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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

水木しげるさん「総員玉砕せよ!」の“事実を超える真実”~戦争による死を美化しない

 8月15日は、日本の敗戦で第2次世界大戦が終結して75年の日でした。わたしが今、危惧するのは、社会で戦争体験の継承が難しくなっていることです。特に戦没者を「尊い犠牲」と美化し「その上に今日の日本の繁栄がある」と位置付けることは、戦争の実相を覆い隠し、やがては、日本が再び戦争をできる国になることにつながりかねない恐れがあります。そうさせてはならない、との思いとともに、漫画家の故水木しげるさんの作品「総員玉砕せよ!」のことを書きとめておきます。

 水木さんは陸軍に召集され、ニューギニア戦線ラバウルに出征し、米軍の攻撃で左腕を失ったことはよく知られています。戦後、代表作の「ゲゲゲの鬼太郎」をはじめとした妖怪漫画で活躍する傍ら、戦争を題材とする作品群も残しています。「総員玉砕せよ!」はその代表作。あらすじは以下の通りです。 

総員玉砕せよ! (講談社文庫)

総員玉砕せよ! (講談社文庫)

 

 水木さん自身である主人公は丸山二等兵。昭和18年末、楠木正成に心酔する若い少佐の大隊長に率いられる500名の支隊はニューブリテン島のバイエンに上陸し陣地を構えます。やがて連合軍の攻撃が始まり、丸山二等兵の上官である中隊長の中尉は、陣地を捨てて高地にこもり、持久戦を展開するよう主張しますが、大隊長は玉砕を主張。切り込みを敢行した結果、大隊長は戦死しました。生き残った者は撤退し、重傷を負った中隊長はその途中で自決します。
 ラバウルの本隊司令部では支隊から玉砕の電信を受け、全員死んだものとして大本営にも報告していました。生存者数十名がいるとの知らせに、「敵前逃亡はラバウル全軍の面汚し」とされ、“処理”のために参謀の中佐が派遣されます。出発の前夜、バイエン生き残りの軍医の中尉がラバウルを訪れて部下の命乞いをしますが、参謀に面罵され、軍医は自決しました。
 バイエン支隊の生き残りは「生きてはならぬ人間」。参謀は尋問で2人の小隊長の少尉に生き残ったことを責めます。2人は逡巡した末に責任を取って自決し、残りの下士官と兵81人は再突撃を行い、全員死にます。その直前に「玉砕を見届け報告する冷たい義務がある」として引こうとした参謀も流れ弾に当たって死にました。

 あとがきで水木さんは「九十パーセントは事実」と書いています。実際には再突撃はなく、80人近くが生き延びています。ウイキペディア「総員玉砕せよ!」によると、「1度目の玉砕で生き残った者たちは、ヤンマー守備隊に編入されて再び玉砕することはなかった。しかし、元々この配置は次の戦闘で全員突撃して戦死することを強く期待したものであり、結果として以降は本格的な戦闘がないまま終戦を迎えた」とのことです。また、あとがきで水木さんは「参謀はテキトウなときに上手に逃げます」と書いています。
 しかし軍医は、実在のモデルも自決したとのことです。作中では、参謀とのやり取りがこんな風に描かれています。

 「参謀どの とうてい勝ち目のない大部隊にどうして小部隊を突入させ 果ては玉砕させるのですか」
 「時をかせぐのだ」
 「なんですか 時って」
 「後方を固め戦力を充実させるのだ」
 「後方を固めるのになにも なにも玉砕する必要はないでしょう 玉砕させずにそれを考えるのが作戦というものじゃないですか 玉砕で前途有為な人材を失ってなにが戦力ですか」
 「バカ者―ッ」 ※顔を殴りつける
 「貴様も軍人のはしくれなら言うべき言葉も知ってるだろう」
 「私は医者です。軍人なんかじゃない あなたがたは意味もないのにやたらに人を殺したがる 一種の狂人ですよ もっと冷静に大局的にものを考えたらどうですか」
 「きさま 虫けらのような命がおしくてほざくのか」
 「もっと命を大事にしたらどうですか」
 
 「人情におぼれて作戦が立てられるか」
 「参謀どのッ 日本以外の軍隊では戦って俘虜になることをゆるされていますが どうして我が軍にはそれがないのです それがないから無茶苦茶な玉砕ということになるのです」
 「貴様それでも日本人か」
 「命を尊んでいるだけです」
 「女女しいこというな」
 「女女しくきこえましたか 男らしくなかったですかな」
 「なんだと 貴様 上官に対する言葉を知らんなあ」
 「参謀どの もうやめましょう さっき参謀長どのになぐられましたから」
 「ふん」

 このやりとりの後、軍医は拳銃で自殺します。遺体を前に参謀は「おしいことしたな まだまだ使えたのになあ」とひと言。「まだまだ使えた」とは、生き残りの八十数人を再突撃させるための役どころがあったということでしょうか。遺体は火葬され、参謀は遺骨とともに生き残りの部隊のもとへ赴きます。

 わたしの手元にあるのは講談社文庫版の第10刷(2007年7月発行)です。巻末の足立倫行氏の解説によると、最初の玉砕当時、水木さん自身は左腕を失う戦傷で後方に移送されており、戦闘には参加していませんでした。「総員玉砕せよ!」の構成は、前半が水木さん(=丸山二等兵)が体験した部隊の日常、後半は負傷した水木さんがいなくなった後の部隊の実話であり、最後だけ2度目の玉砕があったように作り変えたということになります。この方法について、足立氏は「“事実を超える真実”を描くことに成功した」と指摘しています。フィクション混じりでも、ここに描かれているのは水木さん自身が体験した戦争のリアルなのだろうと思います。あとがきを水木さんは「ぼくは戦記物をかくとわけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。多分戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う」と結んでいます。

 この記事の冒頭で、戦没者を尊い犠牲と美化することの危うさを書きました。具体的に言えば、例えば航空機に爆弾を搭載し、パイロットが敵艦に体当たりを図る航空特攻です。生還を予定しないことに対して、生みの親とされる大西瀧治郎・海軍中将自身が「統率の外道」と口にしていたとされます。「総員玉砕せよ!」の中で、水木さんが軍医に言わせた「玉砕させずにそれを考えるのが作戦というものじゃないですか」とは、まさにこのことに通じます。生身の人間が爆弾もろとも体当たりするしかないところまで追い込まれているのなら、もはやそれは作戦ではありません。自殺の強要です。無念の死以外の何物でもないはずです。勝てないどころか、戦争として成り立っていないのですから、そこで終わりにしなければなりませんでした。無数の無念の死に報いるのは、その死を美化することではなくて、二度と戦争をしないこと、その決意を守り続けることだと思います。

 ことしの8月15日には、安倍晋三内閣の閣僚が4年ぶりに靖国神社に参拝しました。しかも一挙に4人です。顔ぶれは小泉進次郎環境相、高市早苗総務相、萩生田光一文部科学相、衛藤晟一沖縄北方担当相。靖国神社には極東国際軍事裁判(東京裁判)で有罪とされ処刑されたA級戦犯が合祀されています。閣僚の参拝は、いくら「私人の立場」と強調したところで、個人による戦没者の追悼とは違った意味が生じます。
 好むと好まざるとを問わず、日本は事実として敗戦国であり、それを前提に日本は戦後、主権を回復して国際社会に復帰しました。戦争放棄と軍備不保持を定めた憲法を持つことも、国際的に広く知られ、敬意も受けています。閣僚の靖国神社参拝は、そうした歴史と立場を日本政府がどう考えているのか、その認識に疑念を生じさせかねません。中国や韓国が反発するから問題なのではありません。4人もの閣僚の参拝は、内閣支持率が回復しない中で、岩盤支持層をつなぎとめたいことの表れなのかもしれませんが、戦争による死の美化に通じる危うさがあるように思います。

 ことし秋にわたしは勤務先の通信社を定年退職します。雇用形態を変えて職場には残ることになりそうですが、マスメディアで働く現役の職業人としての最後の8月を過ごしています。日本の敗戦で終わったあの長い戦争は、75年たって歴史にしてしまっておしまいではありません。戦争の同じ体験はできないかもしれませんが、追体験は可能なはずです。それはマスメディアのジャーナリズムの大きな役割と責任の一つでもあるだろうと、あらためて感じています。その目的は、戦争をさせないこと、起きてしまった戦争は一刻も早くやめさせることです。マスメディアの後続世代のがんばりに期待していますし、今後もわたしなりの考察と関わり方を模索していこうと思います。