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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

企画展「東京大空襲・七十年」〜声なき死者が遺した記録


 ことしは1945年の日本の敗戦から70年。1945年3月10日未明、東京の下町地区が米軍B29の大編隊の空襲を受け、一夜で10万人以上が犠牲になったとされる「東京大空襲」からも70年です。この大空襲では一家が全滅したケースも少なくないと思われ、そのために数多くの犠牲者の正確な身元や死亡時の詳しい状況が分からないままになっています。そんな中で、犠牲者のうち住所地と死亡場所が判明している約3万人の避難行動を分析した研究成果の展示が行われていることを毎日新聞の記事で知り、先日の週末、東京都墨田区向島の「すみだ郷土文化資料館」を訪ね、企画展「東京大空襲・七十年」を見学してきました。

 資料館で配布している資料や展示の説明によると、2001年に「都内戦災殉難者霊名簿」(以下「霊名簿」)が発見されました。空襲の犠牲者のうち、身元の分からない遺体は公園などに仮埋葬され、戦後、東京都はその改葬を進めました。その際、遺族の申告や着衣に残っていた名札の記録などを元に、犠牲者の氏名、住所、性別、年齢、死亡場所、仮埋葬地などの情報を記録していました。これが霊名簿で、約3万人分です。資料館は東京大空襲・戦災資料センターなどとともに分析を進め、新たな空襲被災地図を作成しました。住所と死亡場所が分かっている犠牲者について、地図上でその両地点を直線で結びました。実際にたどった経路とは異なっていたのでしょうが、地区ごとの大まかな人の動きが地図上に可視化されます。風向きなどの分かっている限りの気象条件も加味することで、空襲による火災の発生や延焼の過程を推測することができます。空襲で何が起きたのかを客観的に示すデータと言えそうです。
 展示室に掲げられた大きな東京の地図には、無数の矢印が死亡場所を示す赤い点に向かって引かれていました。隅田川にかかる言問(こととい)橋など、犠牲者が集中した場所には数多くの矢印が集まっています。展示ではさらに、現在の墨田区の北半分に当たる旧本所区の町内ごとの分析結果を詳細に解説。また、空襲の体験者が描いた絵画も証言とともに展示されており、その凄惨な内容には息をのむ思いでした。
【写真説明】
 資料館のパンフより。黒く太い矢印は風と火災の流れ、赤い丸は犠牲者の死亡場所、青い直線は犠牲者の自宅と死亡場所を結んだもの

 東京大空襲で米軍が使用したのは、爆発で建物などを破壊する爆弾ではなく、発火して火災を起こし、日本の木造家屋を焼き払うのに適した焼夷弾でした。霊名簿に記された約3万人の情報は、その一人一人が灼熱の炎の中で身を焼かれ、あるいは炎から逃れるために川に飛び込み、生命を奪われていった記録です。声なき死者たちが遺したその貴重な記録を、平和のためにこそ生かしていかなければならないと強く思いました。一方では、霊名簿にも記載がない、最期の場所が分からないおびただしい数の犠牲者もいます。人の「生」の終わりの記録が何も残らない非情さは、住民が生活の場で一方的に生命を奪われる惨状とともに、戦争がいかに「個人の尊厳」や「人権の尊重」と対極のところにあるかを示していると、あらためて思いました。
 企画展は5月17日まで。
※すみだ郷土文化資料館
 https://www.city.sumida.lg.jp/sisetu_info/siryou/kyoudobunka/
 企画展「東京大空襲・七十年」
 https://www.city.sumida.lg.jp/sisetu_info/siryou/kyoudobunka/info/dk70.html
※毎日新聞「東京大空襲70年:『いのちの被災地図』逃げ惑う様子再現」
 http://mainichi.jp/select/news/20150227k0000e040154000c.html

【写真説明】
 東京スカイツリーをまじかに仰ぎ見る「すみだ郷土文化資料館」。一帯も東京大空襲で焼け野が原になりました

【写真説明】
 帰りは言問橋をわたって浅草に出ました。言問橋は犠牲者が集中した場所の一つ。渡り終えたところで手を合わせました

 このブログで何度か書いてきましたが、戦時中の「大本営発表」報道がどんなものであったかが、東京大空襲の報道を見るとよく分かります。現場に足を踏み入れれば惨状は歴然であったはずなのに、本文がツイッターのつぶやき1回分しかない「大本営発表」は、以下のように人的被害には一切触れていませんでした。

「大本営発表」(昭和二十年三月十日十二時)本三月十日零時過より二時四十分の間B29約百三十機主力を以て帝都に来襲市街地を盲爆せり
右盲爆により都内各所に火災を生じたるも宮内省主馬寮は二時三十五分其の他は八時頃迄に鎮火せり
現在迄に判明せる戦果次の如し
撃墜 十五機 損害を与へたるもの 約五十機

 「戦争で最初に犠牲になるのは真実」という言葉がありますが、まさに戦争の実相が隠蔽されていました。この惨禍を経て、敗戦後、日本は戦争を放棄し戦力を持たないことを定めた憲法を持ちます。しかし今日、安倍晋三首相の下で特定秘密保護法が制定、施行されるとともに、集団的自衛権の行使容認のために憲法解釈の変更が閣議決定で行われました。そして安倍氏は憲法改正にいよいよ意欲を示しています。この日本の敗戦の歴史は今一度、社会で共有されるべきだと思います。

※参考過去記事
「3・10から3・11へ、『大本営発表』の教訓」=2012年3月10日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20120310/1331367081

「東京大空襲の大本営発表はツイート1回分」=2011年3月10日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110310/1299688088

「日米密約と東京大空襲に共通するもの(再録・大本営発表報道)」=2010年3月11日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20100311/1268241655

「あらためて東京大空襲の『大本営発表』報道」=2009年3月10日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20090310/1236694754

「東京大空襲の『大本営発表』報道」=2008年4月25日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20080425/1262048340

「東京大空襲と『大本営発表報道』」=2006年3月10日:旧ブログ「ニュース・ワーカー」
 http://newsworker.exblog.jp/3637903


 この3月10日の東京大空襲を皮切りに全国各地の都市がB29の空襲を受け、東京と同じように住民が犠牲になりました。昨年春まで3年間の大阪勤務時には、大阪の空襲被害を学ぶ機会もありました。以下は大阪空襲についての過去記事です。

「『あと1日』を許さなかった8月14日の大阪大空襲(再び)」=2012年8月15日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20120815/1344985658

「『あと1日』を許さなかった8月14日の大阪大空襲」=2011年8月14日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110814/1313282333