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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「差別」の被害と加害~ハンセン病患者家族訴訟・熊本地裁判決の社説・論説から

 ハンセン病患者に対する誤った隔離政策が続いたために、患者だけでなく、その家族も差別を受けたり、家族離散を強いられたりしたとして、国に賠償を命じる判決が6月28日、熊本地裁で言い渡されました。差別を生んだ国の責任を明確に認める画期的な司法判断として、新聞各紙やマスメディアでも大きく報じられています。
 差別は、差別を受ける被害だけではなく、差別をする加害も一体になった問題です。国の責任は明らかだとしても、「では差別するのはだれか」も同時に考えていかなければなりません。今回の熊本地裁判決を取り上げた新聞各紙の社説・論説をネットで読みながら、あらためてそんなことを感じました。そうした観点から目に止まった社説をいくつか、一部を引用して書きとめておきます。いずれも29日付です。

▼沖縄タイムス「[ハンセン病家族訴訟]国策が招いた差別断罪」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/438971

 恐怖心をあおり、社会の偏見や差別を助長し、孤立させた責任はマスコミを含めた私たちの社会にある。今も偏見と差別がなくなったとはいえない。多くの原告が実名ではなく原告番号の匿名で訴えていることからもうかがえる。
 旧優生保護法下の強制不妊手術を巡る国家賠償請求訴訟とも重なる問題だ。偏見と差別のない社会を実現するため一人一人が「わが事」として向き合わなければならない。

▼信濃毎日新聞「ハンセン病判決 家族の被害回復に道開く」
 https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190629/KP190628ETI090009000.php

 同時に見落とせないのは、患者や家族を排除した社会の責任だ。療養所に患者を送る「無らい県運動」は官民一体で行われた。隔離が続いた背景には、大多数の人の無関心や暗黙の了解があった。
 法が廃止されて20年以上が過ぎる今も、差別の根は断てていない。それぞれが自らの問題として向き合うことが欠かせない。

▼京都新聞「ハンセン病判決  偏見・差別許さぬ社会へ」
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20190629_2.html

 訴訟は隔離政策によってハンセン病を「恐ろしい伝染病」と誤認させた国の責任と併せ、偏見や差別を許してきた日本社会の責任をも問うたといえる。医師らは隔離の必要がない患者を見捨て、学校も偏見に苦しむ患者の子どもを助けなかった。司法もマスメディアも人権侵害を看過してしまった事実は重い。猛省せねばなるまい。
 ハンセン病問題は解決済みと考えがちだが、決して過去のものではない。差別を根絶するには何が必要か、判決から読み取りたい。

▼神戸新聞「ハンセン病訴訟/家族被害も国に重い責任」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201906/0012468968.shtml

 判決は国会が96年まで予防法を廃止しなかったことを立法不作為と指摘した。基本的人権が侵害される状況を放置してきた責任については、政治や行政、医学界、法曹界だけでなく、報道に携わる私たちも重く受け止めねばならない。
 家族がハンセン病だったことを隠す必要のない社会にするために、苦難の歴史を踏まえて正しい知識を広げていきたい。

 沖縄タイムスが指摘している、障害者に対する強制不妊手術の問題にも通じる視点は、岩手日報の論説も指摘しています。

▼岩手日報「ハンセン病家族訴訟 真の差別解消への一歩」
 https://www.iwate-np.co.jp/article/2019/6/29/58537

 原告勝訴の判決は、旧優生保護法下で不妊手術を強いられた障害者らにとっても、希望の光になるのではないか。
 被害者が国に損害賠償を求めて提訴したのを機に救済の機運が高まり、今年4月、被害者に一時金を支給する救済法が議員立法で成立した。ハンセン病の救済策などを参考にしたが、一時金支給の対象は被害者本人のみで、配偶者らは除外されている。
 国は配偶者の苦しみにも向き合い、一時金の支給対象を拡大すべきだ。
 今回の訴訟と優生手術訴訟の共通点は、原告の多くが匿名であること。偏見や差別が根強い表れと言えよう。
 安倍晋三首相は優生手術被害の救済法成立に際し、「全ての国民が疾病や障害の有無で分け隔てられることのない共生社会の実現に向けて、最大限の努力を尽くす」との談話を発表した。
 疾病や障害で苦しむのは本人だけではない。家族も苦しんでいる。本人も家族も支える仕組みづくりへ最大限努力することが、差別を解消し、共生への道を開く。