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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「不偏不党」の由来と歴史を考える~読書:「戦後日本ジャーナリズムの思想」(根津朝彦 東京大学出版会)

 著者の根津朝彦さんは立命館大産業社会学部メディア社会専攻の准教授。戦後ジャーナリズム史の研究者であり、本書は学術専門書です。しかし、というか、であるからこそ、と言うべきか、新聞や放送のマスメディア企業の中に身を置く記者、デスク、編集幹部から経営幹部に至るまで、およそ組織ジャーナリズムに仕事としてかかわる人たちにこそ、一読すべき価値があると思います。それがわたしの読後感です。

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 新聞や放送のマスメディアの報道のあり方に対しては、アカデミズムからの研究者の論評・批評は少なくなく、マスメディア自身もしばしばそれ自体を報道として取り上げます。事件事故を巡る当事者を実名とするか、匿名とするかなどは、その典型的な事例だと言っていいと思います。そうした問題はマスメディアの内部でも、議論が交わされています。公権力とマスメディアとの関係や間合いについても、最近では、東京新聞記者に対する官房長官記者会見での質問妨害を、複数のマスメディアが報じている事例などがあります。
 ただ、その時々のマスメディアの報道にとどまらず、「戦後日本」という時間軸で、新聞や放送に加え総合雑誌など出版まで含めて、通史的にジャーナリズムをとらえるアプローチは、今まであまりなかったことのようです。少なくとも、新聞や放送のマスメディアの内側では、わたし自身の新聞労連などマスメディアの労働組合での経験を振り返っても、そうした議論が恒常的にあったとは言い難い状況です。
 その要因の一つには、ジャーナリズムとはその言葉が示す通り、日々の出来事を記録して伝えることであって、現場の記者やデスク、編集者にとっては、きょうの出来事、あす起きそうなこと、さらにはその先をどこまで見通すかが優先すべき事項である、という事情があるように思います。50年前、100年前のジャーナリズムを自らが振り返る機会は、特別な企画記事を連載する事例などのほかには、なかなかないのが実情です。
 だからこそ、アカデミズムによる研究者の「ジャーナリズム史」のアプローチは、とりわけ組織ジャーナリズムで働く者にとって、自らの仕事の過去を知り、そこから得られる教訓を踏まえて将来を考える上で意義があると感じます。

 本書から一つだけ具体例を挙げれば、第1章で著者の根津さんが指摘している「不偏不党」の由来の問題があります。辞書的な意味としては「偏らず、いずれの党派や主義にも与しないこと」といったことになるかと思います。「公正中立」とともに、マスメディアの報道にとっては、あまりにも基本的な、自明の原則のように思えます。
 例えば朝日新聞社は「朝日新聞綱領」の中の最初の一項で「不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す」と掲げています。
 ※会社概要 | 朝日新聞社インフォメーション

 ほかの新聞社、通信社も編集綱領などで表現は違っていても、同様の理念を掲げている例があります。
 放送となると、放送局が遵守しなければならない放送法は第1条で「この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする」とし、その一つに「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること」と明記しています。
 そのような「不偏不党」について、著者の根津さんは「第1章 『不偏不党』の形成史」で、「不偏不党」が1918年の大阪朝日新聞白虹事件を契機に日本のジャーナリズムの規範として浸透し、「その規律が、独立したジャーナリズムの生成を歴史的に妨げてきた」と指摘します。
 ※大阪朝日新聞白虹事件は、ウイキペディア「白虹(はっこう)事件」に概要が記されています。

白虹事件 - Wikipedia

 それによると、大正デモクラシー当時、シベリア出兵や米騒動に関連して寺内正毅内閣を激しく批判していた大阪朝日新聞が、記事の中に内乱の兆候を示すとされる「白虹日を貫けり」の故事成語を引用していたことを理由に発行禁止の動きにさらされ、社長や編集幹部が退陣。「本社の本領宣明」を発表して「不偏不党」の方針を掲げたという出来事です。「大阪朝日新聞の国家権力への屈服を象徴しており、これ以降、大阪朝日新聞の論調の急進性は影をひそめていく」と記されています。

 根津さんは、白虹事件以後について「新聞界では政府に刃を向けない姿勢を意味する『不偏不党』が浸透する」と指摘し、「新聞の戦争協力ということで、『満洲事変』以後を新聞の曲がり角と思う読者もいるかもしれないが、すでに白虹事件で『不偏不党』の名のもとに自主規制を積極的に内面化する、決定的な曲がり角を迎えていたのである」と書いています。
 さらに根津さんは、1945年の敗戦後、今日にまで連なる問題の一つとして「言論の不自由と自主規制に結びつきやすい皇室報道」を挙げています。以下、いくつかの指摘を引用します。
 「今日のマスメディアでも、天皇制廃止や、天皇制批判の言説が大々的に取り上げられることは少ない。この天皇制に対する自由な議論を妨げている一つの要因が、皇室報道、とりわけ敬語報道である」
 「中奥宏が指摘するように『天皇』という表現自体すでに尊称なのである。天皇と表記しても『呼び捨て』ではなく、『天皇陛下』自体が過剰な表現であるのだ。象徴天皇制という呼称が盤石となった状況をどう見るかはさておき、天皇制は日本の加害責任・戦争責任の象徴としても私たち主権者に刻まれる必要があるのではないか。終章でも触れるように、天皇・皇族個々人への敬意と、制度・報道の議論は次元の違う問題である」
 「現実的には、明仁天皇から新天皇への代替わり以降に、敬称報道(※引用者注:『陛下』『殿下』『さま』の敬称を付ける報道)を見直すことも必要である。ジャーナリズムが物事の核心に迫る営為とするならば、自主規制を発動させやすい天皇制の問題を放置していいとは思わない。それが言論の自由を拘束してきた『不偏不党』の歴史に関わりがあることを鑑みれば、なおさらである」

 知識として白虹事件のことは知っていても、現在もマスメディアが掲げる「不偏不党」との絡みでは、恥ずかしながらわたし自身、ここまで深く考えてみたことはありませんでした。皇室報道と令和への改元についても、明仁天皇の生前退位で、1989年の平成への改元の時とは違って、自由に元号を論じることができたという声がありながら、実際には祝賀ムードに終始した印象の報道だったことは、全国紙を例にこのブログでも記録した通りですが、そのことを「不偏不党」と結びつけて考察していく視点の意味を、本書を読んであらためて考えています。

 「不偏不党」は本書が論じている問題の一例ですが、これ一つとっても、マスメディアの内部でその由来について、確固とした共通の認識があるとは言い難いように思います。もちろん、1945年の敗戦を挟んで、日本の新聞は再出発を期し、「不偏不党」についても現在は字義通りに「偏らず、いずれの党派や主義にも与しないこと」と受け止めていることと思います。それでもこの言葉の由来やたどった歴史を知っておくことは、組織ジャーナリズムが公権力との関係を厳しく問われるような事態に立ち至った時に、自らの立ち居振る舞いを考える際に意味を持ってくるだろうと思います。
 
 以下に、本書の主要目次を紹介しておきます。

序 章 戦後日本ジャーナリズム史の革新

第I部 日本近現代のジャーナリズム史の特質
第1章 「不偏不党」の形成史
第2章 1960年代という報道空間

第II部 ジャーナリズム論の到達点
第3章 ジャーナリズム論の先駆者・戸坂潤
第4章 荒瀬豊が果たした戦後のジャーナリズム論

第III部 ジャーナリストの戦後史
第5章 企業内記者を内破する原寿雄のジャーナリスト観
第6章 「戦中派」以降のジャーナリスト群像

第IV部 戦後ジャーナリズムの言論と責任
第7章 『世界』編集部と戦後知識人
第8章 清水幾太郎を通した竹内洋のメディア知識人論
第9章 8月15日付社説に見る加害責任の認識変容

終 章 日本社会のジャーナリズム文化の創出に向けて

付録 近現代を結ぶメディアのキーワード 

戦後日本ジャーナリズムの思想

戦後日本ジャーナリズムの思想

 

 

【追記】2019年7月9日0時

 筆者の根津朝彦さんの肩書の「立命館大産業社会学部社会専攻」に誤りがありました。正しくは「社会専攻」ではなく「メディア社会専攻」でした。本文を訂正しました。

 

【追記2】2019年7月15日8時30分

 組織ジャーナリズム(ペン)が従業員や家族の生活(パン)が掛かった事態に立ち至ったときにどう振る舞うのか。「ペンか、パンか」の問題について別記事を書きました。

news-worker.hatenablog.com