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空襲の惨禍からよみがえった川崎大師「奇跡の銀杏」

 先日、神奈川県川崎市の川崎大師(真言宗智山派大本山平間寺=へいげんじ)を訪ねました。東京・品川から京浜急行線の特急に乗れば、15分ほどで京急川崎駅に。大師線に乗り換えて三つ目の「川崎大師」駅から徒歩で10分足らずです。初詣でには大勢の参拝客が訪れる東京近辺でも有数の大寺院。厄除け祈願で有名ですが、「霊木『奇跡の銀杏』」と呼ばれるイチョウの木があることはほとんど知られていないようで、ウィキペディア「平間寺」にも記述はありません。
 大きな山門をくぐって正面の大本堂に向かう途中の左手に経蔵があります。そのすぐそばにこのイチョウの木は立っています。案内板には以下のように書かれています。

 この銀杏は第二次世界大戦の大空襲により幹の大半を焼失。今でもその痕跡を樹木の根元に見ることができます。戦後、川崎大師はご信徒のご支援により大本堂をはじめ七堂伽藍を復興。同様にこの銀杏も奇跡的に蘇生、灰燼に帰した川崎大師の歴史を今に伝える古木であります。「奇跡の銀杏」の樹勢にあやかり、健康長寿、心願成就を祈願ください。

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 第二次大戦では、1944年に米軍が対日戦に長距離爆撃機B29を投入して以後、日本本土への空襲が本格化しました。45年3月10日未明、東京の下町一帯がB29の大編隊による焼夷弾攻撃で焦土と化し、一晩で10万人を超える住民が犠牲になった「東京大空襲」を皮切りに、全国の主要都市が次々に、軍事施設と住宅地とを問わない無差別攻撃を受け、焼かれていきました。
 総務省ホームページの「国内各都市の戦災の状況」の「川崎市における戦災の状況(神奈川県)」によると、川崎市では45年4月15日に最大規模の空襲がありました。「200機余の米軍機が飛来し、焼夷弾と爆弾合わせて1,110トンが投下され、市街地全体と南武線沿いの工場が壊滅的な打撃を受け、多大な死傷者を出した。全半壊家屋33,361戸、全半壊工場287、罹災者は10万人を超えた。川崎市が空襲で出した死傷者の大半はこの大空襲によるものである」。死傷者数は資料によって異なるようですが、米国戦略爆撃調査団報告書によると死者1520人、負傷者8759人とのことです。

 ※「川崎市における戦災の状況(神奈川県)」
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kanto_22.html

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 参拝客でにぎわう現在の川崎大師の光景からは、そんな惨劇があったとはとても思えません。しかし、「奇跡の銀杏」の根元を見ると、確かに洞(ほら)の内側が黒ずんでいるのが分かります。かつて日本は戦争をする国であったこと、戦争が確かにあったことを今に伝える貴重なイチョウの木です。その戦争は、日本中で住民が犠牲になったばかりでなく、アジア諸国にもおびただしい犠牲、被害をもたらしました。
 ことしも間もなく3月10日、東京大空襲の日が来ます。東京と同じように、空襲を受けたそれぞれの地域に、それぞれの記録があります。そのことに思いをはせつつ、戦争体験を社会で風化させないために、それぞれの地で体験が語り継がれることが必要だと改めて感じます。

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