」と指摘しています。札幌の「安倍やめろ」のヤジは、そうした有権者の意思表示だったわけです。
 北海道新聞の社説は、判決が「ヤジが『安倍総裁の街頭演説の場にそぐわないと判断して制限しようとした』と推認した」ことを挙げて「そうであれば警察が政権党に肩入れした疑念も生じる」と指摘しています。警察官があたかも安倍元首相の私兵と化していた可能性すらあったのだと、あらためて思います。こうしたことを漫然と見過ごしていては、日本の社会で表現の自由は形骸化するだけでしょう。札幌地裁が、憲法にまで踏み込んで判断を示したことの意義は極めて大きいと思います。同時に、表現の自由を侵害した直接の当事者は北海道警の警察官だったとしても、こうした事態を引き起こした根底には、安倍政権による国民と社会の分断があったと感じます。その意味で、やはり安倍元首相もこの出来事の当事者ではないかと思います。安倍元首相がこの判決をどう考えるのか、今からでもいいので、マスメディアは取材し報じてほしいと思います。
 判決に対しては、ほかに26日付で信濃毎日新聞も社説を掲載。29日付には朝日新聞、毎日新聞の全国紙2紙、高知新聞、西日本新聞も社説で取り上げました。いずれも判決を高く評価する内容です。安倍元首相の「こんな人たち発言」や安倍政権下での官僚の忖度に触れているものが目立つほか、ウクライナに軍事侵攻しているロシアでは異論が許されず、表現の自由が奪われていることに触れたものも複数あります。
 以下に、ネット上の各紙のサイトで確認できた社説、論説の見出しと、内容の一部を書きとめておきます。

【3月26日付】
▼北海道新聞「ヤジ排除で道警敗訴 表現の自由侵害に猛省を」/危険性の根拠乏しい/政権党肩入れの疑念/市民守る基本に戻れ
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/661348

 選挙演説の場での市民の異論の表明を保障した意義は大きい。

 加えて判決は、ヤジが「安倍総裁の街頭演説の場にそぐわないと判断して制限しようとした」と推認した。そうであれば警察が政権党に肩入れした疑念も生じる。

 国民の声を国政に届けるのが選挙の役割だ。投票に限らず、政治家と有権者の対話の場である街頭演説もその方法の一つのはずだ。

 道警の排除行為は、政治と国民のコミュニケーションの阻害だった。繰り返してはならない。

 (中略)安倍氏は排除から2年前の東京都議選で、自身を批判する聴衆に「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と声を張り上げた。
 国政の責任者たる首相が、国民を分断した。敵を冷遇し、味方を優遇した安倍1強政権の下で、官僚は首相官邸への忖度(そんたく)を強めた。
 これに対し、国政に不満を抱き異議を唱えようとする有権者が増えるのは当然の流れと言える。
 強制力を持つ警察が力ずくで言論を封殺することは民主主義社会にあってはならない。
 こうした権力の乱用を許していれば、ウクライナへの軍事侵攻に異を唱える市民を取り締まる現在のロシアのような強権独裁国家へと変質していきかねない。
 小さなほころびから民主主義が崩れてゆくのは、戦前の日本の歴史も証明している。 

▼信濃毎日新聞「やじ排除判決 表現の自由侵害と断じる」
 https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022032501093

 街頭演説の現場では、原告を含め少なくとも9人が排除や妨害に遭ったという。年金政策に疑問を呈するプラカードを掲げるのを阻まれた年配の女性もいた。安倍氏に声援を送る人たちは何の妨げも受けてはいない。あからさまな異論の封殺である。
 札幌の数日後には、滋賀でも首相の演説にやじを飛ばした人が排除されている。翌月の埼玉県知事選では、文部科学相が応援演説をした会場で、大学入試改革の中止を訴えた学生が遠ざけられた。
 公権力によって言論・表現の自由が公然と侵害されたことは重大だ。警察の目におびえて人々が押し黙る、かつてのような息苦しい社会が再び顔をのぞかせていないか。この国の自由のありように、あらためて目を向けたい。

【3月29日付】
▼朝日新聞「裁かれた道警 許されぬ憲法の軽視」
 https://www.asahi.com/articles/DA3S15248851.html

 表現の自由は民主主義を支える極めて重要な権利だ。為政者に対し、賛意だけでなく批判や異論が向けられるのは当然で、そこに警察権力が安易に介入すれば、率直・闊達(かったつ)な議論の土台は失われてしまう。憲法の理念に忠実な判決であり、高く評価されてしかるべきだ。
 むろん表現の自由も無制限な保障の下にあるわけではない。この点についても、判決はしっかり目配りしている。
 2人の発言は、特定の民族への差別意識を誘発・助長したり犯罪を扇動したりするものではなく、演説を続けられなくするものでもなかった。そう述べて、道警の対応がやむを得ないものだったと言うことはできないとした。納得できる説示だ。

▼毎日新聞「演説中ヤジ排除『違法』 警察の言論制限を戒めた」
 https://mainichi.jp/articles/20220329/ddm/005/070/117000c

 道警が2人の行為を制限した理由について、判決は「安倍氏の演説の場にそぐわないと判断した」と認定した。
 安倍氏は5年前、東京・秋葉原で東京都議選の街頭演説をした際に、「安倍辞めろ」などとヤジを飛ばした聴衆の方を指さし、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と発言している。
 この頃から、安倍氏の支持者らが周りを取り囲み、批判する人たちは遠ざけられる状況が目に付くようになった。
 さまざまな主張や意見が尊重される「表現の自由」は、民主政治の根幹である。異論が封じられ、人々が萎縮して声を上げにくい社会にしてはならない。

▼高知新聞「【やじ排除は違法】言論封殺を許さぬ判決だ」
 https://www.kochinews.co.jp/article/detail/552907

 警察官の行為により表現の自由が侵害されたと認定されたことを重く受け止める必要がある。犯罪予防のため危険行為を制止することは大切だが、恣意(しい)的に使われては問題をはらむ。警備の在り方を見つめ直すことが欠かせない。
 安倍政権下では忖度(そんたく)が取り沙汰された。「桜を見る会」の招待者名簿は早々にシュレッダーにかけられ、森友学園の決裁文書は改ざんされた。そうした風潮がこの事案に反映されているかもしれない。これでは健全な市民社会は築けなくなる。
 海外に目を移せば、ロシアではデモを取り締まり、批判的な言論を圧殺して、国内の反戦世論を徹底的に抑え込んでいる。ミャンマー、香港では民主派が弾圧される。
 権力側が事態を自らに都合のいいように進めようとするとき、言論は封殺され、民意はかき消される。権利の後退が何を招くか。近年の国際情勢から学ぶことも必要だ。

▼西日本新聞「やじ排除『違法』 異論を萎縮させぬ社会に」
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/898219/

 「安倍辞めろ」のやじが尊重されるべき表現の自由かという議論はあるだろう。だが、それを判断するのは警察ではない。まして正当な根拠もないのに妨げたのは明らかに行き過ぎだ。道警に限らず、全国の警察は判決の指摘を重く受け止め、今後の警備に反映してもらいたい。
 街頭演説を巡っては、17年の東京都議選で安倍氏が「安倍辞めろ」などとやじを飛ばした人に「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と応じ、自民党が惨敗した一因と指摘されたことがある。3カ月後の衆院選で自民党は安倍氏の演説場所を事前に告知するのを控えたり、当日に変更したりするなど、やじに過敏になっていた。
 政治家に求められる重要な資質の一つは、異論にも虚心坦懐(たんかい)に耳を傾ける懐の深さだ。特に指導的立場にいる政治家が、耳の痛い話を遠ざけるようでは危うい。
 通りで白紙を掲げただけで拘束される国があることを、私たちはロシアのウクライナ侵攻で目の当たりにした。同列には論じられないが、異論に対する過剰規制は萎縮を生み、民主主義を損ないかねない。この問題にはもっと神経をとがらせたい。

 

「表現の自由侵害」を当の安倍元首相はどう考えるのか~在京紙の扱いが分かれた札幌地裁判決

 2019年7月、参院選期間中に当時の安倍晋三首相が札幌市のJR札幌駅前で街頭演説をした際、「安倍辞めろ」「増税反対」などとヤジを飛ばした市民が、北海道警の警察官に片や腕などをつかまれその場から排除されたり、長時間にわたって付きまとわれたりする出来事がありました。当事者の男女2人が、憲法が保障する「表現の自由」を侵害されたなどとして、北海道に慰謝料などを求めて提訴。札幌地裁(広瀬孝裁判長)は3月25日、警察官の行為が表現の自由の侵害に当たると認めて、道に計88万円の支払いを認めました。安倍元首相に何か物理的な危害を加えようとしたわけでもなく、その場で抗議の声を上げただけなのに、力づくで排除するのはいくら何でもやりすぎではないかと、当時から感じていました。納得できる判決です。
 東京新聞の26日付朝刊に掲載された判決理由の要旨によると、札幌地裁は、「多くの場面で『生命もしくは身体』に危険を及ぼす恐れのある『危険な状態』があったと言えず、警察官の行為は違法だ」と認定。「安倍辞めろ」「増税反対」は上品さに欠けるとしても、「いずれも公共的・政治的事項に関する表現行為」「警察官の行為は、原告らの表現行為が安倍氏の街頭演説の場にそぐわないと判断して制限、または制限しようとしたと推認せざる得ない」と指摘しました。原告の表現行為が、差別や憎悪を誘発するものではなく、犯罪行為を扇動するものでも、演説自体を不可能にするものでもないとも判断しています。
 北海道警の警察官がなぜ、このような稚拙な行動を取ったのか。推測交じりではあるのですが、抗議の声が向けられた先が安倍元首相だったからではないかと感じます。安倍元首相はこの札幌での出来事の2年前、2017年の東京都議選で、運動期間の最終日の7月1日、東京・秋葉原で街頭演説をした際に、「帰れ」「辞めろ」のコールをした人たちの方を指さしながら「こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかないんです」と言い放ちました。
 選挙では自民党総裁の立場であり、自党を支持しない人たちを敵視するのも政党人としてはありうることだとは思います。しかし、首相である以上は、日本社会でともに生きるすべての人たちの権利を守る立場でもあるはずです。仮に自分を支持しない人であってもです。「こんな人たち」発言は、政治家としての狭量さをあらわにしてしまった出来事でした。
 問題は、その狭量な政治家の政権が長期にわたる中で、首相官邸が官僚の人事を握り、結果として官僚機構に忖度と堕落を招いたことです。警察も官僚機構に連なる組織であり、上意下達が厳然と貫かれた階級社会です。安倍首相を札幌市に迎えた北海道警の中に、秋葉原のような不快な思いをさせるような場面を再現させてはいけないとの過剰な忖度の意識があり、それが組織内に伝わって引き起こされたのが、この表現の自由の侵害だったのではないかと、わたしは考えています。札幌地裁が判決理由で「警察官の行為は、原告らの表現行為が安倍氏の街頭演説の場にそぐわないと判断して制限、または制限しようとしたと推認せざる得ない」と指摘しているのも、同じ疑いを持っているからではないかと感じます。
 ※参考過去記事

news-worker.hatenablog.com

 ことが表現の自由にかかわる以上、マスメディアにとっても他人事ではないはずですが、この札幌地裁判決について、東京発行の新聞各紙の26日付朝刊では扱いが分かれました。
 いちばん大きく扱ったのは東京新聞で、本記1面、第2社会面に原告の表情や識者談話が載り、5面に判決要旨があります。次いで大きな扱いは朝日新聞で社会面トップ。やはり原告の表情と識者談話、別の面に要旨が載っています。毎日新聞は社会面の3番手で本記のみですが、見出しは3段の大きさです。これに対して読売新聞は社会面1段、産経新聞は第2社会面2段、日経新聞は第2社会面1段で、いずれも短い本記のみです。
 以下、各紙の記事の主な見出しです。

▼朝日新聞
社会面トップ「ヤジ排除『表現の自由侵害』/道警側に賠償命令『重要な憲法上の権利』/元首相の演説警備巡り」
「『おかしいこと おかしい』と言う力に」原告
「かなり踏み込んだ判断」京都大学・毛利透教授(憲法学)の話/「警備対応 客観的な根拠を」元警察大学校長の田村正博・京都産業大教授(警察行政法)
▼毎日新聞
社会面「ヤジ排除 道に賠償命令/安倍氏演説中 『表現の自由侵害』 札幌地裁」
▼読売新聞
社会面「街頭演説にヤジ 排除『違法』判決/札幌地裁、19年参院選」
▼日経新聞
第2社会面「首相演説にやじ/道警の排除『違法』/札幌地裁、道に賠償命令」
▼産経新聞
第2社会面「首相演説やじ 排除は違法/札幌地裁判決『表現の自由侵害』」
▼東京新聞
1面準トップ「首相演説中やじ 排除違法/『道警は表現の自由侵害』/地裁判決 道に賠償命令」/「『取材対応考えず』安倍氏事務所」
第2社会面「『百パーセント認定』/やじ排除違法 原告ら喜び合う」
「表現の自由正当に判断」武蔵野美術大の志賀陽子教授(憲法学)/「政権忖度に歯止め」ジャーナリストの大谷昭宏さん

 声を上げただけで弾圧を受ける、ということで思い起こすのはロシアです。ウクライナへの侵攻を批判すれば、最高で15年の刑が科される恐れがあり、今や表現の自由はありません。日本の社会がそんなことにならないためには、小さなことでも表現の自由の侵害を見逃さないことがまず必要です。札幌地裁の判決は広く日本社会で知られるべきですし、そのためにマスメディアが果たすべき役割もあると思います。

 26日付の各紙紙面を見ていて、東京新聞が1面に「『取材対応考えず』安倍事務所」との見出しの記事を載せているのが目を引きました。札幌地裁判決について、報道各社が安倍元首相の事務所に取材対応を要請したのに対し、記者団の取材やコメント発表といった対応は考えていないと回答した、との内容です。理由は「多忙のため」とのことです。

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【写真】安倍元首相の単独インタビューが載った産経新聞(上)と、元首相の事務所が札幌地裁判決について取材対応は考えていないと回答したことを伝える東京新聞の記事
 同日付の産経新聞の1面トップには、安倍元首相の単独インタビューの記事が大きく掲載されています。ウクライナ情勢と日本の安全保障がどうあるべきかなどを語っており「防衛に努めぬ国と共に戦う国はない」「露が全面的に戦端開き驚く」「憲法9条を議論する機会だ」の見出しが付いています。インタビューは25日に行われたとのことです。
 首相退任後も自ら派閥の長に収まり、依然として影響力を持つとされる安倍元首相ですから、ウクライナ情勢について考えを語ることにはもちろん意義があります。ただ、その時間はあるのに、札幌地裁判決について「多忙」を理由にコメントすらも出さないのは極めて残念です。抗議の声が向けられた対象者であり、過去には「こんな人たち」発言もありました。そして、ウクライナを攻撃しているロシアでは表現の自由は弾圧されています。ウクライナ情勢に関連して憲法改正にまで言及するのなら、憲法が保障している表現の自由をどう考えるのかについても、安倍元首相は考えを明らかにしてほしいと思いますし、安倍元首相がどう考えているかが社会に知られることにも大きな意義があります。その意味で、安倍事務所が報道対応の要請に応じなかったことを伝える東京新聞の記事にも、意義があります。

「NO WAR」への連帯は、戦争をやめさせるための希望~ロシアの放送局員が生放送中に抗議行動

 マスメディアで働く一人として、黙って見過ごすわけにいかない出来事です。
 ※共同通信「生放送で『戦争やめて』、ロシア TV局の女性社員が紙掲げる」=2022年3月15日
 https://nordot.app/876234491127693312?c

 タス通信などによると、ロシアの主要テレビ「第1チャンネル」で14日夜、ニュース番組「ブレーミャ」の生放送中に女性がキャスターの背後で「戦争をやめて」などと大書された紙を掲げるハプニングがあった。ロシアのウクライナ侵攻に反対する抗議行動とみられる。

 他メディアによると「第1チャンネル」はロシアの国営放送。女性は同局の編集者で、この後、警察に連行されたと伝えられています。ロシア国内では、当局がフェイクニュースと見なした場合、最大15年の禁錮刑を科せる法律が施行され、ウクライナ侵攻に反対する活動は弾圧を受けています。そのさなかでの国営放送局の放送中の抗議は、メディア人の良心からの行動だと受け止めています。
 朝日、毎日、読売など新聞各紙をはじめ、日本のマスメディア各社も、紙を掲げた女性が映ったテレビ画面の写真とともに、それぞれの公式サイトで報じています。中でも目を引いたのは、NHKが自局サイトで報じているその詳しさです。

※NHK「【詳報】ロシア国営テレビ職員 放送中に突然『反戦』訴え」
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220315/k10013531881000.html

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 【写真】NHKのサイトのスクリーンショット(2022年3月15日夜)

 NHKによると、女性はこのテレビ局で編集担当者として働くマリーナ・オフシャンニコワさん。事前に収録していたビデオメッセージをSNSに投稿していました。その中で「いまウクライナで起きていることは犯罪だ。そしてロシアは侵略者だ。侵略の責任は、ただ一人の道義的な部分にかかっていてそれはプーチン大統領だ」「残念ながら私は過去何年もの間、『第1チャンネル』でクレムリンのプロパガンダを広め、今はそれをとても恥じている」などと話しているとのことです。NHKはメッセージ全文の訳文も紹介し、オフシャンニコワさんの行動に対する自局の解説委員による解説も付けています。

 共同通信によると、モスクワの裁判所は、軽微な違法行為を行政処分にする法律に基づいてオフシャンニコワさんに3万ルーブル(約3万1千円)の罰金を科したとのことです。「刑法犯としなかった判断には、問題の政治化を避けたいプーチン政権の意向が働いたとみられる」とし、タス通信が、裁判所は放送中の行動ではなく、事前収録したとみられる動画で無許可集会への参加を呼び掛けたことを罰金の理由とした、と伝えていることを紹介しています。

 ※東京新聞=共同通信「ロシアのニュース番組で『戦争をやめて』と紙掲げた女性に罰金 刑法犯とせず…問題の政治化を避ける狙いか」=2022年3月16日 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/165804

 このブログでも何度か書いてきましたが、ロシア国内で戦争に反対し、ウクライナ侵攻に抗議の意思を表している人たちがいることは、この戦争を早く終わらせるための希望です。そうした人たちに向けて、ロシア国外から支援と連帯の声を上げることには、大きな意義があると思います。その声がロシア社会に届けば、状況を変えることができる可能性があります。そのためにはまず、抗議の意思を表している人がいること自体が広く知られなければなりません。ロシアの国営放送内部から、そうした抗議が発せられたこと。日本で公共放送のNHKが詳細にその出来事を報じたことには、大きな意義があると思います。
 マスメディアの組織ジャーナリズムは事実を伝えることが役割です。だから国営放送というマスメディアで働くオフシャンニコワさんの行動には、とりわけ大きな意義があります。わたしはジャーナリズムの役割は突き詰めれば戦争を起こさせないこと、始まってしまった戦争は一刻も早く終わらせることだと考えています。ロシアの国内外を問わず、ジャーナリストやメディアで働く人たちがオフシャンニコワさんに連帯するなら、ジャーナリズムはその役割を果たすことができるでしょう。ジャーナリズムの労働組合は出番だろうと思います。
 思えば、戦争下でマスメディアが為政者の意向に従って虚偽を伝えることは、日本でも1945年8月の敗戦まで続いていたことでした。「77年も前」か「わずか77年前」か。そうした歴史も踏まえて、マスメディアの組織ジャーナリズムを仕事にしてきた者として、わたしもここにオフシャンニコワさんの行動を支持することと、オフシャンニコワさんへの連帯の意を表します。

 オフシャンニコワさんに対しては、SNSへの投稿の内容に対して刑罰が科されるおそれがあるとの報道もあります。経緯を注視しています。

 

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【写真】日本のマスメディアの報道の例。朝日新聞デジタル

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【写真】日本のマスメディアの報道の例。共同通信のデジタル用コンテンツ

 

東京大空襲77年、東電福島第一原発事故11年とロシアのウクライナ侵攻~リアルさ欠く原発再稼働論と「核共有」論議

 3月10日は第2次大戦末期の1945年、東京の下町地区が米軍のB29爆撃機の空襲を受け、一晩で住民10万人以上が犠牲になった東京大空襲の日。翌11日は2011年、東日本大震災が発生し、東京電力福島第一原発事故が起きた日です。ことしの3月10日、11日は、折しもロシアのウクライナ侵攻が続く中で過ごし、戦争と平和について、いくつか考えることがありました。備忘を兼ねて書きとめておきます。

 ▼住民の犠牲
 東京大空襲から77年の10日、東京都墨田区の東京都慰霊堂で法要がありました。東京発行の新聞各紙はその様子を11日付朝刊で伝えています。参列者からは、戦火に巻き込まれているウクライナの人々をかつての自身の姿に重ね合わせ、戦争への憤りや、早期の終結を願う思いが聞かれたことが紹介されています。一部を書きとめておきます。

 ■朝日新聞 第2社会面「ウクライナを思う 東京大空襲の日/77年前家族亡くした 何で戦争なんか」
 ・9歳で大空襲を経験した86歳。小学5年生だった兄は死亡。
 「あんなことして、どうなるのか。焼夷弾や爆弾が落ちると、家なんてばーっと燃えてしまうんですよ」「私は経験したから、子どもたちが本当にかわいそう。戦争をしないように話し合いを進めてもらえないか」
 ・千葉県に疎開していた85歳。母親ときょうだい5人が死亡。
 「親との別れを思い出し、胸がいっぱいになっちゃう。何で戦争なんかあるのかな、とすごく複雑な気持ち」
 ■毎日新聞 都内版「平和の大切さ伝えて/墨田、都庁で犠牲者慰霊 東京大空襲77年」
 ・80歳と78歳の姉弟。104歳の母が連れて逃げた。はぐれた父と祖父母の遺体は見つかっていない。
「空襲の記憶はないが、ロシアのウクライナ侵攻で市民が傷ついているニュースを見ると、家族を失った悲しみを思い出して苦しい」
 ■東京新聞 社会面「東京大空襲『風化させない』/77年 慰霊大法要」
・遺族代表の67歳。母親の姉一家や母方の祖母ら11人が死亡。
「子どもが泣きながら国境を越えて避難するなんておかしい。何の関係もない人たちを巻き込まないでほしい」

 3月10日の東京大空襲を皮切りに、米軍は日本の主要都市を対象にした戦略爆撃に乗り出し、8月の広島、長崎への原爆投下に至ります。軍だけではなく住民に対する無差別の殺戮でした。4~5月の沖縄戦もまた、住民におびただしい犠牲を生みました。近代戦は、軍隊同士の戦闘にとどまらず、非戦闘員=住民を巻き込むことが歴史の教訓として刻まれたはずでした。
 それでも戦争の勝者は裁かれることはありませんでした。今、ウクライナでロシア軍は都市を攻撃し、子どもを含めて住民の死者が増え続けていると報じられています。3月10日付の毎日新聞のコラム「余禄」に興味深い逸話が紹介されていました。書き出しを引用します。

1962年のキューバ危機で米空軍参謀総長のルメイはキューバのミサイル基地の空爆を求めたが、ケネディ大統領はこれを退けた。ミサイルは一部配備済みで、核戦争を招いた可能性も大きい空爆提案だった▲当時の国防長官マクナマラは第二次大戦末期には、日本の都市への焼(しょう)夷(い)弾攻撃を命令したルメイの下僚だった。都市焼き打ちの非人道性に懸念を示したマクナマラに、ルメイは語ったという。「負けたらわれわれは戦争犯罪者だよ」

mainichi.jp

 プーチン大統領は、侵攻をやめて敗者となって戦争犯罪人として裁かれることを恐れているのでしょうか。しかし、侵攻を続ければさらに住民の犠牲を生むというのに、いったいどんな勝利があるというのでしょうか。

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【写真】焦土と化した東京。本所区松坂町、元町(現在の墨田区両国)付近で撮影されたもの。右側にある川は隅田川、手前の丸い屋根の建物は両国国技館。

 ※出典:ウイキペディア「東京大空襲」、パブリックドメイン

 ▼核兵器と原発
 2011年3月11日の東京電力福島第一原発事故は、原子炉自体に損傷がなくても、電源を失えばいとも簡単に破滅的な事態に陥ることを明らかにしました。世界中で共有している教訓のはずです。ウクライナに侵攻したロシア軍が原発に攻撃をかけたとのニュースを耳にした時には、本当に驚きました。報道によると、ロシア軍はウクライナの原子力施設の制圧を執拗に狙っている可能性もあるようです。「ウクライナが核兵器を開発している」と主張するため、との指摘も目にします。
 ウクライナ侵攻と核をめぐっては、プーチン大統領が繰り返しロシアは核兵器大国であることを強調していることから、日本では安倍晋三元首相を皮切りに、「核兵器の共有」を議論すべきだとの主張が自民党内や日本維新の会から出ていることは、このブログでも触れました。

news-worker.hatenablog.com

 岸田文雄首相は広島が地元ということもあって、さすがに議論の必要性自体を否定していますが、それでも「核共有」論はやまないようです。折しも東日本大震災11年の当日、3月11日付の朝刊に、日経新聞と産経新聞は長文の特集記事を掲載しました。見出しは以下の通りです。

 ■日経新聞(政治面)「『核共有』議論 自民で浮上/米の使用判断に関与/NATOは自国配備 別方法を検討/プーチン氏発言 契機に」
 ■産経新聞(総合面)「核共有 党内での議論容認/首相、米の拡大抑止『不可欠』/実施の欧州 日本と違い 参院予算委」

 仮に「核共有」に乗り出すとすれば、その趣旨は、日本が近隣の核保有国から核攻撃を受けないように、核による抑止を強化する、ということなのだろうと思います。論議の発端は、核兵器大国であることを誇示し、ウクライナ侵攻に際して使用を辞さないことを示唆するプーチン大統領の常軌を逸した言動です。そして、もう一つの常軌を逸した行動であるロシア軍による原発や各施設への攻撃を考え合わせると、「核共有」には期待できるような効果はないと考えざるを得ません。
 核抑止の根幹は、核兵器を使用すれば核兵器による報復を受ける、だから核兵器の使用を思いとどまる、ということです。通常兵器の攻撃に対して核兵器で報復することは想定していません。一方で、原発が通常兵器で攻撃されると、場合によっては核爆発に匹敵する被害が生じます。攻撃する側から見れば、核兵器を使わずとも、核兵器を使うに等しい打撃を相手に与えることができます。報復に核兵器を使ってしまえば、その報復に正当性はなくなります。
 現実問題として、ロシアとウクライナは陸続きで、ロシア軍は本気で原発に核爆発を起こさせる意図はなかったかもしれません。しかし、沿岸部に原発が建ち並ぶ島国の日本ではどうでしょうか。仮に日本が自国内に米軍の核兵器を共有したとしても、原発を通常兵器で攻撃するという選択肢がある以上、核兵器共有は何の抑止力にもならないでしょう。むしろ、全原発の即時撤廃の方が、よほど自国民を守ることにつながるのではないかと感じます。それが、福島第一原発事故の教訓を生かすことでもあるはずです。

 3月11日付の新聞各紙の中では、読売新聞が核をめぐって二つの長文の記事を掲載しているのが目を引きました。見出しを書きとめておきます。

 ・総合面・スキャナー「露の原発攻撃 安全へ脅威/2カ所制圧『核の脅し』」「国際法違反・市民生活に圧力」
 ・政治面「原発再稼働 高まる声/ウクライナ情勢 エネルギー価格高騰 与野党」

 ロシア軍による原発攻撃は危険極まりない暴挙ですが、常軌を逸した暴挙が現実に起きています。それが戦争のリアルです。一方で、日本の政界では原発再稼働の声が高まっている。日本の政治がいかにリアルさを欠いているか、ということを読売新聞の二つの報道が明らかにしてくれているように思います。「核共有」議論にも、そのリアルの欠如が共通していると感じます。

 

※追記 2022年3月14日8時20分
 ウクライナの首都キエフの近郊で取材活動中だった米国人ジャーナリストのブレント・ルノー氏がロシア軍に射殺されたと報じられています。氏に哀悼の意を表します。
共同通信「米ジャーナリストを殺害 ロ軍が銃撃とキエフ当局」=2022年3月14日
https://nordot.app/875758572814974976

nordot.app

 ジャーナリストは戦場から、そこで何を起きているかを伝えます。その戦争についてどう考えるか、自分は何をするべきかをわたしたちが判断するために必要な情報です。
 亡くなったジャーナリストは首を撃たれており、狙撃されたとの情報も伝えられています。ロシア軍は、取材中のジャーナリストだと分かっていて狙い撃ちにしたのか。自国内で報道の自由を弾圧するプーチン大統領は、「戦場の真実」が明らかにされるのを妨げたいのか。到底容認できません。

「戦争で最初に犠牲になるのは真実」~自由な報道、自由な表現への弾圧は、戦争に反対する世界中の人々への攻撃

 ウクライナに軍事侵攻しているロシアのプーチン大統領が、報道に対する規制を強めています。ロシア軍の行動や戦況を巡る虚偽情報に対しては、最大で禁固15年や150万ルーブルの罰金を科す内容の刑法改正案に、プーチン大統領が3月4日、署名したと報じられています。ウクライナ侵攻への国際的な批判の高まりにいら立っているのだと思います。
 朝日新聞の報道によると、具体的には以下のようです。

 新たな刑法では、ロシア軍の行動に関して「信頼できる情報を装った明らかな虚偽の情報の流布」や、公の場での「軍事行動の停止の呼びかけや、軍の名誉や信頼を傷つける活動」を禁止している。国際的な民間団体ジャーナリスト保護委員会(CPJ)によると、「偽情報の単純捏造(ねつぞう)」で最大で禁錮3年、「公的な立場や集団を使い、偽造した証拠などを用いた『偽情報』の拡散」に最大で禁錮10年、「社会的に危険な影響が伴う偽情報の拡散」に最大で禁錮15年の刑罰が規定されている。また、対ロ制裁を科すよう外国や国際機関などに呼びかけることも禁止され、違反者には最大で禁錮3年が科される可能性があるという。

※「ロシア、フェイクニュースと見なせば禁錮刑に 欧米メディア取材停止」=2022年3月5日
 https://digital.asahi.com/articles/ASQ356J15Q35IIPE00N.html

digital.asahi.com

 ロシアのメディアはもちろんのこと、ロシア国内で活動する外国メディアの報道も対象になります。「軍事行動の停止の呼びかけ」や「軍の名誉や信頼を傷つける活動」と同列に虚偽情報の流布が扱われるのですから、軍を礼賛し、ウクライナへの侵攻を支持しない限り、何を報道しても「虚偽」としてしか認定されないおそれが大きいと感じます。
 英国BBCはロシア国内での取材活動の一時停止を表明し、米国CNNなどもロシアからの放送を一時的に停止したとのことです。日本の報道機関も影響は避けられず、朝日新聞と日経新聞は5日、自社サイト上で、新たな規制がどのように運用されるのかはっきりするまで、ロシア国内からの報道を一時見合わせることを明らかにしました。

▼朝日新聞 ※上記記事

 朝日新聞社は、ロシアの新たな法律は報道の自由への重大な侵害と懸念します。適用範囲や運用状況などを詳しく把握できるまで、ロシア国内からの報道は一時見合わせます。

▼日経新聞 ※「ロシアが情報統制急ぐ SNS遮断、報道でも世界と断絶」=2022年3月5日
 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB0527X0V00C22A3000000/

 日本経済新聞社は改正法の適用範囲や運用など詳しい情報が得られるまで、ロシア国内からの報道を一時的に見合わせます。

 ロシア軍がウクライナに侵攻している現在、ロシア国内で何が起きているかは、現地に滞在しているジャーナリストが直接伝えるべきことです。ロシア政府の発表だけでなく、独立したジャーナリズムが提供するそうした情報も踏まえて、日本社会にいるわたしたちを含めて情報の受け手は、ウクライナを巡って何が起きているのかを判断できます。しかしロシアの新たな措置によって、そうした報道ができない状況になっています。
 ロシア当局はまた、フェイスブックやツイッターへの接続も遮断しており、ロシア国民の自由な情報発信にも制限を強めています。ロシアで反戦を訴える人たちの活動や、戦死したロシア兵の遺体の帰還など、ロシア社会の戦意を低下させ、ひいてはプーチン大統領への支持をも失わせかねないような情報発信を何としても抑え込みたいのであろうことは、容易に想像できます。
 ロシア当局の措置は、情報統制と言えばスマートに聞こえますが、自由な表現活動や自由な情報発信への弾圧です。禁固15年と言えば、社会的に抹殺されるに等しい措置です。直接は自国民、自国のメディア、自国に滞在する国外メディアのスタッフが対象かもしれませんが、それにとどまらず、事実を知ることができなくなるとの意味で、ウクライナ侵攻に反対する世界中の人々への「攻撃」を意味するとわたしは受け止めています。「戦争で最初に犠牲になるのは真実」という言葉を思い起こします。

「『核共有』議論」発言に批判圧倒、新聞各紙の社説・論説~プーチンの脅しに屈せず、核兵器廃絶を求める

 ロシア軍のウクライナ侵攻は1週間以上たってもまだ停戦の道筋が見えません。それどころか、3月4日にはロシア軍がウクライナ南部にある欧州最大級のザポロジエ原子力発電所を砲撃し、制圧したと伝えられています。原子炉は頑丈な建屋の中にあって、砲撃で損傷する恐れは少ないかもしれません。しかし、構内の電源が失われるようなことになればどうなるかは、東日本大震災時の東京電力福島第一原発事故で、世界中が共有している教訓のはずです。戦争を指揮するロシアのプーチン大統領がそのことを知らないはずはありません。原発への攻撃は福島第一原発事故から11年の「3・11」を目前にしたタイミングです。「人類史で初めての暴挙」との批判の言葉は決して大げさではありません。そしてこれも誇張ではなく、プーチン大統領をはじめロシアの戦争指導層が正常な判断力を失っているおそれを想定せざるを得ないと感じます。
 ウクライナ侵攻では早い時期からプーチン大統領は「核」をちらつかせていました。経済制裁を中心にロシア包囲網を敷く欧米各国へのけん制だとも伝えられています。国際社会に向けて核兵器を威迫に使うこと自体、極めて異常で容認できないのですが、日本ではさらに、元首相という立場の政治家から耳を疑うような発言がありました。このブログの一つ前の記事でも紹介している安倍晋三元首相の「日本は『核共有』を議論すべきだ」との発言です。

※産経ニュース「安倍元首相『核共有』の議論を」=2022年2月27日 

www.sankei.com

 自民党の安倍晋三元首相は27日午前のフジテレビ番組で、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、米国の核兵器を自国領土内に配備して共同運用する「核共有(ニュークリア・シェアリング)」について、国内でも議論すべきだとの認識を示した。「日本は核拡散防止条約(NPT)の加盟国で非核三原則があるが、世界はどのように安全が守られているかという現実について議論していくことをタブー視してならない」と述べた。
 同時に「被爆国として核を廃絶するという目標は掲げなければいけないし、それに向かって進んでいくことが大切だ」とも語った。

 安倍元首相の発言に対して、岸田文雄首相は被爆地・広島から選出されているだけあって、「核共有」議論も、非核三原則の見直しも即座に否定しました。しかし、自民党では福田達夫総務会長、高市早苗政調会長が相次いで安倍元首相に同調する発言を行っています。野党では日本維新の会が、「核共有」の議論を政府に求める提言を林芳正外相に提出しました。

 隣国のロシアや中国が核兵器を保有し、北朝鮮も核開発の能力を保持している中で、ロシアのプーチン大統領が核を露骨に威迫の材料に使っている状況は、確かにわたしも不安を感じます。しかし、仮に日本が「核共有」という核武装に踏み出したところで、その不安は解消されません。日本の核武装は、かえって他国の核兵器の照準を日本に合わせることを正当化する理由になってしまうからです。日本は米国の核の傘に入っていますが、そのことと、日本自身の核武装とには大きな違いがあります。核を共有しても、日本国民を守ることにはなりません。
 核戦力の抑止理論は、核保有国がいずれも正常の合理的な判断力を有していることを前提としていなければ成り立ちません。しかし、核大国であるロシアが一方的にウクライナを侵略し、躊躇なく原発をも攻撃している現状、そしてプーチン大統領が「核」を国際社会への威迫に使っているさまは、それだけでロシアの戦争指導層が正常の合理的な判断力を維持できているのかが疑われる事態です。もはや核抑止理論は前提を失いつつあります。いよいよ核兵器は廃絶させるしかありません。
 そういう現状なのに、日本で「核共有」の議論が必要などと主張することは、プーチン大統領の脅しに屈するのも同然だと思います。勇気をもって、毅然とその脅しをはねつけるために必要なことは、日本の国是である非核三原則を堅守し、核兵器の廃絶を進める具体的な行動を示すこと、ロシアのプーチン大統領に対し、ただちにウクライナへの攻撃をやめて軍を撤退させるよう求め続けることだと思います。
 そもそも、日本が核兵器を共有するとしたら米国保有のものですが、米国は何もコメントしていません。今は各国が総力を挙げてロシア軍を撤退させなければいけない時なのに、日本だけは他人の所有物を勝手に当てにして「議論が必要」などとは、米国も迷惑な話のはずです。

 「核共有」議論を提起しようとする安倍元首相を、広島市に本社を置く中国新聞社は3月1日付の紙面に掲載した社説で毅然と批判しています。同感です。
▼中国新聞3月1日付社説「安倍氏の『核共有』発言 危機に便乗、許されない」
 https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=837013&comment_sub_id=0&category_id=142

 被爆の惨禍を体験した私たちは、核兵器では人類を守れないことを知っている。77年たつ今なお苦しむ被爆者がいる。被爆地から安倍氏の発言に非難の声が上がるのは当然のことだ。
 安倍氏は番組で「被爆国として、核を廃絶する目標は掲げなければならない」とも語っていた。しかし元首相の発言だけに国際社会への影響力は大きい。非核三原則の破棄もあり得るという誤ったメッセージとして受けとめられる恐れもある。
 岸田文雄首相はきのうの参院予算委員会で、安倍氏の発言について「非核三原則を堅持するわが国の立場から考えて、認められない」と述べた。それにとどまらず、安倍氏に発言撤回を求めるべきである。被爆国として、核に頼らない安全保障の議論をリードすることが必要だ。
 (中略)
 核兵器が存在する限り、使用される恐れがある。偶発的な事故やテロリストの手に渡るリスクだけではない。今回のように保有国の指導者が愚かな判断を絶対しないとは断言できない。
 ひとたび核が使用されれば敵も味方もない。抑止力が機能しないことは明らかだ。それに国際社会が気付いたからこそ、核兵器禁止条約はできたはずだ。
 平和と安全のためには廃絶しかない。究極の非人道兵器による悲惨を知る被爆国政府こそ、それを世界に発信すべきだ。

 このほか、3月4日までにネット上で内容が確認できた新聞各紙の論説、社説では、「核共有」議論発言への批判が圧倒しています。議論を容認する内容の論調は、確認できた範囲では産経新聞(3月1日付)だけでした。
 以下に、各紙の論説、社説の見出しと本文の一部を書きとめておきます。ネット上の各紙のサイトで読めるものは、リンクもはっておきます。

【3月4日付】
▼秋田魁新報「軍事侵攻1週間 ロシア、国連決議実行を」
 https://www.sakigake.jp/news/article/20220304AK0012/

 今回の決議ではロシアの核部隊の警戒態勢引き上げについても非難している。核戦力を背景に威嚇を行うのは常軌を逸していると言わざるを得ない。米政府は脅しにすぎないとしながらも、不測の事態へ警戒を強めている。
 自民党などからは今回のロシアの軍事侵攻を機に、米国の核兵器を共同運用する「核共有」、非核三原則の見直し議論を求める声が上がる。日本は国連でロシアに即時撤退を求める決議を共同提案している。その国が危機に便乗して「核共有」の議論を始めようとするのでは決議の真意まで疑われかねない。
 言いだしたのは安倍晋三元首相。党幹部や日本維新の会からは相次いで同調する発言が出ている。核の威力を国家間で競い合おうとするのでは平和は遠のく一方になる。
 岸田文雄首相が「唯一の戦争被爆国として核による威嚇も使用もあってはならない」として三原則堅持の姿勢を示したのは当然だ。閣僚らも相次いで見直し論を否定しており、岸田政権の姿勢は明確だ。

▼山形新聞「安倍氏らの『核共有』発言 平和主義と相いれない」
 https://www.yamagata-np.jp/shasetsu/?par1=20220304.inc

▼愛媛新聞「『核共有』議論 廃絶の目標に逆行 容認できない」

 どれだけ状況を限定したとしても、日本が核兵器を置くことを容認すれば他国への連鎖を招き、拡散が進むのは容易に想像がつく。核兵器禁止条約が重みを増す世界の流れに冷水を浴びせてはなるまい。プーチン氏に毅然(きぜん)とノーを突き付け、核廃絶の重要性を訴えるべきだ。
 核をちらつかせる威嚇の背景に、日米欧などが協調して強める経済制裁や、ウクライナ支援をけん制する狙いがあるのは明らかだ。が、戦闘が続く中でいたずらに緊張を高めれば、不測の事態に危機感が募る。
 プーチン氏は昨年、バイデン米大統領との会談で「核戦争は決して行われてはならない」とする共同声明を発表した。今年の年頭には、核保有五大国として同様の意志を表明していたはずだ。攻撃を即時停止し、軍を撤収するよう求める。

▼佐賀新聞「『核共有』発言 危機便乗の議論は慎め」※共同通信配信
 https://www.saga-s.co.jp/articles/-/819454

 まず、なぜ今のタイミングで発言するのかという問題だ。現下の最大の焦点は、ロシアのプーチン大統領が核攻撃に踏み切るかどうかであり、その暴挙を抑えるため国際社会は結束した対処が求められている。
 その中で日本が自国の安全保障を核兵器に頼る議論をすることは、国際社会からどう見られるのか。安倍氏は長期政権の首相を務め、世界の平和をリードしていくべき立場にあるはずだ。国際的な危機を利用するような発言は慎むべきだ。
 二つ目は、地域の緊張を高める恐れが強いことだ。日本の核共有に対しては、中国などが警戒を強め、さらに軍備を増強する「安全保障のジレンマ」に陥りかねない。
 三つ目は核共有が招く事態への覚悟と責任が政治家にあるのかという問題だ。確かに日本は抑止力を米国の「核の傘」に依存している。だが、核共有で国内に核兵器を配備した場合、状況は大きく変わる。もし抑止の均衡が崩れた場合、真っ先に攻撃の対象になるのは、日本国内の核関連施設になるだろう。
 維新代表の松井一郎大阪市長は、非核三原則に関して「昭和の価値観だ」と批判した。だが、日本が攻撃の対象となることへの政治家としての責任をどう考えているのか。日本を二度と戦争の惨禍にまみえさせないように努めることこそが政治家が守るべき「普遍的な価値観」ではないか。
 広島や長崎の被爆者から、「許せない」という憤りの声が上がるのは当然だ。

【3月3日付】
▼信濃毎日新聞「『核共有』提起 針路見まがう愚を犯すな」
 https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022030300122

 冷戦のただ中、日本は米国の意向を振り切って、保有国の軍縮義務と非保有国の安全保障を主張し1968年の国連決議へと結び付けた。いま取るべきは、再び非保有国の先頭に立って、保有国による威圧を認めないルールの厳格化を図ることだろう。
 核共有の検討は、核廃絶という目標を実質的に切り捨て、戦争被爆国が威圧する側に回ることを意味する。原爆の惨苦を二度と繰り返さないと自らに誓った非核三原則は「昭和の価値観」には決してとどまらない。
 岸田文雄首相は、核共有を「政府として議論することは考えていない」と繰り返し述べている。要らざる議論が幅を利かせる前に、核兵器禁止条約への参加を表明してはどうか。軍備管理が危ぶまれる情勢だからこそ、非核の立ち位置を明示しなくてはならない。

▼新潟日報「『核共有』提起 ぶれずに三原則の堅持を」
 https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/33029

 安倍氏はロシアのウクライナ侵攻を踏まえ「世界の安全がどのように守られているのか。現実の議論をタブー視してはならない」と述べた。
 だが、核共有政策は、核兵器を「持たず」「つくらず」「持ち込ませず」とした非核三原則に反するのは明らかだ。戦争放棄と戦力不保持を定めた憲法9条との整合性も問われる。
 岸田文雄首相は安倍氏の発言について「非核三原則を堅持するわが国の立場から認められない」「政府として議論は考えていない」と国会で否定した。被爆国の首相として当然だ。
 首相は被爆地広島が地元であり、「核兵器のない世界」実現を訴えてきた。今後もぶれずにその姿勢を保ってほしい。
 理解しがたいのは、非核三原則が時代遅れとでもいうような指摘まで出たことだ。
 維新代表の松井一郎大阪市長は核共有についての議論は当然だとし、「核を持っている国が戦争を仕掛けているんだから。昭和の価値観のまま令和もいくのか」と語った。
 幾多の犠牲と悲劇を生んだ被爆の悲劇に根差す三原則を「昭和の価値観」と片付ける。そんな乱暴な議論が勢いづくことを強く危ぶむ。

▼京都新聞「核共有発言 三原則に明確に反する」
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/742601

 核共有は、欧州で行われ、北大西洋条約機構(NATO)に加盟するドイツやオランダなどには冷戦時代から米国の核兵器が配備されている。
 ただ、日本も加盟する核拡散防止条約(NPT)は、非保有国に対して核兵器の受領や取得を禁じている。日本が新たな核を受け入れるなら条約違反となる可能性が高く、核不拡散体制を崩壊させかねない。
 核兵器を全面的に違法とする核兵器禁止条約が昨年1月に発効した。抑止力を名目に核に依存し続ける大国の姿勢に非保有国からの批判が高まっている。
 広島・長崎の被爆者からも、安倍氏らの発言を「取り消してほしい」「許せない」と非難する声が上がっている。
 核共有による国内への核兵器の配備は、周辺国の軍拡競争を招き、かえって国民の安全を脅かしかねない。
 核の脅しに核保有で対抗する主張は、あまりに短絡的だ。日本政府には「核なき世界」の実現に向けた役割こそ問われている。

【3月2日付】
▼毎日新聞「ウクライナ侵攻 露大統領の核発言 許しがたい非道な威嚇だ」
 https://mainichi.jp/articles/20220302/ddm/005/070/107000c

 こうした中、耳を疑う発言が飛び出した。安倍晋三元首相が核兵器を日米で共同運用する「核共有」について言及し、議論の必要性を訴えた。米国の核兵器を日本に配備することを認める政策だ。
 日本は唯一の戦争被爆国であり、核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」という非核三原則を国の基本方針としている。
 この原則に反するだけでなく、核廃絶という国家目標を放棄することにつながる。岸田文雄首相がすぐさま「認められない」と否定したのは当然である。
 日本が追求すべきなのは、危機に乗じて核兵器への依存を強めることではない。「核兵器なき世界」の理念を改めて喚起し、国際社会を束ねることだ。

▼北海道新聞「ウクライナ侵攻 常軌逸した核の脅迫だ」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/651593

 こうした情勢で、安倍晋三元首相は米国の核兵器を日本に配備して共同運用する「核共有」政策について議論の必要性に言及した。
 日本は唯一の戦争被爆国であり「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を国是としている。核廃絶の先頭に立つべき国の首相まで務めた政治家として、あまりに不見識だ。
 安倍氏の発言に関して岸田文雄首相は「非核三原則を堅持するわが国の立場から考えて認められない」と明言した。当然である。

▼中日新聞・東京新聞「核共有発言 非核三原則否定するな」
 https://www.chunichi.co.jp/article/427156

 核には核で対抗する姿勢は被爆国の国民感情や、核廃絶を目指す日本の立場と相いれない。核兵器使用も辞さない姿勢を示すロシアのプーチン大統領には、被爆者らが「断じて許されない」と非難の声を上げた。
 岸田文雄首相が非核三原則の堅持を表明し、核共有を否定したのは、日本の首相として当然だ。
 政府は国家安全保障戦略の改定に向けた論議を進める。国際情勢の変化に応じた戦略見直しの必要性は否定しないが、ウクライナ侵攻に乗じた安易な核共有や軍備増強を認めるわけにはいかない。
 日本が核共有すれば、核軍拡競争をあおり、核攻撃の口実を与えることになる。今必要なことは、非核三原則を含む「平和国家」の歩みをより強固にすることではないか。冷静な議論を望みたい。

▼神戸新聞「ロシアの核威嚇/容認できない危険な挑発」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/202203/0015102004.shtml

 耳を疑うのは、安倍晋三元首相が米国の核兵器を自国の領土内に配備する「核共有」政策を議論すべきだと言及したことだ。危機に便乗するかのような発言であり、国是である「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則と明確に矛盾する。
 安倍氏は「世界の安全がどのように守られているのか、現実の議論をタブー視してはならない」と述べたが、核廃絶を訴えてきた日本の姿勢にまで疑問を持たれかねない。岸田文雄首相や関係閣僚が「わが国の立場から考えて、認められない」と口をそろえて否定したのは当然だ。
 核による威嚇にも使用にも毅然(きぜん)と反対する。それが「唯一の被爆国」であり、「平和国家」としての立ち位置である。深く肝に銘じたい。

▼高知新聞「【露の核威嚇】理性を疑う愚かな行動」
 https://www.kochinews.co.jp/article/detail/546072

 岸田文雄首相はすぐに検討を否定した。国是の非核三原則に反するのは明白だから当然の対応だ。しかし自民党幹部が指摘するように「安倍氏個人の考え」と矮小(わいしょう)化できない面がある。
 非核三原則の法的根拠となる原子力基本法は原子力利用を平和目的に限るとしたが、2012年に大した議論もなく「わが国の安全保障に資する」との文言が追記された。
 さらに東京電力の福島第1原発事故後には、自民党の一部政治家らが原発と核抑止力を結び付け、原発維持を主張していた。政界には隠然として、核武装やその潜在的能力への志向が存在する。極めて危険な発想と言わざるを得ない。
 核兵器に核兵器で対抗すれば、核軍拡を招くだけだろう。それでは、いつまでたっても人類は核による破局の脅威から解放されない。緊張が高まっている今だからこそ、核廃絶への機運を高め、危機の回避につなげなければならない。

▼琉球新報「安倍氏『核共有』発言 『三原則』否定する暴言」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1478320.html

 日米は密約によって有事の際、沖縄に核兵器を再導入・貯蔵することを合意している。安倍氏が言う核共有を突き詰めれば、沖縄配備が選択肢の一つになりかねない。核配備は沖縄が標的になることを意味し、県民の生命・財産を危険にさらす。断じて拒否する。
(中略)
「現実の議論」とは何か。核共有しているドイツは、これまで抑止力になると説明してきた。だが、新連立政権は核兵器禁止条約締約国会議にオブザーバー参加を決めた。
 コイル外務国務相は共同通信の取材に対し、政権の将来の目標は「核なき世界、核なきドイツの実現」と説明し、米国の核爆弾撤去に向け「積極的に動く」と強調した。近い将来の目標実現は困難としたが、締約国会議への参加を通じ一歩を踏み出した。
 同盟国の米国が提供する「核の傘」を絶対視する日本の「核抑止信仰」こそ、核廃絶を求める国際世論からすれば、現実離れしている。

【3月1日付】
▼朝日新聞「ロシアの威嚇 核の連鎖あおる危うさ」
 https://digital.asahi.com/articles/DA3S15218811.html

 こうしたなかで安倍元首相が不見識極まりない発言をした。米国の核兵器を日本に配備し、有事に日本が使えるよう協力する「核共有」について言及し、「世界の安全がどう守られているかという現実についての議論をタブー視してはならない」などと述べた。
 戦争被爆国としての自覚と責務がみじんも感じられない。国際秩序が揺らぎ、核が拡散する未来の先に、日本を含む国際社会の平和と安全はないという現実こそを直視すべきだ。
 「核共有」について岸田首相は国会で質問され、「非核三原則を堅持するという我が国の立場から考えて、認められない」と否定した。当然である。
 政府にいま求められるのは、プーチン氏の暴挙にはっきりと異を唱えて国際的な圧力を強めるとともに、核軍縮や不拡散の取り組みが減速しないよう世界に働きかけることだ。
 そもそも核抑止論は、当事者の理性的な思考を前提にしているが、プーチン氏はそれも疑われている。核兵器が国際政治の具として存在する限り、破局のリスクはぬぐえない。核廃絶という目標の大切さを、今回の戦争が浮き彫りにしている。

▼産経新聞「核恫喝と『核共有』 国民守る議論を封じるな」
 https://www.sankei.com/article/20220301-KUZGTRF5QJM6DKN3FZH6UXKMTY/

 忘れてはならないのは日本が中国、ロシア、北朝鮮の核の脅威に直面していることだ。たとえば尖閣諸島や台湾関連の有事で、中国が核恫喝してくる恐れがある。
非核の自衛隊が核を持つ中国の侵略から日本と国民を守るには、米国の核の傘(核抑止力)が十分に機能していることが前提だ。核抑止は安全保障の基盤である。
安倍晋三元首相がフジテレビ番組で重要な問題提起を行った。ドイツなどNATO加盟国の一部が採用している、米国の核兵器を自国に配備して共同運用する「核共有」(ニュークリアシェアリング)政策を、日本も議論すべきだとの考えを示したのである。
だが、岸田文雄首相は国会で、核共有政策について「(『核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず』とする)非核三原則を堅持するわが国の立場から考えて、認められない」と述べた。議論を封殺するような答弁は疑問だ。
非核三原則の墨守で日本の安全保障が揺らぐなら見直しが必要になる。核共有も含め、日本をめぐる核抑止態勢が万全かどうか率直に議論する時期にきている。

▼信濃毎日新聞「日米共同作戦 既成事実化を認めまい」
 https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022030100066

 政府は、中国や北朝鮮の脅威を理由にすれば、どんな無理も通ると考えているのか。
 専守防衛を転換する「敵基地攻撃能力」の検討は、議事内容も開示せず進めている。海兵隊が那覇港湾施設で主目的にない訓練を実施しても、国は「主目的に沿っている」と米側をかばう。
 ロシア軍がウクライナに侵攻し「次は中国が…」との言説も出回る。安倍晋三元首相は、高まる不安に乗じたのか。
 テレビ番組で、米国の核兵器を日本に配備し共同運用する政策を議論すべきだと主張した。岸田文雄首相が「核兵器を使用、保有する選択肢はない」と言明した直後だ。非核三原則をないがしろにしており、聞き捨てにできない。
中国が軍備を増強し、東・南シナ海の秩序を脅かしているのは確かだ。だからといって、中国を封じ込めたい米国の戦略に追従するのでは、国内が戦禍に見舞われる危険はかえって高まる。
 自立した地域の営みを求めるアジアの国々の声を糾合し、米中両国に関与して衝突を防ぐ―。妥協点を探って対立を和らげる外交を二の次にしてはならない。

▼西日本新聞「ロシアの核威嚇 時計の針逆戻りさせるな」
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/883596/

ベラルーシの動きも核拡散防止の観点から看過できない。憲法から「自国領を非核地帯とし中立国を目指す」との条文を削除する改正案が国民投票で承認された。同盟国ロシアの核兵器が配備される恐れが出てきた。
 一連の動きは、核を持たずに平和な社会を目指す大多数の国の努力を無にするものである。
 唯一の戦争被爆国、日本もそんな努力をしてきた国だ。にもかかわらず、安倍晋三元首相がウクライナ侵攻に関連して核共有政策の議論を提起した。米国の核兵器を日本に配備し、共同運用する政策だ。非常事態に乗じて核軍縮の潮流に背を向けるような言動は慎むべきだ。

 

「戦争反対」の声を広く伝える~イラク戦争当時のこと 付記・安倍晋三元首相「核共有」発言の愚かしさ

 ロシアのウクライナ侵攻に対する民衆の抗議行動が世界各地で続いています。日本でも2月27日の日曜日、各地で集会などが開かれました。このブログの一つ前の記事で書いたことですが、国際的な民衆の連帯でウクライナの人々を支えること、ロシア社会で戦争に反対する人たちを孤立させずに支えていくことは、この戦争をやめさせることにつながる大きな希望だと思います。各地の抗議行動を広く伝えていくことは、ジャーナリズムの責務の一つです。

news-worker.hatenablog.com

 思い起こすのは2003年のイラク戦争です。2001年9月11日の米中枢同時テロの後、米国がアフガニスタンへの軍事攻撃でタリバン政権を崩壊させ、次いでイラクへの先制攻撃に踏み切ったのは3月20日でした。当時、わたしは所属する通信社の社会部デスクでした。
 米国がイラク攻撃に踏み切るのは確実との観測が、年明けから強まっていました。米政府と米軍、対するイラクの動向や国際社会の動きをカバーするのは外信部。日本政府の対応は政治部の仕事でした。社会部が報じるべきは、おそらく避けることができないこの戦争と日本社会とのかかわりであり、わたしは取材チームの担当デスクの一人として、同僚らと連日、何をどう取材するか、どのような記事に仕立てるか、試行錯誤を続けていました。
 米国は、イラクが大量破壊兵器を隠し持っていると主張。しかしフランスやドイツは疑問を示し、米国を強くけん制していました。欧州ではイラク攻撃反対の世論が盛り上がり、2月から3月にかけてデモの参加者が急増していました。当時の報道を見ると、英国では前年の02年9月に40万人だったのが、03年2月には同国史上最大の約200万人に上ったとされます(主催者発表)。
 この反戦の民意は日本にも伝わりました。3月8日に東京で非政府組織(NGO)が中心になり開いた集会には約4万人(主催者発表)が参加しました。日本国内の反戦集会では、それまでに見たことがない規模でした。質的な変化もありました。共同通信が03年3月17日に配信した記事は以下のように指摘しています。

 平和でなくピース、デモではなくウオーク。運動の象徴だったのぼり旗が減り、カラフルなプラカードやピエロの扮装など個性的なアピールが増えた。労組や政党中心から「個人」へと、顔触れの変化も目立つ。インターネットを通じた情報や活動の広がりも湾岸戦争当時と比べても特徴的だ。

 集会を取材した同僚から、10代の若者が「何をしていいか分からないが、何か意思表示したくて来た」と話していたと聞いて、胸が高鳴りました。「戦争反対」の意思が若い世代にかつてない勢いで広がっているのを実感しました。だれかにやらされているのではない、個々人がいてもたってもいられず、自らの意思で集まり「戦争反対」を口にし始めていました。その地球規模の民衆の連帯に、間違いなく日本社会もつながっていました。「もしかしたら、戦争を止められるかもしれない」―。ドキドキする日々が続きました。
 しかし、戦争は始まってしまいました。当時の小泉純一郎首相はいち早く、米国への支持を表明。翌04年には、イラクの復興の支援として自衛隊を派遣しました。それからほどなく、わたしは新聞労連の専従職である委員長となって2年間休職。報道の現場から離れました。

 後に、米国が開戦の大義とした大量破壊兵器はイラクにはなかったことが明らかになります。しかし、戦争を支持した日本政府が、その経緯を十分に検証し総括して、反省、教訓を残したとは到底思えません。
 所属するマスメディア組織で既に現役の時間を終えている今、率直に言えば、あのイラク戦争の開戦前後にほかに何かできる取材、報道はなかったか、との思いが残っています。今日のウクライナへの攻撃を一刻も早くやめさせるために、ジャーナリズムにできることは決して少なくないと思います。

 そうしたわたし自身の経験を思い起こしながら、ウクライナ侵攻への抗議行動をどう報じているかの観点から、週明け2月28日付の東京発行の新聞6紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京)をチェックしてみました。
 もっとも目を引いたのは東京新聞です。社会面の半分以上を割いて、「ウクライナ支援 とまらない」の見出しとともに、内外の写真7枚を配置。名古屋、京都、那覇、ニューヨーク、パリ、ベルリン、ウィーンです。記事も日本国内と欧米各地の2本を掲載しました。記事によると東京・渋谷駅前には約1000人が集まり、新宿駅西口前にも100人以上。那覇市では約60人、京都市でも約160人と伝えています。
 日経新聞は社会面に「国籍超え『戦争反対』/日本各地で抗議」の見出しの記事を掲載。東京・渋谷駅前、札幌、名古屋、那覇、京都の抗議行動を紹介しています。東京新聞と同じ共同通信の配信記事のようです。
 毎日新聞、読売新聞は国際面で欧州各地の抗議行動の様子を伝えました。毎日新聞はロシア国内でもデモが実施されていること、24日以降ロシア全土で延べ3093人のデモ参加者が拘束されたと現地の人権団体「OVDインフォ」が発表したことも伝えています。
 朝日、産経両紙には、ロシアへの抗議行動の記事は見当たりませんでした。手元に届いた朝日新聞の3月1日付朝刊は、1面に「停戦協議 始まる」の大きな見出しのトップ記事の脇に、丸1日遅れとなりましたが、「反戦のうねり」の見出しとともにドイツ・ベルリンのブランデンブルク門近くに約10万人が集まった抗議行動の写真を5段の大きな扱いで掲載しています。

 ロシア社会を含めた民衆の連帯が、ウクライナへの攻撃をやめさせることにつながることを期待すると同時に、そのための役割をマスメディアが果たすことも期待しています。

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 今回の記事とは論旨の上で直接の関係はないのですが、どうにも看過できないニュースがありますので書きとめておきます。
 ※産経ニュース「安倍元首相『核共有』の議論を」=2022年2月27日
 https://www.sankei.com/article/20220227-WAR5FEF3SVOYLFMCC7FOUYSOL4/

www.sankei.com

 自民党の安倍晋三元首相は27日午前のフジテレビ番組で、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、米国の核兵器を自国領土内に配備して共同運用する「核共有(ニュークリア・シェアリング)」について、国内でも議論すべきだとの認識を示した。「日本は核拡散防止条約(NPT)の加盟国で非核三原則があるが、世界はどのように安全が守られているかという現実について議論していくことをタブー視してならない」と述べた。
 同時に「被爆国として核を廃絶するという目標は掲げなければいけないし、それに向かって進んでいくことが大切だ」とも語った。

 何を言っているのか。言語道断です。世界唯一の被爆国の首相を務めた政治家として、当然であるはずの見識が欠如しています。核廃絶の目標を掲げ、進んでいくことが大切とも言っていますが、では首相当時、核廃絶のために具体的に何をやったというのか。核廃絶を口にしながら、その実、核に頼るとは、そもそも自己矛盾です。粗雑で愚かな思考です。この「核依存」思考は、戦略核兵器を運用する部隊に特別態勢を取るよう命じたというプーチン大統領と同類です。

【追記】2022年3月1日10時20分
 ウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領は、核兵器運用部隊に高い警戒態勢への移行を命じたと伝えられています。ロシアに強力な制裁を科す欧米各国をけん制する動きとみられているようです。そうした行動を取るプーチン大統領の精神状態が疑問視されていると、共同通信が報じています。
※共同通信「プーチン氏の精神状態を疑問視 米議員ら『何かおかしい』」=2022年2月28日
 https://nordot.app/871013851428880384

nordot.app

 米上院情報特別委員会のルビオ上院議員はツイッターで「本当はもっとお話ししたいが、今言えるのは誰もが分かる通り、プーチン氏は何かがおかしいということだ」と指摘した。米メディアによれば、ルビオ氏はプーチン氏の精神状態について政府報告を受けている。

 プーチン大統領の精神状態が取り沙汰されるような状況で、安倍元首相は同じような「核依存」の思考をさらけ出してしまっているわけです。「核共有」発言の愚かさがよく分かります。

「平和を愛する諸国民の公正と信義」はロシア社会にもある~戦争をやめさせるためにジャーナリズムができること

 戦争が起きました。わたしがジャーナリズムの仕事に就いてから何度目になるのでしょうか。2月24日に始まったロシアのウクライナに対する軍事侵攻は、どのような大義が主張されようとも、どのような理屈付けがあろうとも決して容認できません。ジャーナリズムの究極の役割は戦争を起こさせないこと、一度起きてしまった戦争は一刻も早く終わらせることだと、わたしはこの仕事を40年近く続けてきて確信するに至りました。戦争が起きてしまったとき、ジャーナリズムは一度敗北している、という言葉も脳裏に浮かんでいます。
 ウクライナは日本から遠く離れています。しかしロシアは日本の隣国です。近代以降には直接戦火を交え、今は領土問題もある、そういう隣国です。その一事をもってしても、今回の戦争は日本に住むわたしにとって決して遠い出来事ではないと感じます。こうしている間にも人命が失われているであろうことに、心が痛みます。今、日本のマスメディアの組織ジャーナリズムに何ができるのか。考えていることを書きとめてみます。

 軍事侵攻に際してプーチン大統領は、ウクライナの反ロシア的な現政権をナチスに例えたり、ウクライナとロシアの歴史的な関係の深さを強調したりしました。領土的野心はないとの主張や、求めているのはウクライナの中立化や非軍事化だとの主張もありました。以前からNATOの東方拡大に激しく反発していました。日本での新聞報道によると、プーチン大統領の思惑は結局のところ、欧米の民主主義各国の民主的な価値観がロシアの民衆に及び、自らの専制的な体制に影響を及ぼすことを防ぐことにある、との見方が有力なようです。
 プーチン大統領が何を目的にしていて、何を達成すれば軍事行動を止めるつもりなのかは、このブログ記事を書いている2月27日夜の時点でもはっきりしません。それでも、ウクライナがNATO加盟を志向すること、米国や欧州各国がそれを拒まないことに対して、強烈な被害感情を持っていることは間違いがないようにわたしは感じています。
 思い起こすのは、安倍晋三内閣当時の北方領土返還交渉です。安倍元首相がプーチン・ロシア大統領と個人的な信頼関係を結ぼうと躍起になり、地元の山口県にまで連れて行って高級温泉旅館で歓待に努めたのは、2016年12月のことでした。

 しかしそうした努力もむなしく、北方領土交渉にさしたる進展はないまま、今日に至っています。
 忘れることができないのは2018年12月20日、プーチン大統領が国外メディアも招いてモスクワで開いた年末恒例の大規模な記者会見での発言です。
 共同通信や朝日新聞の報道によると、プーチン大統領は日本との平和条約交渉について、締結後の北方領土への米軍展開を含め、ロシアの懸念を払拭するのが先決との考えを示しました。そして、返還後の北方領土に米軍が展開することはないといくら日本政府が強調しても信用できないとして、沖縄の米軍基地を例に挙げました。朝日新聞の記事から、プーチン大統領の発言を抜き出すと以下の通りです。

 (米軍基地問題について)「日本が決められるのか、日本がこの問題でどの程度主権を持っているのか分からない」
 「平和条約の締結後に何が起こるのか。この質問への答えがないと、最終的な解決を受け入れることは難しい」
 (沖縄県の米軍基地について)「知事が基地拡大に反対しているが、何もできない。人々が撤去を求めているのに、基地は強化される。みなが反対しているのに計画が進んでいる」

 沖縄についての指摘が米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画を指しているのは明白です。プーチン大統領はまた、この当時日本が米国から導入を計画していた陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」についても、「潜在的に米国の戦略核の一部だ」と主張していました。

※朝日新聞デジタル「プーチン氏『日本の決定権に疑問』 北方領土と米軍基地」=2018年12月21日
 https://digital.asahi.com/articles/ASLDN6G0TLDNUHBI02R.html

digital.asahi.com

 ここには、プーチン大統領が日米の軍事同盟に対して、ウクライナと欧米に対して抱いているのと同じような被害感情が見て取れるようにわたしは思います。そういう意味でも、ロシアのウクライナへの軍事侵攻は、日本に住むわたしにとって遠い国の他人事とは思えません。
 プーチン大統領が指摘した「人々が撤去を求めているのに、基地は強化される」「みなが反対しているのに計画が進んでいる」との沖縄の状況は今日もそのままです。プーチン大統領がウクライナの非武装化を軍事力の行使で求めることと、日本政府が国家の強権で沖縄の人々に基地の過剰な負担を強い続けていることとは、意味合いの底流に共通点があるようにわたしには思えます。沖縄では今でこそ、「銃剣とブルドーザー」と表現されたような米軍による直接的、暴力的な土地収用は行われていません。しかし、辺野古沖の埋め立て工事を巡っては、地元住民を正当に代表する沖縄県知事の要請を日本政府はことごとくはねつけています。沖縄の民意の自己決定権を認めない日本政府が、ウクライナの主権を踏みにじっている軍事侵攻をいくら非難したところで、プーチン大統領は何の痛痒も感じないのではないか。北方領土交渉の経緯を振り返って、そんなことも考えています。

 ロシアと日本の関係を過去の経緯を踏まえて考えれば、ウクライナ侵攻は決して他人事とは思えません。ものごとの遠さ、近さは、物理的な距離だけのことではないのだと、あらためて感じます。
 では、ロシアのウクライナ侵攻をめぐるジャーナリズムの課題は何でしょうか。戦争の開始で一度は敗北したジャーナリズムは、起きてしまったこの戦争を早く終わらせるために何をしなければならないのでしょうか。戦争の実相を伝えることはもちろん必要です。加えて何ができるのでしょうか。そんなことを考えている時に、このニュースに接しました。

 元記事は2月25日(日本時間)のロイター電です。
 ※「ロシア各地で反戦デモ、警察は1600人余りを拘束」
 https://jp.reuters.com/article/ukraine-crisis-russia-protests-idJPKBN2KT3FQ

jp.reuters.com

[モスクワ 24日 ロイター] - ロシアのウクライナ侵攻を受けてモスクワ、サンクトペテルブルク、エカテリンブルクといったロシアの主要都市では、「戦争反対」などのスローガンを掲げた何百人もが終結して抗議活動を展開した。人権団体のOVDインフォによると、警察は24日1939GMTまでに53都市で合計1667人の身柄を拘束した。

 プーチン大統領が専制的な統治を続けているロシア社会で、弾圧の脅しにひるまず「戦争反対」の意思を表明する人々が立ち上がったことは、記事にあるように「異例の事態」でしょう。この声を世界に広げ、国際的な民衆の連帯でウクライナの人々を支えるとともに、ロシア社会で戦争に反対する人たちを孤立させずに支えていくことが、ジャーナリズムには可能なはずです。ウクライナ侵攻をやめることができるのは、おそらくプーチン大統領だけ。そのプーチン大統領の足元のロシア社会で反戦を訴える人々がいることは希望であり、その希望を世界に広げることがジャーナリズムの役割の一つだと思います。
 留意が必要なのは「ウクライナに侵攻したロシア」のひと言で、ロシア社会の人たちをひとくくりに見ないように努めることです。ウクライナでの戦争の成り行きいかんでは、中国が台湾に対して強硬策を取る恐れがあるとも指摘されています。そのことは否定できないとしても、やはり中国政府と中国社会の人々を一緒くたに同一視してはいけないと思います。
 ここに至って思うのは日本国憲法の前文にある次の一文です。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」

 「平和を愛する諸国民の公正と信義」はロシア社会の中にもあります。そのことを日本社会に伝え、また日本社会にも平和を愛する人々の公正と信義が存在していることを国内外に伝えていくことが、この憲法を持つ国のマスメディアにできることであり、最大の責務でもあると思います。

 以下に、ウクライナへの軍事侵攻を東京発行の新聞6紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京)がどう伝えたか、2月25日付の朝刊の各紙1面掲載記事の主な見出しを書きとめておきます。各紙とも「侵攻」の表現でそろいました。
この戦争を日本とのかかわりでどうとらえようとしているのか、各紙ごとの論調の記録として、解説や編集幹部らの署名評論、社説の見出しも書きとめておきます。社説では各紙とも、ロシア軍の侵攻が国際法違反であると指摘している点は共通しています。国際社会の協調、結束を説く点もおおむね共通していますが、一部に「暴挙の代償払わせよ」(読売)、「厳しい制裁を即座に断行せよ」(産経)との相当に厳しい表現があるのが目を引きました。
 米国を介在して日本とNATO加盟の欧州諸国は、間接的な同盟関係にあると言えば、そうなのかもしれません。日本とロシアは隣国同士の長い歴史があり、今は領土問題もあります。中国との関係も考えれば、欧米各国との協調は図るとしても、ほかに何かできる余地はないのか。各紙の社説に目を通しながら、そんなことも考えました。

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▼朝日新聞
1面トップ「ロシア、ウクライナ侵攻/主要都市 軍施設を空爆/米欧は非難、制裁強化へ/市民犠牲 キエフでは銃撃戦」
1面「バイデン氏『ロシアだけに責任』」
3面「共存の国際秩序 揺るがす侵略」/民主主義標的か/結束して圧力を=国末憲人ヨーロッパ総局長
3面・視点「対ロ外交 抜本転換迫る/日本、中国対応見極める必要」佐藤武嗣編集委員
社説「ロシアのウクライナ侵攻 秩序と民主を侵す暴挙だ」/明白な国際法違反/独裁が生んだ暴走/安保再建へ協働を

▼毎日新聞
1面トップ「露、ウクライナ侵攻/軍施設攻撃 40人死亡/プーチン氏『親露派住民守る』」/「米欧、強く非難」/「鳴り響く警報 西部リボフ」
1面・解説「根底に米への恨み」杉尾直哉・元モスクワ支局長
社説「露がウクライナ攻撃 侵略行為を強く非難する」/軍事行動の即時停止を/国際社会が結束示す時

▼読売新聞
1面トップ「露、ウクライナ侵攻/首都・主要都市攻撃/多方面から 40人以上死亡/米欧が強く非難」
1面「G7、追加制裁を確認/首脳会議 日本政府きょう発表」
1面「日米欧の結束 試される」五十嵐文・国際部長
社説「ウクライナ侵略 ロシアに暴挙の代償払わせよ 国連憲章踏みにじる重大な挑戦」/プーチン氏の身勝手/安保理の存在問われる/実効性のある制裁を

▼日経新聞
1面トップ「ロシア、ウクライナ侵攻/首都空港で戦闘/各地の軍施設に空爆 地上部隊も」
1面「米欧日、追加制裁へ/G7、首脳協議で強く非難」/「原油100ドル突破、供給減警戒/NY株急落、一時800ドル下げ」
1面「蛮行に毅然と対応を」秋田浩之コメンテーター
社説「世界はロシアの暴挙を許さない」/即時、軍を撤収せよ/市場の動揺に目配りを

▼産経新聞
1面トップ「露 ウクライナ全面侵攻/首都キエフで爆発/軍施設にミサイル/プーチン氏 軍事作戦表明」
1面「米欧『非難』 G7で対抗策協議」
1面「今こそ同盟の力試されるとき」加納宏幸・外信部長
社説(「主張」)「ロシア軍の侵攻 冷戦後最大の秩序破壊だ 厳しい制裁を即座に断行せよ」/ウクライナとの連帯を/時代錯誤が目にあまる

▼東京新聞
1面トップ「ロシア、ウクライナ侵攻/首都攻撃 南北から地上部隊/『住民保護』名目/双方死者多数か」
1面・解説「『力』頼りの暴挙」金杉貴雄・アメリカ総局長
社説「ウクライナ侵攻 ロシアの無法を許さぬ」/国際社会は結束を図れ/大国の狭間の分断国家