35年の時の長さを思う~日航ジャンボ機墜落当日のこと

 35年前の夜、日本航空の東京発大阪行き123便のボーイング747型機、通称ジャンボジェットが群馬県・御巣鷹山中に墜落し、乗客乗員520人が死亡しました。事故機は、その以前に着陸時に機体後部を滑走路に接触させる「尻もち」事故を起こしていました。損傷した圧力隔壁の修理が十分ではなく、飛行で繰り返し負荷がかかった末に破壊されたことが事故原因として推定されています。現在でも、単独機の航空事故の死者数としては世界最多であり、何年たっても、空の安全のために決して忘れてはならない事故です。
 その日、1985年8月12日は、現場取材に出た記者たちは言うに及ばず、およそ新聞記者であれば、所属部署や担当、任地を問わず、あるいは休暇中であっても、慌ただしく、落ち着かない一晩を過ごしたはずです。
 わたしはと言えば、通信社で記者として働き出して3年目。初任地の青森支局にいました。下北半島に生息するカモシカや北限のサルに関心があり、自然保護グループに同行して生態調査を2泊3日で取材していました。ジャンボ機墜落はその2日目の夜だったように記憶しています。
 宿舎はユースホステルでテレビはなし。場所柄、酒も置いてありません。サルやカモシカの生態に合わせて行動するので、朝は4時起床と極端に早かったと思います。1日目の夜はさっさと就寝し、2日目は早朝からの藪漕ぎ(山の中、道なき道を藪をかき分けながらサルの群れを追う)で疲れ果てて、やはり早くに寝ていました。もちろんスマホもガラケーさえもなく、一般家庭では黒いダイヤル電話がまだ普通の時代。ちなみに下北半島では、ちょっと山に入るとポケットベルは圏外だったように記憶しています。墜落事故を知ったのは翌朝、宿に届いた地元紙によってでした。1面トップの大見出しでした。
 新聞記者でありながら、あの事故を翌朝の朝刊を見るまで知らなかったというのは、いくら何でも、と今も思います。さすがに、わたしぐらいではないでしょうか。

 あれから35年。今年は新型コロナウイルスの感染拡大で、事故現場への登山は遺族だけとなったようですが、新聞各紙の12日夕刊は、慰霊の営みを大きく報じました。
 当時の青年記者も秋には定年です。過ぎた時間の長さを感じます。

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