組織ジャーナリズムの希望のために~新しい年のはじめのごあいさつ

 2019年、新しい年になりました。
 本年も、よろしくお願いいたします。
 
 ことしは天皇が代替わりし、元号が「平成」から変わります。わたし自身は秋に59歳となります。現在の所属企業で現役でいられる時間はあとわずかです。
 22歳で記者の仕事に就いたときは「昭和」でした。以降、組織内のポジションは様々に変わりましたが、振り返ってみれば、随分と長い時間を、新聞というマスメディアの組織ジャーナリズムの中で過ごしてきたと感じます。労働組合専従で計3年間、職場を離れ、違った角度から自分の仕事を見つめることができた経験もありました。

 このブログでは、所属企業の業務のことは原則として書かないことにしているのですが、少しだけ触れると昨年7月、わたしは記事審査の担当から調査・資料部門に異動しました。記事審査とは、新聞社では紙面審査とも呼び、ベテラン記者、編集者が担当します。日々の紙面について、ニュースの選択に過不足はなかったか、扱いの大きさは妥当だったか、記事は分かりやすかったか、極端に偏ったりしていなかったか、など様々な角度から点検します。他紙とも読み比べます。通信社の場合は配信記事や写真を点検します。
 この記事審査の仕事を3年余り担当していて、いつも考えていたのは、わたしたちの組織ジャーナリズムは社会にどこまでリーチできているのか、わたしたちの情報発信は人々にどこまで届いているのだろうか、ということでした。紙の新聞が特に若い世代に読まれなくなって久しく、日本の新聞は部数減が続いています。日々の報道を見れば、1人でも多くの人に読んでほしいと思う出稿も少なくありません。しかし、そうした組織ジャーナリズムのすぐれた成果が社会でどこまで共有してもらえているか、という焦りにも似た気持ちがあります。

 新聞界でさらなる部数減は必至だろうと思います。そうした中で、組織ジャーナリズムにとってある意味、もっとも重要なのはジャーナリズム倫理の維持ではないかと考えています。「貧すれば鈍す」に陥らないように、ということです。先人たちから受け継いできた組織ジャーナリズムにこの先も希望を残し、先行世代として組織ジャーナリズムの仕事(それはもう紙の「新聞」ではなくなってしまうかもしれませんが)のやりがいを後続世代に残すために必要だろうと思います。そのために、わたしはわたしの最善を尽くしていこうと思います。

 このブログはこの記事が1001本目になります。仕事を休職して新聞労連委員長の職にあった当時の2005年に前ブログ「ニュース・ワーカー」を運営しました。復職後、いったんは休止しましたが、再び「書きたい」との気持ちの高まりを感じて2008年4月、「2」として始めて間もなく11年です。これからも細く長く、コツコツと続けていこうと思います。引き続き、お読みいただければうれしいです。