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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「戦地で取材し発信するジャーナリストは公益の担い手」(西日本新聞)、「ジャーナリストがそこにいなければ、世界に真実が伝わらない」(琉球新報)~安田純平さん生還、新聞各紙の社説

 シリアで拘束されていた安田純平さんの3年4カ月ぶりの解放と帰国を巡って、新聞各紙も10月25日付以降、社説、論説で取り上げています。ネットで目にしたものをまとめました(後掲、10月29日現在)。
 各紙とも、まずは安田さんの無事解放を喜ぶトーンです。その上で、安田さんが拘束されてから解放されるまでの経緯を検証し、教訓を今後に生かすべきだ、との指摘が目に付きました。安田さん本人がどのような体験をしたのか。体調が回復した後にされるのであろう証言への期待もあります。
 教訓を探るには日本政府の対応の検証も必要です。社説、論説の中には、「国際社会との連携による解放は、一定の外交の成果である」(産経新聞)との評価があります。一方では「簡単に政府の取り組みの成果と結論付けてはならない」(信濃毎日新聞)との指摘もあります。日本政府は手の内を知られることは避けたいはずなので、この間の経緯を多くは明かさないのでしょう。真相に迫るのはマスメディアの役割だろうと思います。教訓を得るにも、まず事実を踏まえる必要があります。

 安田さんに対して「自己責任論」に基づく批判がネットを中心に出ていることには、多くの社説、論説が危惧を示しています。その中で、現地にジャーナリストが入って報道することの意義を、いくつもの社説、論説が説いています。ここでは琉球新報と西日本新聞の社説の一部を引用します。
 「人道に反する残虐行為が行われていても、ジャーナリストがそこにいなければ、世界に真実が伝わっていかない」「国家の言うがままに取材を自粛したり抑制したりすることが当たり前になれば、体制側にとって都合の悪い事柄は表に出なくなる」(10月27日付、琉球新報)
 「日本から遠く離れた場所で起きている紛争だとしても、日本政府がどう関与するか、市民として何ができるかを考えるには、判断材料となる正確な情報が必要だ」「そういう意味で、戦地で取材し発信するジャーナリストは企業所属、フリーを問わず、公益の担い手という側面を持つ」(10月28日付、西日本新聞)

 安田さんが入ったシリアの混乱状況や、あるいは一時のイスラム国(ISIS)の隆盛は、元をたどれば2003年のイラク戦争に行き着きます。米国がサダム・フセイン政権を打倒したこの戦争への支持を、当時の小泉純一郎政権は真っ先に表明しました。そういう経緯を踏まえても、日本社会に日本人ジャーナリストによってシリアの現状が伝えられることの意義は小さくないと思います。
 「自己責任論」の中には、安田さんの解放、救出のために身代金が支払われたことで、テロ組織が活動資金を得て新たなテロを引き起こすとして安田さんを批判する内容のものが少なくないようですが、そもそも身代金が払われたのかどうか、事実として確定している状況ではありません。仮に議論するとしても、そうしたことが踏まえられるべきでしょう。

 危険地域での取材には十分な安全対策と慎重な行動が必要です。それでも「絶対安全」はありません。社説や論説の中には「ジャーナリストとしての見通しの甘さは批判されて当然だろう」(北國新聞)、「取材経験が豊富だったはずの安田さんの判断は、どこに落とし穴があったのか」(京都新聞)などと、安田さんの判断に対する指摘もあります。ただ、この論点は、ジャーナリストとして現場入りを目指すことの是非それ自体とは別の問題だろうとわたしは考えています。
 また、1人のフリーランスのジャーナリストが危険地域で取材する際の安全への備えを論点にするなら、備えが十分だったか、だけではなく、フリーランスのジャーナリストが置かれている経済面を始めとした様々な環境にも目を向けることにも意義があるようにも思います。ありていに言えば、新聞社や放送局の正社員記者とフリーランス・ジャーナリストの間には、経費や資材をはじめとして小さくはない差があります。「ジャーナリストの働き方」という視点も、実はそこにあってもいいのではないかと感じています。

 以下は、ネット上で目に止まった各紙の社説、論説です。印象に残る部分を引用しました。見出しのみのものもあります。

【10月25日付】
▼毎日新聞「シリアで拘束の安田さん まずは無事な解放を喜ぶ」 

https://mainichi.jp/articles/20181025/ddm/005/070/032000c

 戦場を取材するジャーナリストは、戦争の悲惨な現状を世界に向けて発信する役割を担っている。
 ただし、政府が「退避勧告」を出しているような危険地域での取材には周到な準備が必要だ。危険を察知する状況判断も重要になる。
 安田さんが海外で武装勢力に拘束されたのは04年のイラクに続いて2回目だ。最初の解放時は「自己責任」を追及する意見もあった。
 安田さんはトルコで謝意を示す声明を発表した。映像を見る限りしっかりした口調だ。邦人保護や戦場取材で共有すべき教訓はないか。帰国後、ぜひ話してほしい。

▼産経新聞(「主張」)「安田さん解放 テロに屈してはならない」

https://www.sankei.com/column/news/181025/clm1810250001-n1.html

 日本政府の要請を受けたカタールやトルコが、何らかの仲介役を務めたことは間違いあるまい。国際社会との連携による解放は、一定の外交の成果である。
 (中略)
 危険を承知で現地に足を踏み入れたのだから自己責任であるとし、救出の必要性に疑問をはさむのは誤りである。理由の如何(いかん)を問わず、国は自国民の安全や保護に責任を持つ。
 安田さんの解放に尽力したとされる「国際テロ情報収集ユニット」は、テロに関連する情報を一元的に集約するため、政府が15年12月、外務省に設置した。
 外務省や防衛省、警察庁、公安調査庁などの職員からなる実動部隊で、将来的には情報機関としての独立も視野に入る。
 今回の事件にも象徴されるように、テロは遠い世界の出来事ではない。テロに強い国へ、体制や法の整備も急ぐべきである。

▼北海道新聞「安田純平さん 無事の解放を喜びたい」

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/241326?rct=c_editorial

 菅義偉官房長官は「官邸を司令塔とする『国際テロ情報収集ユニット』がトルコやカタールに働きかけた結果」と強調した。
 だが、政府は拘束報道から解放までに、なぜ3年もの時間を要したのだろうか。
 武装勢力の狙いや解放の経緯はまだ分からない。今後、安田さんの証言などを基に解明されるのを待ちたい。
 安田さんはイラクでも拘束された経験がある。安全への配慮を問う声があるかもしれない。
 だが、ジャーナリストは現場に行かないと事実を伝えられない。もちろん生還しなければ意味がない。だから、安全には最大限、注意を払う。それでも絶対安全ということはありえない。
 紛争地の場合は特にそうだ。
 シリアやイラクでは日本人を含む多くのジャーナリストが殺害された。今も中東を中心に世界で50人余りが武装勢力などに拘束されているという。報道の自由が脅かされている。

▼信濃毎日新聞「安田さん解放 まずは無事を喜びたい」

https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20181025/KT181024ETI090005000.php

 日本政府は、15年7月までに行方不明を把握。官邸直轄のテロ情報収集ユニットが、シリア周辺国の大使館などと情報や映像の分析に当たった。けれど、映像を公開したシリア人男性とは接触せず、ヌスラ側と直接交渉するルートも持てなかったという。
 解放の一報は、武装勢力に影響力があるカタールからもたらされた。菅官房長官は「身代金を払った事実はない」と言う。英国のシリア人権監視団は「カタールが支払った」と指摘する。
 ジャーナリストの後藤健二さんが15年に「イスラム国」(IS)に殺害された際も、日本の解放交渉はヨルダン頼みだった。簡単に政府の取り組みの成果と結論付けてはならない。
 安田さんの生還を喜ぶ声に混じり、ネット上には取材行動を非難する書き込みも目立つ。安田さんが以前、危険地域での取材規制に動く政府を批判していたことも要因のようだ。
 紛争の実態は国や軍の発表だけでは分からない。現地に赴く各国のジャーナリストの報道があって初めて、子どもらが犠牲になる戦争のむごさを実感し得る。戦争報道はどうあるべきか。安田さん自身の言葉を待って、私たちも共に考えていきたい。

▼神戸新聞「安田さん解放/『良かった』で終わらせず」

https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201810/0011759808.shtml

 解放には、トルコやカタールの関与が大きく、安倍晋三首相は両国に感謝の言葉を述べた。日本政府は「関係国に働き掛けた結果だ」と説明するが、詳しい経緯を明らかにしていない。
 政府は「良かった」で終わらせるのではなく、拘束が長期化した原因も含めて、徹底的に検証する責任がある。得られた情報や教訓を社会で共有する努力をしていくべきだ。
 政府は3年前、過激派組織「イスラム国」による邦人人質殺害事件の対応を検証した。その報告書では、海外での日本人の安全確保のため、危険地域への渡航制限を「検討すべき重要な課題」と位置付けている。
 ただ、政府が海外での取材活動を規制することは慎まねばならない。安田さんもかつて「取材の可否を国家の裁量に委ねれば、情報統制につながる」と語っていた。「知る権利」は民主主義の基本であることを改めて確認したい。
 気になるのは「自己責任論」が一部で浮上していることだ。
 国際社会では、日本は大国と見なされ、人道支援などでふさわしい役割が期待されている。支援に必要な情報を得るためには、危険地帯で取材することもあると、取材経験のあるジャーナリストらは説明する。
 危険と背中合わせの紛争地取材の意義について、冷静に考える必要がある。

▼南日本新聞「安田さん解放 事件の教訓生かしたい」

https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=97634

 安田さんの消息を巡って日本政府は、15年12月に外務省や防衛省、警察庁などの職員からなる「国際テロ情報収集ユニット」を発足させた。そこを中心に情報収集などに当たってきたとみられる。
 今回どれほど貢献したかは分からない。ユニット関係者は「内戦中のシリア入りはできず情報収集に限界があった」と漏らす。それだけにカタール政府などの仲介が奏功したとみていいだろう。
 邦人のジャーナリストらが事件に巻き込まれると、「自己責任」「国に迷惑をかける」と激しい非難を浴びてきた。無謀な行動は慎むべきだが、最前線の現場を取材し、その状況を伝えるのが本来の仕事である。細心の注意を払っても、万が一ということはある。
 邦人の安全確保を図ることが政府の最も重要な責務であることを確認しておきたい。

▼山形新聞「安田純平さん解放 教訓共有し再発防止を」
▼山陰中央新報「安田純平さん解放 事件の検証と教訓共有を」
▼宮崎日日新聞「安田純平さん解放 事件の教訓広く共有したい」

【10月26日付】
▼朝日新聞「安田さん解放 シリアの現実に思いを」

https://www.asahi.com/articles/DA3S13740338.html?ref=editorial_backnumber

 紛争地に入り、そこに生きる人びとの声を報じるのはジャーナリストの重要な責務である。ミサイルや銃弾が飛び交い、子どもらまでもが傷つく戦争の悲惨な現実を、第三者の立場から公正に伝える。そのために、各国の記者は使命感をもって危険な取材にあたっている。
 報道だけではない。人道支援にあたる国際機関やNPOのメンバーも、現地で苦しむ人々を支えようと活動を続けている。
 自らの安全は自ら守るのが原則だが、どれだけ周到に準備しても、ときに危険な状況に陥ることはある。それが紛争地の現実であり、どの国の政府も自国民の保護には最大限の責任を負う。当然のことだ。
 安倍首相は解放に協力したカタールとトルコの首脳に謝意を伝えた。ただ、日本政府の対応と解放に至った経緯には、まだ不明な点が多い。
 すべての情報開示は難しいだろう。だとしても、政府がテロ対策強化のため、15年末に発足させた官邸直轄の「国際テロ情報収集ユニット」がどう機能したのかなど、できる限り経過を明らかにし、今後の対応にいかさねばならない。

▼北國新聞「安田さん保護 適切だった政府の判断」

 解放に至る経緯は不明だが、菅義偉官房長官は会見で、武装勢力との交渉について「直接ではない」と語り、「カタール、トルコをはじめ関係国に協力を依頼し、さまざまな情報網を駆使して対応を進めてきた」と述べた。両国は武装勢力を支援する一方、日本とも良好な関係を築いている。直接交渉を避け、外交チャンネルを駆使して救出にあたった政府の判断は適切だったのではないか。
 安田さんを拘束していた武装勢力は、高額の身代金を要求していた。日本政府は「テロリストの支援者」と見なされるのを避けるため、米英などと歩調を合わせ、この手の身代金支払いを拒否している。安易に応じれば新たな誘拐やテロを誘発するからだろう。
 菅官房長官は安田さんの解放について、身代金の支払いを強く否定した。身代金はカタールが肩代わりしたとの指摘もあるが、これも表沙汰にはできない外交交渉の一種と受け止め、カタール、トルコ両政府に感謝の意を述べたい。
 安田さんに対して「自己責任」を問う声がある。安田さんはツイッターなどで「自己責任なので口や手を出すな」「世界でもまれにみるチキン国家(臆病な国の意)」などと言い捨て、政府の制止を振り切ってシリアに潜入した。
 ジャーナリストとしての見通しの甘さは批判されて当然だろう。解放と引き換えに、テロ組織に資金が渡ったとすれば、激しいバッシングを受けるかもしれない。それでも、下を向きすぎることなく、体力気力を回復させて報道の現場に戻ってほしい。

▼京都新聞「安田さん解放  経緯の検証が不可欠だ」

https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20181026_5.html

 日本政府は官邸直轄の「国際テロ情報収集ユニット」を15年末に設け、水面下で交渉を進めたという。しかし、最終的にはカタールやトルコに頼ることになった。
 天然資源の輸入などを通じて両国と良好な関係を築いてきたことが奏功した面もあろう。だが、結果的に3年余りを要した。
 同様の人質事件で、欧州には身代金を支払って救出する国が少なくないという。日本は「テロには屈しない」との基本姿勢を崩さずに、今回は解放にこぎつけた形となった。
 政府は今回講じた手段の是非を詳しく検証する必要がある。可能なものは公開して、教訓を社会全体で共有したい。
 危険地帯にあえて入った安田さんの行動には賛否がある。
 取材経験が豊富だったはずの安田さんの判断は、どこに落とし穴があったのか。その点も点検しなければなるまい。
 ただ、紛争地の実態は、現地取材するジャーナリストの報道によって明らかになることも少なくない。そうした戦地取材のあり方や意義について改めて考えたい。

▼中国新聞「安田さん解放 回復したら話聞きたい」

http://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=476016&comment_sub_id=0&category_id=142

 安田さんはイラク戦争後のイラクを取材していた04年、地元の自警団に拘束された。それでもその後も毎年のようにイラクやシリアに渡航していた。「取材の可否を国家の裁量に委ねれば、情報統制につながる」との危機感があったという。
 政府が危険地域の海外渡航を規制しているのは、邦人保護の責任もあるからだ。救出には、人手も費用も必要になる。「個人の身勝手な行動」と受け止められていることを、安田さんはどう考えているのだろうか。
 拘束中には日記をつづり、当時の状況や心境を残していたという。帰国を控え、「可能な限り何があったか説明したい」とも話していた。戦場や危険地域での取材経験が豊富なジャーナリストなりの反省や教訓がきっとあるはずだ。
 7年前から続くシリアの内戦による死者は30万人、難民は500万人を超す。体調回復を待って、何があったのかを語る責任が安田さんにはある。

【10月27日付】
▼琉球新報「安田純平さん解放 取材の意義を理解したい」

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-824944.html

 ネット上では「危険な紛争現場に行って迷惑を掛けている」などとして「自己責任」を問う書き込みも見られる。
 現場の状況を直接確認し、何が起きているのか正しく伝えることは報道に携わる者の基本だ。戦地であっても例外ではない。
 世界中のジャーナリストが生命の危険を冒してまで紛争地に赴くのはそれだけの価値があるからだ。現地での取材は必要であり、意義は大きい。人道に反する残虐行為が行われていても、ジャーナリストがそこにいなければ、世界に真実が伝わっていかない。
 国家の言うがままに取材を自粛したり抑制したりすることが当たり前になれば、体制側にとって都合の悪い事柄は表に出なくなる。事実上の情報統制にもなりかねない。
 「自己責任」という批判は一面的であり、ジャーナリズムを尊重する視点が抜け落ちている。
 15年1月には安田さんとも交流のあったフリージャーナリストの後藤健二さんが「イスラム国」(IS)とみられる過激派組織に殺害された。
 今回、安田さんの身には何が起きたのか。経緯と原因を分析し、今後に生かすことも大切だ。

【10月28日付】
▼新潟日報「安田純平さん 無事帰国に深く安堵する」

http://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20181028428593.html

 まずは心身の回復に専念することが大切だ。その上で、自らが置かれた抑圧状況や内戦下のシリアの現実について、社会に知らせてもらいたい。
 紛争状態が続く中、武装勢力はどんな行動原理で動いているのか。命の危険にさらされている現地の住民は、どんな思いでいるのか。自らの拘束を踏まえ戦地取材では、どんなことに留意すべきなのか。
 それらの事柄は、「現場」に赴いた安田さんだからこそ分かるものだ。ジャーナリストとしてさまざまな経験を積む中で培ってきた視点と的確な言葉で伝えてほしい。
 遠い海外で展開されている戦闘について日本に暮らす人たちが関心を深め、目の前にある平和がいかに重要かを見つめ直すことにもなろう。
 もちろん、安田さんもそれが自身の役割だと十分自覚しているに違いない。
 強く懸念するのは、「自己責任論」に基づくバッシングが起きることだ。安田さんは04年にもイラクで拘束されており、バッシングを浴びた。
 フリージャーナリストの後藤健二さんが15年1月、シリアで過激派組織「イスラム国」(IS)に殺害されたとみられる事件でも、政府の警告に反した取材だと批判の声が上がった。
 だが、現場に入り、対象に迫らなければ正確な情報を得ることは難しい。半面、可能な限り危険を避ける準備をしても、戦地では不測の事態に遭遇する場合がある。
 一方的なバッシングは、取材や報道の萎縮を招くことになりかねない。
 政府は、安田さん解放の経緯や拘束が長期化した背景などを丁寧に検証してもらいたい。今後、同様の事件が発生した場合に適切に対応するためにも、不可欠な作業のはずだ。

▼西日本新聞「安田さん帰国 経緯を検証し教訓生かせ」

https://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/460987/

 最初に押さえておきたいのは、ジャーナリストが危険を冒して紛争地に行く意義である。
 一般に紛争地では、暴力を行使する権力側や軍隊、武装集団が、事実を隠して都合のいい情報だけを発信しようとする。
 もし報道機関がこれに依存すれば、紛争地で本当に何が起きているか、住民がどんな目に遭っているか、肝心なことが覆い隠される。一番弱い立場の人々の声が届かないのだ。日本から遠く離れた場所で起きている紛争だとしても、日本政府がどう関与するか、市民として何ができるかを考えるには、判断材料となる正確な情報が必要だ。
 そういう意味で、戦地で取材し発信するジャーナリストは企業所属、フリーを問わず、公益の担い手という側面を持つ。
 もちろん取材者が自ら安全を確保する最大限の努力を払うのは当然だが、戦地で完全に予想外の事態を避けるのは難しい。もし彼らが拘束や遭難などの事態に陥った場合、政府には保護に当たる義務がある。そもそも外務省設置法は「海外における邦人の生命および身体の保護」を所掌事務と明記している。
 政府は渡航の中止や退避を勧告していたため、「自己責任」を唱える論者もいるが、紛争報道の公益性を考えれば、政府の保護義務は納得できるだろう。
 今回、政府は首相官邸直属の「国際テロ情報収集ユニット」が動いたと説明している。カタールとトルコの協力があったとされるが、身代金の問題など不明な点も多い。現地や中東情勢も含め、どんな力学が作用して解放に至ったのか、もっと早く解決できなかったのか-など、経緯を十分に検証して今後の邦人保護に役立ててほしい。
 検証が必要なのは取材者側も同様だ。意図通りの取材ができずに拘束されるという事態は、ジャーナリストにとって、やはり手痛い失敗だ。どこに判断ミスがあったのか。これも教訓として生かすべきである。
 安田さんは帰国後、「可能な限り説明をする責任があると思っています」とのコメントを出した。その説明を待ちたい。

▼茨城新聞「安田純平さん解放 事件の検証と教訓共有を」

【10月29日付】
▼沖縄タイムス「安田純平さん帰国 シリアの真実聞かせて」

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/336504

 シリア内戦に関する報道では、アサド政権に批判的な欧米メディア、政権を支える国営メディアなど立場によって報道の違いが著しい。
 安田さんが戦場取材を続けるのは「政府の管理下ではない取材でしか手に入らない情報がある」からである。
 再発防止のためには今回の事件を検証し、教訓を共有することが不可欠だ。
 懸念するのは、ネット上で安田さんに対し、「自己責任」や「反日」などの言葉が浴びせられていることだ。
 04年、人道支援ボランティアとしてイラクに入った日本人の男女3人が武装勢力に拉致された事件を思い出す。解放され、帰国後に激しいバッシングにさらされた。
 女性が「またイラクで活動したい」と言ったと伝えられたことに対し、小泉純一郎首相は「もっと自覚をもってほしい」と批判した。
 これと対照的だったのがパウエル米国務長官だった。「日本国民はリスクを背負って行動した彼らを誇りに思うべきだ」と語った。戦場における人道支援に敬意を払ったのである。
 日本では国の「退避勧告」に従わず、イラク入りしたことは許せないとの空気を首相らが醸成していたが、今ではネット上にあふれる。
 シリア内戦について安田さんは「内戦を見放してきたことが一番の原因」と報道の重要性を強調していた。戦場を実際に見て歩き、報道することは現地で何が起きているのかを日本を含む世界に知らせることだ。市民の惨状を知らせることは国際社会を動かすことにつながる。
 安田さんは「可能な限り、何があったのか説明したい」と語っている。シリア内戦の真実を聞きたい。
 安田さんらジャーナリストが果たしてきた戦場報道の役割についても改めて考えるきっかけにしたい。