ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

エディターの読者との向き合い方〜週刊朝日編集長に敬意

 週刊朝日山口一臣編集長が同誌の公式サイト「談」で「お騒がせして申し訳ありません」というタイトルの長文をアップしています。小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体陸山会」の政治資金収支報告書に虚偽を記入したとして、小沢氏の秘書だった石川知裕衆院議員らが逮捕された事件に関連して、同誌が掲載した記事に対し東京地検の谷川恒太次席検事から「全くの虚偽」として2月3日に文書で抗議を受けたてん末を、ていねいに説明しています。3日午後、ツイッター上では「東京地検から山口編集長に出頭要請があった」との情報が駆け巡っていました。山口編集長はまず「出頭要請」について「そのような事実はありません」と否定しています。その上で、東京地検からの抗議というジャーナリズムにとって軽視できない出来事について、冷静に説明しています。読者に対して言葉を尽くして説明しようとする、その誠実さがよく伝わる文章です。
週刊朝日 談[DAN]
 http://www.wa-dan.com/yamaguchi/

 わたしなりに山口編集長の文章の中でもっとも重要だと感じている部分を引用します。

 一方、谷川氏の抗議書には、「真実は」として、おそらく担当検事から聞き取りをしたと思しき内容の記述があります。これには正直、驚きました。これは「真実」でなく、あくまでも「検察側の主張」ではないかと思います。わたしたちも、上杉さんの記事は丁寧な取材を重ねたもので、内容に自信を持っていますが、「真実」とは軽々に断定できないと思っています。「真実」とは、それほど重たいものなのです。そのため、わたしたちは通常であれば対立する相手方の意見を取材することになりますが、東京地検に関しては過去に何度、取材申し込みをしても、「週刊誌には、一律してお答えしないという対応を取らせていただいております」というような返事を繰り返すばかりでした。
 このような抗議をする前に、取材に応じていただければよかったのに......。

 抗議の対象になったのは、上杉隆氏が執筆し週刊朝日2月12日号(2月2日発売)に掲載された「子ども“人質”に女性秘書『恫喝』10時間」という記事です。山口編集長がここで「上杉さんの記事は丁寧な取材を重ねたもので、内容に自信を持っていますが、『真実』とは軽々に断定できないと思っています。『真実』とは、それほど重たいものなのです」と書いていること自体、ジャーナリズムの姿勢として本当に真摯で、媒体の編集責任者として重いことだと思います。
 女性秘書が東京地検から受けた扱いについて、上杉氏は「関係者」から聞いたこととして書いています。女性秘書本人なのか、本人から話を聞いた周辺の人物なのか、あるいはさらに人を介した又聞きなのか、可能性はいろいろ考えられますが、「関係者」の属性は記事からは判断できません(仮に女性秘書本人から聞いている場合でも、記事では「関係者」としか表記できない場合もあるだろうと思います)。
 一般的に言って取材では、情報源の属性によって、意図的な作為とは言わないまでも、もたらされる情報に何らかのバイアスがかかることは珍しくありません。根拠のないまったくの仮定ですが、仮に上杉氏の情報源の「関係者」が捜査の可視化を実現させたい立場だったとします。提供する情報にバイアスをかけることで検察側のリアクションを引き出すことができれば、社会で「だから可視化が必要だ」という声が高まることが期待できます。現に例えば、鈴木宗男衆院議員は自らのサイトの日記で東京地検の抗議を取り上げましたが、女性秘書への聴取のやり方を怒るでもなく「法務省東京地検に言いたい。だから取調べや聴取の全面可視化が必要なのだと。(中略)法務省東京地検よ。ここは一緒になって、全面可視化に向けて行動しようではないか」と書いています。「取調べや聴取の全面可視化が必要」との感想を持った政治家はほかにもいるでしょうし、上杉氏の記事を読んだ読者の中にも、同じ思いを抱いた人も多いのではないでしょうか。
※ムネオ日記(2010年2月)
 http://www.muneo.gr.jp/html/diary201002.html

 上杉氏が記事で「関係者」という以上に属性を明らかにしない以上、読者に対して、情報にそうしたバイアスがかかっていることがあり得ることを否定し切る状況にないことを山口編集長はよく分かっているのだと思います。裏付けに必要な取材を拒否してきたのは検察当局の側なのですが、しかし、読者への説明として「記事は真実」と強弁するのではなく「内容に自信を持っていますが、『真実』とは軽々に断定できないと思っています」と謙虚に書く山口編集長のスタンスに、敬意を表します。
 山口編集長は、次号に上杉氏による「東京地検の『抗議』に抗議する」を掲載することも予告しています。ぜひ読んでみようと思います。

ツイッター上で2月3日に何が起きていたか、動きを時系列をまとめるのはわたしの手に余ります。ここで紹介するのに最適だと考えているわけではないのですが「切込隊長BLOG」の以下の2本のエントリーを挙げておきます。J-castニュースが3日午後にアップした記事も参考になります。
週刊朝日が地検に呼ばれたらしいよ」
  http://kirik.tea-nifty.com/diary/2010/02/post-8ae5.html

「どうも検察庁から週刊朝日編集部への話は『電話で面会を要請』だったらしい」
  http://kirik.tea-nifty.com/diary/2010/02/post-d437.html

東京地検週刊朝日に抗議 記事に『虚偽の点がある』」
  http://www.j-cast.com/2010/02/03059378.html

※ちなみに東京地検の抗議を記事として出稿したマスメディアは、わたしが確認している限りでは共同通信が簡単に配信しただけでした。
東京地検週刊朝日に抗議 石川議員捜査の記事」
 http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010020301000948.html
 ツイッター上では朝日新聞東京本社編集局の公式アカウントが3日夕方、「出頭要請はありません」とのつぶやきを発信していますが、本紙では記事化していません。
 http://twitter.com/asahi_tokyo/status/8580178343

 実は今回のエントリーは当初、「陸山会」事件で石川氏ら3人を政治資金規正法違反罪で起訴し、小沢氏については不起訴とした2月4日の東京地検の処分に対する新聞各紙の報道、中でも各紙の政治部長や社会部長の署名入り論評についてのわたしなりの感想を書くつもりでした。しかし山口編集長の文章に接してみて、編集責任者がその責任の所在を明確にして表明する意見や論評のありようについて、今あらためて考えています。虚空に向けて言いっ放し、書きっ放しではなく、語るべき相手を見据えて言葉を尽くすことが必要ではないかと。新聞メディアが産業としての危機感を深めている中で、明日も新聞を手に取り続けてもらおうと思うならなおさらでしょう。
 5日付けの大手紙朝刊(東京本社発行)の紙面は東京地検の刑事処分と政界の反応を様々に伝えました。社説や担当記者の解説以外にも、各社の政治部長や社会部長名を見出しに取っての論評を1面や総合面に掲載しています。署名入りの記事という以上に、取材部門の編集責任者(エディター)としてこの事件の区切りをどうとらえているかの視点、視座を明らかにし、読者に説明すべき編集上の課題があれば説明に努める、という位置付けだとわたしは理解しています。それぞれのエディターがそれぞれに表現をこらして執筆していることは読み取れるのですが、総じて、新聞メディアのありようとして、これで十分だろうかとの思いを持っています。
 例えば、この事件の報道では「検察リーク」との批判が検察だけではなくマスメディアにも向けられ、その批判は民主党など「政治」からだけでなくフリーランスのジャーナリストや研究者など様々な分野から起きました。批判に対して各紙の社会部長や論説委員編集委員らが紙面で見解を明らかにしましたが、読者の納得(賛否は別としても)を得られているかといえば、わたしには疑問があります。「検察リークはあるのか」という読者の単純な疑問に対して「ない」と答えるにしても、その理由は一般論にとどまっているからです。そして、それも現状ではやむをえない、無理もないとも感じています。もとより「検察」、なかでも「特捜部」について、歴代の担当記者が何十年と取材を続けてきた新聞メディアと一般の読者とでは、知識もイメージもすべてに大きな差があります。これは特捜検察の事件取材に限ったことではなく、政治取材や経済取材などおよそ新聞メディアが展開してきたすべての取材に関して言えることだと思います。
 落差と言ってもいいほどのその差を埋めて、取材活動や編集方針を読者に納得してもらい、さらには賛同をも得ようとするなら、言葉を尽くして説明を続けるしかありません。取材のすべてを開示できないにしても、一般論をただ繰り返すのではなく、なるべく多くの個別具体例に即して説明に工夫を凝らす努力が必要でしょう。加えて、紙面には物理的な制約もつきまといます。
 デリケートな配慮が必要な取材上の事項をどこまで読者に開示するのか、どこまでをメディアとしての説明責任としてとらえるのかは、議論があると思います。しかし、エディターが自分の名前を出すことで責任の所在を明確にしつつ説明を尽くせば尽くすだけ、メディアとして信頼を得ることにつながることは間違いがありません。紙面でやるには限界があるということならば、自社サイトにブログなり何なり、そういう欄を設けることも簡単にできる対応策の一つだろうと思います。肝心なのは、たまの機会にだけ虚空に向けて言いっ放し、書きっ放しではなく、語るべき相手を見据えて言葉を尽くす、しかも日常的に、不断に―そういうスタンスだと思います。

 以下に、記録として5日付け朝刊の大手紙各紙に掲載された政治部長や社会部長の論評の見出しを挙げておきます。個人的には政治部長、社会部長に加えて社会部副部長まで登場させた毎日新聞の紙面が印象に残りました。
朝日新聞
 1面「政権出直す機会に」薬師寺克行・政治エディター
毎日新聞
 1面「進退有権者が決める」小菅洋人・政治部長
 2面「『大山鳴動』否めず」松下英志・社会部副部長
 24面「情報を見極め権力の監視続ける 『検察リーク』批判に答える」小泉敬太・社会部長
【読売新聞】
 2面「虚偽報告国民を愚弄」溝口烈・社会部長
日経新聞
 1面「権力の対立 何を残したか」平岡啓・社会部長
産経新聞
 1面「ほくそ笑むのはまだ早い」近藤豊和・社会部長