ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「安田純平さんの帰国を喜び合える社会を目指して」~新聞労連の声明に共感

 ジャーナリストの生死を巡る2件のニュースが報じられています。一つは、シリアで拘束されていた安田純平さんの3年4カ月ぶりの解放と帰国。もう一つはトルコのサウジアラビア領事館で死亡したジャマル・カショギ氏が、領事館で殺害されたと指摘されている事件です。安田純平さんの生還については新聞労連(日本新聞労働組合連合)が南彰・中央執行委員長名で10月25日に「安田純平さんの帰国を喜び合える社会を目指して」と題した声明を発表しました。カショギ氏の事件に対しては、新聞労連のほか民放労連や出版労連などでつくる日本マスコミ文化情報労組会議(略称・MIC)が「『批判もする友人』が共存する世界を目指して―サウジアラビア人記者殺害は対岸の火事ではない―」との声明を10月24日に出しています。新聞労連委員長はMIC議長を兼ねています。

 この二つの声明には共感するところが多いので、転記して紹介します。 

安田純平さんの帰国を喜び合える社会を目指して
 
2018年10月25日
日本新聞労働組合連合(新聞労連)
中央執行委員長 南 彰

 2015年からシリアで拘束されていたフリージャーナリストの安田純平さんが3年4カ月ぶりに解放されました。人命と引き替えに金銭を要求する犯行グループの行為は卑劣で、真実を伝える目的を持ったジャーナリストを標的にすることは言論の自由や表現の自由への挑戦です。新聞労連としても安田さんの「即時解放」を求めてきましたが、同じ報道の現場で働く仲間の無事が確認された喜びを分かち合いたいと思います。
 安田さんはかつて信濃毎日新聞の記者を務め、新聞労連の仲間でした。2003年にフリージャーナリストに転身しましたが、紛争地域の取材に積極的に取り組み、民衆が苦しむイラク戦争の実態などを明らかにしてきました。
 その安田さんや家族に「反日」や「自己責任」という言葉が浴びせられている状況を見過ごすことができません。安田さんは困難な取材を積み重ねることによって、日本社会や国際社会に一つの判断材料を提供してきたジャーナリストです。今回の安田さんの解放には、民主主義社会の基盤となる「知る権利」を大切にするという価値が詰まっているのです。
 安田さんはかつて「自己責任論」について、新聞社の取材にこう語っています。
 「自己責任論は、政府の政策に合致しない行動はするなという方向へ進んでしまった。でも、変わった行動をする人間がいるから、貴重な情報ももたらされ、社会は発展できると思う」
 観光や労働の目的で多くの外国籍の人が訪れ、また移り住むという状況が加速している私たちの社会は、より高い感受性と国際感覚が求められています。そのベースとなるのは、組織ジャーナリズムやフリーを問わず、各地のジャーナリストが必死の思いでつかんできた情報です。
 解放された安田さんに対して、「まず謝りなさい」とツイッターに投稿する経営者もいますが、「無事で良かった」「更なる活躍を期待しているよ」と温かく迎える声が大きくなるような社会を目指して、新聞労連は力を尽くしていきます。
 
以上 

 ※新聞労連 http://www.shinbunroren.or.jp/index.htm 

「批判もする友人」が共存する世界を目指して
――サウジアラビア人記者殺害は対岸の火事ではない――

2018年10月24日
日本マスコミ文化情報労組会議

 サウジアラビア人記者がトルコのサウジアラビア総領事館で死亡した事件で、トルコ政府が「事前に計画された殺人だった」と認定しました。亡くなったジャマル・カショギ氏は、サウジアラビア政府の独裁的な政治のあり方を批判し、同国の内外に警鐘を鳴らしてきたことで知られるジャーナリストでした。自らの意に沿わない言論を権力や暴力で封殺する行為は、人類が積み上げてきた表現の自由や民主主義に対する冒瀆です。
 しかし、欧米諸国が非難の声明を出すなか、日本政府の対応は後手に回り、メディアの報道も時に国際政治のパワーゲームの視点に偏りがちです。「表現の自由」の価値と向き合っている社会であるのかが、いま、問われています。

 同じことは、フリージャーナリストの安田純平さんの拘束事件についても言えます。日本政府が10月23日、「解放された」と発表しましたが、発覚からの3年間、「誰も報じなければ、現地の状況は伝わらない」と現地取材に取り組んできたジャーナリストの拘束にどれだけ私たちは心を寄せてきたでしょうか。安田さんやその家族に対して「反日」「自己責任」といった中傷の言説が広がっている状況も見過ごしてはなりません。

 私たちの足元をみると、メディアに対する攻撃が相次いでいます。
 兵庫県西宮市の今村岳司市長(当時)は今年1月、読売新聞記者に「殺すぞ」「落とし前つけさすからな」と恫喝。足立康史衆院議員(日本維新の会)は自身のツイッターに「朝日新聞、死ね」と投稿し、国会審議で同紙の加計学園問題をめぐる報道を「捏造」と発言しました。政府のスポークスマンである官房長官の記者会見をめぐっては、政府見解の真偽を問いただす記者への取材制限や誹謗中傷、殺害予告まで起きています。サウジアラビア人記者殺害事件は決して対岸の火事ではないのです。

 「批判もする友人(critical friend)」という言葉があります。
 国連特別報告者のジョセフ・カナタチ氏が、特別報告者の役割を問われたインタビューで語った言葉です。ある人や国が間違ったことをしそうになった時に、それを指摘する友人という意味が込められています。この役割を、日本社会の津々浦々で担っているのが、日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)に集うメディア関連の仲間たちです。
 表現の自由や報道の自由の価値を、改めて市民と確認し合いながら、「批判もする友人」が共存する、強くてしなやかな日本社会、国際社会を目指して力を尽くします。

以上  

※MIC http://www.union-net.or.jp/mic/

 安田さんに対しては、やはり「自己責任」を挙げての批判がネット上を中心に出ています。危険地域だったシリア入りや、救出のために日本政府に負担をかけたことなどを責める意見です。一方で、危険地域で何が起きているのかが広く知られることには大きな意味があることを訴える意見もあります。ここでわたしたちの社会に必要なのは、自己責任論を一方的に排除することではないと思います。異論は異論として受け止めながら、意見の食い違いが社会の分断にまで至ってしまうことのないように、「知る」「知らせる」ことの意味について、自己責任論を口にしている人たちも含めて、社会全体で考えを深めていくことが重要と感じます。マスメディアの内部に身を置く者の一人として、新聞労連とMICの二つの声明に接して、そんなことを考えました。