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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

追悼 清水真さん

 とても悲しく、残念な出来事がありました。ご面識をいただいていた昭和女子大准教授の清水真さんが1月22日、亡くなられました。47歳の若さでした。謹んで哀悼の意を表します。
 以下は共同通信の記事の抜粋です。

 清水 真氏(しみず・まこと=昭和女子大准教授、社会学)22日午前6時55分、くも膜下出血のため自宅で死去、47歳。埼玉県出身。
 東欧地域研究やマスコミュニケーション論などが専門で、地方ジャーナリズムに精通。共著に「民意の形成と反映」など。

 清水さんと最初にお会いしたのは、2008年の終りごろだったと思います。当時は立教大学にお勤めでした。翌2009年の夏にかけて、マスメディアの関係者や研究者がデスク役となり、大学生の取材と記事執筆を指導する「スイッチ・オン・プロジェクト」という試みに参加し、同じ班に所属したのがご縁でした。
 以後、わたしが大阪に転勤になった後も、東京出張の際に、昭和女子大の共通の知人を交えて3人で会食したりしていました。2年前に大阪から東京に異動した際には、清水さんが地方紙の方々や研究者、学生と続けていた勉強会に呼んでいただき、関西暮らしの話をさせていただいたりしました。
 頻度で言えば、実はそれほど頻繁にお会いしていたわけではありません。しかし、初対面の時から強く印象に残る方でした。年齢はわたしの方が上でしたが、清水さんには決して大言壮語がなく、いつも物事を深く考える様子に、好感と敬意を抱いていました。畏友と呼ぶべき方でした。
 いつだったか、わたしにとっては新聞界の大先輩に当たる原寿雄さんの名前を挙げ「美浦さんは、ぼくらの世代にとっての原さんになってもらわなければ」との趣旨のことを言われたことがありました。かつて原さんが「デスク日記」をつづったことに、わたしのこのコツコツと続けているブログのことをなぞらえて考えていらっしゃるようでした。清水さんに「かいかぶりですよ」と言いながら、そしてやはりかいかぶり以外の何ものでもないと思うのですが、それでも、そのように清水さんに接していただいたことは、終生、わたしが誇りとするところになるだろうと思います。
 清水さんとは、これからまだまだ色々な話をしたいと思っていました。新聞や放送のマスメディアの今後をめぐっては、いろいろな方がいろいろなことを言いますが、1990年代の冷戦終結というパラダイムの大転換を、東欧の側から考察されていた清水さんの見識こそ、これからの不透明な時代にぜひとも必要でした。マスメディアで働くわたしたちと並走していただける逸材の研究者だったのに、本当に残念であり、悔しくてなりません。もっとお会いし、もっとたくさん話したかった。その時間はいくらでもある、いつでも会えると勝手に思っていました。悔いが残ります。せめて、マスメディアで働く者として、清水さんに恥じることのない生き方を尽くし、微力ながらもご遺志を継いでいきたいと思うばかりです。

日本の現場    <地方紙で読む>

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日本の現場 地方紙で読む2012

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