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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「昭和維新断行」を掲げていた二・二六事件

 きょう2月26日は、1936(昭和11)年の「二・二六事件」から76年です。このエントリーを書いている現在、ウイキペディアの「二・二六事件」の項の書き出しは、以下のようになっています。

 二・二六事件(ににろくじけん)は、1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件である。事件後しばらくは「不祥事件」「帝都不祥事件」とも呼ばれていた。

※ウイキペディア「二・二六事件
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6
 昨年の2月26日にも「二・二六事件」についてのエントリーをアップしましたが、その際には「維新」という言葉にはあまり引っ掛かりを感じていませんでした。しかし今年は、「維新」という言葉は時代のキーワードになっているかのような状況です。折しも、大阪維新の会を率いる橋下徹氏が、戦争放棄と戦力不保持を規定する憲法9条について、2年間の議論の期間を置いて国民投票にかける案を表明しました。維新の会の事実上の政権公約「維新八策」に盛り込むとも伝えられています。
 昨年も書いたことですが、わたしは二・二六事件は、その後の1945年の敗戦まで続く「戦争社会」のありようを考える上で、現代の社会にとっても依然として小さくない意味を持つと考えています。個人的には、あらためて二・二六事件について考え、わたしたちの社会の歴史を振り返りつつ、戦争を容認する社会とはどんな社会なのかを考えてみる日にしたいと思います。

※参考過去エントリー
二・二六事件から75年」2011年2月26日
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110226/1298674104
二・二六事件の凶行を映した鏡」2010年2月26日
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20100226/1267144159
 =もう5年前のことになりますが、二・二六事件で暗殺された海軍出身の内大臣斎藤実の出身地、岩手県・水沢(奥州市)にある斎藤実記念館を訪ねました。事件当日、斎藤が撃たれた寝室にあり、銃弾を受けてひびが入ったという鏡台が展示されていました。