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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「訂正でんでん」と「ハマグリ」―政治家の言動を報じる意味 ※追記:柳田邦男さんがコラムで酷評

 安倍晋三首相が1月24日の参院本会議で、民進党蓮舫代表の質問に答えた際に、「訂正でんでんという指摘は当たらない」と発言したことが話題になっています。「訂正云々(うんぬん)」を「訂正伝々」と誤読したのではないか、との指摘があります。ネット上ではパロディの動画までアップされる一方で、新聞ではあまり取り上げられていません。私の目に付いた範囲ですが、東京発行の新聞紙面では26日付の朝刊で東京新聞共同通信の配信記事を掲載したのと、同日付の朝日新聞1面のコラム「天声人語」が短く触れた程度です。ただし、朝日新聞はサイトでは別に単独の記事をアップしています。

※47news=共同通信「首相『訂正でんでん』 『云云』を誤読か」2017年1月25日
 https://this.kiji.is/197002106434946556?c=39546741839462401

 安倍晋三首相が24日の参院本会議で、民進党蓮舫代表の代表質問に対し「訂正でんでんという指摘は全く当たりません」と答弁したことがインターネット上などで話題になっている。官邸関係者は「答弁原稿にあった『云云(うんぬん)』を誤読したのではないか」としている。
 蓮舫氏は、首相が施政方針演説で「批判に明け暮れ、国会でプラカードを掲げても何も生まれない」と野党の対応を皮肉ったことに対し「われわれが批判に明け暮れているという言い方は訂正してほしい」と迫った。
 これに対し、首相は「民進党の皆さんだとは一言も言っていない。訂正でんでんとの指摘は当たらない」と反論した。

朝日新聞「安倍首相、『訂正でんでん』と誤読? 参院代表質問答弁」=2017年1月25日
 http://www.asahi.com/articles/ASK1T62CZK1TUTFK00S.html

(中略)
 これに対して、首相は「民進党の皆さんだとは一言も言っていないわけで、自らに思い当たる節がなければ、ただ聞いていただければ良いんだろうと思うわけで、訂正でんでんという指摘は全く当たらない」と答えた。
 一連のやりとりについて、ネット上では「首相が云云(うんぬん)を伝伝(でんでん)と誤読?」「訂正でんでん」などの書き込みが相次いだ。官邸幹部は「『云々』と『伝々』はよく似ている」として誤読だったことを認めた。

 首相の施政方針演説は臨時国会が開会した1月20日に衆院本会議で行われました。首相官邸のホームページで全文を読むことができます。
 ※首相官邸「第百九十三回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説」=2017年1月20日
  http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement2/20170120siseihousin.html
 問題の「プラカード」のくだりは、最後の「七 おわりに」に出てきます。

 未来は変えられる。全ては、私たちの行動にかかっています。
 ただ批判に明け暮れたり、言論の府である国会の中でプラカードを掲げても、何も生まれません。意見の違いはあっても、真摯かつ建設的な議論をたたかわせ、結果を出していこうではありませんか。
 自らの未来を、自らの手で切り拓く。その気概が、今こそ、求められています。

 1月24日の蓮舫氏の質問と安倍首相の答弁は、ユーチューブの以下のURLに動画があります。「訂正でんでん」は50分すぎ辺りからの発言で出てきます。
  https://www.youtube.com/watch?v=W8pbRSW15LU

 「訂正でんでん」の発言を報じていないマスメディアは、これを報じることはことさらの揚げ足取りのように感じたのかもしれません。それはそれでいいと思うのですが、私は政治家、中でも「内閣総理大臣」という特別の地位にある政治家に対しては、とりわけこの国の主権者である国民はもちろんのこと、日本社会に住むすべての人々、さらには海外の人々にとっても、その資質や器量を判断するためには、その材料になる情報は多ければ多いほどいいだろうと考えています。ましてや政治にとって言葉は格段の重みを持っています。仮に答弁の草稿に「訂正云々」と書いてあったのを「訂正伝々」と見間違えたとしても、その限りにおいて、一つの判断材料だろうと思います。
 もう一つ思うのは、では仮に「訂正うんぬん」と発音していれば、話題にならなかったのかと言えば、そうでもないのではないかということです。
 蓮舫氏は質問の中で、野党時代に自民党も国会でプラカードを掲げていたことも指摘しました。その上で、「われわれが批判に明け暮れているという言い方は訂正してほしい」と要求しています。安倍首相は答弁で、自民党だけを正当化するつもりは毛頭ないと言い、また施政方針演説ではプラカードのくだりに続けて、意見の違いはあっても、真摯かつ建設的な議論をたたかわせ、結果を出していこうと呼びかけたことを再度、強調しています。それが真意なのでしょうし、そのこと自体はとてもよく理解できます。
 しかし、それならそれで良く、「民進党の皆さんだとは一言も言っていないわけで、自らに思い当たる節がなければ、ただ聞いていただければ良いんだろうと思うわけで」などとは、言わずとも良かったのではないかと思います。国会論戦の一国の首相の態度としては、このようなことさらに皮肉を込めた物の言いようは、聞き苦しいと感じました。
 この「聞き苦しい」というのは私の個人的な受け止めですが、別の人は別の受け止めをするかもしれません。「見事な切り返し」と感じ入る人もいるでしょう。いずれにしても、蓮舫氏が質問でプラカードへの首相の発言を取り上げたことや、首相がどのように答弁したかは、野党党首や首相のそれぞれの資質や器量を判断する上では、報じるに足る情報だと思いますし、現に「訂正でんでん」の記事が出る以前、24日当日の報道では、このやり取りを取り上げた記事もマスメディアの中にはありました。
 あらためて動画を見ると、「訂正でんでん」を口にする直前、「民進党の皆さんだとは一言も言っていない」「ただ聞いていただければ良いんだろう」などと話す安倍首相は、してやったりの表情で、ひときわ声が大きくなっています。野党党首に対して、そういう態度を見せる中での「誤読」でした。その全体のやり取りから何を感じ取るかは人それぞれですが、誤読も含めてマスメディアが伝えるのに値する情報だろうと思います。
 余談ですが、仮に答弁の草稿で「訂正云々」を「訂正伝伝」と見間違ったとしても、そのような日本語は通常は目にしません。その意味では「誤読」と呼ぶことにも違和感がありますが、議場では誤読に対する笑いもヤジもなかったように見えます。安倍首相があまりに堂々と大きな声で「でんでん」と口にしたためではないかと感じます。


 さて、タイトルに掲げたもう一つの「ハマグリ」です。実は、安倍首相の施政方針演説には「訂正でんでん」よりも深刻ではないかと思える事実誤認の疑いが指摘されています。高知新聞の記事を引用します。
 ※高知新聞「高知はハマグリ乏しい 安倍首相の演説『今も兼山の恵み』ウソ?」=2017年1月21日
  http://www.kochinews.co.jp/article/74953/

 安倍晋三首相が1月20日開会した通常国会の施政方針演説で江戸時代の土佐藩家老、野中兼山がハマグリを放流した逸話を引き、「350年を経た今も高知の人々に大きな恵みをもたらしている」と紹介した。しかし高知県ハマグリの水揚げが元来少なく、「ハマグリは全くなじみがない」と地元漁業者。高知県の海岸部では魚介資源の減少も顕著で、現実と懸け離れた演説内容に異論が飛び交った。
 首相は演説の最後で、野中兼山が船いっぱいのハマグリを「末代までの土産」と全て海に投げ入れたのをきっかけに、土佐湾で養殖が始まったとのエピソードを披露。「自らの未来を自らの手で切り開く行動」だとして、国会での憲法論議を深める契機にしようと呼び掛けた。

 安倍首相が施政方針演説で、この野中兼山のハマグリの故事に触れた部分を、首相官邸ホームページから以下に引用します。

 子や孫のため、未来を拓く。
 土佐湾ハマグリの養殖を始めたのは、江戸時代、土佐藩の重臣、野中兼山(けんざん)だったと言われています。こうした言い伝えがあります。
  「美味しいハマグリを、江戸から、土産に持ち帰る。」
 兼山(けんざん)の知らせを受け、港では大勢の人が待ち構えていました。しかし、到着するや否や、兼山(けんざん)は、船いっぱいのハマグリを全部海に投げ入れてしまった。ハマグリを口にできず、文句を言う人たちを前に、兼山(けんざん)はこう語ったと言います。
 「このハマグリは、末代までの土産である。子たち、孫たちにも、味わってもらいたい。」
 兼山(けんざん)のハマグリは、土佐の海に定着しました。そして三百五十年の時を経た今も、高知の人々に大きな恵みをもたらしている。
 まさに「未来を拓く」行動でありました。
 未来は変えられる。全ては、私たちの行動にかかっています。
 ただ批判に明け暮れたり、言論の府である国会の中でプラカードを掲げても、何も生まれません。意見の違いはあっても、真摯かつ建設的な議論をたたかわせ、結果を出していこうではありませんか。
 自らの未来を、自らの手で切り拓く。その気概が、今こそ、求められています。


 続いて首相は今年が憲法施行70年の節目であることに触れ、改憲の議論を深めることを訴えた後、「世界の真ん中で輝く日本を、一億総活躍の日本を、そして子どもたちの誰もが夢に向かって頑張ることができる、そういう日本の未来を、共に、ここから、切り拓いていこうではありませんか」と呼び掛けて、施政方針演説を結んでいます。
 「訂正でんでん」を口にすることにも至った「プラカード批判」を盛り込んだのは、憲法改正を含めて「自らの未来を、自らの手で拓く」ということを強調するためでした。そのために引いたのが野中兼山の故事でした。いっときの楽しみを我慢すれば、後世に大きな恵みを残せるということを強調したかったのだろうと思いますが、肝腎の「後世の大きな恵み」に事実誤認があるようなのです。これもまた「内閣総理大臣」としての資質や器量を判断するための材料の一つになりうるのではないかと思います。
 高知新聞の記事は高知県漁業振興課や高知市の漁業者らに取材して、「大きな恵み」が現にあるのか検証しています。同じように検証取材をした同趣旨の記事は、共同通信が20日に配信していますが、ほかには見当たりません(全国紙の地域版などに掲載された場合は見落としの可能性があります)。
 こうした政治家の言動に対するファクト・チェックは、マスメディアの組織的な取材力を生かすべき分野だろうと思います。そして、米国のトランプ政権のように、自らが認めたくない事実を認めようとせず、自らの主張のことを高官が「オルタナティブ・ファクト(もう一つの別の事実)」と言い放つような中では、マスメディアのファクト・チェックは一層重要になると思います。


【追記】2017年1月31日0時
 安倍晋三首相が施政方針演説で、土佐藩家老の野中兼山のハマグリの故事を引用したことについて、作家の柳田邦男さんが毎日新聞1月28日付朝刊(東京本社発行)掲載のコラム「深呼吸」で触れています。
 「[知の地域創造]人と人とのつながり重視を」のタイトルで、冒頭に安倍首相の演説を紹介。柳田さんは「世のため、人のために身を投げ出す行為のエピソードは、人の心を引き付ける。しかし、それを『地方創生のかがみ』にしようというのなら、土佐湾ハマグリ漁が現在どうなっているか、という現実を見ておく必要があるだろう」と指摘した上で、「高知県漁業振興課によると」として、県内のハマグリの漁獲量は1986年の約11トンをピークに減り、2015年には主要産地の合計が400キロ近くにまで落ち込んだことを書き、ハマグリ漁が潜水作業を伴い体力面で負担が大きいため、担い手が少なくなってしまったのが原因だと紹介しています。
 施政方針演説に対しては「安倍首相が格好良く持ち出した野中兼山の美談も、現時点での政策論としては、空疎なものとしか映らない」と厳しい評価で、新聞記者がこんな文脈で土佐湾ハマグリ漁のエピソードを書いたらボツになるだろうと酷評。「だが悲しいことに、そのような虚構のエピソードで『地方創生』なるものが格好をつけられているのが、この国の政治なのだ」と嘆いています。
 コラム全体の論旨は、現状の「地方創生」は経済偏重になっていると指摘し、新しい発想として「知の地域創生」を提示するものです。読んで共感することが多い内容でした。