ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

戦争を食い止める道の一つはジャーナリストのヒューマニズム―追悼 むのたけじさん

 71年前の1945年8月、日本の敗戦によって第2次世界大戦が終結した際、自らの戦争責任を明らかにするとして、朝日新聞社を退社し、その後も一貫して反戦を訴え続けてきたジャーナリスト、むのたけじさんが8月21日、101歳で死去しました。謹んで哀悼の意を表します。
 以下に、朝日新聞のサイトにアップされた訃報記事の一部を引用します。
※「むのたけじさん死去 101歳のジャーナリスト」
  http://www.asahi.com/articles/ASJ8P2DW1J8PUJUB001.html

 「戦争絶滅」を訴え続けたジャーナリストむのたけじ(本名・武野武治)さんが21日、老衰のため、さいたま市次男宅で死去した。101歳だった。葬儀は近親者のみで行い、後日、「しのぶ会」を開く。
 朝日新聞記者時代に終戦を迎え、「負け戦を勝ち戦のように報じて国民を裏切ったけじめをつける」と終戦の日に退社した。ふるさとの秋田県に戻り、横手市で週刊新聞「たいまつ」を創刊。1978年に780号で休刊してからは、著作や講演活動を通じて平和への信念を貫き通した。
 100歳になった昨年は戦後70年で「歴史の引き継ぎのタイムリミット」といい、講演で各地を飛び回った。今年5月3日に東京都江東区東京臨海広域防災公園で行われた「憲法集会」でのスピーチで「日本国憲法があったおかげで戦後71年間、日本人は1人も戦死せず、相手も戦死させなかった」と語ったのが、公の場での最後の訴えとなった。


 一度だけですが、むのさんのお話を直接聞く機会がありました。2007年10月、沖縄で開催されたマスメディア労組主催の集会で、むのさんは基調講演をしました。当時、わたしは労働組合専従から復職して1年余の時期で、自身の仕事の意味や働き方を再確認しなければならない、との思いを深めており、週末の休みを利用して沖縄に行きました。その講演でむのさんが強調したのは、戦争が始まってしまってからでは、ヒューマニズム反戦・平和と言ってみても何の役にも立たない、戦争を止めるなら「やらせない」ことしかない、ということでした。そして戦争を食い止める一つの道として、むのさんはジャーナリストのヒューマニズムを挙げました。その上で、わたしたち新聞記者に対しては「生活の現場、人間の関係を密にすることに心を砕け」と訴えかけ「人間として自分の生活も大事にしながら、読者の中に入って学び、自分の命を洗いながら民衆の中に飛び込んで行くこと」が大事だと強調しました。むのさんに接して、その後の自分の歩み方が再確認できたような、しぼみかけていた風船に再び空気が入ったような、そんな気がしたことをよく覚えています。
 その後も報道などで、むのさんの言葉に接するたびに、わたしたち後輩への叱咤であり、同時に激励であり期待の表れでもあるのだと受け止めてきました。何よりも、戦争を絶対に許さない、起こさせないという信念は、後輩の新聞記者たちであるわたしたちが誰よりも強く受け継ぎ、報道の仕事の基軸に据えていかなければならないことだと思ってきました。きょう、むのさんの訃報に接して、その思いを以前にも増して新たにしているところです。
 少し長いのですが、以下に、わたしが2007年当時所属していた労組の新聞研究活動の機関紙に投稿したレポートと写真を再掲し、弔意の表明に代えたいと思います。


 「戦争が始まってしまってから『ヒューマニズム』や『反戦平和』と言ってみても何の役にも立たない。戦争を止めようとするなら、やらせないことしかない」。むのたけじさん(92)は大きな声で切り出した。10月13日(土)、那覇市で開かれた沖縄県マスコミ労働組合協議会主催の2007反戦ティーチイン「戦争への道を止めるために―ジャーナリズムと労組の責任を考える」に参加した。むのさんは1945年8月、自らの戦争責任を明白にして朝日新聞社を退社し、戦後は郷里の秋田県・横手で週刊新聞「たいまつ」を刊行。今も反戦・平和に積極的に発言を続けている。今回は秋田から来訪し、「いい記事を書くために、生活の現場に心を砕き、自分の命を洗いながら、民衆の中に飛び込んでほしい」と後輩のわたしたちをも励ました。むのさんの基調講演を紹介する。
 沖縄マスコミ労協は、沖縄県内の新聞、放送の労働組合で結成。毎年10月を反戦月間と位置づけ、市民参加のティーチインを開催している。新聞労連民放労連出版労連が加盟する日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)が昨年から共催に名を連ね、平和と民主主義を守るための運動の一環として、広島や長崎とともに、地域のマスコミ共闘組織との連携・共闘の柱と位置づけている。ことしの沖縄の反戦ティーチインには、MICからの30数人を含め、組合員と市民計約200人が参加。14日付の沖縄タイムス琉球新報両紙も社会面で紹介した。
 むのさんはまず「戦争を食い止めるために、ジャーナリズムと労働組合にも責任があることは明らかだ。しかし、今の日本のジャーナリズムと労組に第3次世界大戦を食い止められるか。今のままでは可能性はゼロだ」と言い切った。続けて「70数年間の経験から言うと、既に第3次大戦は始まってしまった」とも。「戦争を止める」ということについて、要点を3点に要約した。
 第1は、戦争が始まってしまってからでは、ヒューマニズム反戦・平和と言ってみても何の役にも立たない、戦争を止めるなら「やらせない」ことしかない。第2は、戦場では相手を殺さなければ自分が殺される。この一事のために、全身が縛り付けられ、やがて人間は一個のけだものになってしまう。社会にも同じムードが漂う。武器を手にしていようがいまいが、戦争とは人がけだものになることであり、社会がそれを許すこと。第3は、戦争には2つの段階、すなわち銃砲弾が飛び交う段階と、その以前の段階との2つの段階があること。
 第3の点に関連して、むのさんは戦前戦中の自身の取材経験を話す。日本軍はインドネシア占領後、昭和17年3月に軍政を布告し、司令官が大東亜共栄を宣言した。しかしその宣言は一字一句、太平洋戦争開戦から1年半も前に準備されていたものだった。「戦争を企んでいた連中は、昭和15年のときから、あるいはもっと以前から準備を進めていた。弾が飛ばない前の段階で民衆を組織しないと、戦争は防げない」とむのさんは強調する。治安維持法をはじめとする統制で当時は縛られていたが、今は報道の自由があり、抵抗する権利があり、主権者は国民だと明白に憲法に書かれている。
 「最近は目が不自由になり、情報源はNHKのニュースだけ。しかし、そのNHKニュースだけ聞いていても、もはや第3次大戦は始まっている」。むのさんは、米陸軍第1軍団の神奈川移転計画が持ち上がったときが、その始まりだと指摘する。「第1軍団の任務地域は中国からインドにかけて。その司令部を米本土から現地に近い日本に移すということは、近い将来に中国からインドにかけての地域で米軍が軍事行動を想定しているということだ」。時に仲良く見せながら、戦うか否か、つばぜり合いが続く。これから3年―5年が、戦争を食い止められる最後のチャンスになるだろうと、むのさんは言う。
 では、どうやってその戦争を食い止めるのか。その一つの道として、むのさんはジャーナリストのヒューマニズムを挙げる。戦時中、多くの従軍記者が戦場に赴いたが、どんなに危機に陥っても、自分で銃を手に取ろうとした記者はいなかった。そこに、ヒューマニズムに根ざす近代の情報産業の命があるのではないか、とむのさん。「マスコミが本来のマスコミの姿で真実をはっきり暴き出し、民衆に伝えること。マスコミが本来の役割を果たせば、民衆が戦争を止めるエネルギーを作り出す」。
 「これは今日、ここにいる皆さんへのお願いだ」と、むのさんの声に一段と力がこもった。「何でもいい、明日からの自分を作る目標を持って欲しい。それをエネルギーに、現場の中で、労働者の連帯の中でがんばってほしい」。互いに意見をぶつけ合うことが必要だとも。戦時中は、職場でも2人では会話ができても、3人目が来ると皆口をつぐんだという。「だから観念論はあっても、戦争をやる人間を止められなかった」。
 新聞記者に対しては「生活の現場、人間の関係を密にすることに心を砕け」と訴える。「人間として自分の生活も大事にしながら、読者の中に入って学び、自分の命を洗いながら民衆の中に飛び込んで行くこと」。そうでなければ面白い記事は書けない、と言う。
 「観念論ではダメだ。労組も政党も数を頼るからダメだ。数だけ70万人集まっても、死を覚悟した7人の方が強い」。1人1人が自分を変えながら、人との結びつきを作っていくこと。「観念論を卒業して、新しい人類を作っていくためにがんばろうじゃないか」と、むのさんは講演を締めくくった。

 以下はこのブログで、むのさんに触れた主な過去記事です。
▼「『戦争はいらぬ、やれぬ』〜朝日新聞むのたけじさんインタビュー記事」=2008年8月24日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20080824/1261821267
▼「読書:『戦争絶滅へ、人間復活へ―九三歳、ジャーナリストの発言』(むのたけじ 聞き手黒岩比佐子)」=2008年9月22日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20080922/1261297209
▼「戦争体験と戦場体験〜社会が継承すべきものは何か」=2009年8月16日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20090816/1250434172
▼「秘密保護法廃止、安倍首相退陣求め、むのたけじさんらが会見」=2014年1月15日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20140115/1389746143
▼「『生きている限り、戦争をなくすことに役立ちたい』むのたけじさん100歳」=2015年1月7日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20150107/1420641662