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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

【憲法メモ】5月13日〜21日:琉球新報:社説「橋下氏釈明 認識の根本が誤っている」ほか

 5月13日(月)に日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の「従軍慰安婦・風俗業」発言があり、この週を通じて、大きなニュースになりました。その一方で、憲法改正への動きは、96条改変を先行させることに社会的な支持が広がらず、改憲派産経新聞が安倍首相を叱咤するような社説を掲載したりしています。この1週間余に、わたしがツイッターフェイスブックで紹介、拡散した言説のうち、主なものをあらためて紹介します。

▽岩垂弘さん「新聞各紙の八割近くが憲法96条の改定に反対 憲法記念日の社説を点検する」(「リベラル21」=2013年5月13日)
 http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-2376.html

 安倍首相は、日本国憲法の第96条の改定を参院選挙の争点にすると言明した。同条に「憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」とあるのを「各議院の総議員の過半数の賛成で」と改めようというわけである。全国の新聞各紙の大半は、5月3日の憲法記念日に この問題を論じたが、その八割近くが「96条改定」に反対であった。とりわけブロック紙・地方紙の間で改定反対が強いことが浮き彫りとなった。
 国立国会図書館では、北海道から沖縄までの全国各地で発行されている一般新聞53紙が閲覧できる。そこで、この53紙について、5月3日の社説(新聞社によっては「論説」「主張」の名称を使用)に目を通してみた。
 53紙のうち、社説欄のない紙面が7紙あった。これを除いた46紙についてみると、いずれも96条改定問題を論じていた。その論調を大まかに分類すると「改定賛成」が6紙、「論議を深めよ」といった、いわば中立的な立場が5紙、「改定反対」が35紙であった。つまり、「改定賛成」13%、「中立」10%、「改定反対」76%という色分けだった。


水島朝穂さん「『憲法デマゴーグ』の96条改正論」(「今週の直言」=2013年5月13日)
 http://www.asaho.com/jpn/bkno/2013/0513.html

 本来、まともな知性の持ち主ならば、「とりあえず96条!」「まず96条から」という物言いには、なにがしかの後ろめたさを伴うものである。それを堂々と、胸をはって、大きな声で語ってしまうところに、いまの政治家たちの劣化を見る。改憲論者の小林節氏(慶応大学教授)が、「96条改正は『裏口入学』。憲法の破壊だ」と厳しく批判する所以である(『朝日』5月4日付)。
 憲法に対する想いや思い入れは、安倍氏なりにあるのだろうが、この人の場合、その思い入れが思い込みとなり、さらに思い違いに進化して、いま、国民を巻き込む壮大なる勘違い(「まず96条から」)に発展している。過度の個人的な思い入れをパワーにして憲法の重要な改正手続に手をかける権力者が登場してきたわけである。裏口入学を堂々と叫ぶ人々が多数になれば、正式入学にされてしまう。何度も言うが、立憲主義にとって真正の危機である。

琉球新報:社説「本土復帰41年 自己決定権の尊重を 揺るがぬ普天間閉鎖の民意」(2013年5月15日)
 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-206580-storytopic-11.html
 5月15日は沖縄が日本に復帰した日でした。

 基地、振興策で多くの矛盾を抱える状況にいら立ち日米の対沖縄政策を「植民地政策だ」と批判する声が増えている。本紙にもこうした投書が多く寄せられている。
 「植民地政策」の不当性を追及し、沖縄の自己決定権を取り戻そうという機運が高まり、15日には若手研究者らによる「琉球民族独立総合研究学会」が発足する。
 必ずしも「独立」が県民の多数意見ではない。が、人間としての尊厳を傷つけるこの国の有り様を嘆き、悲しむ中で「日本に復帰すべきだったのか」「自己決定権を取り戻すには独立しかないのでは」といった意見を各地のシンポジウムなどでも耳にすることが多くなった。県民は憤っている。深く悩み、悲しんでいる。日本にとって、沖縄とは何なのだろうか。
 強権的な政治で人権を蹂躙(じゅうりん)されている沖縄からは、この国の民主主義の機能不全ぶりがよく見える。安倍晋三首相はじめ全ての閣僚、官僚は、胸に手を当てて考えてほしい。民主国家にふさわしい振る舞いをしているのか、と。


▽安田菜津紀さん / フォトジャーナリスト「貧困は連鎖する」(「SYNODOS」=2013年5月17日)
 http://synodos.jp/society/3912
 年越し派遣村のころはマスメディアも盛んに取り上げていた問題が、何も解決していないことが分かるリポートです。マスメディアにも継続的な取材と報道が必要だと感じます。

 そこでわたしたちはまず市役所に行き、生活保護を申請することにした。すると役所側からこんな答えが返ってきた。「生活保護を受ける上で、保険は財産にあたります。まずは解約して下さい」。もちろん生活保護受給期間は、医療費は基本的にはかからない。けれども生活保護は一生受けられるものではない。生活保護を打ち切られた後、癌を発病した母がふたたびどこかの保険に入ることは難しい。そんななかでもし再発してしまったとしたら……。
 さらに役所はこうつけ加えた。「娘さんが大学に進学する場合、娘さんは生活保護を受けることはできません」。もちろん一理あるかもしれない。大学など行かずに働くべきだと言えばそれまでだろう。けれども「いい就職には大学」「進学が将来を切り開く」、そんな世間の風潮と自分の置かれている状況がどこか切り離されている気がした。貧困家庭はどこまでいってもいい教育を受けられず、いい就職もできない……母とわたしがそうであったように、その連鎖が自分の子どもにまでつづいていくのだろうか。疑問は絶えなかった。


産経新聞:主張「安倍首相 憲法96条改正はどうした」(2013年5月17日)
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130517/plc13051703110004-n1.htm

 平成25年度予算の成立を受け、政局の焦点は今夏の参院選となるが、安倍晋三首相に求めたいことがある。
 憲法改正の発議要件を緩和する96条改正を、参院選の争点として訴え続けることだ。
 与党内での96条改正への慎重論に影響されたのか、首相自身が「最初の改正は慎重にやっていかないといけない」と述べるなど、後退しかねない姿勢が見えるためだ。
 「憲法を国民の手に取り戻す」と、政権復帰をかけた昨年末の衆院選自民党が国民と約束しただけではない。現行憲法のままでは日本の平和と安全が確保できない事態になっており、憲法改正が喫緊の課題だからだ。
 首相は衆参各院の総議員の「3分の2以上の賛成」という現行の発議要件について、「ハードルが高すぎて国民投票までいかないのはおかしい」という見解を、繰り返し主張してきたことを忘れてはなるまい。


琉球新報:社説「橋下氏釈明 認識の根本が誤っている」(2013年5月18日)
 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-206737-storytopic-11.html
 橋下氏の従軍慰安婦や風俗業をめぐる発言の論点が整理されています。ネット上でもよく読まれているようです。

 橋下氏は「米国の風俗文化の認識が足りなかった」と述べた。風俗文化の知識の多少が問題だったという認識なのか。あきれてものが言えない。
 さらに、「風俗」が売春を意味するか否かなど、どうでもいいことに問題をすり替えようとしているが、問題は別にある。「海兵隊の猛者の性的エネルギーをコントロール」するはけ口として、生身の女性をあてがおうとする発想そのものがおぞましいのだ。
 「あてがわれる」立場に自分が置かれたら、と想像してみるがいい。橋下氏は、そんな最低限の想像力も持ち合わせていないのだろうか。その欠如は許し難い。
 「慰安婦制度が必要なのは誰だって分かる」と述べたが、「分かる」はずがない。周りを自分と同じだと思われては迷惑だ。
 しかも彼は、自らの沖縄への差別的まなざしにも気付いていない。在沖米軍に言うからには、あてがう場所は沖縄が前提だろう。そのような施設を、自らの足元の大阪市にも置けるのか。

沖縄タイムス:社説「[元『慰安婦』証言]『私の存在が証拠です』」(2013年5月20日)
 http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-05-20_49450

 当事者の証言は証拠である。史資料と比べ価値が低いわけではない。オーラル・ヒストリー(口述史資料)を重要視する学会の動向を見れば明らかだ。
 沖縄戦における「集団自決(強制集団死)」訴訟で、司法側が住民のオーラル・ヒストリーを証拠として採用したことともつながる。
 慰安婦問題が沈黙から告発へと大転換したのは1991年だった。故金学順(キムハクスン)さんら韓国人元「慰安婦」3人が初めて、日本政府を相手に謝罪と個人補償を求める裁判を東京地裁に起こしてからである。戦時の性暴力が問われることになった。
 橋下氏のような発言は、国際社会から見れば、日本は、正面から慰安婦問題に取り組んでこなかった、と受け止められるに違いない。

中央日報・日本版:東京総局長「【取材日記】橋下の妄言の終着点」(2013年5月20日)
 http://japanese.joins.com/article/772/171772.html
 韓国の中央日報の日本語ウエブに掲載されていたコラムです。日本が海外からどのように見られているのかの一例になるかもしれません。

 この1カ月、日本社会は文明国とみるのは難しかった。全国が極右政治家たちが指し示す方向に引きずられるようだった。だが、橋下の妄言が流れを変えた。何より自分たちが立っている方向が誤っているということ、国際社会の呼応を得られないことを、日本社会と普通の日本人たちが自覚することになった。自浄効果だ。メディアも同じだ。おとなしかったテレビニュース進行者が橋下の詭弁に堂々とぶつかる。これまでになかったことだ。大多数の新聞でも歴史認識に対する自省の声が高い。7月の参議院選挙で日本維新の会との選挙協力を論じたみんなの党は19日、「(橋下が)弁解を百万回繰り返しても国民は理解できない」として協力拒否を宣言した。
先週末日本の新聞に掲載された読者投稿を紹介して日本社会のより大きな自省と自浄を期待してみる。「いまや有権者も選挙でもう一度政治家の資質を確認しなければならない。そうでなければ国の信頼と品位までなくすところだ」(46歳主婦)、「(日本に必要なことは)歴史解釈や認識の問題でなく歴史から学ぶ知恵の問題だ」(79歳男性)、「正しい歴史認識とは何だろうか。過去の過ちまで含めたすべてを日本の歴史として認識するのが正しい歴史認識だと考える」(13歳中学生)。

広原盛明さん:「風俗店の客引き程度の“オトコ”でしかない、橋下発言を聞いて思うこと、護憲勢力は如何にして結集するか(その4)」(「リベラル21」=2013年5月21日)
 広原さんは元京都府立大学長で都市計画の研究者です。京都の学習集会で一度、お目にかかり、いろいろとお話を聞かせていただいたことがあります。

 この点で、私はハシズムの最も本質的な批判者は『週刊ポスト』や『週刊文春』などの週刊誌であり、ハシズム批判を系統的に追及してきた『日刊ゲンダイ』だと考えている。周知のごとく、『週刊文春』は2012年7月に橋下氏の元クラブホステスとのセックス・スキャンダルを暴露し、「スチュワーデスやОLの格好をさせられ『可愛い』ってメッチャ喜んでくれました」との衝撃的な告白をスクープ記事にした。
 だがこのとき、マスメディアの多くはこのセックス・スキャンダルに眼をつぶり、橋下氏の人間としての資質を問うこともなければ、政治家や公人としての政治的・道義的責任を追及することもしなかった。マスメディアには「下半身のことは書かない」というルールがあるのかもしれないが、しかし、このことはハシズムの本質を取り違えた決定的なミスだった。橋下氏は表向き大阪市長であり、日本維新の会の共同代表であるかもしれないが、その実態は風俗店の客引き程度の“オトコ”でしかなかったからだ。

 この論考の視点は、マスメディアの政治報道にも参考になると思います。従軍慰安婦をめぐる橋下氏の発言は、歴史認識の問題ですが、ではどうしてそのような歴史認識を持つようになったのかを考える際には、橋下氏の女性観や性をめぐる倫理観、ジェンダー意識などを具体的な事実に即して見ていくことも必要だと感じました。