「知らしむべからず」の姿勢は変わらない~日本学術会議の会員非任命は検事長定年延長の再来

 最初に報道に接した時から既視感がありました。菅義偉首相が、日本学術会議が推薦した会員候補のうち6人を任命しなかった件のことです。その後、政府が日本学術会議法の解釈を変更していたことが明らかになりました。できるはずがないことをやる、批判に対しては「法解釈を変更した」と開き直る―。法解釈の変更について、客観的で信頼に足りる記録が残っていないようなら、東京高検検事長の定年延長とまったく同じです。首相が変わっても、手続きの透明性や正当性といった民主主義、法治主義の根幹を軽視する政権の体質は安倍晋三首相当時と変わりがない、ということなのでしょうか。菅氏が「安倍政治」を政権の要である官房長官として支えていた分、その姿勢は自身が首相になっていっそう「純化」した、と言ってもいいように思います。今回、6人を任命しなかった理由の説明を政権がかたくなに拒んでいることも含めて、菅政権の「民には知らしむべからず」の姿勢が鮮明になりました。
 この件を巡っては「学問の自由」の侵害に当たるとの指摘が強くある一方で、日本学術会議のありように疑問を示し、改革が必要だとして菅首相の措置を支持する言説も目にします。日本学術会議のありようという論点は軽視できないと思いますが、政治による乱暴な人事介入と一緒くたでは、かえって論点がぼやけ、混乱してしまいます。日本学術会議の改革や将来像は、この会員任命の問題とは切り分けて、丁寧に議論すればいいと思います。また、「学問の自由」を守るとの意味合いでも、6人を任命しなかった理由を問うこともさることながら、時の首相による恣意的な選別がそもそも適法な手続きとして許されるのかどうかが、まず問われるべきです。「学問の自由」という抽象的なテーマ以前に、違法か適法かという具体的で明確な問題がまずあります。
 東京高検検事長の定年延長への批判が、ツイッターデモをはじめとした民意の大きなうねりにつながったことは記憶に新しいところです。それまで、安保法制や「共謀罪」創設など、世論の賛否が二分されていたテーマに対し、安倍政権が国会採決を強行しても世論の反発はほどなく納まっていました。しかし、検事長の定年延長ではそうはならず、安倍内閣の支持率は以後、どの世論調査でも低迷を続けました。検察トップに意のままにできそうな人物を据えたいがために、法解釈を自分たちの知らないところで変更してまでゴリ押ししようとしようとしたのではないか。安倍政権に対して、社会の人々が他人事ではない直接的な危機感を持ったことの表れではなかったかと、わたしはみています。今回の日本学術会議の会員任命の問題は、この検事長定年延長と同じ構造であり、再来です。
 かつて国会で政府は、首相は推薦された会員候補はそのまま任命する、と明言していました。どういう経緯でその法解釈がくつがえったのか、くつがえさなければならないどんな事情があったのか。その解釈変更の記録は残っているのか。マスメディアの報道はまず、それらの点を事実として明らかにすることが必要だと思います。

 以下に、細かくなりますが、備忘を兼ねて具体的な論点をいくつか書きとめておきます。
 わたしが最初に感じたのは「任命しない、などということが可能なのか」ということでした。この点に関して、弁護士の渡辺輝人さんが早々にヤフーニュースに、日本学術会議法の解釈に対する以下の論考をアップされました。
 ※「菅総理による日本学術会議の委員の任命拒絶は違法の可能性」
 https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabeteruhito/20201001-00201090/

news.yahoo.co.jp

 まず加藤官房長官が10月1日の記者会見で以下のように発言したことを紹介しています。
 「もともとこの法律上、内閣総理大臣の所轄であり、会員の人事等を通じて一定の監督権を行使するっていうことは法律上可能となっておりますから、まあ、それの範囲の中で行われているということでありますから、まあ、これが直ちに学問の自由の侵害ということにはつながらないという風に考えています。」
 これに対して、選挙により日本学術会議の会員を選ぶ制度に代わり、現在の推薦制度が導入された1983年の国会審議の政府委員の答弁を紹介しています。
 「私どもは、実質的に総理大臣の任命で会員の任命を左右するということは考えておりません。確かに誤解を受けるのは、推薦制という言葉とそれから総理大臣の任命という言葉は結びついているものですから、中身をなかなか御理解できない方は、何か多数推薦されたうちから総理大臣がいい人を選ぶのじゃないか、そういう印象を与えているのじゃないかという感じが最近私もしてまいったのですが、仕組みをよく見ていただけばわかりますように、研連から出していただくのはちょうど二百十名ぴったりを出していただくということにしているわけでございます。それでそれを私の方に上げてまいりましたら、それを形式的に任命行為を行う。この点は、従来の場合には選挙によっていたために任命というのが必要がなかったのですが、こういう形の場合には形式的にはやむを得ません。そういうことで任命制を置いておりますが、これが実質的なものだというふうには私ども理解しておりません。」
 国会でここまで明確に政府が答弁しているのに、加藤官房長官の発言は不可解です。「検事長の定年延長のときと同じように、また『解釈を変更した』と言い出すのではないか」と思っていたら、その通りでした。翌10月2日、内閣法制局は野党への説明の中で、2018年と今年9月の2度にわたり、学術会議を所管する内閣府と、同法の解釈について協議したことを認めたと報じられています。朝日新聞の記事によると、会議から推薦された人を、必ず任命する義務はないことを法制局として了承したという、とのことです。

 日本学術会議法も見てみました。
 ※http://www.scj.go.jp/ja/scj/kisoku/01.pdf

第七条 日本学術会議は、二百十人の日本学術会議会員(以下「会員」という。)をもつて、これを組織する。
2 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。
(以下略)

 「内閣総理大臣が任命する」となっていて、「任命できる」とはなっていません。一方で、会員の身分を巡る法の別の条文は次のようになっています。

 第二十五条 内閣総理大臣は、会員から病気その他やむを得ない事由による辞職の申出があつたときは、日本学術会議の同意を得て、その辞職を承認することができる。
(昭五八法六五・全改)
第二十六条 内閣総理大臣は、会員に会員として不適当な行為があるときは、日本学術会議の申出に基づき、当該会員を退職させることができる。

 ここでは「内閣総理大臣は~ことができる」と「できる」との表現を用いています。「できない」ことも可能であると受け取るのが普通の読み方です。ですから、総理大臣の任命では「任命する」となっていて「任命できる」という表現になっていないことは、1983年当時の政府答弁とも符合する事情のようにも感じます。
 さらに、日本学術会議法の前文も次のようになっています。

 日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される。

 「科学者の総意」の下で設立されているのだから、そこに「政治」が介入する余地はない、というのが普通の読み方でしょう。

 内閣総理大臣の会員の任命権をめぐるこの法律の構成は、既にいろいろな方が指摘していますが、憲法が天皇の国事行為として規定する内閣総理大臣の任命と同じです。

第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。

 天皇が憲法に基づいて首相を任命しないことができるなどとは、誰も考えないでしょう。内閣法制局の見解を聞いてみたいと思います。

 この問題に対して、東京発行の新聞各紙の扱いは二分されているようです。初報段階の10月2日付朝刊では、東京新聞は1面トップ、朝日新聞、毎日新聞も1面の扱いでした。一方で読売新聞は第3社会面、産経新聞は政治面でした。政府の法解釈変更が明らかになった後の3日付朝刊でも、朝日、毎日、東京はそろって続報を1面トップで扱いましたが、読売、産経はそれぞれ政治面、総合面でした。

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【写真】10月3日付の東京発行各紙朝刊1面 

 関連の報道では、京都新聞が任命されなかった当事者の一人である立命館大法科大学院の松宮孝明教授の長文のインタビューをサイトにアップしています。問題点が明確に指摘されています。

「『この政権、とんでもないところに手を出してきた』 学術会議任命見送られた松宮教授」
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/368847

www.kyoto-np.co.jp

 「とんでもないところに手を出してきた」。その通りだと感じます。菅首相は、検事長の定年延長問題から何か学んだことはないのでしょうか。