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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

差別構造は可視化されている〜沖縄知事選の結果が日本人に突き付けているもの

 今回の沖縄知事選で、米軍普天間飛行場の移設問題を争点として思い切って単純に図式化するなら、日本本土(ヤマト)で引き取れと訴える仲井真弘多氏に対して、伊波洋一氏は米国に引き取りを求めていました。仲井真氏の当選は、実はヤマトに住む一人一人の日本人に沖縄への差別を問いただす意味があると、わたしは考えています。
 「米軍は米国に戻れ」という伊波氏の主張は「自分が嫌なものは他人(ヤマト)に押し付けるわけにはいかない」という発想をも含んでいるように思えます。そこには、本土の反戦・反安保の運動と連帯・共闘できる余地があり、必ずしも本土の日本人を追い込むものではありません。少し皮肉めいた厳しい言い方になるかもしれませんが、本土の日本人の中で反戦、反基地、反安保の立場に立つ人たちにとっては、伊波氏の主張に象徴される沖縄の運動との連帯を表明することで、あるいは連帯の運動に参加することで、自らも主権者の一人である日本国が国家意思として沖縄に過酷な基地負担を強いていることへの後ろめたさを、多少は軽くすることができるかもしれません。
 対して仲井真氏の主張は日米安保を是としたうえで、沖縄が過度の負担を負わされ続けることへの抗議です。その抗議は、政府・民主党政権にとどまらず、沖縄以外のすべての日本人に等しく向けられているものと受け止めるべきです。普天間飛行場の代替施設を引き続き沖縄に引き受けさせようとしている現政権も、選挙を経て誕生しました。個々人が個人として現政権を支持していようといまいと、民主主義の仕組みの上からは、現政権が存続していることに対して選挙で一票を行使する日本国の主権者としての責任は免れません。
 一貫して基地反対の革新の土壌から出てきた伊波氏よりも、元来は保守であり、自民党政権下では県内移設を容認していた仲井真氏の方が、今や日本と日本人に対してより厳しい立場に立っている―。わたしにはそういうふうに見えます。仮に仲井真氏の主張が一時的な便法で仲井真氏自身の考えは別のところにあるのだとしても、仲井真氏はその主張とともに知事に当選したのであり、主張は撤回できないし、しないでしょう。今回の知事選の結果は、いよいよヤマトの日本人一人一人に沖縄の基地問題をどうするのか、その覚悟を問うことに等しいと受け止めています。
 思い起こすのは、普天間飛行場の県外移設を掲げながら、ずるずると後退していった鳩山由紀夫前首相が開催を要請したことし5月の全国知事会議です。沖縄の負担を何とか各地で肩代わりできないか、という前首相の呼びかけに対し、総論では理解を示しながらも、各論となると各地の知事からは消極的、否定的な発言が相次ぎ、曲がりなりにも前向きな発言をしたのは大阪府橋下知事だけでした。実は今も、総体として見れば日本本土に住む日本人の間の意識は大して変わっていないのではないか、と思います。
 日米安保が継続する限り、日本国民個々人の個人意見として安保に反対かどうかにかかわらず、在日米軍は存在し続けます。日本国の国家意思として在日米軍を受け入れている以上、駐留地をどこに置くかは負担の地域割りの問題であり、負担の公平分担の観点が重んじられて然るべきです。本来はきわめて単純で分かりやすい問題です。仮に今後も、普天間飛行場の移設問題をはじめとして沖縄の基地問題に変化が生じないのだとしたら、それは差別の固定化です。しかも日本本土に住むすべての日本人が、そこに加担しているとの批判を免れえない、そういう差別です。
 米軍施設の国外移転について、それを沖縄の人たちが口にするのはともかく、日本本土に住む日本人が同じように口にしても、何ら差別への加担から逃れられるものではありません。まず現にある差別を解消しなければなりません。それは米軍施設を沖縄以外のいずれかの地域で引き取ることでしか実現できません。仮に、普天間飛行場がグアムなりの国外に移転したとしても、在日米軍専用施設の7割以上が沖縄に集中していた差別的な構造が、日本の国内問題として解消されるわけではないからです。この差別は、沖縄以外の地域が米軍施設立地を引き受けることでしか解消できません。
 日本本土の日本人の視点から見れば、これまでは沖縄県政が基地受け入れを容認していたこともあり、自らが加担している差別構造に気づきにくい面があったと思います。しかし、昨年来の政権交代と鳩山前首相の蹉跌、名護市長選や市議選など沖縄県内の自治体選挙、そして今回の知事選と進んできて、沖縄の民意と県内の政治状況に変化が生じてきています。前々回のエントリーで指摘したことですが、もはや沖縄に「県内移設受け入れ」の世論はないのです。そして、その変化は日本本土の日本人でも気づくことが可能なはずです。もはや差別構造は可視化されています。そしてそこにこそ、今後もヤマトのマスメディアが果たさなければならない大きな責任があると思います。

※このブログでは、これまでも沖縄の米軍基地負担についての個人的な考えを書きつづってきました。過去エントリーについてはカテゴリー「沖縄」をご参照いただきたいと思いますが、特に下記のエントリーをお読みいただければ幸いです。

「なぜ沖縄」の疑問に応えていく報道を〜ヤマトメディアに起きた無自覚の変化=2010年5月30日
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20100530/1275180587

※11月30日付けの琉球新報の紙面が手元に届きました。1面に知事選の総括振り返りの連載が始まっています。初回は「革新共闘」。伊波氏の敗因を探る中で、以下のような記述があります。

 一方で、選対幹部は「本来は強いはずの基地問題で、政党ごとの足並みが乱れた。多くの政党が居並ぶことで、伊波氏にとっても自身の主張が主体にならないというデメリットがあったと思う」と共闘内部の課題を指摘する。
 普天間問題をめぐり社民が「安保の負担を沖縄に押し付けている差別的な状況を訴える」と「県外移設」の表現を盛り込むよう主張したのに対し、共産は「沖縄に必要のない基地は、全国にも必要ない」として「無条件撤去」を主張した。政策や運動方針をめぐる政党間の言い分がぶつかり、伊波選対は調整のための会議に時間と労力を費やした。

 沖縄と基地の争点設定では、やはり「県外」を打ち出した仲井真氏陣営の主張(県内移設容認からの転換は別として)の方が分かりやすかったのかもしれません。