ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

この1年に読んだ本から

 昨年は読書関係のエントリーが減ってしまいました。今年は読書にも励みたいと思います。年が明けてしまいましたが、昨年1年に読んだ本の中で印象に残った何冊かについて、簡単に感想を書き記しておきます。

街場のメディア論 (光文社新書)

街場のメディア論 (光文社新書)

▽「街場のメディア論」内田樹光文社新書
 著者の大学での講義を基にした一冊。講義の対象は20歳くらいの女子大生とのことです。まえがきによれば、メディアの概論を述べるのではなく、メディアの「現状」(=不調)が、その当のメディアの中に四六時中埋没している現代日本人の知性と同調しているという話だけを話した、とのことで「メディアの不調はそのままわれわれの知性の不調である」と言い切っています。
 本文は第一講はキャリア教育の一般論で、メディアを語るのは第二講「マスメディアの嘘と演技」から第八講「わけのわからない未来へ」まで。いずれも、メディアの仕事の実務に携わりながら必ずしもふだん明確には意識していない論点をズバリズバリと言い当てられた、というのが読後感です。たとえば第三講「メディアと『クレイマー』」から第四講「『正義』の暴走」にかけてでは、マスメディアが「『弱者』の側に立つ」と言うときに、では「弱者」をどのようにイメージしているのか、「弱者」をどのように定義づけているのかマスメディアは説明できるのかどうかを考えさせられました。
 このほか、マスメディアの深刻な危機的状況を生き延びることができる人とできない人を分けるのは、ITリテラシーではなくコミュニケーションの本質を理解しているかどうかだ、との指摘は胸にとどめておきたいと思います。

電子書籍の衝撃 (ディスカヴァー携書)

電子書籍の衝撃 (ディスカヴァー携書)

▽「マスコミは、もはや政治を語れない 徹底検証:『民主党政権』で勃興する『ネット論壇』」佐々木俊尚講談社
▽「電子書籍の衝撃」佐々木俊尚・ディスカヴァー携書
 前年の「2011年 新聞・テレビ消滅」(文春新書)で見せていた既存マスメディアへの厳しいスタンスが「マスコミは、もはや政治を語れない」で、とうとう既存マスメディアとの決別に至ったとの印象を受けました。内容としては、政権交代後のさまざまな動きについて、ブログなどネット上では何が語られていたかを丁寧に解説してあり、興味深く読みました。
 特に記者会見開放(本書の章立てでは「記者クラブ開放」としています)をめぐっては、わたし自身も記者クラブ加盟メディアの一員として当事者の一人でもあり、記者クラブ加盟メディアの報道やスタンスと、開放を求めるネット上の言説との対比がとても参考になりました。記者会見開放の問題は「これでこの問題は終わり」という結論はないと考えています。必要なのは記者クラブの内側にいる記者たちが自ら考え動くことですが、それができるようなマスメディア組織であることも必要になります。ただ、組織の上意下達として事が進むことには、たとえそれが記者会見の開放につながるのだとしても、わたしは賛成できません。記者個人の内心を過度に縛る上意下達もありうるからです。
 「電子書籍の衝撃」は、出版産業に必ずしも詳しくないだけに、非常に参考になりました。

リクルート事件・江副浩正の真実 (中公新書ラクレ)

リクルート事件・江副浩正の真実 (中公新書ラクレ)

検察の正義 (ちくま新書)

検察の正義 (ちくま新書)

▽「改訂版 リクルート事件江副浩正の真実」江副浩正中公新書ラクレ
▽「検察の正義」郷原信郎ちくま新書
 大阪地検特捜部の証拠改ざん事件は個人的にも考え込むことが多い大きな出来事でした。
 物証に手を出す検事が出たことは確かに衝撃的でした。しかし元来、特捜検察の捜査手法は、最初に事件の筋書きを立てそれに見合った供述調書をいかに取るかに腐心する強引な手法です。供述についてはこれまでもさんざんに検事が強引に調書化してきており、物証の改ざんは実はその延長にすぎないのではないかと考えています。
 わたしは1990年代、30代のころに2度にわたって検察取材を経験しました。その当時から、特捜検察の強引な取り調べ手法は担当記者なら知らぬものはないことでした。しかし、その手法が問題視され、マスメディアによって大きく取り上げられることはありませんでした。大阪地検のように物証にまで手を付ける検事が現れてしまった一因には、この捜査手法が社会的に本格的な批判にさらされてこなかったことがあり、そこにマスメディアの当事者性があるような気がしてなりません。
 上記の2冊はともに、大阪地検の事件が表面化した後に読みました。江副氏の著書は、東京地検特捜部の強引な取り調べを100日以上にわたって身柄を拘束されて経験した当事者の記録です。とりわけ主任検事(大物検察OBとして今回の事件でも社会的に発言している宗像紀夫氏です)とのやり取りの中で、新聞報道を盾に主任検事が供述を迫るさまが強く印象に残っています。郷原氏は特捜部検事の経験とともに、限られた検事しか経験できない公正取引委員会出向の経歴を持ち、検察改革の第三者委員会にも加わっています。著書では、まるで大阪地検の事件を予見していたかのように、特捜検察の捜査手法が抱える構造的な問題を指摘しています。今後の検察改革を考える上で、2冊ともに大変参考になると思います。
 マスメディアは事件から何を教訓にし、自らの取材・報道のありようにどう反映させていくべきかについて、わたし自身は今もなお考察の途中です。

人生は自燃力だ!! 私の日本経済新聞社生活37年 (現代プレミアブック)

人生は自燃力だ!! 私の日本経済新聞社生活37年 (現代プレミアブック)

▽「人生は自燃力だ!! 私の日本経済新聞社生活37年」坪田知己・講談社
 著者の坪田さんとはスイッチオン・プロジェクトでご一緒し、面識をいただきました。そのご縁で本書も贈呈いただきました。ありがとうございます。坪田さんの著書は以前にもこのブログで「2030年メディアのかたち」を紹介しました。「マスメディアからマイメディアへ」というそのメディアの将来予測は、わたしにとっても納得性の高いもので、明治学院大での非常勤講師の授業の中でもしばしば引用、紹介しました。日本経済新聞社を定年退社され、現在はメディア・デザイナーとして忙しい毎日を送っていらっしゃいます。
 本書で言う「自燃力」とは、何事にも前向きになれるよう、自らを促し、その気持ちを持続・発展させることができる力のことです。本書は1994年からの約16年間、会社の枠組みをうまく使いながらやりたいことをやり抜いた、会社からの押し付けではなく、すべて自分の考えで自分の仕事をしてきたと言い切る坪田さんが、「創造型サラリーマン」になるための自燃力獲得の参考にと、自らの経験を記した一冊です。帯には「日経・電子版生みの親が語る!!」「大企業崩壊の時代サラリーマンの新サバイバル術」と書かれ、ビジネス書に分類されそうな体裁ですが、「リアル坪田」を知る私としては坪田さんなりの「組織と個人」の考え方がよく分かり、とても面白く読みました。
 半生記でもある本書で、実はもっとも共感したのは、新しいメディア、デジタル時代のジャーナリズムを試行錯誤しながらつくっていこうとしている現在の姿です。相手が若く、たとえ学生であっても、ともに語り考えていこうとする姿勢を感じ取ることができました。見習いたいと思います。