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トランプ米大統領の「威嚇」と日本、憲法9条~思い起こすゲーリングの警句

 トランプ米大統領は日本に続いて11月7、8日に韓国を訪問。8日午前に韓国の国会で演説し、核・ミサイル開発をやめようとしない北朝鮮に対し「米国を過小評価するな。我々に挑んではならない」(朝日新聞の記事より)などと述べたと報じられています。朝日、毎日、読売3紙の東京発行8日夕刊ではそろって1面トップの扱い。主見出しは以下のようにそれぞれトランプ大統領の発言から取っています。
 ・朝日「『北朝鮮は我々に挑むな』」
 ・毎日「米大統領『我々を試すな』」
 ・読売「『野蛮な北 孤立させる』」

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 共同通信が新聞掲載用に配信した演説の詳報をみると、最初から最後まで徹頭徹尾、北朝鮮を激しい言葉で批判する内容で、言葉のトーンとしては罵倒に近いと感じます。何より目を引くのは、冒頭で「朝鮮半島周辺には現在、世界最大の空母3隻が展開している」「米国は現政権下で軍事力を徹底的に再建し、数千億ドルを投じて最新鋭で最高の装備を世界各地でととのえている。私は力による平和を求めている」と、まず米国の軍事力を誇示していることです。演説の最後でこそ、「脅迫行為をやめ核計画を廃棄する場合に限り、北朝鮮の明るい未来について話す用意がある」としていますが、全体から受ける印象は、「米国は北朝鮮に対して武力行使も辞さない」との強硬姿勢だと感じます。
 日本のマスメディアはそろって、この演説を北朝鮮に対する「警告」と表現していますが、トランプ大統領が朝鮮半島に乗り込み、周辺海域に展開させている強大な軍事力を背景に攻撃的な演説をしているさまは、「威嚇」と表現してもいいように感じます。ちなみに北朝鮮は11日になって、トランプ大統領の演説に対し「われわれの思想と制度を全面拒否する妄言を並べ立て、わが国を悪魔化した」と非難する外務省報道官談話を発表しました。共同通信の報道によると、トランプ大統領が「力による平和」を追求すると述べたのに対し「米国と力の均衡を実現し、主権と生存権を守るというのがわが国の立場だ」と反論。「われわれが核を保有したのは、米国の核の威嚇から国の主権と尊厳を守るための不可避な自衛的選択だ」と改めて核開発を正当化しました。

 トランプ大統領が誇示した「世界最大の空母3隻」は日本海に入り、11日に韓国海軍との合同演習を始めたと報じられています。韓国軍によると「北朝鮮の核・ミサイルによる挑発の抑止」を目的に、14日まで実施。海上自衛隊も参加するとのことです。

※47news=共同通信「米空母3隻、韓国軍との演習開始/日本海、北朝鮮情勢緊迫も」2017年11月11日
https://this.kiji.is/301867471600764001?c=39546741839462401

【ソウル共同】米韓両海軍は11日、米原子力空母3隻が参加して日本海で実施する合同演習を開始した。在韓米軍関係者が明らかにした。韓国軍によると「北朝鮮の核・ミサイルによる挑発の抑止」を目的に、14日まで実施。北朝鮮は朝鮮半島周辺を含む海域への空母展開に強く反発しており、情勢は再び緊迫しそうだ。演習には日本の自衛隊も加わる。
 米海軍によると、西太平洋で空母3隻が演習するのは2007年以来、10年ぶり。 

 こうした軍事行動に対してマスメディアは従来から「圧力」や「牽制」などの用語を使っています。しかし空母3隻という強大な攻撃力を誇示しながら核・ミサイル開発の放棄を迫ることは、まさに軍事力による「威嚇」ではないのかと感じます。そしてそこに自衛隊も加わるのだとしたら、見過ごすわけにいかないのは憲法9条との兼ね合いです。 

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 

 日本国憲法が国際紛争を解決する手段として放棄しているのは戦争だけではありません。武力による威嚇、武力の行使も含まれます。
 手元にある憲法の概説書(芦部信喜「憲法 新版補訂版」岩波書店 1999年)によると、9条が放棄を定めている「国権の発動たる戦争」とは単に戦争というのと同じ意味であり、宣戦布告または最後通牒によって戦意が表明され戦時国際法規の適用を受けるものを言う、と定義しています。「武力の行使」とはそういう宣戦布告なしで行われる事実上の戦争、実質的意味の戦争のことであり、満州事変や日中戦争を例示しています。「武力による威嚇」とは、日清戦争後の1895年の独仏露の対日三国干渉のように、武力を背景にして自国の主張を相手国に強要することと解説しています。
 今、北朝鮮に対して米国が行い、そこに日本も参加する軍事力を誇示しての圧力は、まさに「武力による威嚇」に該当しないでしょうか。もちろん、憲法解釈には異なった説もあります。自衛権を巡る論議もあって事はそれほど単純ではないでしょうし、政府は現に自衛隊を参加させている以上、合憲の見解なのでしょう。しかし、どれだけ北朝鮮の脅威が深刻であろうと、仮にも「威嚇」の形であっても自衛隊という軍事力の発動が既成事実化し、結果として憲法がないがしろにされるのであれば、日本はもはや立憲主義国でもなく法治国家でもない、何よりも平和主義を放棄したことになります。控え目に言っても、平和主義の後退です。少なくとも国会で、米軍の軍事的圧力、示威行動に自衛隊が参加することの意味合いを議論すべきだと思いますし、国会審議を待たずとも、マスメディアが問題の所在を提起していくのは大きな役割の一つのはずです。

 なお、上記の概説書(芦部信喜「憲法 新版補訂版」)によると、日本国憲法の「平和主義」は前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と表現されています。これは国際的に中立の立場からの平和外交、および国際連合による安全保障を考えていると解釈できます。単に自国の安全を他国に守ってもらうという消極的なものではなく、平和構想を提示したり、国際的な紛争・対立の緩和に向けて提言を行ったりして、平和を実現するために積極的行動を取るべきことを要請しているものです。そういう積極的な行動を取ることの中に日本国民の平和と安全の保障がある、という確信を基礎にしていると同書は解説しています。この平和主義を具体化したのが9条です。
 こうした解釈は現在の憲法改正論議の中で、どこまで共有されているでしょうか。もちろん異説があるのは当然ですし、そのことも含めて、改憲の方向性を論議する前に、まず現憲法の解釈と運用の状況を共有することが何をさておいても必要だと感じます。改憲論ではよく憲法が現状に合わなくなっているということが言われますが、見方の違いによっては、憲法が遵守されていない、ということにもなります。そうした食い違いがあること自体を社会全体で共有しておかなければ、社会は分断の方向にしか進まないのではないかと危惧しています。

 自衛権で思い出すのはイラク戦争です。米国はイラクが大量破壊兵器を保有していると主張し、国連の支持を欠いたまま、英国とともに自衛権の先制行使の理屈で戦争を始めましたが、今日では大量破壊兵器はイラクにはなく、大義なき戦争だったことが明らかになっています。この戦争を契機に中東は混迷の度を深め、過激派組織の「イスラム国」が台頭する要因にもなりました。「攻撃を受けるかもしれない」ないしは「攻撃を受けつつある」という時ほど、一層の冷静さが必要であることは、歴史の教訓です。

 ここでもう一つ思い出すのは、ナチスドイツの大立者だったゲーリングが戦後に残した言葉です。国民はだれも戦争を望まないが、戦争に駆り立てるのは簡単なことだ、我々は攻撃されかかっているとあおり、平和主義者のことは愛国心が足りない、と言えばよい、これはどんな国にも当てはまる―。歴史の教訓を社会で共有しなければならないと思います。

※参考過去記事

news-worker.hatenablog.com

 

※追記 2017年11月12日19時55分

 朝日新聞によると、海上自衛隊と米海軍の原子力空母3隻の艦隊が12日、日本海で共同訓練を実施しました。ただし日本政府関係者によると、日米両政府は3隻の空母が日本海に集結するタイミングをとらえ、韓国も含めた3カ国の共同訓練を検討したものの、韓国側との調整がつかず見送ったということです。

www.asahi.com