緊急事態条項 批判的論調が多数~コロナ禍の憲法記念日、新聞各紙の社説・論説

 新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、全国に緊急事態宣言が発せられている中で5月3日の憲法記念日を迎えました。多くの新聞が3日付の社説、論説で憲法を取り上げ、多かれ少なかれ憲法改正に、その中でも危機に際して政府に強い権限を付与する緊急事態条項を加えるかどうかに触れています。全国紙5紙(朝日、毎日、読売、日経、産経)と、ネット上で本文まで読むことができた地方紙・ブロック紙の中では、危機に便乗するように緊急事態条項を持ち出す安倍晋三首相や自民党を批判する論調が多数派です。政府に強い権限を集中させる規定を盛り込まなかったことは、平和主義とともに戦前・戦中の教訓を踏まえた日本国憲法を特徴づける要因であり、その普遍性は尊重されていいだろうと感じます。また、危機に際しては政府に権限を集中させるのではなく、自治体の権限を強めるべきだ、とする意見や、憲法改正よりも緊急事態宣言の検証や権力の監視が重要とする指摘も目を引きました。そもそも憲法は権力を縛るもの、という立憲主義の根本に改めて思いが至りました。
 憲法を改正して緊急事態条項を加えるべきだと明確に主張しているのは読売新聞、産経新聞です。日経新聞は議論に具体性を求めています。地方紙では、北國新聞は「緊急事態法制の整備に真正面から取り組む必要がある」とし、山陽新聞のように、議論は必要としつつ性急さを戒める論調もありました。
 以下に、内容を確認できた各紙の社説、論説の見出しと本文の一部を書きとめておきます。各紙のサイト上で読める場合はリンクを張っています。本文を読めなかったものは見出しのみにとどめています。

【全国紙】
▼朝日新聞「コロナ下の安倍政権 憲法に従い国民守る覚悟を」/まずは生存権の保障/「個人の尊重」と相反/備えは改憲でなく
 https://www.asahi.com/articles/DA3S14464589.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 今回の事態を受け、自民党などの一部の議員からは、憲法に緊急事態条項を新設すべきだとの声が出ている。国家的な緊急事態になれば、内閣は法律と同じ効力をもつ政令を定めることができるといった内容だ。
 だが、このように憲法秩序を一時的に停止させる強力な権限を内閣に与えるまでもなく、25条2項をもとに新型インフルエンザ等対策特別措置法や感染症法などの法律がすでに整えられている。必要なのはそれらの法律に不備はないか、適切に運用できる体制は十分なのかを常に点検することだ。
 いま安倍政権がなすべきは、憲法を変えることではない。憲法に忠実に従い、国民の命と生活を確実に守ることである。

▼毎日新聞「新型コロナと憲法 民主主義を深化させよう」/緊急事態条項は「劇薬」/他者を大切にする心を
 https://mainichi.jp/articles/20200503/ddm/005/070/028000c

 緊急事態条項は一歩間違えれば、基本的人権の尊重など憲法の大事な原則を毀損(きそん)する「劇薬」にもなる。
 いまはコロナの特別措置法に基づき、対策を尽くすときだ。その上で、現行法に不備があれば修正し、法令では対応できない場合に改憲論議に進むのが筋である。
 (中略)
 国民の理解を得るには時間を要する。迅速性という点では、権威主義的な国家体制の方が有利であることは否めない。
 しかし、民主主義社会では、民意がいったん形成されれば、人々が自ら協力する姿勢が生まれる。その方が持続性があり、警察力などを使って強制するよりも高い効果が得られる。
 (中略)
 要請が中心の日本の手法に対し、強制力の弱さを危ぶむ声が出た。そこを乗り越えるには、市民の役割が重要になる。
 危機が続いても、利己主義や差別する心にあらがいたい。自発的に他者を大切にし、民主主義を深化させていく必要がある。
 日本の民主主義社会の成熟、強さが問われている。

▼読売新聞「非常時対応の論議を深めよう 権限行使の根拠や手続き定めよ」/緊急事態条項の検討を/国会の機能維持も論点/審査会は役割を果たせ
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20200503-OYT1T50002/

 災害や武力攻撃など事態の内容に応じて、個別の法律で具体的な対応策を定めてきた。憲法が危機管理規定を欠くのは、政治の不作為と言わざるを得ない。
 自民党は2018年にまとめた4項目の憲法改正案で、緊急事態条項の創設を提案した。異常かつ大規模な災害で、国会を開けない場合、政府が法律と同じ効力を持つ政令を制定できる内容だ。
 緊急事態には迅速で適切な対応が求められる。憲法に基本原則を規定したうえで、法律で政府権限の内容や手続き、歯止めなどをあらかじめ明記しておくのは、法治国家として当然だろう。
 超法規的な措置で、人権侵害や行き過ぎた私権制限が起きるのを防ぐためにも重要ではないか。
 自民党案では、自然災害が対象で、外国からの武力攻撃やテロ、感染症は想定していない。
 感染症が大流行する事態を、巨大地震などと並んで緊急事態条項の対象として位置づけることは検討に値しよう。

▼日経新聞「緊急事態に関する改憲論議は具体的に」

 有事対応を検討しておくことは有意義であり、与野党の活発な意見交換を望みたい。
 ただ、その際に大事なのは、対象や手順を具体的に想定して議論することだ。「いざというとき」などという曖昧な前提条件で話を先に進める「ムード改憲」的な手法は好ましくない。
 自民党が12年に作成した改憲草案は、緊急事態の例として①地震等による大規模な自然災害②内乱等による社会秩序の混乱③外部からの武力攻撃④その他―を列挙している。
 (中略)
 「社会秩序の混乱」が何を指すのかはわかりにくい。国会を囲んだデモ隊がシュプレヒコールをするのは混乱なのか。政治的なあつれきまで強権的に抑え込む首相が出てこないとも限らない。
 武力攻撃への対処は急を要する。とはいえ、自衛隊が防衛出動するような危機にどう立ち向かうかは、あらかじめ法的に決めておくべきことだ。慌てて政令を出すような備えでは困る。

▼産経新聞(「主張」)「憲法施行73年 緊急事態条項が必要だ 危機を克服できる基本法持て」/首相は論議を主導せよ/審議拒否の野党反省を
 https://www.sankei.com/column/news/200503/clm2005030002-n1.html

 明治憲法には戒厳令や、今の政令にあたる緊急勅令を出す緊急事態条項があったが、用いられたのは関東大震災などの短期間に限られる。先の大戦中でも帝国議会は機能し、法律を審議したり予算を決めたりしていた。
 もし現憲法に緊急事態条項があっても、今回のウイルス禍にすぐさま適用すべきかといえば議論は分かれるところだろう。
 それでも憲法には緊急事態条項が必要だ。前もって法律で具体的に準備しきれないような広範かつ甚大な災害への備えだからである。たとえば自治体の機能が広域で壊滅しかねない南海トラフ巨大地震や首都直下地震、核攻撃を含む大規模な日本有事だ。ウイルス禍の収拾に失敗し国会が開会できないような深刻な事態になれば、それも当たるだろう。
 憲法論議にまず必要なのは、日本が想定外の危機に見舞われるかもしれないという想像力を広げ、備えようとする真摯(しんし)な姿勢だ。立憲民主党など一部野党が「不要ではないが不急だ」といって国会の憲法審査会の審議に応じていないのは無責任極まる。憲法審がウイルス禍に全力対処することを妨げるというのは間違っている。

【地方紙・ブロック紙】
▼北海道新聞「きょう憲法記念日 危機に乗じた改定は論外」/緊急事態条項が浮上/独裁生む危うさ潜む/権力監視を怠りなく
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/417992?rct=c_editorial

 日本の特措法に基づく緊急事態宣言は非常時の一時的な措置であり、出口の時期が示される。危機対応は常に平時には終了させることが想定されていないと危険だ。
 だが自民党が改憲で目指す緊急事態条項は、一度出した政令の解除手続きに触れていないとの指摘がある。強権が継続していく可能性を示している。
 コロナ禍が長期化してもこの条項実現につなげるべきではない。
 権力者は政策について、情報開示と説明を尽くして、主権者である国民の理解を得ていく。それが国民主権の根本である。
 そんなことはお構いなしに権力が暴走すれば、民主主義は崩れる。憲法が政権を縛る立憲主義が欠かせないゆえんだ。だから国民は監視を怠ってはならない。この非常時に改めて認識したい。

▼河北新報「憲法記念日/危機だからこそ生きる理念」
 https://www.kahoku.co.jp/editorial/20200503_01.html

 人権の尊重と、相反する国家権力からの干渉を、どうやって均衡させていくのか。答えを探り続けてきたのが、戦後日本の民主主義の歩みと言える。
 正体の知れぬ感染症を前に、世論の一部には「もっと国民や経営者の私権を制限し、従わなければ厳しい罰則を」と求める声がある。
 強権をもって従わせる欧州やアジアの国に比して、生ぬるいということだろう。
 しかし、その声は大きなうねりにはならず、広がりを欠く。緊急事態宣言が出たころから、マスクをして外出を控えるのが日常になった。
 要請に対し、程よい付き合い方でこなし、順応しているように見える。政府も、自主的に自重してくれると期待している節がある。
 長い年月の末、「個人の自由」はしっとりと浸透し、いまの社会の力量で難局を乗り越えてみせるという静かなスタイルを身に付けたのではないだろうか。

▼秋田魁新報「憲法記念日 自由と権利、考える機に」
 https://www.sakigake.jp/news/article/20200503AK0009/

 終息がいつになるのかは今のところ見通せない。とはいうものの、終息の先に宣言や要請などの妥当性を検証する必要があることを忘れてはならない。
 宣言の前提となる科学的根拠は十分だったか。対象地域や期間の設定は適切だったか。専門家の意見はどうだったのか。これらを検証するためには、政府や専門家の会議内容を記録した文書がきちんと保存され、公開されなければならない。検証の主体として国会だけでなく、第三者機関を設けることも求められる。
 緊急事態宣言については「緊急事態条項」と混同しないように気を付けたい。自民党の改憲案には、この条項の新設が盛り込まれている。大災害時に限定しているとはいえ、非常に強い権限を内閣に与える内容だ。緊急事態条項の歴史を見れば、恣意(しい)的な運用の危険性がどうしても拭えないだけに、議論を注意深く見ていく必要がある。
 感染拡大に伴う緊急事態宣言は、憲法の保障する自由とさまざまな権利の大切さを再認識する機会となった。自由と権利について12条は「国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と定める。私たちと憲法との関係を振り返り、この言葉の重さを今こそ胸に刻みつける時だろう。

▼岩手日報「緊急事態と人権 どんな社会を選ぼうか」
▼山梨日日新聞「[緊急事態下「憲法の日」]改憲論議 今は時機ではない」

▼信濃毎日新聞「考とともに 憲法と緊急事態 尊厳を譲り渡さぬために」
 https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20200503/KT200502ETI090006000.php

 戦後日本の出発点となった現憲法の基底にあるのは「法の支配」の考え方だ。<権力を法で拘束することによって、国民の権利・自由を擁護することを目的とする原理>(芦部信喜著「憲法」)を言う。緊急権限を排したことは、その徹底と見るべきだろう。
 権力は法の支配を求めない。例外規定を設けて縛りを解くことの危うさを歴史は教える。憲法の根本原則を踏み越える権限を政府に与える理由は見いだせない。
 7年余に及ぶ安倍政権は既に強大な権力を手にしてきた。国会は追認機関と化し、権力分立の根幹が揺らいでいる。今回さらに、特措法による緊急事態宣言で、政府は平時には認められない権限を行使できるようになった。独断専行が暴走につながる危険に注意深く目を向けなければならない。
 不安や恐怖に駆られて強い権限を頼み、自由や人権を譲り渡せば、個の尊厳は守れなくなる。そのことをあらためて確認し、共有して、権力の集中と強化が進む現状を押し戻す力にしたい。

▼新潟日報「憲法記念日 自由の価値を見つめたい」/危うい「便乗改憲論」/同調圧力の息苦しさ/歴史に学ばなければ
 https://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20200503541393.html

 先の大戦の反省から、憲法は9条で戦争放棄を明記した。前文においても平和主義をうたう。そこには、塗炭の苦しみを経験した先人たちの思いが詰まっている。
 新型ウイルスへの対応をめぐり、米国のトランプ大統領が「これは戦争だ」と語るなど、各国の指導者から戦時になぞらえた言葉が聞かれる。
 勇ましさが強調される中で、平和憲法の理念をかみしめたい。
 かつて、私たちの国は道を誤った。国民は自由を奪われ、多くの犠牲を払った。その歴史の上に今の憲法があるということを、思い起こしたい。

▼中日新聞・東京新聞「コロナ改憲論の不見識 憲法記念日に考える」/危機感ゼロだったのに/「非常時」とは口実だ/法律で対応は可能だ
 https://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2020050302000090.html

 それにしても明治憲法にはあった緊急事態条項を、なぜ日本国憲法は採り入れなかったのでしょう。明快な答えがあります。一九四六年七月の帝国議会で、憲法担当大臣だった金森徳次郎が見事な答弁をしているのです。
 <民主政治を徹底させて国民の権利を十分擁護するには、政府一存において行う処置は極力、防止せねばならない>
 <言葉を非常ということに借りて、(緊急事態の)道を残しておくと、どんなに精緻な憲法を定めても、口実をそこに入れて、また破壊される恐れが絶無とは断言しがたい>
 いつの世でも権力者が言う「非常時」とは口実かもしれません。うのみにすれば、国民の権利も民主政治も憲法もいっぺんに破壊されてしまうのだと…。金森答弁は実に説得力があります。
 コロナ禍という「国難」に際しては、民心はパニック状態に陥りがちになり、つい強い権力に頼りたがります。そんな人間心理に呼応するのが、緊急事態条項です。
 しかし、それは国会を飛ばして内閣限りで事実上の“立法”ができる、あまりに危険な権限です。
 ひどい権力の乱用や人権侵害を招く恐れがあることは、歴史が教えるところです。言論統制もあるでしょう。政府の暴走を止めることができません。だから、ドイツでは憲法にあっても一度も使われたことがありません。
 コロナ特措法やそれに基づく「緊急事態宣言」でも不十分と考えるなら、必要な法律をつくればそれで足ります。罰則付きの外出禁止が必要ならば、そうした法律を制定すればよいのです。
 権力がいう「非常時」とは口実なのだ-七十四年前の金森の“金言”を忘れてはなりません。

▼北日本新聞「コロナ対策と憲法/人権尊重の意義新たに」

▼北國新聞「緊急事態と憲法 危機管理の法整備進めねば」

 ただ、平時の法制度で対処できない時、個人の権利、自由をある程度制限せざるを得ない場合があることは世界の共通認識であり、国際人権規約も「国民の生存を脅かす公の緊急事態」の場合、一定の人権制限があり得ることを認めている。忘れられがちであるが、憲法も民法も「公共の福祉」によって制限される場合があることを明記している。
 そうした憲法規定に沿って、2004年に自民、民主、公明の3党が緊急事態基本法の成立を期すとの覚書を交わしたことがある。緊急事態の定義や国、自治体の責務など法案の骨子までまとめた3党合意は、翌年の郵政民営化選挙でほごにされたが、現在に至ってもなお実現していないのは、個人の権利、自由を絶対視する主張が根強いからであろう。
 自民党は4項目の改憲案に緊急事態条項を織り込んでいる。疫病による緊急事態時に国会をどう機能させるかについて、憲法審査会で協議するよう野党側に求めているのは当然であろう。安倍晋三首相も自民党総裁として憲法審での議論に期待感を示した。
 これに対して多くの野党は「危機に便乗した議論」には応じられないと拒否している。が、経済社会が崩壊しかねない未曽有の危機克服に必要な法制度を、補償の在り方も含めて議論し、国民に示すことは国会の使命である。

▼京都新聞「緊急事態と憲法 『強い権力』の意味考えねば」/国民の犠牲は当然?/日常的な備えが重要/権限はむしろ分散を
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/236294

 緊急時に国民の権利を制限することは今の憲法下でもありうる。
 災害対策基本法では、国会を召集できない場合に内閣は緊急政令を制定できるほか、医療・輸送関係者を救助業務に従事させ、物資の保管や収集を可能とする。
 ただ、そうした規定が機能するかどうかは、万一の際に対応できる法制定など日常的な備えができているかどうかにかかっている。
 災害発生時には国と自治体が決められた役割に従って動く一応の定めがある。与えられた権限を使って被災者らに手を差し伸べるのは自治体である。憲法に緊急事態条項を設けても、政府ができることは現状とさほど変わらない。
 内閣への過剰な権限集中が、現場を預かる自治体の対応力を阻害する懸念も指摘されている。加えて、極めて強い権限を持つことになる首相の資質が、今以上に問われることも考えておきたい。
 コロナ禍は、知事らの権限に見合う財源を保障し、実際の対応をしやすくする法整備こそ重要というシンプルな事実を浮き彫りにした。権限を政府に集中させるよりも、むしろ首長に分散する仕組みが求められているのではないか。
 危機にさらされたと感じる時、強い指導力に依存したくなるのは人の常かもしれない。だが、その力がもたらす負の側面についても冷静に考える機会を持ちたい。

▼神戸新聞「感染症と憲法/生存権の保障が国の責務だ」/ペストをめぐる論争/手だてを総動員して
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/202005/0013315800.shtml

 憲法25条は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を明記する。国に対しては、公衆衛生や社会保障の向上などで国民の生存権を保障するよう義務づけている。
 感染症対策でも公衆衛生と社会保障の両面で施策を総動員し、一人一人の生存権を守らねばならないはずである。強制措置の発動はそれを達成する手段の一つにすぎない。
 感染症を「災害」と捉えれば、災害救助法で生活や仕事に必要な資金・器具の支給や貸与が可能となる。「激甚災害」に指定すれば、対象地域の特例で、休業した会社の従業員に雇用保険の手当が支給できる。災害法制に詳しい兵庫県弁護士会の津久井進弁護士はそう指摘する。
 同弁護士会の永井幸寿弁護士も「今の法制度でもやる気があればかなりの対策が打てる。政府は平常時の感覚から脱するべきだ」と語る。
 科学的な対策を徹底して感染症を封じ込める。影響を受ける国民の生存権は、手だてを駆使して守る。それが憲法が求めている姿だろう。問われているのは、非常時に臨んでの政府の対応能力と、本気度だ。

▼山陽新聞「憲法記念日 性急避け改憲論議深めよ」
 https://www.sanyonews.jp/article/1009396?rct=shasetsu

 共同通信社が3、4月に行った世論調査では、緊急事態条項の新設に賛成51%、反対47%と賛否は拮抗(きっこう)した。非常時を想定した規定を憲法に盛り込むべきかどうか、議論を深めていくのは当然だろう。
 とはいえ、いま国会が取り組むべき課題はまずコロナ禍への対応である。国民の暮らしをどう手当てしていくかを優先し、力を注ぐときだ。
 (中略)
 首相が掲げた今年中の施行はもはや達成不可能な状況となったが、首相は21年9月までの総裁任期中の改憲実現になお意欲を示している。
 だが、改憲という大きな政治課題が、中身が生煮えのまま期限ありきで進められることがあってはならない。与野党は党利党略にとらわれず、じっくりと議論できる環境を取り戻してもらいたい。改憲そのものの是非も含め、国民が納得できるよう論議を深めていく努力が求められる。

▼中国新聞「≪新型コロナ≫改憲論議 不安に便乗、許されない」
 https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=639547&comment_sub_id=0&category_id=142

 私たちの社会は緊急事態宣言の下、外出を自粛し、店舗の営業や出勤を控えてきた。半面、同調圧力の高まりもあって息苦しい思いもある。それでも感染症の封じ込めを願い、我慢に我慢を重ねている。
 力任せの強制ではない、日本の流儀で乗り越えようと努めている。その方策にこそ、今は注力すべきときではないか。
 コロナ禍に心騒ぐ国民の不安に乗じるような格好で、憲法改正をうんぬんしてはなるまい。憲法とは権力を監視、規制するためのものであって、私たち国民を規制するものではない。

▼山陰中央新報「憲法記念日/権利の価値、再確認を」
 https://www.sanin-chuo.co.jp/www/contents/1588472048131/index.html

 安倍首相は宣言発令を報告した衆院議院運営委員会で、自民改憲案の緊急事態条項について「憲法にどう位置付けるかは極めて大切な課題だ。国会の憲法審査会で、与野党の枠を超えた議論を期待したい」と述べた。
 しかし特措法に基づく宣言は対象を感染症に限定し、取れる措置も明示している。一方、自民改憲案の緊急事態条項は「大規模な災害」という曖昧な定義の下で、内閣に法律と同じ効力を持つ政令制定の権限を認めるものだ。権力を内閣に集中させる規定で、新型コロナの宣言と同列に論じることはできない。
 自民党は感染拡大を受けて二つの課題を挙げ野党に議論を促した。国会議員に多数の感染者が出た場合の対処と、衆院議員の任期満了まで事態が終息せず、国政選挙が実施できない事態への対応だ。確かに憲法の規定に関わる課題だが、参院の緊急集会などの対応策も用意されている。
 自民党の狙いは、9条の改正論議に野党を呼び込むことではないか。だが今は新型コロナ対策に専念する時で、国会の憲法審査会は、私権を制限した宣言の妥当性こそを終息後に検証すべきだ。

▼愛媛新聞「コロナ禍と憲法 一人一人の尊厳最大限守らねば」

 政権に求められるのは不急の改憲ではなく、憲法の理念に従って目の前の課題解決へ全力を傾けることである。この瞬間も個人の尊厳に関わる生存権が脅かされている。医療崩壊を防ぐため現場の支援を充実させなければならない。収入が絶たれ、困窮する人にも早く手を差し伸べるべきだ。「教育を受ける権利」も長期化する休校で大きく損なわれた。子ども同士の格差を広げない手当てがいる。
 憲法は主権者である国民が国家権力に歯止めを掛ける性格を持つ。縛られる側の政権が改憲で国民の権利を妨げることがあってはならない。憲法の精神に向き合い一人一人を尊重しながら、困難を乗り越えるために誠実に手を尽くす。首相にはその姿勢を強く求めたい。

▼徳島新聞「憲法改正 コロナ禍に便乗するな」

▼高知新聞「【憲法記念日】非常を口実にしてないか」
 https://www.kochinews.co.jp/article/365088/

 戦前から戦中にかけて「非常時」の名の下に国家総動員体制などが敷かれ、国民の権利や自由が奪われた。敗戦後、新憲法に緊急事態条項が設けられなかったのはその反省からである。当時の金森徳次郎国務相が国会審議で述べている。
 「非常を口実にした政府の自由判断の余地を大きく残しておくと、どんなに精緻な憲法でも破壊される恐れがある」
 今また新型コロナ感染拡大という「非常」や「危機」が口実とされていないか。国民の不安に便乗し、改憲への流れをつくろうとするやり方はやはり認められない。
 人権規定を停止させることもできる緊急事態条項は、国の統治システムを根本から揺さぶる。感染症対策もそうした「劇薬」に頼るのではなく、新型コロナ特措法などの法律によって対処するのが筋である。
 政府の裁量によって私たちの自由や権利が、必要以上に制限されることは決してあってはならない。

▼西日本新聞「憲法とコロナ禍 克服へ今こそ理念生かせ」/弱者を守ってこそ/時代は変わろうと
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/605640/

 改憲か護憲か。憲法を巡っては、この二者択一的な議論が先行しがちです。今の政治でも、安倍政権の「改憲ありき」の姿勢に野党が待ったをかける図式が続いています。そうした中で叫ばれている言葉があります。 「活憲」です。憲法の条文にこだわるのではなく、憲法に照らして現実の社会をつぶさに見詰め、矛盾や問題を地道に解決していく。そんな営みこそが重要ではないかという訴えです。
 つまり、理念をどう生かしていくのか。現下のコロナ対策は休業要請など私権制限の是非、それに伴う補償の在り方、弱者の救済方策、緊急事態に備える法の在り方など、難しい課題を伴っています。しかし、これらも憲法を物差しに冷静な議論を進め、ウイルスとの闘いを克服していかなければなりません。
 きょうで憲法の施行から73年になります。平時であれば、読み返す人は少ないかもしれません。その点、今年の大型連休は「ステイホーム」が合言葉とされています。多くの人が、歳月を経ても色あせていない憲法にいま一度目を通し、崇高な理念を再確認してみる。そんな時間を共有できればと思います。

▼熊本日日新聞「憲法記念日 権利の価値 再確認したい」/コロナを実験台に/強権求める危うさ/改正議論は丁寧に
 https://kumanichi.com/column/syasetsu/1451673/

 特措法については、当初は私権の制限につながることを警戒し、慎重な適用を求める声が根強かった。ところが、感染が拡大するにつれて緊急事態宣言を求める声が大きくなり、今では「遅すぎた」との見方が大勢を占める。非常時には、より強い権力の発動を求めてしまう、という危うさが露呈してはいないか。
 他人を監視するような社会の「同調圧力」によって、権利の行使が妨げられる事案も出ている。感染拡大を恐れるあまり、県外ナンバーの車やバイクを撮影してSNSに投稿する動きが問題になった。休業要請に応じないパチンコ店への批判が高まり、私権制限をさらに強める罰則規定を追加する法改正も検討される方向だ。
 パチンコ店の対応の是非は別にして、取り締まり強化を安易に認めれば、享受してきた権利を放棄することにもなりかねない。憲法12条は「自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と定める。すべてを権力に委ね思考停止に陥ることは避けなければならない。
 (中略)
 自民党は、二つの課題を挙げて野党に議論を促している。国会議員に多数の感染者が出た場合と、議員の任期満了まで事態が終息せず、国政選挙が実施できない事態への対応だ。確かに憲法の規定に関わる課題だが、参院の緊急集会で一定の対応は可能とされる。
 何より今は、新型コロナ対策に専念する時である。そして終息後に、憲法審査会がまず検証すべきなのは、宣言により私権を制限したことの妥当性だろう。

▼南日本新聞「[憲法記念日] 緊急事態条項は必要か」/権力乱用への懸念/自治体権限強化を
 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=119069

 国民はどう考えるのか。
 共同通信社が3~4月に実施した全国世論調査では条項新設に賛成51%、反対47%で拮抗(きっこう)している。年代が高くなるほど反対する傾向が強かった。
 調査時期はちょうど学校の一斉休校や緊急事態宣言発令と重なり、海外では罰則付きの外出禁止といった強力な措置が取られるなど関心が高まっていた。
 それでも賛成がおよそ半数にとどまったのは新型コロナ感染拡大に大きな不安を感じながらも、私権を制限するなど政府の権力が過度に強化されることへの警戒感の表れに違いない。
 (中略)
 安倍首相は2020年の改正憲法施行を提唱し、昨年の参院選の結果を踏まえて「議論は行うべきだという国民の審判は下った」と主張した。国民投票など改憲までの手順を考えれば目標の達成は不可能だが、21年9月までの自民党総裁任期中の改憲に意欲を示している。
 世論調査で憲法改正を巡る国会での議論を「急ぐ必要はない」との回答は6割を超えている。国民の根強い警戒感を考えれば、改憲より新型コロナの終息に向けた議論を優先し、個別の法律の中で対策を講じるべきである。

▼沖縄タイムス「[コロナ禍と憲法]守るべき価値見失うな」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/567450

 私権制限を含む緊急事態宣言がさらに1カ月、延長されようとしている今、あらためて憲法の意義を確認し直す必要性を痛感する。
 憲法11条は基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」と定める。13条は「すべて国民は、個人として尊重される」と、個人の尊厳を高々と掲げている。
 13条は後段で、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とも指摘している。
 憲法は、政府に対し、国民の命を守り個人の自由と権利を保障することを明確に求めているのである。だが、この条文が現実の政策に生かされているとは言い難い。
 (中略)
 自民党の中には、今回の緊急事態宣言と憲法への緊急事態条項新設を絡め、憲法改正の機運を高めよう、という動きも目に付く。
 だが、緊急事態宣言と緊急事態条項の新設とは、何の関係もない。実効性のある支援策が一日も早く求められているこの時期に、このような発言を弄(ろう)するとは、公党の見識が疑われる。
 憲法12条は「自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と定めている。それを念頭に置いたコロナ対策が必要だ。

▼琉球新報「憲法施行73年 政府への強権付与危うい」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1116800.html 

 国権が最優先され、個人の権利が著しく抑えられた過去があることを忘れてはならない。1938年に制定された国家総動員法だ。「私権」を制限する法制度の下で国家統制が敷かれ、国民の徴用などを国家が自由にできるようになった。行き着いた先は戦争だ。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を基調とする憲法は、その反省の上に作られた。
 世界で新型コロナが猛威を振るう中で、ドイツのメルケル首相は渡航や移動の自由が第2次世界大戦などの「苦難の末に勝ち取られた」権利だとした上で、私権の制限は「絶対的な必要性がなければ正当化し得ない」と、あくまで命を救うための一時的対応だと明言している。
 先の見えない状況に置かれると、強い権力に従いたいという心理状態になることもあるだろう。こんな時だからこそ自由や平等、人権の価値を再確認する必要がある。
 沖縄戦の教訓を踏まえ、公権力を制限する平和憲法を守り続けたい。