ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

追悼 加藤周一さん

 評論家の加藤周一さんが5日、死去しました。89歳。ご冥福をお祈りします。
 幅広い評論で知られる加藤さんですが、わたしの個人的な思いは2004年6月に立ち上がった「九条の会」に尽きます。憲法9条に絞って、運動の統一ではなく連帯を求めた同会の呼びかけに応じる動きは大変な勢いで広がりを見せ、同会のサイトによれば、地域・職域ごとの「九条の会」はことし11月現在で7200余りに上っています。
 わたしが新聞労連の委員長に専従職で選出されたのは、加藤さんたちの「九条の会」が立ち上がった直後の2004年7月でした。労働運動の中でも、全国どこに行っても、こと憲法9条に関する限りは立場の違いを超えて連帯できる、そういう雰囲気が広がっていっているのを肌で感じました。わたし自身、日本国憲法そのものの理解も深まっていき、それはそのまま情報発信というマスメディアの仕事そのものを考えることにつながっていきました。新聞労連の運動方針に「新聞の労働運動は憲法21条(表現の自由)を守ることを通じて9条を守る」ことを提起したりしました。わたし個人として、今もわたしの仕事に対する向き合い方として、「新聞ジャーナリズムの究極の役割は戦争を止めること」というこの点は変わりがありません。
 評論家としての加藤さんの著作は、実はあまり読んだことがありません。高校生のころ、独創的な授業がわたしも気に入ってきた現代国語の先生が、今はタイトルすらも忘れてしまいましたが加藤さんの文章を課題に取り上げ、とにかくよく分からなかった、ということだけを覚えています。ここ数年、加藤さんが語り、書いていた9条のこと、あるいは社会や戦争のことは強く印象に残っています。中でも敗戦後60年を経て「現在の社会の空気は1930年代に似ている」との指摘(加藤さんばかりでなく、その時代を体験した人に共通する思いのように感じますが)はとりわけ強烈な印象があります。1931年の満州事変を大きな契機に、日本は15年間の戦争の時代に入ります。後世からみればそういう大きな転換期ですが、同時代の人びとにとっては、まだ社会には市民的自由があり物不足を感じることはなかった。ただ、よくよく見れば、新聞の見出しや書店に並ぶ書籍の背表紙に変化が始まっていた―。そういう指摘でした。直接、わたし自身の仕事にもかかわる、先人が遺してくれた警句として、今後も胸に刻んでおきたいと思います。