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安倍首相演説にヤジの市民排除 警察に忖度はなかったか~新聞各紙の社説

 7月21日に投開票が行われた参院選では、札幌市で安倍晋三首相の街頭演説中に「安倍辞めろ」などと大きな声を上げた市民が警察官に強制的にその場から排除されたり、年金問題への疑問を書いたプラカードを掲げようとした市民がやはり警察官に阻止されたりした出来事がありました。以前の記事で書いたとおり、この参院選を通じてもっとも気になったことです。投票日前に北海道新聞、毎日新聞が社説で取り上げ、投票日を過ぎた後も、いくつかの地方紙がやはり社説で、警察の姿勢に「政権への忖度がなかったか」との趣旨の疑問を投げ掛けています。表現の自由を巡る重要な論点であり、私たちの社会が今、どういう状況にあるのかを考える上でも看過できない出来事だと思いますので、目に止まった社説からそれぞれ一部を引用して書きとめておきます。ネット上のサイトで読めるものはリンクを張っておきます(25日現在)。

▼北海道新聞:7月19日付「道警のヤジ排除 選挙ゆがめる過剰警備」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/326583?rct=c_editorial

 テレビなどの政見放送と違い、街頭演説は聴衆の生の反応を受けながら行われる。その中には支持だけでなく、批判の声があるのは当たり前だ。
 安倍首相は一昨年の東京都議選で、街頭のヤジに「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と反論した。そんなやりとりも有権者が投票する上で判断材料となる。
 自由な言論空間は最大限に確保されるべきであり、警察がむやみに介入するのは不適切である。
 道警は公選法違反の有無や、プラカード掲示制止の理由について調査中としている。市民が抱く疑念の重大性を認識し、早期に説明責任を果たしてほしい。
 警察の政治的中立の欠如は民主主義の根幹に関わる。真相究明は首相はじめ政治の責任でもある。

▼毎日新聞:7月20日付「北海道警のヤジ排除 政治的中立性が疑われる」
 https://mainichi.jp/articles/20190720/ddm/005/070/044000c

 2年前の東京都議選の最終日、東京・秋葉原での安倍首相の応援演説が思い出される。自身を批判する聴衆に対し、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と述べた。
 首相は批判に耳を傾けない、との指摘もある。首相は選挙運動を秋葉原の街頭演説で締めくくるのが恒例になっているが、規制線を張って批判する人を首相から遠ざけることが常態化している。
 仮に今回、北海道警が政権へのそんたくを理由に聴衆を排除したとすれば、警察の政治的中立性に疑問符がつくことになる。
 公共空間における警察の警備の重要性は言うまでもない。政治活動の現場でもそれは同じだ。ただし、警察が強権的に立ち回れば、参加する人たちが萎縮してしまう。警察はそうした事態を避けるよう抑制的な対応を心がけるべきだ。

▼神戸新聞:7月23日付「ヤジの強制排除/警察の姿勢に懸念が残る」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201907/0012539920.shtml

 街頭演説では聴衆から賛否の声が上がる。それがエスカレートすれば、公職選挙法の「選挙の自由妨害」として取り締まり対象となる。
 ただし判例では、大音声のスピーカーで演説を邪魔するなど悪質な場合に限られる。
 札幌市では、首相の周囲に大勢の支持者が詰めかけていた。応援の横断幕やプラカードが並ぶ中で何人かが肉声で抗議の声を上げたが、警察が介入するほどの異常な状況だったのか。
 むしろヤジなどへの行き過ぎた規制は憲法が保障する「表現の自由」を侵害しかねない。政治運動に関する対応は本来、できる限り抑制的であるべきだ。
 (中略)
 警察が忖度(そんたく)したと受け止める国民もいるだろう。この際、法を故意に逸脱すれば職権の乱用に当たるとの戒めを、組織全体で徹底してもらいたい。

▼京都新聞:7月24日付「首相演説とヤジ  警察の介入はおかしい」
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20190724_3.html

 気になるのは、警察が、異論に正面から向き合おうとしない傾向がある安倍政権に忖度(そんたく)したように見えることだ。
 選挙戦最終日に安倍氏が最後の演説をした東京・秋葉原では、警察が公道を鉄柵で囲い、動員された支持者以外を遠ざけた。
 安倍氏は2017年の東京都議選の応援演説で受けた「辞めろ」コールに、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」といきり立ち、批判を浴びた。その影響もあってだろう、今回の参院選で首相の街頭演説予定は、直前まで公表されなかった。
 警察が時の政権の意向を先取りして強権的に振る舞えば、逆に信用を失い、犯罪捜査などに支障が出かねない。法執行機関として、政治的中立が疑われる行為は、厳に慎んでもらいたい。

▼琉球新報:7月25日付「首相演説でやじ排除 警察は公平中正堅持せよ」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-959799.html 

公権力が、政権を批判する国民の口を封じ、目をふさぐ。独裁国家で起きているような光景ではないか。
 そもそも、どのような法的根拠に基づいて聴衆を排除したのか。道警は「トラブルや犯罪予防」とコメントするだけで、詳しい説明を避けている。不可解極まりない。根拠もなく権力を行使できるのなら、警察は何をやっても許されることになる。
 (中略)
 背景に「首相に不快な思いをさせるわけにはいかない」「官邸サイドの不興を買いたくない」といった思惑があったのではないか。政権への忖度(そんたく)が強く疑われる。
 今回のケースが不問に付されるのなら、全国で同様の事例が横行し、人権が脅かされる恐れがある。再発防止を強く求めたい。
 警察の権力は絶大である。治安維持の名の下に言論を弾圧した過去の反省を踏まえ、現在の警察組織は成り立っている。職権の乱用は絶対にあってはならない。