ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「ニュースが僕を探してきてくれる」時代

 毎週土曜日の午前中に行っている明治学院大学社会学部での非常勤講師の講義は、5月22日で7回が終わりました。以前のエントリー(「紙面、取材組織、記者クラブの『三位一体』」的な縦割り〜ネット以前と同じ新聞メディア」)で触れましたが、「可視化されるマスメディア」をテーマに4回話すつもりだったのが、それでは終わらずもう1回延長になりました。22日からは次のテーマに移り「ソーシャルメディアの台頭とマスの崩壊」です。講義では、最近よく目にするようになってきた「もしニュースが重要ならニュースのほうから僕を探してきてくれる」というフレーズを学生に紹介しました。わたし自身、mixiのマイミクさんの日記や、ツイッターでフォローしている人たちのツイートを通じて、どんな出来事が起きているのかや、どんな人がどんなことを書いているのかを知るのは日常のことになっており、このフレーズには納得感があります。一方で新聞に代表される既存のマスメディアが従来、自分たちが発信する情報の受け手としていた「マス」は既になくなっているのではないか、と考えています。今、進んでいるそんな変化と、そのことによってジャーナリズムがどんな変化を見せていくのを考えていきます。

 「可視化されるマスメディア」のテーマを延長した15日の講義では、昨年の政権交代後に持ち上がった「記者会見の開放」問題を「マスメディアの可視化」の観点に立てば何が見えてくるかについて話しました。
 「記者会見の開放」に関しては、朝日新聞社ジャーナリスト学校編集の「Journalism」1月号のメディア・リポート欄に小文を寄稿しています。ネットで読むことができます。

 ※「労を惜しんではいけない記者会見の開放」
 http://www.asahi.com/digital/mediareport/TKY201001080300.html

 また、このブログでも種々書いてきました。カテゴリー「記者クラブ」の過去エントリーも読んでもらえれば幸いです。
 個人の見解として、わたしは記者会見の開放はどんどん進めればいいと考えています。まずは記者会見の参加資格と、記者クラブのメンバーシップとを切り分けて考えれば、現実的な対応は十分に可能だろうと思います。確かに記者クラブ所属記者にとって、記者会見参加の基準を判断することは、労力と時間を要する面倒な仕事かもしれません。しかし、記者クラブが本来果たすべき機能は何か、という観点に立ち返るなら、同じように「報道」を担う仲間を自らの主体的な判断で会見の場に迎え入れるべきです。そのための労力と時間を惜しんではなりません。しかし、現実には、記者会見の開放をめぐってはここまで政治の側のイニシアチブが目立っています。政治主導に記者クラブが押し切られる形です。
 開放後の記者会見では、記者会見そのものがメットメディアやフリーランス・ジャーナリストらによってニュースとして取り上げられるようになっています。皮切りとなった岡田克也外相や亀井静香金融担当相の会見では、ネットで同時中継されたり、ツイッターでやり取りが紹介されたりしています。そこでは取材側の誰がどんな質問をしたのかも伝えられており、新聞や放送のマスメディアの記者も例外ではありません。記者会見という「取材」が可視化されています。それでもなお、マスメディアの中には記者会見の開放を、読者や視聴者に伝えるべきニュースとしてとらえるかどうかに温度差があります。3月26日に初めて鳩山由紀夫首相の記者会見がオープン化されましたが、東京都内発行の新聞各紙の翌27日付朝刊では、朝日、毎日、産経、東京は関連記事を掲載したものの、読売と日経はオープン化には触れませんでした。
 4月22日には最高検察庁が全国の地方検察庁に通知を出し、次席検事による定例のオープン会見を開くこと、出席者の範囲などを地元の記者クラブと協議することなどを求めています。記者会見開放問題の舞台が、東京の省庁の記者クラブから全国に広がった、つまり在京の大手マスメディアの記者たちに加え、地方紙や大手マスメディアの支社・支局の記者たちもこの問題の当事者になった、という意味でわたしは注目しています。
 今後、記者会見の開放、さらには記者クラブのありようを考える上で、明確に浮上してくるだろうと思える新たな論点もあります。
 現状では、オープン化された記者会見への参加基準は、記者クラブではなく閣僚や省庁の側が主導して基準を決めています。日本新聞協会や日本民間放送連盟のほか日本インターネット報道協会などいくつかのメディア業界団体の会員社、日本外国特派員協会会員や外国記者登録証保持者に加え、これらのメディアに記事を提供しているフリーランス、というのが多く見られるパターンです。オープン化の皮切りとなった外務省の方針を基本的に踏襲したためではないかと、わたしは推察しています(ただし外務省は「発行する媒体の目的、内容、実績に照らし、(業界団体会員社の)いずれかに準じると認めうる者」との規定も設けています)。地方検察庁でも、いくつか事前登録の告知がホームページにアップされていますが、同じパターンです。

 ※外務省「大臣会見等に関する基本的な方針について」
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/oshirase/21/pdf/osrs_0925f.pdf
 ※東京地方検察庁東京地方検察庁における記者会見等について」
 http://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/tokyo/tokyo.shtml

 これらの参加基準は総じて言えば「商業メディア」と「職業的(プロの)ジャーナリスト」ということになります。新たな論点とは、「非営利」ないしは「ノンプロ」は報道やジャーナリスト足り得ないのか、ということです。実はこの点について、近日発行予定の雑誌に寄稿した拙文の中で触れています。後日、あらためてこのブログでも書きたいと思います。

 さて、前回22日の講義からは次のテーマ「ソーシャルメディアの台頭とマスの崩壊」に入っています。
 ここで言う「マス」とは、新聞やテレビが従来、自分たちが発信する情報の受け手ととらえていた一定の均一性を備えた社会のことです。わたしなりの便宜的な定義です。日本の新聞の場合、戦後の高度経済成長と長期保守政治の中で出現した「1億総中流意識」社会で非常にうまく機能したメディアだったのかもしれません。このマスは既に崩壊しているとわたしは考えています。そうした中でブログ、mixiなどのSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)、ツイッターなどが普及してきて、社会の情報伝達はどうなっているのか、新聞や放送の既存マスメディアはどんな風に対応していけばいいのか、などの諸々を考えていくつもりです。
 このエントリーの冒頭部で紹介した「もしニュースが重要ならニュースのほうから僕を探してきてくれる」というフレーズをTechWave編集長の湯川鶴章さんがご自分のブログで取り上げています。
 
 湯川鶴章のIT潮流「『もしニュースが重要ならニュースのほうから僕を探してきてくれる』=2030年メディアのかたち(坪田知己著)」(2009年12月14日)
 http://it.blog-jiji.com/0001/2009/12/2030-dd27.html

 このエントリーの見出しにとった「もしニュースが重要ならニュースのほうから僕を探してきてくれる」というのはNew York Timesの記事Finding Political News Online, the Young Pass It Onの中の引用文だ。ある調査会社が行ったグループインタビューの中での大学生の発言として引用されている。原文ではIf the news is that important, it will find me.となっている。この原文で、英語版グーグルで検索してみれば分かることだが、このセンテンスを含む非常に多くのページが存在する。このセンテンスが多くの人に衝撃を与えたことが分かる。
 座っていてもテレビなどでニュースが一方的に送られてくる時代から、インターネットを通じて無数のニュース源を探し出せる時代に移行したことは、多くの人が実感するようになった。しかしネットが「巨大な図書館」から「巨大な公民館」へとその役割を変える中で、人とのつながりを通じてニュースが「向こうからやってきてくれる」時代へ、今は移行期の真っただ中なのである。
 「2030年 メディアのかたち」の著者、坪田知己さんは、このNew York Timesの記事が2008年3月に発表されるずっと以前から、ニュースの摂取方法がそのように変化していくと予測してきた。坪田さんの表現では、メディアは「1対多」というマスメディアの形から「多対多」になり、最終的には「多対1」というマイメディアになる、となっているが、坪田さんの主張の本質は「もしニュースが重要ならニュースのほうから僕を探してきてくれる」ようになるという表現と同じであろう。

 湯川さんが紹介している坪田さんは、スイッチオン・プロジェクトでご一緒させてもらっており、著書の「2030年 メディアのかたち」も贈呈いただきました。

 ※参考過去エントリー
 「読書:『2030年 メディアのかたち』(坪田知己 講談社現代プレミアブック)」2009年11月4日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20091104/1257266310

 坪田さんが指摘している「『マスメディア』から『マイメディア』へ」も、キーワードの一つとして講義の中で学生に紹介しました。この本はメディアのことを学び始めた学生でも読みやすく、平易に書かれていると思います。学生にお奨めの一冊です。
 湯川さんの著作「次世代マーケティングプラットホーム 広告とマスメディアの地位を奪うもの」も印象深い一冊です。講義に持参したものの、またもしゃべるのに追われているうちに教室で紹介するのを失念してしまいました。ここでお奨めの一冊としてあらためて紹介します。

 ※参考過去エントリー
 「読書『次世代マーケティングプラットホーム 広告とマスメディアの地位を奪うもの』」
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20081130/1228021285

 代表的な既存マスメディアである新聞は「きょう知っておくべきニュースはこれだ」と新聞記者や編集者が考えたものをパッケージにしたメディアです。読者一人一人の属性の違いにかかわらず、基本的には1回に1種類のパッケージしか作りません。講義では、その新聞が広く社会に受け入れられ、発行部数も右肩上がりに伸びていた時代もあったことを踏まえた上で、今とこれからのメディア状況を学生とともに考えていきたいと思います。