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東京高検検事長の定年延長、読売社説も説明求める~全国紙5紙の社説 批判や疑問視

 東京高検検事長の定年延長問題は、法務省や人事院から合理的で説得力のある説明がないままです。このブログの以前の記事でも触れましたが、新聞各紙も社説・論説で取り上げています。全国紙5紙(朝日、毎日、読売、日経、産経)では、朝日、毎日両紙が早くから批判を展開していましたが、読売、日経の2紙も2月27日付で取り上げるに至りました。
 読売新聞の社説は「衆院集中審議 新型肺炎対策を掘り下げよ」との見出しからは分からないのですが、後半は検事長の定年問題です。「前例のない検察官の定年延長を判断した理由は何か。どのような経緯を経て解釈を変更したのか。政府は疑念を持たれぬように、説明を尽くさねばならない」としており、直接的な批判の文言はないものの、「説明を尽くさねばならない」という表現で、安倍政権が説明を尽くしていないことを指摘しています。これまで安倍政権の政策には支持を打ち出してきた読売でも、こう書かざるを得ない状況なのだと感じます。
 日経新聞の社説は会員登録がなければサイト上で全文は読めないのですが、それでも「検察人事の経緯を公開せよ」の見出しと、一部公開されているリード部の「安倍政権の公文書管理は極めて不明朗である」との文言から、その内容は察しがつくのではないかと思います。
 産経新聞が2月24日付の社説(「主張」)で筋の通った批判を展開していることは、以前の記事でも紹介しました。これで東京高検検事長の定年延長問題に対しては、トーンの程度や書き方に差はあれ、全国紙5紙が曲がりなりにも批判や疑問視の論調でそろいました。安倍政権に対して、これまではマスメディアの論調は支持・理解と批判・懐疑の二極化が顕著でした。変化の兆しでしょうか。それともこの問題に限ったことでしょうか。

※参考過去記事

news-worker.hatenablog.com


 以下に、最近の全国紙5紙の社説の見出しと一部内容を書きとめておきます。各紙のサイトのリンクも張っておきます。

■朝日新聞
・3月2日付「安倍政権の日本 不信の広がりを恐れる」/立法権を不当に奪う/行政監視への否定/国民に向き合う責任
 https://www.asahi.com/articles/DA3S14385684.html

 検事長の定年問題では、延長を可能にした法解釈の変更をいつ決めたのかという野党からの問いに、政府が説得力をもって答えることができていない。
 もちろん、政府内の手続きが森雅子法相らの答弁通りだったのか、定年延長が検察の独立をおかすおそれはないのかという疑問は究明されるべきだ。
 ただ、より本質的な問題は、政府による今回の恣意(しい)的といえる解釈変更が、唯一の立法機関と憲法41条が定める国会の権限を政府が不当に奪ったということだ。「立法権の簒奪(さんだつ)」に他ならない。
 三権分立の原則を壊す極めて重大な問題である。
 検察官の定年は、1947年に施行された検察庁法に明記されている。これに加え、公務員の定年延長を盛り込んだ国家公務員法改正案が審議された81年の国会では、当時の人事院の局長が、定年延長は「検察官には適用されない」と明確に答弁し、議事録に残っている。
 検察官は一般職の国家公務員だが、政治家の権力犯罪をも捜査し、起訴する強力な権限を持つ。戦後間もなくから政府は「検察官の任免については一般の公務員とは取り扱いを異にすべきもの」との見解を明らかにし、公務員の定年延長が認められてからも30年以上、検察庁法に従った扱いを続けてきた。
 法によって決められたことを改めるには、国会での議論と議決をへて、法そのものを改める。議会制民主主義では当然の筋道だ。法には解釈の幅があるにせよ、政府の時々の都合で勝手に変えられるなら、立法府は不要となる。

・2月27日付「検察官の定年 繰り返される政権の病」
 https://www.asahi.com/articles/DA3S14380980.html
・2月26日付「検察の人事 首相の責任で撤回せよ」
 https://www.asahi.com/articles/DA3S14379400.html

■毎日新聞
・2月29日付「新年度予算案が通過 安倍首相も瀬戸際にある」
 https://mainichi.jp/articles/20200229/ddm/005/070/084000c

 衆院審議を振り返れば、もはや安倍首相自身が「瀬戸際」に立たされていると言うべきである。
 「桜を見る会」では前夜祭の会場となったホテル側と首相の説明が依然、食い違ったままだ。
 前夜祭は政治活動ではなく、政治資金収支報告書に記載する必要がないと首相が主張するのなら、領収書や明細書を出せばいいはずだが、それもしない。これは政治資金規正法に違反するかどうか、事実認定に直結するポイントだ。水掛け論で終わらせるわけには到底いかない。
 黒川弘務・東京高検検事長の定年延長問題では、森雅子法相や人事院の答弁が迷走している。「政府が続けてきた法律解釈と違う」と野党から指摘されて、首相は解釈を変更したと答弁したが、その手続きは誰が、いつ決めたのか明確でない。
 重要な変更にもかかわらず、森法相は「口頭決裁だ」と言い、国会に提出された文書には日付のないものまであった。つじつま合わせのためにあわてて文書を作ったのではないかとの疑いは消えない。
 「桜を見る会」も、検察人事も、安倍政権が長期化する中で、「政権は何をしても許される」というおごりが生んだ問題である。

■読売新聞
・2月27日付「衆院集中審議 新型肺炎対策を掘り下げよ」
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20200226-OYT1T50376/

 野党は、黒川弘務・東京高検検事長の定年延長も取り上げた。検察庁法には規定がないため、政府は国家公務員法を適用し、黒川氏の定年を8月まで延ばした。
 政府はかつて、検察官に定年延長の規定は適用されない、とする見解をまとめていた。今回の決定に際し、法解釈を変更したと説明したが、解釈変更に関する文書には日付がない資料もあった。
 玉木氏は人事の撤回を求めた。首相は、定年延長は業務遂行上の必要性に基づくと説明したうえで「問題はない」と語った。
 現在の検事総長は今夏が交代時期の目安だ。黒川氏は定年延長により、検事総長への道が開けた。首相に近いことから、首相官邸の意向が働いたとの見方がある。
 検察は起訴権をほぼ独占し、時に政界捜査も行う。政治権力から不当な影響を受けないよう、一定の独立性が確保されている。
 前例のない検察官の定年延長を判断した理由は何か。どのような経緯を経て解釈を変更したのか。政府は疑念を持たれぬように、説明を尽くさねばならない。

■日経新聞
・2月27日付「検察人事の経緯を公開せよ」
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56077590W0A220C2SHF000/

 誰がいつ、何をどのような流れで決めたのか。これをあまさず記録することは、民主国家の基本である。国政は権力者の私事ではなく、全国民の代表としての行為だからだ。安倍政権の公文書管理は極めて不明朗である。