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海自ヘリ搭載護衛艦「かが」と旧日本海軍の空母「加賀」

 海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦進水式が27日、横浜市で行われ、「かが」と命名したと報じられています。護衛艦とは言っても、艦首から艦尾まで平らな飛行甲板を備えており、見かけの形状は空母(航空母艦)のようで、いわゆるヘリ空母と呼んでいいようです。しかし、自衛隊は現在のところ「専守防衛」を維持しており、米海軍の空母のような攻撃力を備えた空母ではない、ということで、日本政府も自衛隊も「空母」とは認めず、あくまでも「ヘリ搭載護衛艦」と呼ぶようです。朝日新聞の報道によると全長248メートル、幅38メートル、乗員約470人。哨戒ヘリを中心に9機を運用でき、垂直に離着陸できる輸送機オスプレイも発着艦が可能なようです。ちなみに旧日本海軍の史上最大の戦艦だった「大和」は全長260メートルでした。
 私が「おや」と思ったのは「かが」という名前です。空母の形状の海自のヘリ搭載護衛艦は4隻目ですが、これまでの3隻の艦名は「ひゅうが」「いせ」「いずも」でした。護衛艦の艦名の由来の一つに地名があり、四つとも旧国名の「加賀」「日向」「伊勢」「出雲」に由来しています。そして漢字表記のこれら四つは、いずれも旧日本海軍に同名の軍艦がありました。「加賀」は太平洋戦争開戦時の主力空母の一つで、もともと戦艦として計画されたのを空母にしました。ハワイ・真珠湾奇襲作戦などに参加し、1942年のミッドウェー海戦で沈んでいます。対米英開戦初頭の主要な海戦に多く参加し、戦史上の存在感にはひときわ大きなものがあると感じます。「日向」「伊勢」は大正期に建造された同型の戦艦で、太平洋戦争中に航空戦艦に改造されました。「出雲」は日露戦争当時の主力装甲巡洋艦です。

 なぜ「おや」と思ったかと言うと、上記のように今までのヘリ空母3隻は旧海軍の艦名を継承したかのように見えても、艦種は異なっていました。しかし、「加賀」は上記のように旧海軍の主力空母でした。また、「かが」は「いずも」と同型とのことです。「ひゅうが」「いせ」も同型艦とのことなので、旧軍にならってペアで名付けたのかもしれません。それなら旧海軍の「出雲」にも「磐手」という同型艦があったので「いわて」としても良さそうなものですが、そうはなりませんでした。この部分だけ、ある種の規則性から外れた「ちぐはぐ感」があります。
 空母の形状の護衛艦保有はとりあえずは「かが」で一区切りとのことです。また毎日新聞の報道によると、「かが」の命名は、自衛隊内部で募集した中から中谷元・防衛相(防衛大卒、陸上自衛官出身)が決めたとのことです。最後の艦だけ、旧軍の主力空母と同じ読みの名前を選んだところに、自衛隊内に旧軍への憧憬のようなものがあることを色濃く感じるとするのは、うがち過ぎでしょうか。

 この「かが」の命名に対しては、毎日新聞がとてもていねいに報道しています。旧海軍の船名が海自艦船に命名されることは多いが、海自は空母と認めていない護衛艦に旧海軍空母の名前を付けたと、きちんと指摘。旧軍の「加賀」がたどった歴史を紹介し、その上で、元幹部自衛官軍事史研究者の2人の談話も載せています。元自衛艦隊司令官の香田洋二氏は「打撃機能の一環で使う艦船ではない」「艦名の良い悪いではなく、淡々と受け取めるべきだ」としているのに対し、山田朗・明治大教授は「やや強気な命名」「艦名はあまり目立たないようにとの意識が以前は感じられたが、近年はそうではなくなってきた」「空母的な艦船という位置付けをかなり意識した本音をのぞかせたものだ」と指摘しています。

 艦名に限ったことではありませんが、名前はいろいろなことを想起させます。仮に、今後建造される自衛隊の主力艦に「やまと」や「むさし」といった名前が付いたらどうでしょうか。そこまでのインパクトはないとしても、わざわざ敗戦70年の節目のタイミングでこのような名前を付けることで、アジア各地に惨禍をもたらした旧日本軍と現在の自衛隊とが必ずしも断絶しておらず、むしろメンタリティの上で連続性の回帰に向かうのではないか、といった疑念が頭に浮かびます。考え過ぎならいいのですが。