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菅首相は、なぜこんなにも感染リスクに無頓着なのか~「生活感」との大きな乖離、落差

 菅義偉政権が新型コロナウイルスの感染拡大防止のために掲げた「勝負の3週間」は、感染者が日を追って増大する一方のうちに過ぎました。今、明らかになっているのは、対策が後手後手に回っている政権の実状だけではありません。信じがたいほどの、菅首相自身の、あるいは政権与党の感染リスクへの鈍感さ、緊張感の欠如です。

 菅首相は「GoToトラベル」事業を年末年始、全国で一時停止することを表明した12月14日当日、東京都内のホテル宴会場と銀座のステーキ店で、立て続けに会食に出席していました。「勝負の3週間」と意気込んでいたその最終盤、社会に対しては「会食は5人以内で」と要請していたさなかのことです。
 以下は時事通信配信の「首相動静」の関連部分です。

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 ※時事通信「首相動静(12月14日)」
 https://www.jiji.com/jc/article?k=2020121400137&g=pol

 言っていることと、やっていることの乖離が余りにも大きいことに加えて、ステーキ店では自民党の二階幹事長とも同席するとは、首相や政権党の幹部として、感染防止(自分が感染しないことはもちろん、他人に感染させないことも含めて)への緊張感がまるで感じられません。
 さすがにまずいと思ったのか、菅首相は16日には報道陣の前で「国民の誤解を招くという意味においては真摯に反省している」と述べましたが、国民が何をどう誤解するというのか、分かりません。しかも「反省」を口にした直後に、この日も2件の会食に出席しました。それぞれ出席者は首相を含めて3人、4人だったと伝えられています。「5人以下なので問題はない」ということなのでしょうか。普通に考えれば、1回当たりのリスクは低くても、同じ行為を頻繁に繰り返せばリスクが高まるのは簡単な道理です。さらに、自民党では16日、大人数での会食の中止が続々と決まり、二階、岸田両派は17日に予定していた忘年会をそれぞれ中止した、との報道も目にしました。首相の「反省」がなければ、いずれの会合も開催されていたのかもしれません。緊張感のなさは驚くばかりです。
 ※時事通信「自民、夜会合を続々中止 大人数会食批判を考慮か」=2020年12月16日
 https://www.jiji.com/jc/article?k=2020121601057&g=pol

 ※共同通信「自民、夜の会食中止相次ぐ 首相への批判念頭か」=2020年12月16日

https://this.kiji.is/711904433039343616?c

 一方では、感染の拡大に一向に歯止めがかからず、東京でも医療提供体制は逼迫の度合いを増しています。緊迫し、疲弊する医療現場と、首相、自民党幹事長、議員たちの緊張感のなさとの落差はとてつもなく大きいように感じます。

 菅首相の「反省」について、17日付の東京発行の新聞各紙朝刊はいずれも総合面からさらにページをめくった政治面での扱い。わずかに東京新聞が総合面(2面)に掲載しました。新聞制作上のニュースバリュー判断としては、「政治」をめぐる話題の一つにとどまるのかもしれません。与党内からも批判がある、と伝える新聞もあります。菅首相は自民党内に確固とした基盤を持っておらず、政権党内のパワーゲームとして見る視点も政治報道にはあるかもしれません。
 わたしがこのニュースに感じるのは、社会一般の人たちの「生活感」との乖離です。その意味で「生活」に極めて身近なニュースだととらえています。菅首相や二階幹事長、自民党の議員たちは、自らの感染リスクについてはあまりに無頓着、鈍感にしか見えません。それはなぜなのでしょうか。まさか根拠なく自分だけは感染しないと考えているのか。仮に感染しても、自分たちのような国家の中枢にいる人間なら、最優先で最高の治療を受けられるはずだ、との思いがどこかにあるのではないか。そうとでも考えない限り、この無頓着さや鈍感さは理解できません。
 医療現場は言うに及ばず、社会には自分が感染することも、自分が他人に感染させることも避けなければと、自制に努めている人が大勢います。それがコロナ禍の下での社会一般の「生活感」だと思います。その生活感の目線で首相や政権党の要人らの立ち居振る舞いを見たとき、一体、この政権に何事かを期待しようという人が、どれぐらいいるだろうかと思います。菅政権は今、信頼失墜の坂を転げ落ちているのではないかと思います。

※追記 2020年12月18日8時50分
 副題「『生活感』との大きな乖離、落差」を追加しました。