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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

追悼 原寿雄さん~市民と足並みをそろえるジャーナリズムへ

 悲しい知らせに接しました。元共同通信編集主幹のジャーナリスト、原寿雄さんが11月30日、死去されました。92歳でした。以下は共同通信の新聞用の配信記事です。 

 「デスク日記」や「ジャーナリズムの思想」の著者で、報道の在り方を問い続けた元共同通信社編集主幹のジャーナリスト、原寿雄氏が11月30日午後6時5分、胸部大動脈瘤(りゅう)破裂のため神奈川県藤沢市の病院で死去した。92歳。神奈川県出身。葬儀・告別式は親族のみで行った。喪主は妻侃子(よしこ)さん。
 東大を卒業。1949年に社団法人共同通信社に入り、社会部次長、バンコク支局長、外信部長、編集局長、専務理事、株式会社共同通信社社長を歴任。新聞労連副委員長や神奈川県公文書公開審査会会長、民放とNHKでつくる「放送と青少年に関する委員会」委員長なども務めた。
 57年、「菅生事件」取材班の一員として、大分県で交番を爆破し共産党の犯行に見せかけた警官を捜し出して報道。社会部次長の時、60年代のマスメディアを巡る状況を記録した「デスク日記」(全5巻)を小和田次郎の筆名で出版した。
 その後も、官庁や企業の提供情報に依存した報道を「発表ジャーナリズム」と呼び批判するなど、メディアに警鐘を鳴らした。他の著書に「新聞記者」「ジャーナリズムに生きて」、共著に「日本の裁判」「総括安保報道」など。 

 マスメディアの組織ジャーナリズムと、新聞労連という労働組合運動の双方で、私にとっては大先輩に当たる方でした。私が新聞労連の委員長だった時に、議長を兼ねていた日本マスコミ文化情報労組会議(略称MIC)の関連の集会で、基調講演とパネルディスカッション出席をお願いしたのが、最初に親しくお話をさせていただいた機会だったと思います。2005年の春のことでした。以来、勉強会や学習集会などで何度も謦咳に接することができ、その都度、様々なことを学び、また様々なことに気づかされました。そして原さんの話を聞いた後はいつも「頑張らなければ」と気持ちが上向きになりました。叱咤と共に、励ましをいただいたと、私自身は思っていました。
 原さんのことは、「小和田次郎」の筆名で「デスク日記」を書いていたころの社会部デスク時代や、編集局長や編集主幹といった組織ジャーナリズムの編集責任者としての側面は、世代の違いもあって実は私はよく知りません。それ以降の、この12年余のことになりますが、原さんから教えをいただき、今も胸に刻んでいることをいくつか書きとめておきます。

 ▽絶望するな、悲観するな
 一つは、絶望するな、悲観ばかりするな、ということです。2005年当時、自衛隊が戦火やまぬイラクに派遣されていました。自民党がまとめた憲法改正案では、9条を改悪し、軍隊である自衛軍を保持することが明記されていました。非正規雇用が増大し「格差社会」「ワーキング・プア」という言葉が生まれたのもその時期です。ご存命だった加藤周一さん(だったと記憶しています)が「今の社会の雰囲気は1930年代に似ている。表面上は分からないが、少しずつ何かが変わっている。例えば書店に並ぶ書籍の表紙が。そうやって少しずつ戦争に近付いていく」というような趣旨のことを話していました。そんな中で私は、マスメディアの労働組合運動に身を置きながら、日々、重苦しさを感じていました。
 そんな中で、原さんからお聞きしたのが、絶望するな、悲観ばかりするな、ということでした。MIC関連の集会での基調講演でした。確かに危うい時代だ。新聞が戦争反対を言わなくなった1931年の満州事変の少し前に似てきた。ジャーナリズムを取り巻く状況は厳しい。だが、民意はどうだ。決して9条を変えることを望んではいないし、戦争も望んでいない。世論調査の結果を分析すれば分かる。メディア規制の動きはあっても、メディアへは不信もあるが期待もあるということも読み取れる。ジャーナリズムは市民と足並みをそろえて、権力に対抗していくことができる、というような趣旨でした。目が覚める思いがしました。また、別の場だったかもしれませんが、やはりよく覚えていることがあります。「今はまだ幸いに『表現の自由』があるじゃないか。今ある表現の自由を行使することがまず必要じゃないのか。そうでなければ、本当に表現の自由は奪われてしまう」。マスメディアにとっても、またマスメディアの労働組合運動にとっても、つまり当時の私にとっては二重の意味で、「表現の自由」を守ることはほかならぬ私たちが大きな責任を負っているのだ、ということに気付かされました。
 このブログではたびたび、マスメディアが実施する世論調査の結果を紹介し、時には私なりの考察も加えています。それは元をたどれば上記の原さんの指摘によります。民意が何を考え、求めているのかは、いつも念頭に置いて、社会に向き合っていきたいと考えています。

 ▽「我が国ジャーナリズム」に陥るな~「ペンか、パンか」の問題
 二つ目は、ジャーナリズムは「我が国」とか「国益」などの意識から離れよ、ということです。偏狭なナショナリズムに陥るな、と言ってもいいと思います。そうした意識は排他的なものの考え方と結びつき、社会を戦争に駆り立てるものだからです。このことは原さんから何度もお聞きしましたし、著書やお書きになった文章でも必ずと言ってもいいほど触れていたのではないかと思います。原さんの考えの根底にあるのは、1931年の満州事変を境に、戦争に反対しなくなった戦前の新聞だと思います。「我が国ジャーナリズム」では戦争に反対できない、ということもおっしゃっていました。
 記事では「我が国」と書かずとも「日本」と書けば十分です。政治家の発言の直接引用などは別として、この点は私も実務の上で、先輩たちからそう教育を受け、また後輩たちにもそう指導してきました。「我が国ジャーナリズム」では戦争に反対できない、という意味づけはとてもクリアです。
 これに関連すると思うのですが、原さんは新聞が反戦ジャーナリズムを維持できるかどうかに関して「ペンか、パンか」の命題を重視していました。「パン」とは新聞社の従業員と家族の生活です。戦前の新聞が戦争に反対しなくなった歴史は、一面ではペンがパンに屈した歴史でした。しかも、必ずしも反戦の言論に対する直接的な弾圧はなくとも、新聞の側が忖度するように軍部批判を辞めていった歴史です。翻って今日、原さんは「結局は個人の覚悟から出発するほか、ペンの力がパンの圧力に勝つ反戦ジャーナリズムの道はないように思う」と、2009年刊行の岩波新書「ジャーナリズムの可能性」に書いています。そして「日本ではジャーナリストも企業内労組に属し、一般職を含む労組はパンを優先しがちである」として、労組が反戦を貫けるかどうか「正直言って覚束ない」とも。原さんはかつて、新聞労連の副委員長でした。はるかに下って、新聞労連の委員長を務めた私は、この指摘に忸怩たる思いですが、一方では原さんの危惧を共有してもいます。
 ジャーナリズムの究極の目的は戦争をなくすこと、始まってしまった戦争を終わらせることです。労働組合の目的の一つが、働く者の地位と生活の向上だとして、それは何のためかと言えば、貧困や社会不安の根を除き、戦争の芽を摘み取ることです。ジャーナリズムの労働組合運動にとっては、戦争反対は二重の意味で譲ってはならない目標のはずで、「ペンとパン」の問題はここにもあるのだと、今、この文章を書きながらあらためて思います。戦争については、原さんが「『良心的』ではだめだ。良心的な人が戦争に加担していた。良心を発動しなければならない」と常々おっしゃっていたことも強く印象に残ります。

 ▽全員がモノを言おう
 三つ目は、組織の中で全員がモノを言うことの大事さです。2005年の集会とは別の場でした。原さんを囲んだ場で、司会者から「通信社勤務と新聞労連の両方の立場で後輩にあたる」として指名を受けて、私は少々失礼な質問を原さんにしました。マスメディアの現状に対する原さんの憂慮と懸念はもっともで、特に職場で日常的な議論が失われているように思う。でもその状況は昨日、きょう、突然始まったわけではないはず。原さんは共同通信社で経営にも携わる立場だった。その意味で、今日のマスメディアの状況に責任のようなことはお考えではないのか、と。本当に失礼な質問でしたが、原さんが結論としておっしゃったことは今でも鮮明に覚えています。「全員発言が大事だ。全員が発言していれば、そうおかしいことにはならない」「今、職場がおかしいのだとすれば、全員がモノを言うということができなくなっているからではないのか」。
 思い起こせば私が記者になった30数年前、私が所属する組織の職場では「モノを言う」のは当たり前のこととされていました。特に労働組合の職場集会では、発言がないと先輩から怒られていました。「意見の食い違いを恐れない。意見が出ないことを恐れる」が、私が所属していた労働組合の合い言葉でした。2004年の夏、新聞労連委員長に選出された大会でのあいさつで、各労組の代議員を前に、私はこの合い言葉を紹介し、このことをモットーに職務を遂行していくことを表明しました。
 原さんが指摘された通りだと思います。私が知る限りでも、「全員がモノを言う」ことの大事さは職場でも労組でも共有され、実践もされていました。しかし今はどうでしょうか。その風潮が弱まっているのだとすれば、その責任は原さんの世代よりも、むしろ私たちの世代にあるのかもしれません。私自身、組織ジャーナリズムに身を置く時間はもう長くは残っていませんが、「全員がモノを言う」こと、そのことの意義を全員が共有し尊重する、そういう組織ジャーナリズムであり続けるということを、自身の課題の一つとして胸に刻んでおこうと思います。

 原さんは、お会いすると必ず「いつもブログを読んでいるよ」と声を掛けてくださいました。原さんの「デスク日記」に比べれば、さして面白くもない走り書きのようなものですが、私には大きな励みでした。
 今、社会の様々な面で「分断」が指摘されています。マスメディア、特に新聞の間でも論調の2極化が起きています。極論と穏健な論調とがあれば、どうしても極論が一時的にせよ支持を集める傾向は否定できないように思います。そうした極論にはしばしば「国益」といった言葉が飛び交い、意見を同じくしない人たちには「反日」などのレッテル張りすら行われています。戦争は、こういった雰囲気の中で近付いてくるのだろうな、と思わざるを得ません。そういう状況だからこそ、原さんが遺されたジャーナリズムを巡る数々のことを、後続の私たちが受け継いでいかなければならないと強く思います。何よりも、ジャーナリズムとは国益に奉仕するものではない。市民、社会の人々の知る権利に奉仕し、戦争を防ぐためにあらねばなりません。原さんが言われたように、絶望せず、悲観せず、しかし着実に歩んでいく。そのことを誓って、原さんへのお礼に代えたいと思います。原さん、ありがとうございました。 

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※参考過去記事

news-worker.hatenablog.com

news-worker.hatenablog.com

news-worker.hatenablog.com

 

※比較的最近刊行された原さんの著作を3点、紹介しておきます。若い方でも読みやすいのではないかと思います。 

ジャーナリズムの可能性 (岩波新書)

ジャーナリズムの可能性 (岩波新書)

 

 

ジャーナリズムに生きて――ジグザグの自分史85年 (岩波現代文庫)

ジャーナリズムに生きて――ジグザグの自分史85年 (岩波現代文庫)

 

 

原寿雄自撰 デスク日記1963~68 (ジャーナリズム叢書)

原寿雄自撰 デスク日記1963~68 (ジャーナリズム叢書)