ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

読書:「徹底検証 日本の五大新聞」(奥村宏 七つ森書館)

徹底検証 日本の五大新聞

徹底検証 日本の五大新聞

 著者の奥村宏さんは株式会社論が専攻の研究者。1930年生まれで、産経新聞で9年間記者として働いた後、研究活動に転じた経歴を持っています。本書のタイトルの「五大新聞」は読売、朝日、日経、毎日、産経(並び順は本書で登場する順です)の大手5紙ですが、個別の新聞社研究というよりは、日本の新聞事情を「株式会社として見るとどんな問題があるのか」の観点から5紙を通じて論じた1冊です。新聞の危機を論じる出版物は雑誌の特集記事も含めて最近目に付くようになっていますが、「株式会社」の観点から新聞の危機を論じる独自の切り口に本書の価値があるのかもしれません。
 各新聞社が株式会社でありながら株式を公開せず、しかも日刊新聞特例法によって早くから株式の譲渡制限が容認されてきたことに対し、奥村さんは本書で繰り返し「おかしい」と指摘します。新聞業界の側は、いずれも言論の独立を担保するために必要だと説明してきましたが、奥村さんは「原則として株式の売買は自由というのが株式会社の原理」と指摘し、株式の非公開と譲渡制限の影でどんな経営が行われ、それが紙面のジャーナリズムにどんな影響を与えているかの考察を示しています。
 5紙それぞれに対する論点は明確。章立てのサブタイトルから拾ってみると次のようになります。
 ▽読売新聞「独裁者が支配する世界最大の新聞」
  「独裁者」とは渡辺恒雄氏のこと。
 ▽朝日新聞「不合理な株式持合い」
  テレビ朝日との提携強化。古くて新しい問題の新聞と放送のクロスオーナーシップ
 ▽日経新聞「この新聞社の株は買ってはいけない
  社員株主は退職後も株の譲渡先や価格を自分で決められない。
 ▽毎日新聞「新聞といえども弱い者イジメされる」
  沖縄返還時の密約をめぐる「西山事件」後の倒産と営業面での今日の低迷。
 ▽産経新聞「タダで乗っ取られた新聞社」
  故水野成夫氏と故鹿内信隆氏による2度の「乗っ取り」。
 紹介されているエピソード自体は既に広く知られているものであったり、他著の引用だったりですが、それに株式の所有状況に対する論考や、株式会社をめぐる法改正の経緯などを織り合わせていくことで、さんざんに語られている「新聞の危機」に新しい観点を提供していると言っていいと思います。
 後段では「新聞を良くするには新聞社そのものを変えていく以外にはない」という奥村さんの考えが示されています。終章になる「第10章 人間の顔が見える新聞社」で奥村さんが主張しているのは、新聞社の多角化した事業部門を分離、独立させて、経営者も従業員も互いの顔が分かる300人くらいの会社にすることです。
 その前提として、研究者として奥村さんが指摘するのは、新聞社に限らない株式会社一般の変容です。株主有限責任、株主主権、株式の自由売買などを原理としていた近代株式会社ではもともと株主は個人であったのに、19世紀末から20世紀にかけて、会社が会社の株式を所有するようになり、グループ化、系列化、さらにはコンツェルンができて株式会社が巨大化。同時に株式が分散し「経営者支配」になっていきました。さらに1970年代以降は機関投資家が大株主となり、だれが真の株主か分からなくなりました。日本では会社による株式の相互持合いも進んで、株主主権の原則は崩れ、さらに株主は有限責任から無責任になっていきます。一方で、巨大化した株式会社は大きくなりすぎて「規模の不経済」に陥り、多角化を進めたために「範囲の不経済」に陥りました。今や株式会社は危機に陥り、株式会社とは呼べないようなものに変質した、というのが奥村さんの指摘です。
 さらに、そうした現状で、復古主義的に「もとの株式会社に返れ」との株主資本主義論とそれに基づく新自由主義が出ている、とした上で「株主資本主議論は『会社は株主のものである』というのだが、真の株主が誰であるのかわからない状態で、そのように主張するのは全く株式会社の歴史を知らない者のいうことであり、株式会社とは何か、ということがわかっていない議論である」と喝破。「そういう状況の中で、新聞社も『株式会社らしい株式会社』になれ、というのはそれこそ『時代錯誤』である」「言論報道機関として言論の自由を守り、権力を監視する役割を担っている新聞社が株主の利益追求を目的とすることはそもそも矛盾」「株主の利益追求を目的とするようになれば、そこからジャーナリズムの腐敗と堕落が始まる。このことをアメリカや日本のこれまでのジャーナリズムの歴史が教えている」と、会社としてのありようとジャーナリズムのありようとの問題意識も明確に述べています。
 マスメディアを企業の側面から論じる場合、近年はビジネスモデルや業績をテーマに先行きの暗さを強調したものが目に付きます。そうした中で、新聞社と放送局の系列など古くて新しいクロスオーナーシップの問題などにも触れつつ、一般にはあまり議論にならない株式会社論からアプローチし「新聞をよくする」ことを考えるのが本書の独自性でしょうか。奥村さんの株式会社論が学会や経済界でどのような位置を占めているのか、わたしには知識がありませんが、本書には斬新さを感じました。
 また、奥村さんは本書でビジネスとしての新聞よりも、ジャーナリズムとしての新聞に重きを置いているように感じました。必ずしもそうと明記されてはいませんが、これは奥村さんが戦争を知る世代だからかもしれないと推察しています。

 本書の中でわたしが共感するのは「第9章 『職業としてのジャーナリスト』は可能か?」で触れられている新聞記者の働き方です。奥村さんは「極端な提案」としつつ、新聞記者はすべて独立したジャーナリストとなり、新聞社とは契約によって原稿を書いてはどうかと述べています。そのためには労働組合もジャーナリストユニオンとして再編する案も提示しています。このブログでも何回か書いてきていますが、わたしも企業内労働組合ではなく個人を単位とした単一の職能労働組合が持つ可能性を考えていますし、そうした働き方と表裏一体の課題として、ジャーナリストという社会的職能をどう確立していくのかを今後も考察していきたいと思います。

※参考
 新聞販売の現場で働く今だけ委員長さんの読後感もどうぞ。
 http://minihanroblog.seesaa.net/article/118335971.html