ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

改憲志向高まる中で語り継ぐ意味〜朝日阪神支局事件から26年

 5月3日は憲法記念日であるとともに、26年前の1987年に兵庫県西宮市で朝日新聞阪神支局襲撃事件が起きた日です。目出し帽の男に散弾銃で記者2人が撃たれ、当時29歳だった小尻知博記者は死亡。もう一人は重傷を負いました。共同通信などに届いた犯行声明は「日本民族独立義勇軍 別動 赤報隊 一同」と名乗り、「反日世論を育成してきたマスコミには厳罰を加えなければならない。特に朝日は悪質である」などと書かれていました。前後して朝日新聞東京本社なども襲撃され、さらには当時首相だった竹下登氏や元首相中曽根康弘氏への脅迫、江副浩正リクルート会長宅襲撃と、赤報隊を名乗った犯行が続きました。警察庁広域指定116号事件、いわゆる「赤報隊事件」です。未解決のまま2003年3月にすべての事件の時効が成立しました。
 阪神支局事件の当時、わたしは記者になって5年目。最初の任地の青森での勤務を終え、埼玉の支局に異動した直後でした。事件を知ったときには本当に身震いするような気持でした。自分が選び取った記者という仕事は、本当に命がけであることを迫られるのか、と。今もあの時の衝撃は、薄れることがありません。わたしにとって5月3日は、憲法記念日として「表現の自由」の尊さに思いをはせる日であるのと同時に、その「表現の自由」に深くかかわる記者の仕事のありようを自問する日にもなっています。その日を今年は、かつてない改憲志向の高まりの中で迎えました。この事件を風化させないこと、語り継いでいくことには、昨年までにはなかった今日的な意味があるように思います。

 朝日新聞阪神支局では毎年この日、小尻記者の遺影を支局1階の玄関に飾り、一般の記帳と焼香を受け付けています。また支局3階に設けた事件の資料室を開放しています。今年も支局を訪ね、小尻さんの遺影に手を合わせてきました。3年前に大阪に転勤して以来、毎年の恒例になりました。資料室の見学も3回目になりました。事件当日、小尻さんらが座っていたソファー、散弾を受けてつぶれたボールペン、体内の散弾を写し出したエックス線写真など、数々の品を目にすることができます。
 遺影の小尻さんは29歳の時のまま。2歳下のわたしはいつのまにか50歳をいくつか過ぎ、新聞人として働くにも「残り時間」という言葉が頭に浮かぶような歳になっています。犯人が分からない、事件の全容が分からないままに、それだけの時間がたってしまいました。凶行を今に伝える品々を見ながら、あらためて、事件を語り継ぐことの大切さを胸に刻みました。
 ことしの憲法記念日は、いつになく改憲志向が高まっている中で迎えました。安倍晋三首相は高い支持が続いていることに自信を深めたのか、最近は改憲を声高に主張するようになってきました。改憲発議の要件を緩和する96条の改正を主張していますが、自民党の「日本国憲法改正草案」をみれば、その後に何がやってくるのかにこそ警戒を強めなければならないと感じます。9条改変は言うに及ばず、ほかに一つだけ例を挙げれば、「表現の自由」を定めた21条に対して、自民党の改正案は1項目を新たに設けて「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」としています。一見、もっともらしく聞こえるかもしれませんが「公共の福祉」ではなく「公益及び公の秩序」とはどういうことなのか、何をもって「公益及び公の秩序」に反すると、だれが認定するのか、などがあまりにあいまいです。権力側が恣意的に運用する余地が大きいと言わざるをえない内容です。
 また、改憲では安倍首相と自民党のサポートに回るとみられる日本維新の会は、綱領に以下のような極めて復古主義的、戦前回帰的な傾向の強い表現で改憲を掲げています。「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」。
 労働組合の活動などを通じてわたし自身が感じ取ったことの一つは、自由な表現活動が担保されない社会は戦争との親和性が高いということです。あるいは、戦争をするには自由な表現活動はじゃまになる、と言ってもいいかもしれません。赤報隊事件では、赤報隊は一連の犯行声明の中で「反日朝日は五十年前にかえれ」と要求していました。当時から50年さかのぼれば1937年。7月7日の盧溝橋事件で日中戦争が勃発し、1945年の敗戦まで「15年戦争」とも呼ばれる長い戦争が始まった年です。異論を許さず社会が戦争遂行一色になっていく、それにすべての新聞が加担していく時代でした。赤報隊事件とは、「国益」を大義に戦争遂行のためなら容易に筆を曲げるような社会に立ち返ることを、暴力をもって強いようとした愚行だったとも言えるとわたしは受け止めています。
 今、戦争をすることができる社会を志向している首相が、経済政策中心とはいえ高い支持を集めています。その首相や自民党よりも復古志向を強く打ち出している日本維新の会が、昨年の衆院選では躍進しました。改憲をめぐって直接的に論議の的になっているのは96条ですが、実は21条の「表現の自由」が危機にさらされている。今はそんな状況なのだと思います。
 だからこそ、阪神支局襲撃事件が広く語り継がれなければなりません。昨年までとは違った今日的な意味がそこにあると思います。決して黙ってはいけない―。きょう1日、そんなことを考えました。

【写真】朝日新聞阪神支局の掲示板には、3日付朝刊の紙面とともに、3階資料室に設けられたこの日限りの特別展示の告知も張り出されていました(3日午後)


※昨年と一昨年も5月3日は朝日新聞阪神支局を訪ねました。その際の過去記事です。
 「語り継ぐ責務〜朝日阪神支局事件から25年」=2012年5月3日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20120503/1336055101
 「『憲法記念日ペンを折られし息子の忌』〜朝日阪神支局事件から24年」=2011年5月4日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110504/1304439961

【追記】2013年5月4日午前8時10分
 タイトルを「改憲志向高まる中での今日的意味」から変えました。