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国家と地域・住民の関係を問う沖縄「慰霊の日」~地方紙・ブロック紙社説の記録

 6月23日は、1945年の沖縄戦で日本軍の組織的戦闘が終わったとされる「慰霊の日」でした。75年のことし、沖縄タイムスと琉球新報は23日付の社説で、沖縄戦の体験を継承していくことの意義をそれぞれ説いています。
▼沖縄タイムス「[慰霊の日に]知ることから始めよう」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/589353
▼琉球新報「沖縄戦75年 体験継承し平和の構築を」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1143131.html

 ことしの沖縄全戦没者追悼式について沖縄県は当初、新型コロナウイルスへの対応として、例年より規模を縮小して国立沖縄戦没者墓苑で開催すると発表。異論が相次いだことから、例年と同じ平和祈念公園の広場へ変更した経緯がありました。
 沖縄タイムスの社説は「沖縄全戦没者追悼式の場所や形式が問題になるのは、それが沖縄戦の実相に深く関わっているからだ」と指摘し、①20万人以上の沖縄戦戦没者のうち、県出身者は12万2千人を超え、兵士よりも非戦闘員である住民の犠牲者が多い②兵士だけでなく一般住民も軍の方針によって戦場に駆り出され、戦闘に動員された③日本兵によって壕を追い出されたり、食料を奪われ、スパイの疑いをかけられて殺害されるなどの事例も県内各地で相次いだ―などを列挙しています。
 琉球新報の社説も国立墓苑での開催への異論を「住民の犠牲を天皇や国家のための『殉国死』として追認することにつながりかねないと懸念したのである」と説明。「私たちは平和創造のために沖縄戦を学ぶ。悲惨な体験から得た『軍隊は住民を守らない』という教訓を踏まえ、県民は戦争につながることを否定してきた」「沖縄戦は過去の出来事ではない。現在を生きる私たちの糧となる。平和を築くための指標が沖縄戦体験にあることを忘れてはならない」と記しています。

 沖縄の米軍普天間飛行場の辺野古移設計画では、国家と地域・住民の関係が問われ続けています。先日は、陸上配備型イージス・システム計画で、国が秋田県と山口県の自衛隊用地への配備を撤回する出来事もありました。「戦争と平和」にかかわる問題を巡って、国と地域の関係が問われているのは沖縄だけではありません。沖縄県外でも「慰霊の日」に関連の社説を掲載した地方紙・ブロック紙がいくつも目に付きました。陸上イージスを踏まえて、辺野古移設の見直しを主張しているものもあります。日米安全保障条約の改定から60年でもあり、日米同盟と日本国内の基地負担を重層的に考える機会でもあるように思います。
 以下にネットで目にした範囲ですが、書きとめておきます。

【6月23日付】
▼北海道新聞「沖縄慰霊の日 寄り添う姿勢 国にない」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/433360?rct=c_editorial

 今月の県議選では移設に反対する玉城デニー知事を支持する勢力が過半数を維持したが、政府は新型コロナの影響で中断していた工事を先週再開した。この態度のどこが沖縄に寄り添っているのか。
 予定地に軟弱地盤が見つかったことで、総工費は最低でも1兆円近くに膨らむ。地盤改良の方法も説得力を欠き、移設はもはや非現実的とも言える状況だ。
 政府は今月、地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の配備計画を停止した。辺野古移設も見直すべきである。

▼河北新報「日米安保改定60年/転換期に「質」高める議論を」
 https://www.kahoku.co.jp/editorial/20200623_01.html

 両国の関係を深化させる一方で、内在する課題を踏まえてこれからの安全保障を捉えなければならない。
  沖縄県に米軍基地が集中する現実に目を背けていては、真に深化した関係とは言えまい。事故の危険と騒音にさらされる沖縄の人々をどう守るか、国民全体で考えたい。
  米軍の特権を認めている日米地位協定の抜本的な見直しをはじめ、外交のすべを尽くしての堅固な戦略も求められよう。

▼東奥日報「歴史に学び戦略再構築を/安保60年と沖縄の負担」
 https://www.toonippo.co.jp/articles/-/369049

▼山形新聞「日米安保60年と沖縄 歴史に学ぶ戦略構築を」
 https://www.yamagata-np.jp/shasetsu/index.php?par1=20200623.inc

▼山梨日日新聞「[戦後75年 沖縄慰霊の日]日米安保の在り方も問う日」

▼中日新聞・東京新聞「少年兵の体験伝えねば 沖縄戦終結75年」/ゲリラ部隊「護郷隊」/口を閉ざした元隊員ら/亡き戦友を弔う寒緋桜
 https://www.chunichi.co.jp/article/76893?rct=editorial

 沖縄在住の映画監督三上智恵さん(55)は、二〇一八年公開のドキュメンタリー「沖縄スパイ戦史」で護郷隊の実態を掘り起こし、反響を呼んだ。三上さんは言う。
 「有事に軍は住民を守らない。逆に、戦闘や諜報(ちょうほう)に利用して見捨てることを描きたかった」。映画には、スパイ容疑をかけられた住民が軍により虐殺されるのを住民が手助けした、軍の陣地構築に協力した少女が秘密を知ったと殺されかけた、などの証言も登場する。共同監督の大矢英代(はなよ)さん(33)は、同作品で波照間島に潜入した中野学校出身者が島民を西表島(いりおもてじま)のマラリア地帯に疎開させ約五百人が死んだ史実を描いた。
 三上さんによれば、当時の軍部は本土の各地にも中野学校出身者を送り秘密戦の準備をしていた。終戦が遅れたなら沖縄の惨劇が本土で繰り返された可能性がある。
 映画は過去を告発するだけではない。中国の海洋進出をにらみ、与那国島や宮古島など、沖縄の先島諸島には陸上自衛隊の配備が進む。防衛情報を集め住民を監視する情報保全隊も配置される。作品は「戦争は軍隊が駐留した時点で始まる」(三上さん)との視点から、現代でも自衛隊は本当に住民を守るのか―と鋭く問い掛ける。

▼神戸新聞「沖縄慰霊の日/75年でも変わらない重荷」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/202006/0013446700.shtml

 基地の整理縮小に加え、沖縄県が求めているのが日米地位協定の抜本的な見直しである。
 協定は、公務中の米兵らによる事件事故で米国の裁判権が優先されるなど、米軍の特権的地位を定めている。これは日米安保条約とともに、きょうで発効60年となる。その間、一度も改定されていないことは政府の怠慢であるというしかない。
 沖縄大学長を務めた故新崎盛暉(あらさきもりてる)さんは、対米従属的な日米関係の矛盾が沖縄にしわ寄せされていると指摘し、それを「構造的沖縄差別」と呼んだ。平和を脅かす米軍基地の押しつけは、人権を侵害する行為であることを、本土の人間としてあらためて胸に刻んでおきたい。

▼中国新聞「沖縄慰霊の日 今に続く痛み忘れまい」
 https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=655003&comment_sub_id=0&category_id=142 

冷戦が終わり、国際秩序が変容する中で日本はどんな役割を果たすのか。政府は安保の60年を検証し、米国との関係も見直していくべきではないか。
 その一つが、名護市辺野古で進める新基地建設だろう。今月7日に投開票された県議選でも反対派が過半数を維持した。繰り返し民意が示されているにもかかわらず、政府はそれを押し切って普天間飛行場(宜野湾市)の移設先として、建設工事を強行している。

 埋め立て予定海域にある軟弱地盤を改良する工事のため、当初想定した以上の巨額の工費と工期がかかる見込みだ。しかもそれで本当に完成するのか見通せない。
 県が設置した有識者会議は、最新のアジア太平洋地域の安保環境を分析した上で、日米両政府に、変化を踏まえた基地の分散や整理縮小を提言している。政府は山口、秋田両県で進めてきた地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」について、安全面の問題を理由に、配備計画を停止した。辺野古の計画も中止すべきだ。
 玉城デニー知事は対話による解決を政府に求めている。基地問題解決の糸口を探るためにも政府には、早急にテーブルに着いてもらいたい。75年前の悲惨とその後の沖縄の歩みに謙虚に向き合ってほしい。本土に暮らす私たちも、沖縄の歴史と、今も続く「痛み」をわがこととして捉えなくてはならない。

 ▼西日本新聞「沖縄慰霊の日 今こそ体験を継承したい」
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/619452/

 沖縄県民にとって沖縄戦は単なる過去ではない。沖縄には現在、日本国内の米軍専用施設の約7割が集中する。その原点が沖縄戦による米軍の占領だ。沖縄戦を知らなければ沖縄の現状を理解することはできない。
 安倍政権は今月12日、直前の県議選で米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設反対派が過半数を占めたにもかかわらず、コロナ禍で中断していた辺野古の埋め立て工事を再開した。
 秋田、山口両県に配備予定だった地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の計画停止とは好対照の、かたくなな姿勢だ。本土側の沖縄への無理解に乗じてはいないか。

▼佐賀新聞「日米安保60年と沖縄 歴史に学ぶ戦略構築を」=共同通信
 https://www.saga-s.co.jp/articles/-/537872

 日米両国の「対等性」を目指して60年に改定された現条約の下、日米同盟は日本の外交・安保政策の基軸とされてきた。だが、その同盟関係は今、重大な岐路にある。
 「米国第一主義」を掲げるトランプ米政権と中国の大国化、新型コロナウイルスが問い掛ける分断と協調の在り方―。変容する国際秩序の中で日米同盟をどう位置付け、日本はどういう役割を果たすのか。根本からの見直しが迫られている。
 その際、忘れてならないのは歴史に学ぶ謙虚な姿勢だろう。75年前、沖縄は本土防衛の「捨て石」とされ、県民の4人に1人が犠牲になる悲惨な戦闘が繰り広げられた。そして、72年の本土復帰後も過重な基地負担を強いられている。
 軍備を増強し、緊張を高める戦略を机上の論理だけで進めてはならない。安全保障には必ず現場があり、そこには人が暮らしているのだ。沖縄戦のような歴史を繰り返さぬよう、外交を基盤とし、地域の安定と国際協調に貢献する同盟戦略の再構築を求めたい。

▼熊本日日新聞「沖縄戦終結75年 恒久平和へ見えない道筋」
 https://kumanichi.com/column/syasetsu/1501051/

 太平洋戦争末期の沖縄戦終結から23日で75年。最大の激戦地だった糸満市摩文仁[まぶに]に立つ石碑「平和の礎」には、今年も30人の氏名を刻んだ銘板が新たに設置された。石碑の除幕から25年が過ぎたが、刻銘者の追加は毎年続いている。沖縄の「戦後」が終わっていないことは、そのこと一つをとっても明白だ。
 さらに今日は、日本と米国の相互協力をうたった現行の日米安全保障条約の発効から60年の節目でもある。対等な関係となることを目指す現条約の下、日本は日米同盟を外交・安保政策の基軸としてきた。しかし、その同盟関係は「米国第一主義」を掲げるトランプ米政権と中国の大国化や、新型コロナ禍による社会の変容によって重大な岐路に立っている。
 今のままでは、国民の願いである恒久平和は実現の道筋が見えない。悲惨な歴史を繰り返さないためにも、本土防衛の「捨て石」とされ、1972年の本土復帰後も過重な基地負担を強いられている沖縄の現実をいま一度見つめ直したい。

【6月24日付】
▼秋田魁新報「沖縄慰霊の日 安保政策に民意反映を」
 https://www.sakigake.jp/news/article/20200624AK0010/

 昨年の追悼式には安倍晋三首相が出席。辺野古については一切触れず「基地負担の軽減に向けて確実に結果を出す」と述べ会場から激しいやじが飛んだ。
 今年は新型コロナウイルスの影響で規模を縮小、安倍首相の招待は見送られた。首相はビデオ映像を通じてメッセージを送った。その言葉は沖縄県民の胸に響いたのだろうか。
 本県と山口県が配備候補地となった地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の配備計画も地元の反対の中、強引に進められたのは沖縄と同じ。結果的に技術上の問題と改修コストなどを理由に停止となったが、諦めず声を上げ続けることが大切と再認識させられた。
 辺野古移設計画の総工費は軟弱地盤改良工事で膨れ上がる。改めて移設見直しを求める声が起きているのは当然だ。

▼新潟日報「沖縄戦終結75年 不戦の決意を共有せねば」
 https://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20200624551385.html

 一方、沖縄には今も「基地の島」の現実がある。玉城知事は平和宣言で在日米軍専用施設の7割が県内に集中し、米軍人らの事件や事故が多大な影響を与えていることに言及した。
 こうした中で、沖縄県民は米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設を巡って繰り返し「ノー」の民意を示してきたが、政府は「辺野古ありき」で計画を進めている。
 地方の民意に国が背を向け続ける。こんなことが許されれば民主主義の土台が崩れる。沖縄の歴史とともに現状にも、本土の側から目を凝らしたい。

▼福井新聞「戦後75年『慰霊の日』 沖縄の民意に耳澄ます時」
 https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1110620

 政府は、新型コロナ感染防止として中断していた、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設工事を12日再開した。沖縄県議選(7日投開票)からわずか5日後だ。中断も、辺野古移設工事を選挙の争点にしない意味合いがあったとの見方がある。
 4月下旬には、政府は移設計画を巡る設計変更を沖縄県に申請している。感染が県内で拡大し、玉城デニー知事が県独自の緊急事態宣言を出した翌日というタイミングだった。
 どちらも、沖縄や県民を思い、「全力を尽くす」行動とはかけ離れている。
 先の県議選は、玉城知事を支える共産、社民、無所属などの県政与党が過半数を確保したものの、自民、公明などの県政野党も3議席伸ばした。この結果を受け、菅義偉官房長官は「地元では(移設に)かなり理解が進んできているのではないか」と述べている。
 そうなのだろうか。玉城知事が初当選した2018年の知事選、辺野古沖の埋め立てに7割が反対した19年の県民投票、反対派が圧勝した同年4月の衆院補選、そして県政与党が過半数を維持した今月の県議選。一連の結果は辺野古移設に対し「ノー」という県民の変わらぬ意志を示している。これが沖縄の民意でなければ何が民意だろう。

▼京都新聞「沖縄慰霊の日 現状と教訓学ぶ契機に」
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/290039

 全戦没者追悼式の平和宣言で、玉城デニー沖縄県知事は、米軍人らによる事件・事故や航空機騒音に触れ、戦後75年を経た今も基地負担が県民生活に多大な影響を及ぼしていると訴えた。
 安倍晋三首相もビデオメッセージで、沖縄に米軍基地が集中する現状は是認できないとして「基地負担の軽減に向け、確実に結果を出す決意だ」と述べた。
 だが、県民の思いと政府の対応が一致しているとは言えない状況が続いている。不合理な負担を強いられている沖縄の現状と将来について、あらためて国民全体で考える契機としなければならない。
 戦争時、沖縄は本土防衛の「捨て石」にされ、日本兵による避難壕(ごう)からの追い出しや自死の強制などが各地で起きた。住民の保護を無視した軍の作戦が、県民の大きな犠牲につながった。
 戦後も沖縄は重い基地負担にあえいできた。国土面積の0・6%しかない県内に、現在も米軍専用施設の7割が集中している。県民には、今も身代わりにされているとの思いが根強くある。

▼山陽新聞「沖縄戦から75年 不戦の誓いを共有したい」
 https://www.sanyonews.jp/article/1024370?rct=shasetsu

 玉城知事が宣言の中で言及した、沖縄の基地負担の重さを私たちはあらためて考える必要がある。国土面積の約0・6%の沖縄に在日米軍専用施設の7割が集中し、米軍が絡む事件や事故、航空機の騒音や環境汚染などが相次ぐ。
 きのうは改定日米安全保障条約が発効して60年の節目でもあった。その最前線に置かれてきた沖縄が求めてきたのが、米軍側に日本の国内法が適用されない日米地位協定の改定だ。危機感は、米軍輸送機オスプレイの配備などで本土側の自治体にも広がっている。2年前には全国知事会が協定の抜本的な見直しを求める提言をまとめ、政府に提出した。改定を求める国民の声に、政府は向き合うべきだ。
 (中略)
 政府が地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の配備計画を停止したのを受け、与党の自民党からも工事期間やコストの面から辺野古移設計画の再検討を求める声が出ている。中国の軍事力向上、米軍の戦略変化も指摘されている。政府は移設計画の妥当性を検証し、国民に説明すべきである。

▼山陰中央新報「日米安保60年と沖縄/歴史に学ぶ戦略構築を」
 https://www.sanin-chuo.co.jp/www/contents/1592964908482/index.html

▼南日本新聞「[沖縄慰霊の日] 教訓を引き継がねば」
 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=121431

 あなたがあの時、生き延びたおかげで今がある-。
 太平洋戦争末期の沖縄戦で組織的戦闘が終結してから75年の「慰霊の日」のきのう、沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園であった追悼式で、首里高3年の高良朱香音さんは平和をつなぐ決意を込めた詩を朗読した。
 戦争体験者が減少する中、悲惨な戦争の記憶を引き継ごうとする若い世代の決意は尊い。
 沖縄戦では住民を巻き込む地上戦が展開され、県民の4人に1人が犠牲になった。戦後、日本に復帰し48年たった今も、過重な基地負担を強いている。
 戦後日本の平和は、こうした沖縄の負担によるところが大きい。節目の今こそ全国民が歴史を謙虚に受け止め、非戦の誓いを新たにする必要がある。

【6月27日付】
▼宮崎日日新聞「日米安保60年 『捨て石』つくらない戦略を」
 https://www.the-miyanichi.co.jp/shasetsu/_45543.html