森喜朗会長の女性蔑視発言とマスメディアの当事者性(その4)~後任人事報道ミスリードの背景にあるもの

 新聞各紙、通信社、放送局などマスメディアにとって、大きな課題が残りました。東京五輪パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の辞任と、後任会長を巡る報道のことです。
 女性蔑視発言にもかかわらず、在任を続けていた森会長が辞任する意向とのニュースは2月11日、建国記念の日の正午過ぎから各マスメディアがネット上で相次いで速報しました。この日の早朝、森会長の地元、石川県の北國新聞が「森氏『腹は決まった』 女性発言問題 会長辞任か、12日説明 五輪組織委の懇談会で」との見出しの記事を自社サイトにアップ。森会長が同紙の取材に「私の腹は決まっている。12日に皆さんにしっかり話したい」「東京五輪を前に進めるためなら、自分はいつ辞めてもいい」と話したとの内容で、記事は「辞任する方向とみられる」としていました。
 11日は各メディアとも早い時間帯から森会長の動向を追っていたのだと思います。わたしの手元の記録では、毎日新聞がネット上で12時5分に「速報」で「辞意」と報じ、報知新聞が12時25分に「辞意固める」、共同通信12時28分「辞意」、NHK12時36分「辞意固める」といったように、各メディアが次々に速報しました。前後して民放(日本テレビのようですがわたしは直接確認していません)が「後任に川淵三郎氏」と報じ、これも各メディアが追随。報道陣の取材に応じた川淵氏が、森会長と会い要請を受けたこと、受諾を伝えたことなどを明らかにしたこともあって、11日のうちには後任会長は川淵氏であることが確定したかのような報道が相次ぎました。
 12日付の東京発行の新聞各紙朝刊も、この流れのままの紙面でした。しかし、実際にはまったく違った経緯をたどりました。12日午後になって、川淵氏が一転して会長職を辞退する意向との報道が流れ、午後3時からの組織委の緊急会合で、川淵氏自身が辞退を表明しました。話は前後しますが、新聞各紙の13日付の検証記事によると、森会長が後任を指名する「密室人事」に批判が高まっていることを菅義偉首相が憂慮し、その意向を受けてか、組織委の武藤敏郎事務総長が11日夜、川淵氏に何度か電話。川淵氏はその夜のうちに「辞退」を決めた―ということのようです。しかし報道は12日午後まで「後任は川淵氏」のままでした。

 以下に12日付の東京発行新聞各紙の1面の主な見出しを書きとめておきます。

▼朝日新聞「五輪組織委会長 辞意/女性蔑視発言で引責/川淵氏を後任指名、受諾/相談役で残留へ」/「『女性共同会長』案 受け入れず」
▼毎日新聞「森会長辞任へ/『女性蔑視』引責/きょう表明 後任に川淵氏/五輪組織委」/「小池氏発言で急転/機先制し後任指名」
▼読売新聞「森会長辞任へ/『女性蔑視』発言 引責/後任 川淵氏を指名/開催5カ月前 異例事態」/「疑念招く『密室人事』」
▼日経新聞「森会長、辞任へ/五輪組織委 後任に川淵氏/『女性蔑視』発言」
▼産経新聞「東京五輪 森会長辞意/発言引責 きょう表明/開幕まで5カ月/川淵氏、後任前向き」/「傷ついた機運 再び高められるか」
▼東京新聞「森組織委会長 辞任へ/女性蔑視発言 引責/東京五輪・パラ 後任に川淵氏/きょう表明」/「署名14万件・デモ 市民の声が動かす」

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 後任の部分の見出しを並べてみると以下の通りです。

朝日「川淵氏を後任指名、受諾」
毎日「後任に川淵氏」
読売「後任 川淵氏を指名」
日経「後任に川淵氏」
産経「川淵氏、後任前向き」
東京「後任に川淵氏」

 普通に眺めれば、川淵氏が後任であることは事実上の決定事項であるかのようです。
 「森会長が辞意」の確定報をリードした毎日新聞も、1面のサイド記事「小池氏発言で急転/機先制し後任指名」では、組織委理事の一人が「辞任する会長が後任を指名するなんてあり得ない」と不信感をあらわにしていることを紹介しながら、結びは「禅譲劇もまた『密室』で幕を閉じた」と、これで後任選出は終わり、という書きぶりでした。

 結果として、新聞各紙を始めマスメディアの見立ては外れました。川淵氏が要請を受諾したと大っぴらに明かし、意欲満々なところを見せていたこともあり、これを誤報と呼ぶのは酷かもしれません。しかし、後任は川淵氏で決まりであるかのようにミスリードしてしまったことは事実です。そもそも、辞める会長には、後任を指名する権限はありません。その指名が密室で行われることも疑問です。「後任・川淵」はそうしたいくつもの問題をはらんでいました。にもかかわらず、既成事実同然に報道していたことを、マスメディアは軽視するべきではないだろうと思います。
 12日付の在京紙各紙の報道で、かろうじて救いがあったと思うのは、読売新聞が1面に載せた政治部次長の署名入りの「疑念招く『密室人事』」の記事です。森会長の辞任が遅きに失したことを指摘した上で、「後任・川淵」に対しても以下のように批判しています。

 さらに疑問なのは、森氏が辞任の意思や理由などを自ら公に説明していない段階で、川淵三郎・日本サッカー協会相談役に後任会長への就任を要請したことだ。混乱を招いた森氏本人による「密室での後継指名」という印象がぬぐえない。
 新会長選びは、世界の目も意識し、適正な手続きにのっとって進めるべきだ。

 川淵氏が後任会長職を断念せざるを得なかった要因は、女性蔑視を反省しているようには見えない森会長が後任を選ぶ、それも密室でのやり取りで、ということに対する世論の批判に行き着くように思います。マスメディアも、仮にナマの動きは動きとして伝えるとしても、事態がどう決着するかという「落としどころ」や「着地点」を探ることばかりに躍起になるのではなく、現在進んでいる動きにおかしな点はないのか、手続きの逸脱や不正はないのかをチェックすることを自らの役割としてもっと意識していれば、報道のトーンは変わっていた可能性があるように思います。「後任・川淵」への批判や疑問は、11日のうちからSNSなどでは渦巻いていました。マスメディアとその情報の受け手、世論との間に、意識の乖離があったことは否定できないと思います。

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【写真】後任人事は白紙であることを伝える13日付の東京発行各紙朝刊

 新聞・通信、放送などのマスメディアは長らく、「落としどころ」や「着地点」を各社で競うように探り、報じてきました。わたし自身もそうした中に身を置いていました。事件報道であれば、検察や警察がいつ、だれを逮捕するのかに最大の関心と労力をつぎ込んでいました。他社よりも早く報じることは、取材の成果としての勝敗が分かりやすく、所属するマスメディア組織内での評価にもつながります。
 政治報道をめぐり、かつて先輩記者から聞かされたことがあります。「われわれ政治記者の究極のテーマは、次の首相はだれか、ってことだ」。昭和の終わりのころです。インターネットが普及する以前、新聞やテレビが報じないことは、社会にとっては「ない」ことと同じでした。新聞や放送は、取材で分かったことだけを伝えればよく、わたし自身もそのことに特に疑問を抱くことはありませんでした。
 しかし、ネットが社会の基本的なインフラとして定着した今は、だれもが情報発信できます。マスメディアが報じない情報も社会に流通します。マスメディアがどんな取材をしているのかも「見える化」されてしまいます。そして、マスメディアの報道への疑問や批判も、瞬時に社会で共有されます。マスメディアは今回の一件を「仕方がなかった」で済ませることなく、教訓として今後に生かす必要があります。大事なのは、同じ失敗を繰り返さないことであり、民意、世論と向き合うことだろうと思います。

 ここで京都新聞のコラムを一部引用して紹介しておきます。
 「五輪組織委の人事報道『ミスリード』 メディアの責任も忘れずにいたい」
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/506775

 後任は川淵三郎氏-。
 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が周囲に辞意を伝えた11日午後から、主要な新聞、通信社、テレビを含め各マスメディアは、後任人事が決まったかのような前提で大々的に報じた。
 だがこの「密室人事」は一転、12日になって白紙となった。前日に記者団の取材に応じた川淵氏が、森氏からの依頼を受諾した経緯や意気込みを語っていた口ぶりに引っ張られたことはあろうが、私を含めてメディアの人間は慎重であるべきだった。批判をする前に「ミスリード」した責任を忘れてはならないと思う。

 現役を退いたとはいえ、今もなおマスメディアの内部で働いている一人として、わたしもこの反省を共有したいと思います。