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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

マスメディアの憲法観も試される〜大阪市職員アンケートは凍結されたが

 この1週間ほど、大阪の各マスメディアは、次期衆院選議席獲得を目指すことを鮮明にした大阪市橋下徹市長と「大阪維新の会」をめぐるニュースを連日、大きく報じました。維新の会は事実上の政権公約「維新八策」のたたき台を策定。名称は坂本竜馬の故事「船中八策」にならったとのこと。参院廃止や首相公選制導入など憲法改正を伴う項目のほか、道州制実現などが柱で、既存政党にはない政策が並んでいます。外交・防衛では日米同盟を基軸に、オーストラリアを加えた軍事の戦略的再配置を掲げており、対米追従ということなら目新しさは感じません。一方で、日本全体で沖縄の基地負担軽減を図るとしており、沖縄の米軍基地の県外・国内移転を図る内容であれば、大きなインパクトを持つでしょう。今後に注目です。
 維新の会が候補者養成のために開講する政治塾には、当初400人としていた募集枠に3326人が応募。民主党の現職衆院議員も含まれていたことが明らかになりました。世論調査では、産経新聞とFNN(フジテレビ系)の合同調査で、大阪維新の会の国政進出を期待するとの回答が64・5%に上ったことを産経新聞が13日夕刊で報じ、朝日新聞も14日付朝刊で、大阪維新の会について「国会で影響力を持つような議席を取ってほしいか」との問いに「取ってほしい」との回答が54%を占めたとの調査結果を掲載しました。同種の調査では、読売新聞も1月15日に、維新の会の国政進出を「期待する」との回答が62%だったとの調査結果を報じています。昨年の大阪ダブル選挙で大勝した勢いのまま、次期衆院選では既存政党を見限った有権者の票の受け皿になりそうです。
 こうした維新の会の「勢い」を示すニュースとともに、この1週間、断続的に報道が続いた問題がありました。橋下市長が業務命令として大阪市職員に回答を求めた政治活動、労働組合活動のアンケート調査です。17日にアンケート集計の凍結表明という大きな出来事がありました。橋下市長からアンケートの扱いを一任されている市特別顧問の弁護士で中央大法科大学院教授の野村修也氏が記者会見を開いて明らかにしました。

 ※「職員アンケート開封凍結 大阪市労連の申し立てで」(47news=共同通信
 http://www.47news.jp/CN/201202/CN2012021701001973.html

 アンケートは、市長就任直後から市職員労組に厳しい姿勢を取っている橋下氏が、昨年11月の市長選で組合が前市長支援のため大規模な職員リストを作成していた疑いが浮上したことなどを受けて、労組の政治活動の実態調査として実施を決めたと伝えられています。記名式で、正確に回答しない場合は処分対象になるとしていたり、組合活動への参加歴や、特定の政治家を応援する活動に参加したことがあるかなどを問うたりしていることから、今月10日の開始以降、「憲法違反の思想調査」「組合への不当な支配介入」などの批判が市役所内外から相次ぎました。連合系の大阪市労連が13日、不当労働行為に当たるとして、府労働委員会に救済を申し立て。労働団体が次々に中止・撤回を求める声明を発表したほか、14日には大阪弁護士会、16日には日弁連も会長声明を発表して中止を求めていました。少し長くなりますが、以下に日弁連の会長声明を引用して紹介します。法律家からの批判が分かりやすく整理されています。

 ※大阪市のアンケート調査の中止を求める会長声明
 http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2012/120216.html

 大阪市は、本年2月9日、市職員に対する政治活動・組合活動等についてアンケート実施を各所属長に依頼した。
本アンケートは、組合活動や政治活動に参加した経験があるか、それが自己の意思によるのか、職場で選挙のことが話題になったか否か等について業務命令により実名で回答を求めるとともに、組合活動や政治活動への参加を勧誘した者の氏名について無記名での通報を勧奨している。また、本アンケートは外部の「特別チーム」だけが見るとされているが、アンケート内容により回答者に対し処分を行うとされている以上、結局は市当局がアンケート内容を知ることに変わりはない。
 このようなアンケートは、労働基本権を侵害するのみならず、表現の自由や思想良心の自由といった憲法上の重要な権利を侵すものである。
 まず、本アンケートが職員に組合活動の参加歴等の回答を求めていることは、労働組合活動を妨害する不当労働行為(支配介入)に該当し、労働者の団結権を侵害するものであり、職員に労働基本権の行使を躊躇させる効果をもたらすことは明らかである。
 また、政治活動への参加歴や職場で選挙のことが話題にされることを一律に問題視して回答を求めることは、公務員においても政治活動や政治的意見表明の自由が憲法21条により保障されていることに照らせば、明らかに必要性、相当性を超えた過度な制約である。そもそも地方公務員は、公職選挙法においてその地位を利用した選挙運動が禁止されるほかは、非現業の地方公務員について地方公務員法36条により政党その他の政治団体の結成に関与し役員に就任することなどの限定的な政治的行為が禁止されるにすぎず、その意味でも本アンケートは不当なものである。
 ところで、本アンケートには、(1)任意の調査ではなく市長の業務命令として全職員に真実を正確に回答することを求めること、(2)正確な回答がなされない場合には処分の対象になること、(3)自らの違法行為について真実を報告した場合は懲戒処分の標準的な量定を軽減することが、橋下徹市長からのメッセージとして添付されているが、これも大きな問題である。
 すなわち、アンケートの該当事項が「違法行為」であるかのごとき前提で、懲戒処分の威迫をもって職員の思想信条に関わる事項の回答を強制することは、いわば職員に対する「踏み絵」であり、憲法19条が保障する思想良心の自由を侵害するものである。
 以上のように、本アンケートは当該公務員の憲法上の権利に重大な侵害を与えるものであり、到底容認できない。
 当連合会は、大阪市に対し、このような重大な人権侵害を伴うアンケート調査を、直ちに中止することを求めるものである。

2012年(平成24年)2月16日
日本弁護士連合会
会長 宇都宮 健児

 大阪市内発行の新聞各紙は18日付朝刊でアンケート凍結を一斉に大きく報じました。各紙の扱いと主な見出しを書き留めておきます。いすれも大阪本社発行の最終版です。

【朝日】
本記:社会面トップ「大阪市の職員調査 凍結」「市特別顧問 救済申し立て受け」
サイド:「『聞くべき内容から逸脱』『組合実態明らかにして』」
識者談話:「不注意 当然の判断」=考忠延夫・関西大教授(憲法学)▽「アンケート 破棄を」=浦田賢治・早稲田大名誉教授(憲法学)

【毎日】
本記:1面トップ「大阪市 職員調査を凍結」「不当労働行為 申し立て受け」
識者談話:1面「完全に中止を」=脇田滋龍谷大法学部教授(労働法)
雑観:社会面トップ「労組『調査廃棄を』」「橋下市長『問題ない』」

【読売】
本記:1面トップ「大阪市 職員調査を凍結」「反発拡大『府労委判断見守る』」
サイド:社会面トップ「橋下改革『待った』」「調べるのは当たり前 市長なお強気」「労組『謝罪が必要』」

【産経】
本記:1面「大阪市側が開封凍結」「職員の政治活動アンケート」
サイド:社会面トップ「橋下市長なお執念」「大阪市職員アンケート『市民が期待』」
サイド:社会面「組合側『調査結果破棄を』」

【日経】
本記:社会面「データ集計 凍結」「大阪市職員の政治活動調査」

 この問題を最初に1面で大きく報じたのは毎日新聞で、12日付朝刊に「大阪市アンケは『不当労働行為』」「市労連 府労委に救済申し立てへ」の全4段の記事を1面準トップで掲載。同日付朝刊では朝日、産経も第2社会面で市労連が救済を申し立てる方針を決めたことを報じました。以後、各紙とも弁護士会の声明や、それに対する橋下市長の反応などを伝えてきました。アンケートが締め切られた翌17日付朝刊では、隣県の京都新聞神戸新聞も、組合員の不安の声や日弁連の声明などをまとめた共同通信配信の記事を総合面に全4段、全6段で掲載。関心の高さがうかがわれます。17日の凍結表明は、昨年11月の大阪ダブル選挙以降、スピード感を伴って突っ走ってきた橋下市長流の“改革”が初めて足踏みを強いられた事態ということもあってでしょうか、日経を除く各紙がそろって大きく報じる結果になりました。
 今後は労働委員会がどのような判断を示すかに焦点が移ります。労使が徹底的に争うなら、次は中央労働委員会、さらには司法の場(裁判)へと、決着までには相当の時間がかかります。どのような形で決着するのかは、マスメディアにとって大きな取材テーマですが、もう一つ、重要なテーマがあると私は考えています。橋下市長の憲法観です。そして、それは取材する側のマスメディアと記者の憲法観の問題でもあると思います。
 アンケートへの市役所内外の批判は大まかにくくると、思想及び良心の自由の侵害と、勤労者の団結権(労働基本権)の侵害の二つの面で憲法違反であると指摘しています。特に、労働団体のみならず、法曹実務家の職能団体であって、紛争当事者の立場にはない日弁連大阪弁護士会東京弁護士会が批判を加えていることに対しては、弁護士である橋下市長も、反論としてかみ合う内容の見解を表明してもいいのではないかと思います。
 しかし、橋下市長はこれまでマスメディアの取材に対しては、憲法違反との指摘に対して具体的な反論を示していません。例えば大阪弁護士会が声明を発表した際には、記者団に「弁護士会の言うことなんか当てにならない」と話し、日弁連の声明に際しては府労委への救済申し立てを念頭に置いてか「法律違反や手続きに問題があれば、しかるべき機関から修正を求められることになる」と答えています。取材者側の質問の仕方の問題もあるのかもしれませんが、いずれも、憲法に照らしてもアンケートは問題ないのか、自身の具体的な考え、見解は明らかにしていません。
 既成政党に飽き足りない層の高い支持を背景に、公約に憲法改正を掲げて国政進出を図ろうというリーダーが、どのような憲法観を持っているのかは、社会に必要な情報です。9条改憲には触れずに、参院廃止や首相公選制を前面に出す形での改憲論も今までなじみがなく、そういう意味でも橋下氏の憲法観は知りたいところです。それを引きだすのもマスメディアの役割の一つですが、取材者次第で報道の深みや広がりは違ってきます。質問の仕方、さらには橋下市長の答え方も変わってくるでしょう。取材者に確固とした憲法観がなければ、橋下氏から憲法観を引き出すのは難しい。橋下氏と維新の会の報道では、マスメディアも試されているのだと思います。

※橋下市長が弁護士会に対して「当てにならない」と話したのは、山口県光市の母子殺害事件に関して、被告弁護団への懲戒請求をテレビ出演中に呼びかけ、大阪弁護士会から懲戒処分を受けたことに関連してのことだったようです。以下の産経新聞の記事が詳しく紹介しています。
「『日本一あてにならない』 橋下市長が大阪弁護士会の声明を痛烈批判」
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120214/waf12021421590032-n1.htm