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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「記事の評価」を理由にできれば記者の解雇は簡単

 記者の働き方を考える上で、見過ごせない出来事が目に留まりました。経済・金融情報をメインにする米ブルームバーグの東京支局で記者として働いていた男性(48)が、達成困難なノルマを会社に課せられた上、ノルマが達成できなかったことを理由に解雇されたのは不当だとして、今月10日、東京地裁に地位保全の仮処分を申し立てました。ネット上では今のところ共同通信の記事しか見当たりません。一部を引用します。

 男性や支援する新聞労連によると、2005年11月に入社し、株式市場の相場記事などを担当。昨年12月、(1)週1本の独自記事(2)編集局長賞級に匹敵する記事を月1本―などを要求する「業務改善計画書」を会社側から渡された。今年8月、編集局長賞級の記事の受賞がなかったことなどを理由に解雇されたとしている。

※「記者に『独自記事』ノルマ課す 解雇不当と仮処分申し立て」(47news=共同通信
 http://www.47news.jp/CN/201012/CN2010121001000852.html

 会社側はおそらく、会社が求める業績を達成できなかったのだから解雇はやむを得ない、と主張するのでしょうが、極めて問題の大きいやり方だと思います。共同通信の記事を見た限りですが、「独自記事」や「編集局長賞級の記事」の定義の仕方がそもそもあいまいです。ブルームバーグが実際にはどのような表現でこれらの記事を定義しているのかは分かりませんが、取材・編集の実務上の一般論としては、いかようにも恣意的な評価が可能です。
 もともと一般論として、一本の記事を「独自記事」「特ダネ」と評価するかどうか、客観的な基準を設定することは困難です。単に競合他社が書いていない記事、発表によらない記事、あるいは発表より半日前に書く記事ならいいかと言うと、広義の「独自」かもしれませんが、評価に値する優れた記事かどうかは別問題です。加えて、評価する側とされる側が、雇用する側とされる側として一方的な力関係にある場合は、つまるところ、ある記者を辞めさせたいと思えば、どんな記事を書いても「独自記事に値しない」「編集局長賞級に値しない」と評価してしまえばいい、ということです。
 客観的な記事の評価基準の設定は困難ですが、では仮に10人が見て10人とも「独自記事」「編集局長賞級に値する」と認めるような、だれがみてもノルマをクリアしていると認めざるを得ないような業績を残した場合はどうかというと、それでもこのやり方なら恣意的な解雇は可能です。週に1本、月に1本のノルマを週に2本、月に2本にすればいいだけです。
 能力、実績が第一の外資系なら当たり前、という見方もあるかもしれませんが、一般論として見ただけでもこうしたやり方が問題なのは、能力や実績を評価したように見せかけて恣意的な解雇が思いのままにできる仕組みである、という点にあります。労働契約はそれほど軽いものではありません。
 日本の新聞社でも労務・人事管理面ではこの10年ほどの間に、人事・賃金上の処遇に業績の評価を反映する制度への移行が進みました。常に問題になるのは、業績をどう評価するかです。日本の新聞記者にとっても、このブルームバーグの一件は自らの働き方を考える上で無関心ではいられない出来事だと思います。
※追記(2010年12月12日午前2時40分)
 明石蛸三郎さんより、コメントをいただきました。ありがとうございます。ブルームバーグは記事がどれぐらいクリックされたかを給与の一部に反映させている、とのことです。
 http://blog.livedoor.jp/takosaburou/archives/50427172.html