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黒川検事長は堂々と職を辞せばいい~元総長らの意見書が説く「国民の信託」

 検察官の定年を一律65歳に延長する一方で、幹部検察官については内閣や法相の判断次第で役職の延長が可能になる検察庁法改正案に対し、松尾邦弘・元検事総長ら検察官OB有志14人が5月15日、連名で、反対の意見書を法務相宛てに提出しました。この記事を書いている16日午後現在、全文を朝日新聞のサイトで読むことができます。

※朝日新聞デジタル「【意見書全文】首相は『朕は国家』のルイ14世を彷彿」
 https://www.asahi.com/articles/ASN5H4RTHN5HUTIL027.html

 まず、安倍晋三政権が黒川弘務・東京高検検事長の定年延長を法解釈の変更と閣議決定で強行したことに対して、検察庁法と国家公務員法の関係を平易に説きながら「皮相な解釈は成り立たない」「この閣議決定による黒川氏の定年延長は検察庁法に基づかないものであり、黒川氏の留任には法的根拠はない」と言い切っています。そして、検察庁法改正に対しても「検察の人事に政治権力が介入することを正当化し、政権の意に沿わない検察の動きを封じ込め、検察の力を殺ぐことを意図していると考えられる」と指摘しています。
 意見書の前半の圧巻は以下の部分だと思います。

 本年2月13日衆議院本会議で、安倍総理大臣は「検察官にも国家公務員法の適用があると従来の解釈を変更することにした」旨述べた。これは、本来国会の権限である法律改正の手続きを経ずに内閣による解釈だけで法律の解釈運用を変更したという宣言であって、フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる「朕は国家である」との中世の亡霊のような言葉を彷彿とさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性を含んでいる。
 時代背景は異なるが17世紀の高名な政治思想家ジョン・ロックはその著「統治二論」(加藤節訳、岩波文庫)の中で「法が終わるところ、暴政が始まる」と警告している。心すべき言葉である。

 後半は「ロッキード世代」という言葉が出てきます。全日空の旅客機選定を巡る受託収賄容疑で東京地検特捜部が田中角栄元首相を逮捕した「ロッキード事件」を知る世代ということのようです。
 ※ウイキペディア「ロッキード事件」  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 意見書はロッキード事件の捜査当時を振り返って、以下のように書きます。

 特捜部が造船疑獄事件の時のように指揮権発動に怯えることなくのびのびと事件の解明に全力を傾注できたのは検察上層部の不退転の姿勢、それに国民の熱い支持と、捜査への政治的介入に抑制的な政治家たちの存在であった。
 国会で捜査の進展状況や疑惑を持たれている政治家の名前を明らかにせよと迫る国会議員に対して捜査の秘密を楯に断固拒否し続けた安原美穂刑事局長の姿が思い出される。

 少しだけ個人的な経験を書けば、もう四半世紀も前になりますが、わたしは社会部記者として一時期、検察を担当しました。中でも東京地検特捜部の事件捜査は最重要の取材テーマでした。当時の検察には、この「ロッキード世代」の気概のようなものが色濃く残っていました。この意見書に名を連ねている方々が、検察や法務省の第一線にいた時代です。「検察官は捜査権を持ち、公訴権を独占している。だからこそ抑制的に、謙虚に振る舞わなければいけないんだ」というような言葉も、何度か聞きました。だからこの意見書に込められたOBたちの熱量のようなものを理解できます。
 この意見書は読む人によって受け止め方は様々だろうと思うのですが、わたしがもっとも印象に残ったのは、次の部分です。この部分を、現役の検察官、そして法務官僚はどんな思いで読んでいるでしょうか。中でも黒川検事長は。

 しかし検察の歴史には、捜査幹部が押収資料を改ざんするという天を仰ぎたくなるような恥ずべき事件もあった。後輩たちがこの事件がトラウマとなって弱体化し、きちんと育っていないのではないかという思いもある。それが今回のように政治権力につけ込まれる隙を与えてしまったのではないかとの懸念もある。検察は強い権力を持つ組織としてあくまで謙虚でなくてはならない。
 しかしながら、検察が萎縮して人事権まで政権側に握られ、起訴・不起訴の決定など公訴権の行使にまで掣肘を受けるようになったら検察は国民の信託に応えられない。
 正しいことが正しく行われる国家社会でなくてはならない。

 この意見書に先立って、意見書にも名前を連ねている元法務省官房長の堀田力さんのインタビュー記事が朝日新聞に掲載されました(14日付朝刊・オピニオン面)。見出しは「総長と黒川氏は辞職せよ」。堀田さんはこう話しています。

 私の経験から言えば、政治家がその権力を背景に捜査に圧力をかけてくることはよくあります。それでもひるまず真相を解明しようとする気概のある上司が多かった。組織のトップたる検事総長や検事長には政治の不当な圧力に対抗できる胆力が求められ、その人事が政治家の判断にかかるようなことはあってはならないのです。
 (中略)
 定年延長を受け入れた黒川君の責任は大きいし、それを認めた稲田伸夫・現総長も責任がある。2人とは親しいですが、それでも言わざるを得ない。自ら辞職すべきです。そして、仮に改正法が成立しても「政府から定年延長を持ちかけられても受けない」くらいの宣言をする。それによって検察の原点である公正中立を守り、国民の信頼を回復するのに貢献してほしいと願います。

 今回の問題では、黒川検事長自身がどう考えているのかが伝わってきません。検事総長ポストへ意欲を燃やしているのかどうかは分かりません。ただ黒川氏には「能吏」という人物評があるようです。官吏の本分として、人事権者が決めた人事には異論を口にせず従う、という信念があるのかもしれません。意見書でOBたちが指摘しているような違法性や疑問点は十分に分かっているはずです。それでもなお、定年延長を拒まなかったのは、それが官吏の本分である、と考えているのかもしれないと思います。逆のケースを考えれば、その考え方にも一理あるように思います。意に沿わないポストを任命権者から指示された時に、それを拒否し始めたら組織の規律は保てません。
 OBたちの意見書は「人事権者の決めたことであっても、それが違法であるのなら従う必要はない」と後輩を諭している、あるいは背中を押してやろうとしているようにも思えます。形式的には人事権者に対する「抗命」かもしれないが、強大な権限を持つ検察官は国民の信託に応えることの方がより大切ではないのか、と。
 今からでも黒川氏は堂々と職を辞せばいいと思います。その環境もOBたちの意見書で整ったのではないかと思います。