ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

九州路に「さくら」復活

 2011年3月に予定されている九州新幹線の全線開通にともない、山陽新幹線に乗り入れて鹿児島中央〜新大阪間を直通運転する列車の愛称が「さくら」に決まったことが26日、発表されました。
「直通新幹線の列車名は『さくら』」
http://www.47news.jp/CN/200902/CN2009022601000354.html(47news)

 各紙の記事にも紹介されていますが、「さくら」はかつて東京と長崎・佐世保間を走り2005年に廃止された寝台特急ブルートレインの愛称でした。関門トンネルを挟んだ北九州市出身のわたしにとって、「さくら」や「富士」「あさかぜ」など東京と九州各地を結んだブルートレインは子どものころ、自分の街の鉄路を走る赤い機関車と青い客車をみるたびに、行ったことがない東京の想像をかきたてる夢の特急列車でした。当時の日本社会は高度成長の真っただ中。子ども心に、自分の将来に対して無限の可能性を信じることができました。わたしにとって「さくら」は、そうした幼いころの思い出と結び付いた名前です。新大阪までで東京駅には乗り入れないとはいえ、九州路に復活することには感慨があります。
 少し前には、新幹線0(ゼロ)系の引退が話題になりました。長じて大学に進み上京したころ、帰省のたびに乗ったのが0系「ひかり」でした。「のぞみ」登場はるか前の当時、実家に最寄の新幹線停車駅・小倉まで東京から約6時間半。今から思えば長い道のりでしたが、人生の大きな岐路であった学生時代、本を読んだり将来のことを考えたり。そうしたことが車窓の景色の記憶と共に思い起こされる列車です。自らの人生の記憶を引退する0系に重ねる人たちのことを報道で知り、わたしも感慨を覚えました。